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31.その聖女、想われる。

 指定された待ち合わせ場所にはすでにラウルの姿があり、アルを見つけて片手をあげた。


「やぁ。シアの具合はどうだい?」


「まだ熱が下がらない」


 アルは不機嫌さを隠すことなく、冷たくそう言った。シアが危ない目に遭う原因を作ったのは、自分なのだから仕方がないとラウルは特に気にすることもなく歩き始める。


「僕、女の子以外とデートするの初めてだなぁ」


「……用件なら、手短に。早く家に帰りたいんだ」


 雑談に応じる気はないと言わんばかりに、アルはそっけない態度を取る。


「アルバート・ベルク。そんなにシアに、自分の正体や先代聖女について知られたくないのかい?」


 バカらしいと秒で断った釣り大会の賞品を引き受けるほど、とラウルはいつもと変わらない口調で尋ねる。


「シアに憶測で語られたくないだけだ」


 牽制するような視線を送ってアルはそう言う。

 きっと、もうシアはほとんど思い出している。だから尚更、自分の言葉で話したかった。


「僕は今、魔王がいなくなった後の魔ノ国について調べているんだ。それでちょっとしたインタビューを先代魔王にしたくてね」


 とラウルは淡々と本題を切り出した。


「魔族と人は共に"魔力"というエネルギーを元に魔法を構築するけれど、その魔力の確保の仕方が異なる」

 

 人の場合、魔法が使えるか否かは魔力遺伝子を持っているか否かに依存し、体内に魔力があるかどうかは生まれながらにして決まっており、後天的に発現する事はない。

 だからこそ貴族や裕福層は魔法を使える特権を独占しようと競うように魔力を維持するための縁組をするのだ。

 魔力遺伝子を持っている者は特に何もしなくても、魔力は体内で勝手に生成される。魔力保有量は遺伝的素因と本人の資質によるところが大きいが、鍛えればある程度の増加も見込める。

 

「だが、魔族は人と異なり体内で勝手に魔力が生成される事はない。魔獣や魔物同様全て外部から補給する必要がある。つまり空気中に存在する魔素を取り込み自分で魔力に変換しなくてはならない」


 魔族が外部から取り込むその供給元は人が瘴気と呼んでいる魔素の粒子。魔力耐性を持たない多くの人間にとって毒でしかないそれは、魔族や魔獣、魔物にとってはなくてはならない食事に等しいものだ。

 だから魔族や魔獣、魔物は瘴気の発生する場所に存在するし、必要とする魔力量を元に魔獣や魔物の種別の生息域が把握できる。


「だが、空気中から取り込めるはずなのに、すでに変換された魔力を取り込む事を好む奴らがいる。そんな魔族は魔力を持ち簡単に狩れる人間を喰らう」


 人の領域を脅やかしにやってきて、魔力を確保するついでのように、まるで狩りでも楽しむかのように人間を蹂躙するのだ。


「魔族に対して、最も強く対抗できる存在が聖女だ。本来、その供給元である瘴気を祓える聖女は魔族にとって、脅威であり天敵のはずだ」


 魔族が使う魔力の素を祓い、その存在を弱体化させる聖女の実力は魔王討伐の時にラウル自身の目で確認している。

 聖女(セリシア)を前にして、恐れ慄きその足元に跪いた魔族達の姿を。


「なのにアンタは天敵(シア)をそばに置き、尚且つ瘴気が祓われたこの土地で今だに魔物を一撃で葬れるほどの魔力を保持して生きている」


 先日見たアルの様子はとても弱体化しているようには見えなかった。それどころか数年前に討伐した魔王よりもずっと強い力を持っている。


「アンタ、どれだけ魔力を喰らったんだ? 同族殺しのアルバート・ベルク」


 かつて魔ノ国に君臨したその王は、同族殺しとして有名で、その圧倒的な力で魔族を従え、歯向かうものは容赦なく葬ったと聞く。

 彼曰く、脆弱な人間を狩るなどつまらない。魔族の方がよほど効率的に魔力を喰らえると言い放ち、彼が魔ノ国を支配していたときは、人間を襲う魔族がいなかった。魔王が脆弱と言い放ち、喰らうことを良しとしなかった人間に手を出した瞬間、王の意思に反したと見なされ、狩られる側に落とされてしまうからだ。


