1 聖女糾弾
「偽聖女フォリア!私はお前を追放し、真なる聖女メイヴェル嬢と婚約し、妻とする!」
高らかな叫びが自分の歌を切り裂いて響く。
ベルナレク王国王太子ヘリックの生誕祭、その祝宴でのことだ。
「そんなっ、偽物だなんて、私っ」
当然、聖女フォリアが異を唱えようとする。
白銀の髪に紫色の瞳を持つ美しい少女だ。今年で18歳になったばかりであり、予想外の出来事に対し、上手く言葉を紡げずにいる。純白のローブ同様に、心身とも汚れを知らない聖女なのであった。
(そもそもは王家の側が神聖魔力を見込んでヘリック王子の婚約者に据えたのであろうに)
神聖魔術を自在に用いて、魔物との戦闘で数々の功績を挙げている。その功績をもって、平民の出でありながら、王太子の婚約者とされた。
聖女としての務めに、幼い内から懸命に取り組んできた姿は国民の心にも響いている。自分も同様だ。
「黙れっ!貴様がメイヴェルの手柄を全て奪ってきたことぐらいは調べがついているのだ!」
端正な赤髪の美男子であるヘリックが容赦なく言い切った。眼尻を上げて非礼にも聖女フォリアを指さして告げる。
証拠などないことは自分もよく知っている。言った者勝ちというやつだ。
なお、ヘリック王子に縋りつく黒髪の美少女がメイヴェル令嬢である。赤い色鮮やかなドレスに身を包んでいた。派手好きなのである。
ヘリック王子の腕に隠れてニヤニヤと笑っている。
(嫌な笑顔だ)
歌を中断せざるを得なかった。
祝宴を盛り上げるべく式場で歌っていたカドリは思う。
いつものように水色の、袖口も裾もダボッと広い舞台衣装に身を包んでいた。舞うと袖や裾がヒラヒラと揺れるのだ。揺れも計算に入れて、自分は歌い、舞わなくてはならない。
「私っ!そんなことしてませんっ!」
聖女フォリアが叫ぶ。
確かにその通りなのだが周囲の誰も同調しない。
「貴様が討伐に失敗した、鉄鎖獅子を駆除したのがメイヴェルだ。今までに貴様が討伐してきたという魔物はすべて、実はメイヴェルが倒してきたというではないか。神聖教会と一緒になって、よくも長年、たばかってくれたものだ」
ヘリック王子の言葉に聖女フォリアが青褪める。
なお、鉄鎖獅子は鉄の鎖状のたてがみで神聖魔術の光を跳ね返してしまうので、聖女フォリアにとっては極めて相性の悪い魔物だった。むしろ聖女だから倒せなかったのである。
図星をついた、とでも思ったらしく、ヘリック王子が暗い喜びを顔に浮かべた。
(身寄りのないフォリア殿にとっては神聖教会の教主が親代りだからな。教会を巻き込まれれば青褪めるのが当然だろうに)
カドリはどうしたものかと自身も悩みつつ思うのだった。少なくとももう、祝宴のためになど歌っている場合ではない。
(なんなら誰も、もう歌なんか聞いていない)
カドリは生誕祭に参加している、ベルナレク王国の貴族や隣国の要人たちを見て思うのだった。
国王も何も口を挟もうとはしていない。
(もしかすると)
カドリもそれなりに情勢を読んでいる。
強力な聖女フォリアの力を背景に神聖教会が発言力を高めている節が、ここ数年は見られた。
国王も息子の婚約者に聖女フォリアを当ててしまったことを後悔しているのかもしれない。
メイヴェル嬢というのは、メイヴェル・モラント。筆頭公爵モラントの娘なのである。聖女よりも貴族令嬢と結ばれてくれた方がいい。根本的な方針を国王も変えたのだろう。
聖女フォリアの力を活用するだけならば、王妃でなくとも良いのだ。
「欺かれていた私も愚息も、自身の不明をむしろ恥じている。ゆえに生命を奪うことも住まいを奪うこともしない」
国王も重い口を開いた。
国としても聖女フォリアを偽聖女と見做したということだ。
(恐ろしい御方だ)
カドリは思うのだった。
表向きは偽聖女となったフォリアの立場は弱くなる。
(だが実際、その力は本物だ)
カドリはよく知っている。
国王も知らないわけがない。
肩を落として宴会場から追い出されようとしている聖女フォリア。
(立場を弱くしておいて、神聖教会の発言力を削いだ。そして、機会を見て王家に幽閉し、力が必要なときだけ出撃させるおつもりなのかな。息子の方は公爵令嬢をあてがっておいて、権力の基盤を確固たるものとしておいてやる、と)
あわよくば、王家に聖女の血筋も欲しくなったのなら、子供だけ産ませればいいのだから。
一見、非道ではあるが、権力者としてはそれでいいのかもしれない。
(聖女の身柄も心情もどうでもいいが)
それでもカドリにとっては、本当に上手くいって、ベルナレク王国が平穏であるのならば、別に良いのだった。
(だが、本当に上手くいくのか?)
