15 観察の段階
自分はどうしてしまったというのだろうか。
アレックスは自問しながら思う。オイレンの城下町とここヘングツ砦の居住区、そして道中の村々でも女性に大人気のカドリを目の当たりとしてきた。
(本当に、なんだって言うの?)
アレックスは思いつつ、城壁の内側に巡らされた通路を歩いていた。ただカドリとの沈黙に耐えられなかった、というだけではない。
いざという時にどう動くのか。きちんと自分の目で見て把握しておきたかった。
カドリの呪詛にも似た歌を思い出す。
女性に囲まれた時も、カドリの歌を耳にした。だが、よくあるアレックスですら知っている民謡ばかり。
(あの、呪いみたいな歌はカドリ殿にとっても特別なもの?同胞とか言う魔獣たちも、あれで呼んでいたし)
自分もカドリにとっては『同胞』なのではないか。
(つまり、あのグロンジュラと同列ってこと?)
喜ぶべきなのか怒るべきなのか、アレックスは分からなくなり、頭を抱えたくなった。
なまじ、グロンジュラを信頼しきって大事に扱っていたカドリの姿を目の当たりにしているだけに尚更だ。
「はぁ、私の馬鹿」
アレックスは自戒する。
聖女フォリアを失った。仲間を失ってカドリと出会い、自分は次の戦いに進んだのだ。
(でも、あの砲台が完成したら?)
アレックスは巨大な砲口を恐怖とともに思い返す。
悩みどころか命も仲間もすべて穢れた汚泥に押し流されるのだ。
槍では防ぎようもない、理不尽なまでの攻撃が繰り出されることに、本能的な恐怖を感じてしまう。
(というより、あれでまだ完成してないの?)
もっと砲口が巨大化し、漲る魔力も増すというのか。
カドリと同じ見立てが既になされているのか。改めて気にしてみると、すれ違う人々の顔も暗いのだった。
(違う、暗いばっかりじゃない)
アレックスは思い直す。縋るような、期待するような眼差しを向けられていた。カドリの名声と実績で一筋の光明を見いだせた人も少なくないのだ。
「失礼、カドリ殿のお連れ様ですよね?」
黒髪の、精悍な軍人が声をかけてきた。いかにも剛直そうな風貌の男だ。年齢は30歳前後に見える。
「ええ、はい」
アレックスは『お連れ様』という呼び方やじろじろと眺めてくる無遠慮な視線のほうが気になる。
(この、いかにも鈍そうな軍人の人にまで、わたしたちは何か勘ぐられてるの?)
改めてカドリの無神経には腹が立つのだった。
『付き合わせてすまない』などとはどういうつもりで言っていたのか。
「私はレーンと言います。ここの指揮官です」
アレックスの背後にはカドリがいる。丁寧な口調で指揮官身分のレーンが名乗った。一応、到着したときにカドリとともに挨拶は済ませてあった。改めて自己紹介をしてくれたのは、人見知りのアレックスがその時無言だったからだろう。
「ご覧のとおり、あれが完成すれば、このヘングツ砦とてただでは済まぬと、我々の魔術師も申しております。しかし、カーンドックどものせいで手出しが出来ぬのです」
レーンが忌々しげに砲台のある方を一瞥して告げる。やはりカドリと同じことを言っているのだった。
「あの方のことだから、何か考えはあるのだと思います」
本人にアテにしているようなことを言うと、痛烈な皮肉を言われそうなのだが。
アレックスは沈黙に耐えかねて離れてきただけ、とも言えないのであった。皮肉を言われたくなかったのもある。
「いえ、そのカドリ殿ですが、見ているとずっと扇で口元を隠して、あの砲台を眺めているのです。ぞっとするような薄笑いを浮かべていて。あの美しい見た目ですから」
いかにも軍人らしい軍人から見ても、不気味で怖いのだろう。黙って立っているカドリには妖しい魅力がある。
察してアレックスも苦笑いだ。
「きっとそのうち、祭壇を立てろと言い出しますよ。そして、その上で歌って踊るんです」
アレックスはウェイドンの村でのカドリを思い出して告げる。
いぶかしげな表情を露骨にレーンが浮かべた。
「やはりカドリ殿とその従者の方ともなれば、言うことが違いますな」
若干の皮肉をにじませて、首を横に振りながらレーンが去っていく。
何を言われたかわからず、挙げ句、皮肉を言われた、とでも思ったのかもしれない。アレックス自身、あまり説明が上手くない自覚はある。少し申し訳なかった。
