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白妖狐奇譚

花咲邑の起源

作者: 村野夜市
掲載日:2023/05/15

むかしむかし、あるところに、一匹の仔狐がおりました。


仔狐はたくさんのきょうだいたちと両親と一緒に、森の巣穴で暮らしておりました。

仔狐はきょうだいたちに比べると、少しばかりからだが小さく、力も弱く、生まれつきました。

そのせいか、朝の冷たい風に咳込むと、必ずといっていいほど風邪をひきました。

夜になると熱を出して、怖い夢を見ては眠れないことも、しょっちゅうでした。


雪が溶けて冬ごもりの季節が終わると、仔狐たちはいっせいに巣穴の外へと飛び出しました。

森の陽だまりにはいっせいに草が芽吹き、小さな花を咲かせていました。

仔狐たちは気持ちのいい草原で、転げ回って遊びました。


あるとき、仔狐は、巣穴の傍にあった一本の木に気づきました。

木には狐の色をした花がたくさんついていました。

それは転げまわるきょうだいたちのようにも見えました。


母さんは、仔狐に、これは山吹という木だと教えてくれました。

仔狐は山吹の花が大好きでした。

山吹の花を見ていると、喉の奥でひゅうひゅういう咳も、収まっていく気がしました。


父さんも母さんも、仔狐たちに食べさせる獲物を狩りに、毎日忙しく出かけていきました。

両親が出かけている間は、仔狐たちは大人しく巣穴に籠って留守番をしていました。

勝手に外に行ってはいけないと、両親からはきつく言い聞かせられていました。

仔狐たちは、みな、その言いつけをちゃんと守っていました。


両親は日に何度も狩に行っては戻ってきて、仔狐たちに食べ物を運んでくれました。

けれど、なにせきょうだいが多いので、運んでも運んでも、食べ物は到底足りません。

仔狐たちは巣穴で、いつもお腹をすかせて待っていました。


両親が獲物を運んできてくれると、仔狐たちは奪い合うようにして食べました。

からだの小さな仔狐は、きょうだいたちに押しのけられて、なかなか食べ物にありつけませんでした。

ようやくありついてゆっくり食べていると、きょうだいたちはそれをうらやましそうに見に来ました。


「おい、お前はからだが小さいんだから、少しでも足りるだろう?

