21.その聖女、願いを告げる。
「帰りましょうか」
私はアルに手を差し出す。私から差し出された手を少し躊躇ってから、アルは手を取った。
「……アルの風除け。やってあげてもいいわ」
歩きながら私は話す。
「可愛い女の子目指して頑張ってみる。ほら、今のままだとアルがカッコ良すぎて全然釣り合い取れてないじゃない? シェイナにお化粧習ったし、自分でもできるようになりたいなって」
今はアルにとって圏外でも、いつかは女の子として見られてみたい。自分の中で勝手に育つ欲を抑えられないのなら、努力してみたいとそう思う。
「……そのままで、良かったんだけどな」
アルは手を繋いだまま、遠くを見てぼそっとつぶやく。
「これ以上可愛いくなられると、俺的には心配事が増えて困るんだけど」
「アル?」
繋いだ手に力が込められ、紅茶色の瞳が寂しそうに笑う。
「もう少し、子どものままでいてよ。俺が、まだ側に居られるように」
懇願するようなその声は、今にも泣き出しそうだった。
その理由を聞いても、きっとアルは教えてくれないのだろうけれど、なぜだかアルが直ぐにでもどこかに行ってしまいそうな気がして、私は込められた手の力に応えるように笑う。
「私の世話を焼くなんて理由がなくても、アルが好きなだけ、ここに居ていいんだよ」
本当はここに居て欲しいと言いたかった。でも、私がそれを口にしたら、それはただの命令になってしまいそうで、できなかった。
「シア、俺はね」
アルが何かを話そうとした時だった。
「……何、コレ」
地面から黒いモヤの様なものが湧き、背中に鳥肌が立つような嫌な気が満ちる。
『コロせ! ドウゾク……ゴロシ。ゆるスナ』
『殺セ、殺セ、殺セ』
『……裏切リ、セイサイを』
私の結界は地中までは網羅していない。だけど、ここまで嫌な気に気づかないなんてと驚き、銃を構える。
「何で今来るかな。今日は新月じゃないんだけど」
もう周期も無視かとため息をついたアルは、黒い槍を表出させる。
「シア、すぐ片付けるから、離れててくれる?」
できるだけ遠くにっと指であっちに行ってと示す。
「私も」
「コレに浄化魔法は通じない。今日は満月だから、俺も分が悪いし」
私の頭をグリグリと少し乱暴に撫でたアルは、
「できたら、見ないで欲しいな」
そう言い残して、地面に線を引き私を突き放した。
地鳴りのような低い声とも言えない音を発しながら、それはアルを襲う。
同族殺しや裏切りと言った聞き取れる単語からそれがアルが襲われている原因なのだと推察する。
助けに入りたくても、引かれた線から先、見えない壁に阻まれて近づく事も光魔法を込めた銃弾が届く事もない。
アルの目が紅く光り、消していた魔族の象徴とも言えるツノが出て、耳は尖り人のそれとは違う形に変化していた。
振り払う様に黒いモヤの塊を消し飛ばしながら、アルは肩で息をする。ノエルと対峙していた子どものアルより、アルの魔力が弱く、力を発揮できていないように見える。
(……満月、だから?)
私の聖女の力が一番満ちるのが満月の夜である様に、アルにとって一番力が出ない日が今日ならば、分が悪いと言った意味が理解できる。
「……アルっ!!」
その黒い塊が何なのか私には分からない。だけど明らかに敵意を持ってアルの事を傷つけていく。
切り裂かれた箇所からアルの血が流れる。身体に無数についていた傷痕の原因はコレかと私は初めて知る。
私は私を阻む見えない壁をドンドン叩いてアルの名前を呼ぶ。
アルにまとわりつく黒いモヤがアルの足を引っ掛け、アルは引き倒された。
『コロセ、コロセ、コロセっ!!!!』
どうして、アルが狙われなくてはならないのか、私には分からない。
だけど、私の大切な人が傷つくのは嫌だ。
「……嫌だっ、死なないで」
死なないで、そう呟いた時昔の記憶が不意に蘇った。
こんな事が、かつてあった。なぜかそれ以上思い出せないけれど、でも確かにそれはあったのだ。
(……あの時は、どうしたっけ?)
