11 辺境伯
レグダの最前線を突破されたと聞き、当地を治めるオコンネル辺境伯はウェイドンの村へと急いでいた。
「まったく、あの馬鹿王子め」
馬上でベリー・オコンネルは呟く。今年で25歳になったばかりの、若き辺境伯だ。
青い髪の頭に鉄の兜を被り、馬甲も銀色に輝く鋼鉄で固めている。領主自らが軍装で各地を回らなくてはならない情勢なのだ。
北から侵攻してくる魔物の数が増え続けている。
「馬鹿なのは上でも、血を流すのは民だと来ている」
更にベリーは毒づく。
今、率いているのは100騎だが、迫る魔物の対応に数として足りるのか。ベリーも自信を持てずにいる。直下の精鋭シロガネ兵団ではあるが、レグダの前線には、屈強な聖女フォリアの元護衛団を投入してなお、突破されたのだから。
(そもそも、聖女フォリアの元護衛団を投入してくれるのなら、俺の指揮下にくれれば良かったのだ)
聖女フォリアを破談・失墜させ、失望させた挙げ句、おめおめと隣国の皇太子に掠め取られたということは、この辺境にまで伝わっている。
教会に対する当てつけのようなことで、屈強な兵士たちを無駄遣いするような国王と王子が今、国の上部にいるのであった。
結果、早速、『北の魔窟』と境を接するオコンネル辺境伯領は結界が弱まったことによる被害を、直接受けることとなったのである。不満を抱かないわけがない。
今は急ぐことを最優先に、街道をひた走っている。正面から一騎、近づいてくる者がいた。
「閣下!」
配下のシグナスである。疾駆させ先見を命じていたのだった。馬だけでなく、本人も興奮した様子で息を切らせている。
「どうした?ウェイドンの村はもうだめか?」
ベリー自身、ウェイドンの村を維持することは最早諦めていた。防衛線であるレグダの前線が崩れた以上、内側にある居住区域を待つ運命など、魔物による蹂躙しか無いのである。
(一旦もっと南で食い止めて、増援があれば奪還するしかない。それだっていつになるか、本当に来る未来かすら分からない)
削られているのは自分の領土である。痛恨の思いをベリーは抱いていた。
それでも領主として民のため、一般人をどこまで内地で保護できるのか。救出に向かっていたのである。
「いえ、住民とレグダの敗残兵とで、一旦は持ちこたえ、押し返しております。遠目ではありますが、魔物の姿はありませんでした」
シグナスがもたらしたのは思わぬ朗報であった。ついベリーは耳を疑ってしまう。
「なにっ?」
嬉しい誤算に対し、ベリーは頭の中で思い描いていた領土防衛の地図を書き直す。
オコンネル辺境伯領の防衛については、各所で気の抜けない情勢なのだ。ウェイドンの村付近の他、ヘングツ砦でも大規模な戦いを展開している。
「では、急ぐぞ。あの地方で魔物の侵攻を堰き止められれば我が領土もなんとか保つ。しかし、よく耐えたものだ。まして一般人が半数近くだというのに」
心の底から感嘆してベリーは告げる。他のシロガネ兵団の者たちも一様に安堵した表情を浮かべていた。聖女が出奔してから初めての朗報なのだ。
(一度は敗れてなお、戦い続けたということも大きい。本当によくやってくれた)
敗残兵と村人たちとではたかが知れていて、きっかけがなければ持ち直せないだろうと読んでいた。故に自ら出陣したのだが、きっかけとしては微妙なところだとも。急いで向かっても間に合うかどうかすらも分からなかった。
より人口が多い地区から優先して守らねばならなかったというところもある。
「それがどうやら、カドリ殿が来てくれたようなのです」
顰め面で嫌な名前をシグナスが告げる。
「なるほどな」
納得できる回答ではあって、ベリーは頷いた。
本当は嫌いではない。むしろ魔窟に近く、魔物も多く出るオコンネル辺境伯領を治める身としては、世話になってばかりの相手だ。
ただ、あの容姿や物腰が好きにはなれない。
記憶にある限り、カドリというのは鉄扇を口元に当てて、薄く笑っていた。妖しい程に美しく、中性的な容姿で主に女性を惹きつける。
(話してみると、あれで真面目で。男気もあって良い奴なのだが)
