10 イワガネタマムシ
カドリは歌い、舞いながらも祭壇の上から、しっかりと戦況を把握していた。
カタウサギに岩兵、ともに兵士と村人たちだけで事足りたようだ。容易く打ち払えており、犠牲もあまり出ていない。自分も余力を残していた。
(ここを、この村を抵抗の拠点とする)
カドリは勝手に決めていた。
聖女に去られ、迫る滅びの運命にベルナレク王国が抗うための拠点だ。
水色の袖や裾をひらひらとはためかせて舞う自分は戦場にあって実によく目立つ。
木々の上から赤い双眸が自分を睨んでいる。
イワガネタマムシ。黒光りする甲殻が背中側を覆う。甲虫型の大型魔物だ。体高は4ペレク(約16メートル)にも及ぶ。
北方高山地帯に住む魔物だった。
(あれは流石に、兵士と村人たちだけでは重いか)
冷静に、小山のような相手を見上げてカドリは思う。
「故に私はクロクモを呼ぶ」
舞台の上で、カドリは舞い、そして歌う。
自分の歌は魔獣を魅了し従え、そして操ることも出来る。カドリという雨乞いはその実、代々魔獣使いなのであった。無論、個人差はあって、魔獣を使役するに至らぬ情けない先祖もいたのだという。
(当然、私はその限りではない)
黒い大蜘蛛が祭壇の下、地面の中からあらわれる。体高はイワガネタマムシに比しては小さく、せいぜい1ペレク(約4メートル)ほどだ。しかし、敏捷で8本の脚は実に力強い。
「おおっ!」
巨大な味方の登場に、兵士や村人たちから歓声があがる。
平時では代わりに悲鳴があがるのだろう。悲鳴をあげて逃げないまでも気味悪がられる。自分の歌に魅了され高揚している人々にとっては、カドリに魅了されているという点で同類の味方の登場なのであった。
さすがにイワガネタマムシを前にしては、高揚している人々も迂闊には突撃しない。カドリが高揚をその程度に留めたのだった。
「その魂は私の呪いで肉を持ち、形を伴って、私の思いを身体で受ける」
カドリは更に歌い、黒い大蜘蛛を力づける。正式にはグロンジュラという種類の蜘蛛だ。
魔力でもって、その能力を強化してやった。
「行けっ、我が同胞よ。黒い感情を本能そのままに」
カドリは扇子でイワガネタマムシを指し示す。
グロンジュラが八本の脚で大地を駆け、イワガネタマムシを目指す。
八本の脚すべてが筋肉質で力強く、取り付けばそう簡単には剥がれない。捕えた敵には毒牙を突き立て、消化液を流し込んで身体の内部を溶かして食べる。
体の大きさで勝る相手にも後れを取ることはない。
(手数と速さがまるで違う)
歌いつつカドリはグロンジュラにも気を配っていた。
イワガネタマムシの足が短く、小回りが利かないという弱点をうまく突いている。後ろに回り込んで、相手の脚に組み付き噛みつこうとしていた。
「うおおおおっ」
再び人間の叫び声だ。
歓声ではない。戦おうという男の声である。カドリは一瞥し、岩兵の集団がまた現れたことを知った。
乱戦となっている。
「カドリ殿っ!」
何をグズグズしていたのか。ようやく槍を手にアレックスが近づいてきた。
「あの、蜘蛛の魔獣はなんです?」
端正な顔の額に汗を浮かべて、アレックスが顰め面で尋ねてくる。自分の同胞になにか文句でもあるのだろうか。
「私の同胞だよ。魔獣という呼び方は嬉しくないね」
カドリは即座に指摘する。
「はあ」
戸惑いもあらわにアレックスが呆ける。よく受ける反応ではあるのだが、アレックスにだけはしてほしくなかった。
「カドリ殿っ!あれほどのものを操れるのなら最初から魔獣だけで」
アレックスがイワガネタマムシと格闘を続けるグロンジュラを見て、何事かを言いかける。カドリは睨みつけて黙らせた。先程から『もの』扱いするなというのである。
「私は聖女でも聖者でもない。自身を助けるのは、その人自身であるべきだと思っている」
カドリは舞いながらもアレックスと応対し続けていた。
「現地の人々にも最大限の努力をしてもらう。そこへ更に私の非力を上乗せし、同胞に頼るのはそれからだ」
カドリはさらに自身の信念を説明する。
「それは分かりましたが、イワガネタマムシは災害とも呼ばれるほどの相手です。あの蜘蛛だけでは」