私は銃を消失させて、手を組み合わせ膝をつく。
「……全部、消えて」
私は目を閉じて、そう祈る。自分の中から、一気に力が溢れていき、目を閉じていても分かるほど辺りが明るくなったのを感じる。
私から力が抜け、光が収まったあとゆっくり目を開けた。
そこにはもう見えない壁はなく、アルを襲っていた黒い塊も全て消え、嫌な気配も無くなっていた。
「アルっ!!」
私は地面に両腕をついて、息をするアルに駆け寄る。
服はところどころ破れていて、血まみれで、いつものアルとは違う姿の彼に抱きつく。
回復魔法を唱えようとした私を遮ってアルは首を振る。
「それ以上、聖女の力は使っちゃダメだよ」
紅く光る瞳で、苦しそうにそう言ったアルは、
「……見ないで」
つぶやくようにそういった。
「こんな姿さらしたら、また俺の聖女に、嫌われて泣かせちゃうな」
咳き込むアルの口から血が漏れる。あの時も彼は私のことをそう呼んだ。『俺の聖女』と。
「怖がらせて、ごめんね。シア」
紅く光る目も、尖った耳も、頭から生えたツノもヒトとは違うそれは、アル本来の姿なのだろう。
『泣かないで、シア。もう、2度と君の前に現れたりしないから』
閉じていた記憶の蓋が少しずつ、ズレる。
「……怖いの、怖いの、魔ノ国まで飛んでいけ」
私は思い出したフレーズをそっと口にする。
「……思い出さないで、欲しかった……な」
つぶやく様にそう言ったアルは、痛むのか顔を顰めた。
「痛いの、痛いの、飛んでいけ」
私はアルの黒髪を撫でてそうつぶやく。
「母に教わったんだと思ってた。でも、私にコレをしてくれていたのは、アルでしょう?」
私のつぶやくような確認に、アルは何も答えず、微笑んだだけだった。
「私、子どもの頃にアルに会ったことがあるのね」
こんな風にふらりと家を抜け出した夜にしか会えないそのヒトは、いつも月光を避ける様に黒い布をかぶっていて、どこかとても寂しそうだった。
そして、私が彼をひどく傷つけて、彼は私の前からいなくなった。
でも、思い出せるのはそのくらいで、詳細を思い出そうとするとモヤがかかったように記憶が塗りつぶされてしまう。
「痛いの、痛いの、飛んでいけ」
気休め程度だけど、効くといいなとアルの額に口付けた私は、カーディガンをアルの頭から被せる。
遮光性が乏しいカーディガンでは大したガードにはならないけれど、ちょっとでも苦痛を取り除いてあげたくて、月明かりを遮れるように私はアルを抱きしめて影を作る。
「……嫌った事なんて、一度もないわ」
「震えてる。無理しなくていいよ。怖がったって、嫌ったっていいんだ。魔族は、人にとってそういう存在だから」
おまじないが効いたのか、それとも無理をしているのか、肩で息をしなくなったアルは囁くようにそう言葉を紡ぐ。
「魔族全般なんて知らないわ。でも、アルは怖くない」
「声が泣きそうだよ? ごめんね、シア。俺はもう、大丈夫だから、先にお家にお帰り」
きっと今素直に帰ったら、もう2度とアルはウチに帰って来ない。
私の直感がそう告げる。
「……アルが、好きよ。怖くなんてないわ。だから、一緒に帰りましょう」
「ふふ、ありがとう。俺の聖女にそう言ってもらえて光栄だ」
言葉ではそう言ってくれたけれど、アルに全く伝わっていないのも、彼に帰る気がないのも分かる。
明日がある保証なんてないのだと察した私は、アルを抱きしめていた腕をほどき、アルの顔を覗き込む。
「私が怖いのは、ひとりぼっちになる事だよ」
私と視線があった真っ赤な瞳のアルはゆっくり目を瞬かせる。私は血がついていた口元をハンカチでそっと拭ってあげた。
「全部は思い出せないんだけど、でも私はずっとあなたに謝りたかったんだと思う。ひどいことを言ってごめんなさいって。そして仲直りしたかったの」
許してくれる? と尋ねた私にアルは静かに微笑んで頷く。
「ねぇ、アル。釣り大会楽しみね。冷凍庫付き冷蔵庫ももうすぐ手に入るし、カフェメニュー新しいの考えなきゃね。もうすぐ、子ヤギも生まれそうなんだって。見に行きたいわ。農場は新しい作物にチャレンジするみたい。苗植え手伝う約束をしたの。町の人とも随分お話しできるようになったわ。全部アルのおかげよ」
私はアルへの感謝の気持ちを込めて言葉を紡ぐ。
「私はこれからもここであなたとそんな風に過ごしたい。アルが、怪我をしたら治してあげる。追われているなら、相手を蹴散らしてあげる。私はもう守られるだけの子どもじゃないの。アルの事は私が守ってあげるから」
このヒトを助けたいと心から願う。
「……どこにも、行かないで」
それなのに、私は呪いの様に引き留める言葉を口にする。
「……昔は、怖がって泣いてただけだったのに、大きくなっちゃったなぁ」
苦笑する様にそう漏らしたアルは、地面に座り直して片手を伸ばして私の頬に触れ涙を拭う。
「満月の夜は魔力が制御できなくて、こんな姿になるし、俺は見た通り追われている」
と静かに話し始めた。
「俺を側に置くと、シアもああいうのに目をつけられる。本当はね、聖女の神気は魔族にとってご馳走なんだ。俺たち魔族はそれを食い荒らしたくてしかたない」
アルは冷たい声で、淡々と言葉を紡いで、
「神気は聖女が手ずから用意したものにだけ宿るものじゃない。聖女の中にそれはあって、例えば口移しなんかで効率的に神気の摂取が可能なんだけど、シアは俺にそれをくれる?」
意地悪気に口角をあげ、私を突き放す様にそう言った。
できないだろ? っとアルの目がそう語る。ふっと嘲笑気味に笑ったアルは、私から目を逸らした。
「俺も結局君を聖女として利用しているに過ぎない。優しい魔族なんて幻想だ。分かったら」
私はアルの言葉を遮って、アルの唇に自分のそれを重ねてその先の言葉ごと飲み込ませた。
「まだ、必要?」
驚いたまま固まって私の方を凝視するアルに、私はそう尋ねて笑う。
「シアっ、何やって」
「要は人工呼吸と一緒でしょ? 孤児院で応急処置は習ったから私でもできる。アルって、嘘つく時目逸らすよね。あ、でも神気の話は本当っぽいね。怪我治ってる」
私はアルの頭からズレたカーディガンを被せ直して、
「神気分けたらお家に帰ってくれるんでしょ? とりあえず今日は帰ろうよ」
大きな満月に背を向けて、アルの手を取りそう言った。
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