見た目との不釣り合いな人間性も苦手な一因かもしれない。
(だから、あいつのことは嫌いなんじゃなくて苦手なんだが)
ベリーは思いつつ、そのまま100騎を率いてウェイドンの村へとたどり着いた。
「これはこれは、オコンネル辺境伯閣下ではありませんか」
早速、予期していた皮肉な声が飛んできた。いつも恒例の挨拶である。報告どおりにカドリの声だ。
見るとなにやら作業を手伝い、柵を担いでいる。いつもどおり、水色のヒラヒラした舞台衣装姿なので、不似合いだった。
「その呼び方はやめろ」
笑いもせずにベリーは馬上のまま返した。いつもは呼び捨てであり普通の話し方なのだ。わざとらしい。
その気になれば貴族どころか国王や王族とも対等な口を利ける立場なのだ。物言いはいつも気にはならない。話し始めるといつもは『ベリー』と呼び捨てなのだから。
(本人は二言目には敬われることはない、などと自嘲しているがな)
ベリーは馬から降りつつ思う。
当代のカドリは特に強い。カドリというのは自称『歯牙ない雨乞い』ということだが、その実、魔獣使いなのであった。細かい理屈はベリーも知らない。だが、歌うことで雨を呼ぶように魔獣を呼ぶ。
「まぁ、やめろと言うならやめるさ。お貴族様の言いつけだからな」
いつものように鉄扇を口元に当ててカドリが告げる。会う度に飽きもせず、カドリがこのやり取りを仕掛けてくるのだった。
いかにも貴族然とした自分を殊更に貴族扱いすることで嫌がらせのつもりらしい。
「カドリ殿、辺境伯閣下に向かって」
近くにいた桃色の髪の槍使いが、カドリをたしなめようとする。どうやら自分がオコンネル辺境伯だと気付いているらしい。
「いいのさ、アレックス。私は口の利き方を咎められることはない。カドリとはそういうものなのさ」
カドリが穏やかに言い返す。
アレックスと呼ばれた槍使いも中性的で、整った容貌の若者である。キリッとしていて、妖しい美しさのカドリと並ぶと息を呑むほどだ。
(護衛か何かでも雇ったのか?でなければ恋人か?)
ベリーはなんとなく2人の関係については聞きづらいのであった。
「それはつまり、カドリ殿の立場というのは?」
アレックスが困惑している。自分とカドリとを見比べた。
「陰口を叩かれ放題ということさ。ここにいる閣下と同じようにね」
珍しくカドリが爆笑した。
何がおかしいのかさっぱり分からない。
ベリーはアレックスと視線を合わせて、ただ困惑するしかなかった。
「とにかく、助けには感謝する。ここを抜かれれば我が領土は苦しかった。雪崩を打つように、魔物共に蹂躙されていたかもしれない」
ベリーは防護柵を修復しようとしている村人や、引き続き魔物の襲撃を警戒している兵士たちとを見渡して礼を述べた。
かなりの数の岩兵と大物のイワガネタマムシとを仕留めたらしい。しばらくは大規模な襲撃はこないだろう。
「この国の、いや、この地に暮らす人々のためだ。貸せる手は幾らでも貸すさ」
涼しい顔でカドリが告げる。
強いだけではなく、気持ちの良い男ではあった。苦手なのは容姿と物腰だけである。
「今、この国は極めて難儀な状態ではあるが、だからといって無為に人々が死んでいいわけがない」
真面目な顔でカドリが言う。
ベリーにも何のことを言っているのか、分からないわけがない。
「大丈夫。聖女がいなくても、まだお前がいるじゃないか」
半ば本気でベリーは笑顔で告げた。
(それに俺も)
ベリーにも有力な地方領主としての自負がある。カドリの言うとおり、危機だからおとなしく死んでやる道理も無いのだ。
「私には聖女の代わりなど務まらない」
寂しげにカドリが笑う。いつも二言目には言う、『凶々しい』ということだろうか。
妖しい笑みを見るにつけ、頷きそうになる。確かに聖女と違い、妖しさの中に凶々しさも垣間見えるのだった。
「それでも、頼りにしている。今後の方策も練りたい。ここには精鋭の100騎を置いていくから、カドリ、お前は入れ違いにうちの城に来てくれ」
せっかく友人が強いのだ。
頼るべきは素直に頼ろう、とベリーは思うのであった。