 けど、僕は、こんなに大きいから、たくさん食べないと足りないんだ。」


なかでも一番からだの大きなきょうだいが、仔狐にそう言いました。


そうか。僕は小さいから、たくさん食べなくてもいいのか。


そう思った仔狐は、大事に食べていた食べ物を、きょうだいのほうへ押しやりました。

それをきょうだいはぺろりと一口で平らげると、ちぇっ、と舌打ちをしました。


「これっぽっちじゃ全然、足りねえ。

 おい、お前、これからお前の食べる分は、いつも僕へ半分よこせ。」


そんな無茶な、と仔狐は目を丸くしました。

けれど、もう一度、きょうだいと自分とを見比べてみました。

なるほど、きょうだいは自分の倍くらいもある大きなからだをしています。

これはよほどお腹がすくのだろうと気の毒に思いました。


「分かった。」


仔狐はそう言って頷きました。


山吹の花の散るころ。

狐の一家は引越しをすることになりました。

ずっと長いこと同じ巣穴にいては、悪いやつに見つかるかもしれません。

古くなった巣穴には、病気がとりついているかもしれません。

だから、狐の一家はときどき、こんなふうに引越しをするのです。


新しい巣穴はここから少し遠くて、けれど、広くて素敵なところだと、母さんは言いました。

仔狐たちはみんな大きくなって、ここの巣穴は少し狭くなっていました。

近くには川もあって、魚もいっぱいいるよ、と父さんは言いました。

浅瀬で魚を獲ることを教えてくれると約束もしました。

仔狐たちはみんな大喜びでした。


朝から父さん母さんは大忙しで、仔狐たちを新しい巣穴に運んでいきました。

いっぺんに一匹ずつしか運べないので、両親は何度も何度も往復しなければなりませんでした。

少し遠いところにある新しい巣穴と何度も行ったり来たりするのは、とても骨の折れる仕事でした。

仔狐たちはおとなしく、一匹ずつ、運ばれていきました。


きょうだいたちが順番に運ばれて行って、とうとう、最後に小さな仔狐一匹だけ残されました。

仔狐はひとりきりになっても、大人しく、父さん母さんの迎えを待っていました。


誰もいなくなった巣穴はがらんとして、やけに広く感じました。

今頃、新しい巣穴では、きょうだいたちがわいわい騒いでいることでしょう。

その賑やかな有様を想像しただけでも、仔狐は楽しくなりました。

早く、自分もそこへ行って、いっしょにわいわい騒ぎたいと思いました。


けれども。

待てど暮らせど、父さんも、母さんも、迎えに来ませんでした。

外はだんだん暗くなって、そのうち明るい月が上りました。


仔狐は父さん母さんのことが心配になりました。

こんなに遅くなるなんて、もしかしたら、どこかで怪我でもしたのだろうか。

それとも、悪いやつに見つかって、急いで逃げているのだろうか。


父さん母さんを助けに行きたいと思ったけれど、どっちに行けばいいのか分かりません。

それに父さん母さんのいないときには、巣穴から絶対に出てはいけないときつく言われていました。


仔狐はじっと待ちました。

それしかできることはありませんでした。


そのうちに、お腹もすいてきました。

水を飲みたいとも思いました。

けれど、外に行かなければ、水を飲むこともできません。

仔狐はただじっとじぃっと、辛抱しておりました。


心細さは、じわり、じわりと、しみ込んできました。

ここできょうだいたちとぎゅうぎゅうになっていたのを、懐かしいと思いました。

新しい巣穴はここよりも広いと聞いたけれど、ぎゅうぎゅうなのも、嫌じゃかったなと思いました。


いつの間にか眠っていました。

眩しい朝の光に、仔狐は思わず外に飛び出しました。

父さんか母さんに呼ばれた気がしました。


けれど、外には誰もいませんでした。

このまま外にいたら、悪いやつに見つかってしまうかもしれない。

仔狐は大急ぎで巣穴に引き返しました。


そんな朝が、いくつもいくつも過ぎていきました。

一度だけ、雨が降って、仔狐は巣穴の入口で、雨水を飲むことができました。

けれど、食べ物は、もう何日も、口にしていませんでした。


巣穴の入口から、仔狐は外を眺めていました。

父さん母さんが来ないかなと思っていました。

もう、外に出る元気もありません。


山吹の花が、はらはらと散っていました。

その花の色が、転げ回って遊ぶきょうだいたちに見えました。

ようやく迎えにきてくれた、父さん母さんにも見えました。


目を閉じると山吹が見えなくなるから、目を閉じたくありませんでした。

けれど、眠くて眠くてしかたないのです。

とうとう、仔狐は最後の力を振り絞って、山吹のところまで行くことにしました。

花の降るところで眠ったら、家族でぎゅうぎゅうになる夢を見られると思いました。


ずるずるとからだをひきずるようにして、仔狐はやっとの思いで山吹のところに辿り着きました。

そうして、そこで力尽きました。

眠ってしまった仔狐の上に、山吹の花は、はらはらといつまでも舞い落ちていました。


あたたかな花びらの布団にくるまれて、仔狐は夢を見ました。

きょうだいたちとぎゅうぎゅうになって、仔狐は安心して眠っていました。

父さんの呼ぶ声がします。

母さんの笑う声がします。

きょうだいたちの騒ぐ声もします。

仔狐はとても幸せでした。


はっと目を覚ました仔狐は、埋まっていた花びらのなかから急いで這い出しました。

不思議なくらい、いい気分でした。

いい夢をみたおかげか、淋しい気持ちも悲しい気持ちも、心からきれいに消え去っていました。


ふと、足元を見ると、小さな黒い実が落ちていました。

仔狐は、ふんふん、と匂いを嗅いでから、ぱくり、とその実を食べました。

噛むとほんのり甘くて、ちょっと酸っぱい、美味しい味がしました。

よく見ると、実はいくつもいくつも落ちていました。

仔狐は、夢中になってぱくぱくと実を食べました。


たくさん実を食べると、水が飲みたくなりました。

近くに家族と水飲み場にしていた泉がありました。

仔狐はぴょんぴょん跳ねて、その泉へと行ってみました。


こんこんと湧き出る泉の水は、泉の底が見えるくらい透き通っています。

仔狐は泉に口をつけて、ごくごくと水を飲みました。

水はとても美味しくて、飲んでも飲んでも、まだいくらでも飲めました。

こころゆくまで水を飲んだ仔狐は、ようやく満足して顔を上げました。

そして、はっとしました。

水に映った自分の姿は、見たことのない真っ白な狐になっていました。


白くなった仔狐はそのまま山吹の木の傍で暮らすことにしました。