(まさか歌うことであれだけ、いろいろなことをするとは思わないものね)
アレックスもまだ実感はわかない。一度この目で見たとはいえ。
「私が、イワガネタマムシをほとんど一人で倒してしまった、なんてね」
他の人間ではあれほどの力を出せないのだと、カドリからは言われている。2人で組めば大型の魔物も撃退出来るということがカドリの言っていた『打算』なのか。
(この国を守れるのは、守ってきたのは、聖女フォリア様だって思ってた)
当然、世間はアレックスが思っている認識よりも、遥かに広くて、思わぬ傑物が眠っているものだ。頭の中では言い聞かせてきたし、そんなものだと思っていたが、いざ、実例を目にしてもなかなか実感を得られない。
再びアレックスは城壁を上る。一通り見て回ることが出来た。頭もなんとなく冷えてもいる。
(カドリ殿も私たちの知らないところで戦い、この国を守ってきた。でも)
どこか凶々しいのだった。清らかで誰が見ても可憐で愛されるフォリアに対し、とても美しい男性であるカドリだが、邪なものを感じさせられる。
(魔獣使いだから?それも私の偏見?)
アレックスは思いつつ、自分が理不尽な印象を抱いているのではないかとも葛藤してしまう。
ウェイドンの村やレグダの前線での行動を見る限り、邪悪な行いなど1つもなかった。今も人々のために進んで危地に身を投じているのだ。
また城壁の上に至る。
「やぁ、戻ってきたか」
からかうように明るい声がかけられた。
先ほど別れた時と同じ姿勢のまま、カドリが砲台に目を向けている。レーンの言ったとおりの姿だ。扇を口元に当て、薄く笑っている。
「ずっと、そこに立っていたのですか?」
若干、呆れの気持ちをにじませて、アレックスは尋ねる。
「まずは観察。とりあえずはよく観察することだ」
カドリが動じることなく返す。
「そして次に考察。続いて想定をし、最後に実践だよ」
カドリなりに手順があるらしい。
「何か観察で分かりましたか?」
それでも一応、きちんと確認してしまうあたり、自分は人が良いとアレックスは思う。実務的な話をしている方が楽だということもある。
「あれは、あと3日ほどで完成する」
さらりとカドリが重要なことを告げる。
「ええっ」
アレックスはただ声を上げることしか出来なかった。
幸い、近くには自分以外には誰もいない。カドリが妖しすぎるため兵士は遠巻きであり、城壁の上にまでは一般人も上がってこないからだ。
無防備な反応も問題はなかった。
「砲身の後部にある装置の魔力の漲り方や、魔物たちの作業効率を眺めていれば分かる。完成に2日、力を充足させるのにさらに1日、というところかな」
淡々とカドリが説明する。自分自身もあと3日で死ぬかもしれないということだが、分かっているのだろうか。
「どうするのですか?あと3日以内にあれを破壊せねばならないということでしょう?」
アレックスは巨大な砲身を指差して尋ねる。
泥濘といい塔といい、守りやすく攻めづらい対象が相手なのだ。
3日で攻略など不可能ではないのか。
「どうとでもなるし、潰すしかないだろう?人々にどれだけの犠牲が出ると思っているんだい?」
正論でもカドリに言われると、異質なものに聞こえてくるから不思議だ。
「人々のため、ですか?」
アレックスには未だにカドリの口から出てくる『人々のため』というのが腑に落ちないのだった。
言葉と行いの善良さと、纏う雰囲気の凶々しさとが一致しないのだ。
「それはそうだろう。私も同じ人間だ。同胞は守らなくてはならない。きっと、私も誰かに助けられて生きている。食べるもの1つとっても、私には作れないのだからね」
カドリが薄く笑みを浮かべたまま説明する。
「だから大いなる犠牲を避けるため、あれを潰さなくてはならないなら潰すのさ」
ぞっとするような凄みをにじませてカドリが軽いことのように言い放つ。本当にカドリにとっては、軽いことなのかもしれない。
「では、具体的にどうするのです?」
アレックスは思わず尋ねていた。
「いつもどおりさ、歌うんだよ」
本当にそうするのだろう、とアレックスは返事を聞き、思うのであった。