「また、随分古い話を持ってくるね。同族を喰らった魔力なんて、もう一欠片も残ってないよ」


「なら、どうやって」


「シアが来る前までは、確かにこの土地は俺にとってかなり居心地が良かった。濃い瘴気のおかげで魔力生成に事欠く事もなかったし」


 シアが毎日浄化し聖柱を立てたため、今では一部を除き空気中から魔素を取り込む事が難しいほど、この土地は澄んでいる。


「けど、魔力の補給方法は他にもある。方法は教えないけど」


 アルは風邪で伏せるシアを思い浮かべ、こっそりため息をつく。先日怪我を治してもらったとき、シアから神気を抜きすぎてしまったな、と止められなかった自分を反省する。

 やめなければとは思ったが、シアの反応があまりに可愛くて、やり過ぎたなんて善意100%のシアには絶対言えない。


「人を、喰ったのか?」


「喰ってない。第一こんな狭い町で失踪者が出たら大事件だろ。信じる信じないは自由だが、俺は今まで人を喰ったことも狩ったこともない」


 魔族の中でも圧倒的強者だったアルにとって、人間など眼中に入れる価値もなかった。


「じゃあ、先代聖女はなぜ死んだ?」


 彼女、先代聖女が魔ノ国に乗り込んで来るまでは。


「セイカは……先代聖女が死んだのは、確かに俺のせい……なんだろう、な」


 彼女と過ごした日々はとても短く、今でも忘れられないくらい鮮明で。

 そして自分の価値観を塗り替えていった突風のようなその人は、自身の宝物を魔族である自分に託してその短い生涯に幕を下ろした。


「……先代聖女を、殺したのか?」


 ラウルはアルの表情の変化を見ながら、静かに尋ねる。


「シアは、随分アンタに懐いているように見えた」


 同族から奪った魔力が残っているわけでもなく、瘴気から得たわけでも、人を喰らったわけでもないのなら、その魔力の供給者はシアなのではないかとラウルは思う。


「大事に、大事に、護って、育てて、そして最期は自らの手で手折るのか? まるで、農作物でも収穫するかのように」


 ラウルは真意を確かめるようにアルと対峙する。


「そうやって手懐けて、シアの聖女の力を奪って殺すのか? 先代聖女を殺したように」


 強く非難するような視線を浴びながら、アルはふっと表情を緩めて笑う。


「俺は、俺の聖女を傷つけない」


『ねぇ、アル。この子の事、お願いね』


 微笑みながら呪いのように自分に誓約魔法をかけた先代聖女の最期の言葉が、今でも耳の奥で木霊する。


「……托卵」


「は?」


「俺がシアを殺す事はないし、誰にも殺させない。シアは俺の聖女だから」


 アルは先代聖女を思い浮かべながらそう言って、静かに微笑んだ。


「……魔ノ国が、荒れてもそう言えるのか?」


 ラウルは手帳を取り出しペラペラとめくる。


「枯毒竜だけじゃない。今までこちらでは見られなかったはずの魔物や魔獣の個体が確認されている。それに、魔ノ国を取り巻く瘴気の濃度が年々高くなっている。魔物たちの生息地の移動とそれは、無関係じゃないだろう」


「昨今の若者はホント勤勉だねぇ。この国の王子もそれだけ賢かったらシアを追放なんてしなかっただろうに」


「……あれは、僕がそうさせたんだ。王子好みの野心家の女を引き合わせ、シアに不満を持ってた教会の人間を嗾しかけて。考えなしの王子にシアはもったいないし、この国の中央にシアがいたら、きっとこの国はダメになるから」


