7.その聖女、夢を見る。
最果てに来て"聖女"から解放されてから、私は今までの18年間を振り返るような夢をよく見るようになった。
物心ついた時には、私には母しかいなかった。母は、よく歌って、よく笑う人だった。
底抜けにお人好しで、うちはいつだって食べるのに困るくらい貧乏なのに、それでもお金も食べ物も分けてあげるような人だった。
『お母さんは、騙されてるの!』
って何度も言ったけど、
『ふふっ、これは母の自己満足だから、いいの。今日飢えずにいられたのなら、それでいいじゃない』
いいの、これでいいの、と明らかに損する方を選んで、人より苦労を背負い込みながら、笑っている母が理解できなかった。
『良い事をしていたらね、きっと誰かが見てくれているから、ね?』
『見ていてくれる? それは、神様のこと? 神様なんか、パンひとつ恵んでくれないじゃない』
私はキュッと唇を噛んで、母が買ってくれた小さなパンを握りしめながら泣き喚く。
母の分パンは、パン屋から出てきた私たちに"病気の子がいるの"と縋ってきた女の人に渡してしまった。
おかげで、今日も母のパンは無い。パンを買えたのだって、もう1週間ぶりだったと言うのに。
そんな私に母は言うのだ。
『シア、いいの。これでいいの。シアは思う通りに生きていいのよ』
そんな風に抱きしめられて、とてもきれいな笑顔で言われたら、私は結局何も言えなくなって、持っていたパンを母と半分こして食べるのだった。
『ほらね、シアが見ていてくれた。だから、やっぱり今日はいい日だわ。だって、私には、こんなかわいい娘がいるんだもの』
そう言って、幸せそうに笑う母が好きだった。大好きだった。
もし、聖人や聖女と言う人がいるのなら、それはきっと母のような人なんだろう。私は家にあったボロボロの絵本を読みながらそんなことを思っていた。
そんな母はあっけなく流行病で死んだ。母は、あれだけいろんな人に色々なものを恵んだのに、誰も母には何も恵んでくれなかった。
医者にかかることはおろか、薬1つ用意することができず、すき間風が吹き込む家の硬い床の上で、母は静かに息を引き取った。
当時の私には何もできなかった。ただ泣きながら、これから1人になることの怖さに耐える以外私にできる事は何もなかった。
『シア、大丈夫。いいの、これでいいの。でも、シアが大きくなっていく姿を見られないことだけが母は心残りだわ』
結局死ぬその瞬間まで、母は他者の事ばかりで、もう母の笑顔を見ることも、歌を聴くことも、これでいいのと抱きしめられることもないのだと理解して、それがただただ悲しかった。
母が死んでから、私は孤児院に引き取られた。引き取られた当初は、こんなに人道的で落ち着いている孤児院で生活できるなんてとても運がよかったのだと思っていた。
だけど、そうじゃなかった。母が生前からそうなるように頼んでいたのだ。そして貧しいながらも寄付をしていたこと、母がボランティアに出向いていたこと、他にもいろんな人の助けがあって、私はその孤児院に入れたんだと知った。
孤児院に入って、初めて読み書きができることが当たり前ではないのだと知った。
母が私に当たり前に教えてくれていたそれは、誰もができることではなくて、とても貴重な武器だった。
母のことを思い出すことが多々あったけれど、それでも孤児院の暮らしに馴染めたのは、先生のおかげだった。
先生は私にとって、第二の母だった。
孤児院では、それぞれが仕事を持ってたくさん労働したし、小さな子の面倒も見た。
勉強教えたり、教えられたり、生きていく知恵を身に付けた。
そんな日々の中で、先生から母のことを聞くのが好きだった。先生は、母のことをたくさん褒めてくれた。それがとても誇らしかった。
『シア、いいの。これでいいの』
辛くなったら、いつもその母の言葉を思い出して、母を真似て歌を歌ったけれど、私の歌はあまり上手じゃなくて、母のようにはなれなかった。
私に魔力があると気づいたのは、先生だった。
私に割り当てられた仕事の中の一つが看護補助だった。教会に訪れるけが人や病人の手当てをする中で、私に手当てをされた人は、通常よりもだいぶ治りが早い、と先生は気づいたのだった。
魔力は、その血筋により受け継がれることが多く、平民にも魔力持ちはいるがそれはほとんど稀なことで、せっかく魔力を持っていても知識のなさ故、自分が魔力を持っていることにすら気づかないことも多い。
その中で、同じ治癒能力を持った先生に巡り会えたのは本当に幸運だったのだろう。
私に回復魔法の素質があると気づいた先生は、それから治癒師になるための魔法の使い方を教えてくれた。
治癒師になるには、国から認められた免許がいる。回復魔法を使いこなし、一定以上の基準をクリアしている必要がある。
いずれ孤児院を出なければならないのなら、手に職があった方が良い。そんな先生の勧めで、私が魔力判定を受けることになったのは、私が13歳になったばかりの事だった。
治癒師になれば、母のように流行病にかかった人を助けられるかもしれない。
私にそんな力があるのなら、使いこなせるようになりたい。
思えばこの時が、私の人生の中で一番だったのかもしれない。
その頃の私は、回復魔法の勉強と孤児院の仕事に追われていて、世情にはかなり疎かった。それでも、魔王が世間を騒がせている事は知っていた。
魔王を筆頭に多くの魔族の手によって、人間がさらわれ、蹂躙され、様々なものが略奪されていく。魔王が操る濃い邪気に当てられたモンスターがダンジョンを出て、人間の世界で暴れまわる。
そんな時代に求められていたのは、その世界を終わらせられる勇者の存在だった。
だから、本来高額な魔力判定は広く市民にまで無料で開かれていて、孤児であった私でもすぐさま受けることができたのだった。
魔力判定の結果は、私の思いがけないものだった。
判定用の水晶が、あたり一帯を覆い尽くすほどのまばゆい光。
『聖女様だ』
誰が一番先にそう叫んだのかはわからない。でも私は、その日から聖女になってしまった。
聖女と言うものが何をするものなのかわからなかった。
それでも私にできることがあるなら、頑張ろうと誓ったあの日の気持ちは嘘ではなかったはずなのに、今の私にはもう何も残っていない。
『シア、いいの。これでいいの』
そう言って笑う母のように誰かの求めに応えられるだけの気持ちなんて、もう微塵も私の中には残っていなかった。
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硬いベッドの上で、窓から入る月明かりに照らされながら、眠っているシアの目から涙がこぼれ落ちた。
闇に紛れて、気配を消してそっとシアの側にやってきたアルは、その涙を拭い彼女の頬を優しく撫でる。
「……ねぇ、シア。泣かないで」
あんなに優しくて、よく笑っていたシア。誰が一体、彼女の心をここまで傷つけたのか。
それを思うとアルは怒りとともに、その相手を殺してやりたくなる。だけどそれをしても、きっとシアは喜ばない。
「大丈夫だよ。シアは、シアのままでいいんだ」
シアがやりたい事を叶えられたなら、その時はまた、彼女はあんな風に屈託なく笑ってくれるだろうか?
「……俺がきっと君の願いを叶えてあげるから」
だからどうか、疲れきった彼女を癒して安らかな夢が見られますように。
アルはそう願って、彼女の髪をそっと撫でた。
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