他人の同胞を今度はただの『蜘蛛』呼ばわりである。本当に失礼な槍使いなのであった。
「ならばアレックス、君も力を貸し給え」
様々な不満を押し込めて、カドリは舞いながら告げた。足りないと言うのなら、自分で足せ、というのである。同胞への『蜘蛛』呼ばわりは焦りゆえのものとして、一旦捨て置くこととした。
「私の力を君に貸そう。君の力を私の同胞に貸してやってくれ給え」
この提案に応じてくれるかどうか。
カドリは内心、舞いながらも固唾を飲んでいた。
アレックスが迷わずにすぐ頷く。
「当然、そのつもりで来ました」
さらにアレックスから言質も取れた。
カドリにとっても嬉しくなる反応である。
良い人間と話していると、自分まで良い人間になれたような気になってしまう。
「私の呪詛をその身に浴びて、君は私の思いを代弁してくれるという。私の恨みを、憎しみを、痛みを。いわれもない相手に注ぎ込んでくれるという」
カドリの歌を通じて注がれる魔力によって、アレックスの軽鎧も槍も、純白から漆黒とその色を変えていく。本人の髪色も瞳も変わらないので、なおのこと凶々しい。
「素晴らしい親和性だ。君も本当は邪悪なのではないか?」
笑ってカドリは要らぬ皮肉を思わず告げてしまう。
端正な顔立ちがひどく不似合いにも感じられて、次からは顔まで隠す兜なども準備してやろうと思った。
無視して、アレックスが矢のように駆ける。
(小細工など要らない。今の君は、実に強い生き物だから)
カドリは目を細めて、声を震わせながら歌う。
イワガネタマムシにも黒い煙が付き纏い始めた。
「故に私は黒い雲を呼ぶ。この身に溢れる黒い感情を、少しでもいわれのない、知る由もない相手に思い知らせるため。降り注ぐ私の呪いを、君は受け入れられるのか。受け入れなくてはならない。受け入れるしかない」
弱かろうが強かろうが、1つ間違いのないのは恨む自分がここにいるということだ。
グロンジュラの目がこちらを向いていた。ずっと速さで翻弄して時間を稼いでくれていたのである。
硬く手強いイワガネタマムシを相手取って、次にどうすべきかをずっと気にしてくれていたらしい。なお、失礼な槍使いの発言もすべて丸聞こえだ。後でアレックスが叱られればいいと思う。
「仲間が行く。同胞よ。君はただ動きを封じてくれていればいい」
カドリの指示にグロンジュラが頷いた。実際のところはグロンジュラの構造上、頷く動作など出来ない。あくまで気持ちのやり取りだ。
心得たグロンジュラが口から白い糸を吐く。
絡まる糸がイワガネタマムシの動きを阻害する。これ以上、進まれるとウェイドンの村を踏み潰されかねない。
(ふむ)
だが、体格差がありすぎる。
イワガネタマムシに身体を震われるだけで、糸がねじり切られてしまった。
更には身体の節という節から毒液を滲み出すことで、糸自体を溶かし始めてもいる。あの毒液を人が被ると大変に危険なのだが。
(だが、もう遅い。本命は至った)
イワガネタマムシの足元には既にアレックスが立っている。
アレックスが槍を構えて穂先から突っ込むように突進した。まるで一本の矢にでもなったかのようだ。強化したカドリ自身の目にすら、ただの黒い線にしか見えなかった。
イワガネタマムシの6本ある脚の内、1本を断ち切っている。
(私の黒い感情が彼をあそこまで強くするのか)
身体の均衡が保てなくなったイワガネタマムシに対し、矢となったアレックスが飛び回り、脚を次から次へと断ち切っていく。
「見事」
カドリはとうとう舞うのを止めた。
戦いの趨勢が決まったからだ。
アレックスがイワガネタマムシの頭胸部と頭部の間、神経節の中枢を射抜いた。
息絶えたイワガネタマムシが動かなくなり、地面にくずおれてしまう。
震動がカドリのいる位置にまで響いてきた。祭壇が崩れないかヒヤリとしたものの、無事である。
「やったぞ!勝ったぞおっ!」
砂だらけとなった兵士長ヒールドが歓声をあげる。岩兵たちとの戦いも既に勝利で終わっていた。
(とりあえずは勝った)
ここから雪崩を打って魔物がベルナレク王国の各所へ侵攻することを阻んだ格好だ。
だが、まだ第一波を凌いだに過ぎない。
(これはまだ始まりだ)
思い、カドリは気を引き締めるのだった。