 ラウルの言葉に紅茶色の瞳は驚いたように見開く。それを見て少し表情を崩したラウルは今までとは違い、優しい口調で言葉を紡ぐ。


「人間は、不自由しないと成長しない生き物なんだ。聖女(シア)の力を濫用しつづけたら、あっという間に他の治癒師の回復魔法や医療技術、聖職者の神聖力が廃れる。シアがいる間はいいかもしれない。でも、シアが死んだ後は? すぐに廃れてしまった技術や失われた魔法を取り戻すことなんてできない。たった5年で、シアの穴埋めができなくなるほど頼りきっていたんだ。いつ生まれるかも分からない聖女の誕生を祈り続けている間に国が滅ぶよ」


 人は誘惑に弱く、欲深い。

 一度その力に魅了されてしまえば、聖女の力が有益で金を無尽蔵に生み出すと知ってしまえば、目先の事しか考えなくなる。

 どれほど進言しても無駄だった。だから少々強引な手段に出た。

 国のためにも、大事な妹分のためにも、これ以上聖女が道具のように使い潰されて行く様を黙って見ているわけにはいかなかったのだ。


「まともな人間もいるようで安心したよ」


 アルはそう笑って頷くと、魔ノ国の方を見る。


「枯毒竜は魔ノ国では下位種族だ。濃すぎる瘴気の中では生きられない。他も、そうして管理者がいなくなったあの国から逃げ出したんだろう」


 魔ノ国の異変にはアル自身も気づいていた。気づきながら玉座を追われた身ではどうすることもできなかった。


「玉座が埋まれば、瘴気が落ち着くはずなんだけど。落ち着かないところを見るに、未だ空席なんだろう。まぁ、君らが討伐した魔王みたいな無能が座っても意味ないけど」


「その無能に玉座を追われたくせに。ちなみに落ち着かなかったらどうなるんだい?」


「まぁ、油断してたのは確かだけど、俺にも事情があってね」


 そう言ったアルは、ラウルの知りたかった答えを紡ぐ。

 

「魔族も個体差はあれど、瘴気に対して許容できる限界がある。それ以上は毒で、過剰摂取し続ければ理性を失う。だから、そうなる前に逃げ出そうとして領域を越えてくるか、留まって理性を失くし、誰彼構わず襲うようになるか、だろうな」


 息を飲み拳を握るラウルに苦笑したアルは、自身の指先に視線を落とす。

 ラウルの魔法を強引に壊したとき破れてしまった手袋の代わりに、シアがくれた黒い革手袋。名前を入れてくれたとき、無意識に入ったのだろうが、これにはシアの神気が微かに宿っている。


「けど、そうはならないから。遠くない先、必ず瘴気は落ち着く」


 だから、勇者や大賢者や聖女の出番はないとアルは言い切る。


「なんでそう言い切れる?」


「俺がシアを行かせたくないから」


 神気の宿った革手袋を軽く握り、シアの顔を思い浮かべて微かに笑う。


「俺の聖女はスローライフをご所望で、聖女として働かないそうなので」


 枯毒竜にシアが水底へ引きずり込まれた時、心臓が止まるかと思った。あんな思いは二度とごめんだ。

 だから、そろそろシアとのこの名前のない関係を終わらせて、自分の本来在るべき場所に戻らないといけない。きっともうすぐ、自分の居所も割れるはずだから、迷っていた手を離すタイミングとしてはいい頃合いだ。


「シアはこれから先もここでそうやって生きていくから。だから、たまには顔を見せてやってよ。シアが寂しくないように」

 

 これで話はおしまい、とアルはラウルとのデートを締めくくる。

 ヒトは、ヒトと生きていく方がいい。

 シアの事を大事に思ってくれる人がいるのなら、尚更。


「俺の聖女を、頼んだよ」


 昔みたいによく笑うようになったシアがいつまでも幸せに笑っていることを願って、アルはそう言葉を紡ぎ、踵を返した。

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