ここで待っていれば、いつか父さん母さんが迎えにきてくれても分かるだろうと思いました。


山吹の木は、散っても散っても、後から後から花をつけました。

暑い夏も、紅葉の秋も、雪の積もる冬も。

いつも青々とした葉を茂らせ、狐色の花をつけていました。


小さな黒い実もたくさん落としてくれました。

白狐は、お腹がすくと、その実を食べました。

それから泉に行って、水を飲みました。

毎日、穏やかに過ぎていきました。


あるとき、山吹の木がネズミにかじられたことがありました。

山吹の悲鳴が聞こえて、白狐は驚いて、あちこちを調べ回りました。

そうして、ネズミにかじられた痕を見つけました。


ネズミは何度も何度も、木をかじりにきました。

そのたびに、木は悲鳴をあげました。

それで、とうとう、白狐は、そのネズミを捕まえました。


捕まえたネズミを白狐は食べました。

すると、その味に、昔のことを思い出しました。

きょうだいに分けてあげた食べ物のことを思い出しました。


不思議と、もう、淋しいという気持ちはわいてきませんでした。

きょうだいは元気にしているかなあ、と白狐は思いました。

どこかで幸せに暮らしているといいと思いました。


それから、白狐は、山吹の木についた虫やネズミを獲って食べるようになりました。

正直に言うと、山吹の落としてくれる黒い実の味のほうが好みでした。

けれど、虫やネズミを食べると、父さん母さんや、きょうだいのことを思い出せるのでした。


月日はゆっくりと流れていきました。

春と夏と秋と冬が何回も、繰り返し過ぎていきました。

雨が何日も降り続いたことも、逆に、何日も降らなかったこともありました。

酷い風に、木の枝がへし折られたこともありました。


木はどんなときも、ただじっと耐えていました。

いつまでも雨の落ち続ける暗い雲も。

これでもかと照りつける灼熱の太陽も。

白狐も、ただ見上げてため息を吐く他にできることはありません。

風に何本も枝を折られたときには、ほろほろと涙が零れました。


力がほしい。

白狐は、そんなことを思うようになりました。

降り続く雨から、終わりのない乾きから、容赦のない嵐から、木を護れるように。


そしてまた、火傷しそうに暑い夏がきました。

ぎらぎらと降り注ぐ陽射しは、山吹も周りの大地もからからに乾かしてしまいました。

白狐は、なんとかして、山吹に水を運ぼうとしました。

泉の水はこんな暑さのなかも枯れずにこんこんと湧き続けています。

白狐は、泉へ行くと、その水を口のなかいっぱいに溜めて急いで戻りました。

そうして、木の根本に水をかけようとしました。


けれども、狐の口に溜められる水は、そう多くはありません。

白狐のかけた水は、すぐに、じゅう、と乾いてしまいました。

熱く焼けた大地を駆けて、白狐は泉と木の間を何度も何度も往復しました。

けれど、一日中、行ったり来たりしても、到底、水は足りませんでした。


白狐は、暑さに目が眩み、足もふらふらになっていました。

とうとう、ぱったりと、山吹の根本に倒れ込んでしまいました。

白狐の上に、はらはらと山吹の花が散ります。

その花びらに触れると、くらくらも収まり、力が湧いてくるのを感じました。


白狐は前にもこんなふうに山吹の下で倒れたことを思い出しました。

あのとき、自分の命が助かったのは、きっと山吹が助けてくれたからだと思いました。

山吹は自分もからからに乾いて辛いのに、白狐を助けてくれていました。

そんな山吹に自分は何もできないのが悔しいと、白狐は思いました。


力を振り絞って、白狐は立ち上がりました。

ぐい、と前足で大地を抑えると、するするとからだが立ち上がっていくのを感じました。

目の前の大地はみるみる遠ざかり、いつの間にか、白狐は後ろ足だけで立っていました。


いえ、違います。


白狐は、目の前に広げた自分の手に驚きました。

それは狐の手ではありませんでした。

ぐんと遠くなった地面を踏みしめている二本の足は狐の足ではありませんでした。


何かを考える暇もありませんでした。

白狐は急いで泉へと走って行きました。


泉の畔に着くと、白狐は両手をそっと泉に差し入れました。

掌に水を溜めて、ゆっくりと手を持ち上げます。

たくさん、たくさん、なるべくたくさん。

心のなかで、そう唱え続けました。


すると、掌の上には、まるまると、大きな水の塊ができていました。

それはまるで、白狐のからだほどもあるくらいの、大きな大きな塊でした。

水がこんなふうになるなんて、白狐も知りませんでした。

けれども、これなら、木のところまで、たくさん水を運べると思いました。


白狐は水の塊を落とさないように気をつけながら、なるべく急いで、木のところに戻りました。

それから、その水を、そっと、木の根元におろしました。

ひんやりした水は、ぱしゃり、と乾いた地面を濡らしました。

どこからか、涼しい風が吹いてきました。

山吹が一斉に枝を揺らして、お礼を言ったように感じました。


変化したその姿は、木を護るのにはとても便利でした。

雨が降り続くときには、地面に溜まった水を流す溝を作りました。

風が強いときには、拾ってきた枝を使って、風避けを作ることもできました。


春と夏と秋と冬。

また何度もそれは繰り返していきました。

白狐はずっと、山吹の木を護っていました。

山吹の木の周囲には、いろんな木が育っていました。

白狐は新しく生えてきた木たちも、山吹と同じように世話をしました。

白狐の護る森の木々には、そこにいる生き物を癒す不思議な力が宿りました。

そこは一年中花の咲き乱れる不思議な森でした。


不思議な森の噂は、狐たちの間に、あっというまに拡がりました。

あちこちから、次々と傷ついた狐たちがやってきて、森の力に癒してもらいました。

白狐は、そんな狐たちの世話もしました。

狐たちには、水だけではなくて、食べ物も必要でした。

そんなときには、狐の姿に戻って、狩をすることもありました。


花守狐。

いつの間にか、白狐はそう呼ばれるようになりました。


花守狐の森にやってきてそのまま残る狐たちもいました。

森に残った狐は、いつの間にか、花守狐のように真っ白いからだになりました。

そうして、人の姿へと変化するようになりました。

彼らは、森の周りに邑を作りました。

こうして、白妖狐の郷、花咲邑は作られました。


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