134 帰還1
ベルナレク王国の国土に戻った。
「君等にも苦労をかける」
カドリは背中に自分を乗せてくれているイビルスコルプに告げる。
聖女フォリアを移送するにあたって、安全を期すには陸路を選ぶしかない。今は気絶していくれているが、意識が戻って神聖魔術を放たれれば、空中では逃げ場がないからだ。
(実際、聖女としてはここ数世代ではダントツの腕前なのではないか?)
まさか他国のものとはいえ、魔窟を潰してしまうとはカドリも思わなかった。結界等を張って弱体化することはあっても消し飛ばした聖女などカドリは聞いたこともない。
(いや、そんな聖女は100年以上も昔まで遡らないと)
それほどの偉業を成した聖女をカドリはまんまと奪還したのであった。鉄鎖獅子抜きでは、カドリ自身すらも倒されかねない相手が聖女フォリアだ。
「あぁ、引き続き彼に張り付いてもらうしかない」
カドリはイビルスコルプの思念を感じて答える。
聖女フォリアの神聖魔術を防ぐ盾となる鉄鎖獅子からして飛べないのだ。陸路しかない。
今も顎の力の加減が上手いシークスジャッカルに咥えてもらい、鉄鎖獅子が傍に控えるという形を取っていた。
(カガミカガチも回復しているが、彼女は機動力が無いからな)
カドリはそれでも上機嫌で思う。
(ベルナレク王国を救うため、まだ幾つかの段階を踏まなくてはならないが。まず、その第一歩は成った)
せっかく奪還してきた聖女を奪い返しに来られる可能性もある。故に今も北に大きく迂回してから国境を越えた。
「我々にとっても賭けだったがね。魔窟を利用する格好で逃げるのは」
カドリはイビルスコルプとの対話を楽しんでいた。
魔窟の魔物を恐れてブレイダー帝国も追撃には慎重にならざるを得ない。
(それでも、追ってくるような気もしたのだが)
レックスの思い入れはかなりのものだ。だが、追ってこなかった。心を折ってきたのが良かったのか。思っていたよりも重傷だったのかは分からない。
とりあえずは同胞を消耗させずに済んでいる。
「なに、君の働きは大きい。もっと自信を持ち給え」
カドリはイビルスコルプからの若干、不安に震える思念に答えて告げる。
アブレベントやグロンジュラにも勝る強力な同胞であり、カドリもここぞという時にしか力を借りない。麻痺毒から殺毒までを体内で使い分ける器用さに加え、甲殻も鋏も頑強だ。巨体の動きは一見して鈍いが尻尾の動きは目にも留まらない。
巨体や実力とは裏腹に性格は控えめなのだった。
今回も鉄鎖獅子ほどに役立てたのかと心配している。アレックスにも見習わせたい奥ゆかしさだ。
「君があの剣士を一手に引き受けてくれたから勝てたのだよ。もし引き受けてくれなければかなり危なかった。彼は単独で鉄鎖獅子をも斬り倒しかねない。それだけの強者だった」
カドリはイビルスコルプを手放しで賞賛する。
剣豪皇太子レックスと渡り合える同胞は少ない。
ここにいるイビルスコルプにアブレベント、あとはアレックスぐらいのものだろうか。グロンジュラですら単独では容易く斬り倒されるだろう。
「彼は鉄ぐらいなら斬る、それも容易くね」
カドリは断言した。以前にはサグリヤンマを10数匹も倒されている。
今回も、実際にこの目で剣筋を見て戦慄した。
「そんな猛者を君は引き受けてくれたのだ。その勇気に大いなる賞賛と感謝を」
カドリは扇子で口元を隠すことなく告げる。
レックスにとってもイビルスコルプは厄介な相手だったはずだ。甲殻が硬いだけではなく、鋏の使い方も器用で素早く、毒針に毒煙も使う。
今度は苦情がイビルスコルプから飛んできた。なんて危険を犯させるのだ、と。多少は冗談のつもりもあるのだろう。カドリは口元をほころばせた。
「だから、きみぐらいしかいないのさ。アレックスもアブレベントもベルナレク王国に置いてきてしまったからね」
笑ってカドリは応じる。
なお、鉄鎖獅子は見かけによらずあまり強くない。あくまで聖女の神聖魔術に対して絶対的な耐性を持つだけだ。
「君のおかげで多くの同胞を危険に晒さずに済んだ。これはアブレベントにも大きい顔ができる功績さ」
カドリは更にイビルスコルプを褒めるのであった。
多少、口数はいつもよりも増えている。自身が高揚している、という自覚はあった。
ピィーーッと細く長い鳴き声が響く。アサシンオウルのものだ。
「ふむ。今更、か。もう手遅れで。追いつけまいよ」
既にベルナレク王国の国土に入っているのだ。ブレイダー帝国もこの段階で国境を侵すことは出来ない。
(逆に私が同胞とともに反撃する口実となるだけだからな)
カドリとしては追うつもりのあるものを、この段階で殲滅するほうが楽なのだ。
「分かっているよ、肉薄してくるなら、それまでなのさ」
ダイライガマにアサシンオウル、シークスジャッカルの他、他にも隠している同胞が、ベルナレク王国内には幾らでもいるのだ。
カドリは空を見上げた。アサシンオウルが旋回している。
追手が諦めたという符牒の飛び方だ。
「あとは正規の手続きで取り戻そうとするかもしれないが。そこはヘリック殿下が上手くやるだろう。陛下も聖女の力だけなら欲しいはずだ、もう大丈夫さ」
嬉々としてカドリは告げるのであった。