顔に泥を塗られた格好の神聖教会が黙っているのか。聖女フォリアを引き渡すのか。また、表向きは民に対してメイヴェル嬢こそが聖女ということにしてしまった。大人しく聖女フォリアが黒子役に徹してくれるのだろうか。
鉄鎖獅子の討伐失敗という好機に、国王と王太子とが飛びついてしまったようにカドリには思えてならない。
そもそも魔物駆除だけが聖女の効能ではなかった。
(魔窟を封じる結界は?あれを繕えるのは聖女だけだ。そこを国王陛下も殿下も甘く見てはいないか)
早計に思えてならない。カドリは王侯貴族ばかりの出席者たちを一望する。直接、魔物と日々やり合っている人間でないと実感が沸かないだろう。
(まだ間に合う、いや、間に合わせないと)
カドリは舞台から下りて、人混みの合間を縫い、ヘリック王子へと近づく。
取り巻き連中に英断を称えられて、良い気になっているところだった。
カドリは口元に扇を当てて、隠す。
「殿下、少々、よろしいですか?」
少し離れたところから、カドリは話しかける。小声であり離れてもいるのだが、ヘリック王子にだけは聞こえている。他の者にはほとんど聞こえていないだろう。
声を直接、ヘリック王子の耳に届けているのだ。
ヘリック王子が少し辺りを見回してから、自分の姿をみとめた。取り巻き連中は変わらずガヤガヤと騒いでいる。
「なんだ、カドリか。どうだった?上手くやっただろう?私は」
ニヤリと笑って、ヘリック王子が告げる。他の者には聞こえていない声に回答したので、独り言かと思い、王子の周囲が訝しむ。
「控え室へよろしいですか?内密にお話ししたいことが」
取り合わずにカドリは告げる。
頷くと言う通りにして、ヘリック王子が取り巻きを追い払って移動を開始してくれた。
メイヴェルだけは離れない。
そのまま3人で控え室へと向かう。
「どうした?」
控え室へ着くなり、豪奢なソファに身体を沈めて、ヘリック王子が尋ねてくる。
「あら、きれいな男の人」
自分を見て、メイヴェルが告げる。
「こいつは雨乞いにして歌い手のカドリ。他の顔もあるが。人前によく出るから、見栄えもいいのさ」
笑ってヘリック王子が紹介してくれた。
「大体は理解できるが、一旦でも聖女を王家から離すのは、これは危険だ」
カドリは前置きなく切り出した。
婚約破棄したあと、また口実をつけて確保軟禁するつもりなのも分かった上で言っている。
「カドリなら分かるか。そうさ、あの女、力だけは本物だ。下賤の生まれのくせに。だから私の妻になどするものか。平民は平民らしくしていればいい。力だけを搾り取ってやるのさ」
鼻を鳴らしてヘリック王子が告げる。
「私が言いたいのは、他にも聖女の力を欲するやつはいくらでもいる。側室に落とすとか、他の形を取った方がいい。このやり方では足元を掬われかねない」
カドリはハッキリと懸念を口にした。
たとえ国王相手でも、自分は言葉遣いだけならば非礼を許される。カドリとは、そういうものなのだ。
「せっかく、珍しくやっと、しくじったのに」
ヘリックが口を尖らせる。
「最悪、この国を出てしまったらどうする?当然、対処はするが抜け道はいくらでもあるぞ」
カドリは更に言い募る。
「そして、我が国は聖女なしでは、『魔窟』を封じている結界がほつれても繕えない。そうなれば、この国は魔物だらけだ」
カドリは言いつつも、ヘリック王子も頭ではわかっているのだろうと思っていた。ただ、聖女フォリアには行く宛も何もないだろう、と高を括っているのだ。
ベルナレク王国の北方には『魔窟』と呼ばれる魔物の住処がある。聖女の結界で歴年、封じて弱らせて対処してきたのだが。
「分かった、分かったよ、カドリ」
小うるさそうにヘリック王子が手をひらひらと振った。
「あの女の方から全面的に非を認め、許しを乞うてきたのなら、聖女としての身分も呼称もそのままだ。私の早とちりということにしてやる。君の顔を立ててね」
ヘリック王子も話せば分からない相手ではないし、カドリとは幼い頃からの学友でもある。
並み居る来賓の前で派手な芝居を打った後としては、驚くほどの譲歩である。隣に座るメイヴェル嬢も驚いていた。
「でも、殿下、私とは」
不満げに顔を曇らせて、メイヴェル嬢が尋ねる。
「当然、君は私と結婚するんだ。婚約破棄だけをする。その代わりにカドリ、メイヴェルの功績づくりは、君に手伝ってもらうからな」
面倒極まりない交換条件を、代わりにヘリック王子が持ちかけてきた。
ため息をつきつつも、カドリは頷く。たとえ偽装でも魔物を駆除すれば民のためとなる。誰の手柄となろうが、カドリとしてはどうでも良かった。
「分かった。やれることはいくらでもやるよ」
カドリは頷いてみせた。
問題は具体的にはどうするのか。既に神聖教会の誰かが動いて国外へ逃れる準備を始めていると面倒だ。
(それに、既に他国が接触しているかもしれん)
一番、カドリが警戒していることでもあった。
自由の身になったベルナレク王国の本物の聖女である。他国からは垂涎の的だろう。聖女フォリアも先行きの不安さから応じてしまうかもしれない。
(それを、聖女の国外流出を防ぐにはどうしたらいいのか)
カドリには1つしか手段が思い浮かばなかった。