117 レアンの困惑2
「君は素晴らしい。今日見ていても、それは態度の上でも能力の上でも、容姿の上でも、だ。私の部下に君を迎え入れて怒る者はいない」
ベリーが笑って言い、せっかく取った一歩分の距離をまた詰めてくる。
(あまりしつこいようなら、アレックスに槍で叩き出してもらおうかしら)
とうとう頭の片隅でレアンは物騒なことを考え始めてしまう。
(ていうか、あたし、平民なんだけど。本当にこれ、『お戯れ』ってやつなんじゃないの?こんなのに振り回されてらんないわよ)
自分をどうするつもりなのだろうか。
ふと漠然とした不安にレアンは駆られる。16歳になって未だに恋人などいた試しもないのであった。容姿にも自信がないわけではないが、貴族とどうかと言われれば困るに決まっている。
「あー、すまない。不安を感じているようだが、大丈夫だ。君の意にそぐわぬ、無体を働こうという気はない。誠実に、その、なんというんだ?対応するつもりだから」
ベリーがさすがに慌て始めた。ようやく露骨過ぎる自分を客観視出来たのだろうか。
(昔、お母さんが言ってたもの。どんなに誠実そうでも貴族はだめ。問題しか起きないって。特に結婚したいとか妻にしたいとか言い出したら要注意だって)
レアンは母とのやり取りを思い出す。魔術学校に入るにあたって、生き別れとなった。ハロルド伯爵領も平穏とは程遠い時期もあったのである。
「誠実に、って具体的にはどうなさるおつもりですか?」
レアンは素っ気ない口調で告げる。自分としては珍しい話し方だ。
手をつけられて、子供でも身籠らされてはたまらない。レアン自身、自分をそこまで粗末に扱いたいくはないのだった。
「私は未婚だ。事の次第によっては、まぁ、なんだ。そういうふうに考えている」
さすがに赤面してベリー・オコンネルが言葉を濁す。
「はぁ?」
レアンは思わず呆れて声を上げた。
軽蔑して、また相手をまじまじと眺めてしまう。そんな甘言に欺かれるとでも思っているのだろうか。とんだ侮辱だ。
ベリー・オコンネル辺境伯という人間は、見た目は多少、硬そうな、真面目そうな、怖いところもありそうな容姿である。だが、整っていて美しい。
カドリとはまた違った魅力があって、女性からも人気があるだろう。結婚相手として、引く手数多なのではないか。
(だからって、私がそう、ホイホイと喜んで飛びつくって?そう軽く見られてる?引き受けられるなら、身分は当然に妾か何か?嫌だって言ってんのよ)
レアンはベリー・オコンネル辺境伯を睨みつける。
本当のところ、腹の中、考えはわからないでもない。
このハロルド伯爵領北部を実質的に掌握しているのは自分だ。ハロルド伯爵が今、率いている軍勢よりも自分たちのほうが強力だろう。
(この人が本当に欲しいのは、その戦力の方でしょ?見え透いてるのよ)
何をするつもりかは分からない。だが、北部の兵力を手にして、ベリー・オコンネル辺境伯が何かを企んでいて、ここに来たことぐらいは、レアンにも読める。
(直接、乱暴されるんでなければ、私はどうとでも対処出来る。今なら、アレックスもいるから、さすがに直接何もしてこないと思うけど)
レアンは腕組みする。自分が睨みつけていても、ベリー・オコンネル辺境伯の顔は涼しいままだ。
「えっ、レアンさんと結婚したいってことですか?」
時間差でアレックスが驚いている。
(まったく、こいつは)
ましてベリー・オコンネル辺境伯が言葉を濁した部分を明言するなというのである。
「あー、不躾なのは分かっている。自分でも性急だと。正直、私自身、こんな思いに駆られるとは思ってもみなかったんだ」
決まり悪げに頭をボリボリと掻きながらベリー・オコンネル辺境伯が言う。
「レアン嬢にも、何というべきか。だが、願わくば、闇雲に拒絶するのではなく、私という人間を先入観なく見てもらえると」
さらにベリー・オコンネル辺境伯が言葉を重ねる。
「見て、受け入れろ、と?そういう風に仰ることが圧力になる、そういうご身分ではありませんか?」
レアンは冷たく指摘する。受け入れた先がどうなるのかは分かりきっていた。見え透いていて鼻の白む思いだ。
「分かっているさ。だが、言わないと何も始まらない。だからわざわざ伝えに来ている。知ってもらえた上での失恋なら諦めもつくよ」
ベリー・オコンネルが肩を竦めて言う。
(そう単純かしら)
口先だけならどうとでも言える。レアンは思った。
執着というのは多分、簡単なものではない。
「君は身分を気にしているが、いずれ一旦、いまの身分などまっさらになるような事態が来る。その時に物を言うのは実際に持った力。それは君は強いのだから、私にとっては魅力的な相手だと言うこと。それは分かってほしいな」
さらりととんでもないことをベリー・オコンネル辺境伯が口に出した。
(つまり、この国を、あんたが謀反して打ち倒しちゃうってこと?口説き文句にそんなこと言うやつがどこにいるのよ)
レアンは一気に不穏なものとなった会話に逃げ出したい思いである。
「閣下。ここでは、とにかく私、休みたいんです。不穏な会話は厳に慎んでください」
レアンは精一杯、硬い口調で告げるのであった。