126 その頃ベルナレク王国では1
その報せをベルナレク王国王太子ヘリックは自身の執務室で聞いた。
ブレイダー帝国の魔窟が消失したのだという。ヘリック自身が放っていた密偵からの報告だ。一人からのものではない。何度か同じ報せを立て続けに受けて、ヘリックとしては信じざるを得ない、凶報となっていた。
「くそっ、どうなっているんだ!」
ヘリックは怒鳴る。机を派手に拳で叩いたため、痛い思いをした。
聖女フォリアの活躍によるのだという。魔窟制圧の疲労が重く、未だ人前には出られないらしいが。遅かれ早かれ、ヘリックに見せつけるかのように、勲章でもブレイダー帝国皇帝から受けるのではないか。
ヘリックにとっては屈辱以外の何物でもない。
「なぜ、あの女ごときに魔窟が制圧できるのだ!」
さらにヘリックは叫ぶ。
「出来るならせめて、我が国の魔窟を潰してから出ていけというのだ!」
当てつけのようにして他国の魔窟を潰すとはどういう了見なのか。
今となってまた、息を吹き返したかのように聖女フォリアとの婚約破棄からの追放について神聖教会が抗議してきている。更にはメイヴェルを偽聖女ではないかと。その疑念もまた再燃させられていた。
「それはぁ、神聖魔術の腕前だけはぁ、本物だったからぁ。小さい魔窟ぐらいなら、潰しちゃえるんじゃないかしらぁ?」
執務室に据えた応接用のソファに身を沈めて、当の本人、恋人のメイヴェル・モラントが言う。
「他人事ではないぞ、メイヴェル。君自身に関わることなんだから」
出来ることはヘリック自身もやってきたつもりだ。
カドリに命じてヘングツ砦の防衛、さらにはムカデの女王レアンの協力により、メイヴェルに聖女としての手柄を立てさせている。
(それがなぜ聖女不在などと今更、言われねばならんというのだ、そもそもこの国が今乱れているのはフォリアが逃げたせいではないか)
恨むならヘリックとメイヴェルではなく、フォリアであるべきなのである。逃げたからいけないのだ。
「やれるだけはぁ、やってますよぉ、私たち。なんたって神聖魔術を使えないのに、聖女だってことにしてるんだから」
ケタケタとメイヴェルが笑う。確かに前提からして難しいことを自分たちはしているのであった。
「それもそうだが、現に魔物の襲来が止まらないんだ。規模はここ最近、落ち着いてきているようだが、いつ激しくなるか知れたものではない」
ヘリックは腕組みして告げる。
父にとっても魔窟の活性化は由々しき問題らしく、目の下にクマを張りつけて政務に追われていた。
「そんな状況で隣の国だけ、魔物に煩わされなくなったのだから、いつ敵軍が攻めてきてもおかしくはない」
魔窟に割かなくても良くなった、余剰戦力をすぐにでも侵略に当ててくることだろう。
(なんなら、そのためにレックスとやらはフォリアを連れ去ったのかもしれん)
そして首尾よく魔窟を潰したのだから、使い終わったフォリアをとっとと返してくれれば良いのである。
「それはぁ、困りますけどぉ。レアンって娘はちょっとした実力者だしぃ。カドリさんもそのうち戻るだろうしぃ。こんなのぉ、いつまでも続かないと思いますよぉ」
メイヴェルがのんびりとした口調で言う。
言われてみると確かに悲観的なことばかりではないと、ヘリックにも思えてくるから不思議だ。
「そうだな。現に防いでいるし、それは私がカドリを北に送り込んだからじゃないか」
何をヘリックの功績を無視して、裏目に出た一事だけをしつこく追及してくるのだろうか。
「どうせ、私の粗探しをするしか能のない暇人たちの戯言さ」
ヘリックはひとり呟くのだった。
「でもぉ、そんなことよりぃ。北の人たちの税の免除はどうするんですかぁ?軍費であの人たちぃ、大変なんでしょぉ?」
さらにメイヴェルが尋ねてくる。
確かにベリー・オコンネルを始め、ハロルド伯爵など北の領主たちが皆、軍費を理由に税の減免を申請してきていた。
あまりに愚かな要請なので、ヘリックは無視することとしていたのである。
「この状況下で国庫を減らすわけにはいかないだろう。魔窟だけではない!ブレイダー帝国軍への対処も必要となってきているんだぞ?」
ヘリックは苛立ちのままに告げる。
誰も彼も自分自身のことしか考えていない。
「却下だ!却下!しつこく陳情してくるな、というんだ!」
半ば叫ぶようにヘリックは告げた。
かねてから出されていた陳情書がいよいよ長たらしく、紙も分厚いものとなってきたのである。まるで北方領主たちが、いかに苦しいかを大袈裟に言っている姿を直接目にしているかのようだ。
特に日頃は威張って澄ましているベリー・オコンネルの情けなさには苛立ちを禁じ得ない。結局、少し困るとすぐに甘ったれたことを言い出すのである。
(そもそも、すべて私のせいだと言わんばかりの文面が気に入らんのだ)
ヘリックは改めて思うのであった。




