16 泥濘越しの激闘
ヘングツ砦に着いて2日目、カドリは城壁の上、一番高い望楼の上に陣取っていた。アレックスにあと3日、と告げたその翌日でもある。
(目立つ高所なら、祭壇でなくとも構わない)
カドリは砲台を伴う土の塔を見て思う。砲口が圧倒するかのようにこちらを向いている。
アレックスに期限を告げて尚、カドリは1日を置いていた。自分にも準備というものがあるのだ。
ただ急がないといけないのも事実なので、早朝ではある。日が昇ったばかりなのだ。
「大丈夫なんですか?悠長に1晩、無駄にして」
焦った様子でアレックスが駆け寄ってくる。
昨日は何やら別なことで苛立っていた様子だが、今は今で血気に逸って苛ついているようだ。
戦いにおいて重要なのは冷静さを保つことだとカドリは常々思っている。
「カーンドックは厄介だからね。焦ったところで、どうにも出来ないし、まして、一手でもって全てを解決することは出来ない」
カドリは砲台に目を向けたまま告げる。
砲台を支える塔の各所に穴が空いたかのように小部屋が設けられていた。各部屋に一匹ずつカーンドックが控えているのだ。部屋は各方向を向いており、死角もない。
(出し抜くということは結局難しい。だが、サグリヤンマは大変に便利な同胞だ)
つくづくカドリは思うのだった。
既にブレイダー帝国皇都へ逃れられてしまったものの、聖女フォリアを見つけてきてくれてもいる。
奪還を試みるも失敗してしまった。あえなくレックス皇子の手により相当な数を斬り倒されてしまったのである。思っていた以上の手練れであり、数で囲えば勝てると思っていた、カドリ自身の失策だった。
(親世代が殺されて早々に頼るのも気が引けるが)
カドリは思いつつも鉄扇で口元を隠す。
「故に今日はカーンドックを倒す日としよう」
穏やかにカドリはアレックスに告げる。
告げられたアレックスがビクッと驚いてから自分を見た。しばし黙っていたから、驚かせてしまったようだ。
「そんな悠長な。あと3日、いえ2日であの砲台が完成するって。ご自分で仰っていたのに」
アレックスが不安げな顔で言う。いつもは澄ましていて凛々しいくせに、不安がるときは、どこかかわいい顔になるのだ。
ついカドリも本心から笑ってしまう。自分にしては珍しい。
「あくまで、私の推測に過ぎない。あと1日半かもしれないし、4、5日かかるかもしれない」
カドリは当たり前の事をアレックスに言い聞かせる。本当に作業の必要日数を知っているのは敵だけなのだ。
自分は敵の動きを見て、流れを見ただけなのだ。例えば明日、魔物たちが休息日と定めているなら、予想よりも1日先ということとなる。
「早い方の可能性もあるなら、尚の事、急がないと」
やはり真面目なアレックスが可愛い。不出来な弟が出来たような気分だった。
「1つだけ確かなことがある。カーンドックの殲滅と砲台の破壊。両方を1日で達成することが、私には出来ないということだ」
カドリは笑って告げる。アレックスがたじろいだ。
自分も何でもしたいことを出来るわけではない。
「頼られれば嬉しいし、張り切るが、どうしても限界はある。許してほしい」
苦笑いとともにカドリは告げた。アレックスに限らず、あまり当てにしすぎるのも勘弁してほしい。
「そんな、許してほしい、なんて」
人の良いアレックスがすまなそうにする。
「確かに甘えすぎました。すいません」
さらにはアレックスが頭を下げてくれた。
すまないとすら感じてくれない相手も多く、まして自分はカドリなのだ。
(便利に使われるのが当然さ)
敬われることの決してない家系なのである。自分としても別にそれで構わない。
誰かにアテにされるからこそ、生きる意味もあるというものだ。
「あの、私にも出来ることはありますか?」
気付けばまた、アレックスが一方的に話すだけの時間となってしまった。自分はずっと思考を巡らせて黙っていたのだ。
遠慮がちにアレックスが尋ねてくる。
「あっ」
だが、カドリの返答よりも先に、『良いことを思いついた』という顔でアレックスが声を上げた。
大したことではない気もするが、ついカドリも、何が飛び出すかと期待してしまう。
「カドリ殿、先日のように皆を鼓舞してみては?皆で強くなって突撃すれば」
アレックスの思いつきなど、所詮はこの程度なのだ。
人柄は申し分ないが、知恵が回らない。
「いくら何でも、あの泥濘には足を取られる。そして、カーンドックの待ち受ける下で、凶暴化した集団が足を取られれば、どうなると思う?」
カドリは順を追って説明する。一方的に、有限な戦力を無駄に殺戮される場となることだろう。
「すいませんでした」
気づくや悄気げてしまうアレックスであった。俯いてしまっている。
「良いんだ。自分なりに考えてくれたのはよく分かる」
カドリはアレックスの頭頂部に向かって告げる。淡い桃色の髪の毛が戦場にはひどく不似合いなものに感じられた。
「はい。では」
気を取り直したアレックスが凛々しい顔を作った。
現金な槍使いなのである。
「一般の兵士がまだ血を流すべき状況ではない。だから、君と同胞たちに頼らざるを得ない。やってくれるね?」
カドリは笑って尋ねる。ここで言う『同胞』というのは自分と繋がっている魔獣たちのことだ。
「はい、もちろん。それは力を尽くします」
アレックスが力強く頷いた。
やはり実直な人間が頼りになる。もらえる返答も、どこか読めきっていて、安心感すらあるのだった。
「君だけは凶化する。泥濘をも、ものともしないだろうから。同胞たちを助けてやってほしい」
カドリは頭を下げて頼んだ。
「まだ、子供の同胞でね。親を失ったばかりなんだ」
カドリはさらに顔を上げて、アレックスの顔を正面から見据えて告げる。
痛ましい表情をアレックスが浮かべてくれた。やはり根本から良い人間なのだ。
「分かりました。私にとっては、その魔獣も仲間、そう思い共闘します」
魔獣のことを言っていると、流石にもうアレックスにも分かったようだ。
(君の元主人を攫いに行って死んだ、とは言えないがね)
カドリは思いつつ、扇を広げて静かに舞を始める。
まずはアレックスの凶化からだ。
「私は貴方を使って、彼らを殺そうと思う。いわれなき憎しみがいわれのある憎しみに変わって、真なる敵となる前に。私は私に向けられた怒りを彼らの双肩に乗せて押し潰す。私の負う重みが、その苦しみで少しでも軽くなりますように」
カドリは高く細い声で囁やき、アレックスに力を与える。
アレックスの槍も軽鎧も、黒く染まっていく。
城壁の良いところは、城壁をそのまま『舞台』として見なすことが出来るという点だ。いちいち誰かに祭壇を作ってもらう必要もない。
アレックスが鋭く敵を睨む。闘気と憎悪に満ちた眼差しだ。
(ふむ、やはり私と親和性が良い)
歌いつつ、カドリは思い安堵するのであった。