20.その聖女、祈りを捧げる。
満月の夜は聖気が満ちる。そんな夜は私の中にある聖女の力が強くなって、なんとなく寝付けない。
聖女だと分かる前からそうだった。心がざわめき浮き足立つような、力がとめどなく溢れてきて自分が何にでもなれるような、そんな万能感。
どうしようもなく眠れないときは、いつもこっそり家を抜け出していた。
私にとって今夜がそんな日だったのは、昼間の高揚感がまだ残っているからなのかもしれない。
「〜〜♪〜〜〜〜♪」
私は母みたいに歌を口ずさんで、夜を歩く。母みたいに上手に歌えないけれど、誰かに聞かせるわけではないので問題ない。
(可愛くなる、努力……か)
生まれて初めて可愛い服を着て、お化粧をした。たったそれだけの事なのに、私は普通の女の子になれたみたいでとても嬉しかった。
着飾った私を見た時のアルの顔を思い出し、私は自然と笑みがもれる。あの時のアルは、とても驚いたような顔をしていた。
いつもと違う装いを褒められたわけではないけれど、いつも私に向ける視線とは明らかに違うソレに私の心音は高鳴った。
(可愛くなれたら、あの紅茶色の瞳に私は映ることができるのかしら?)
事情を聞かないと言いながら、知りたいと願うのは、いけないことなのかもしれない。
それでも手を伸ばしてみたいと思う私は人間らしく強欲で、それがいつかアルを傷つけてしまうのではないかと少しだけ怖かった。
「……瘴気、また濃くなってる」
強い風が吹いて立ち止まった私は魔ノ国の方角に目を向ける。魔ノ国の境目が見えなくなる程、濃い霧が立ち込めていて見ているだけで息苦しい。
結界をいくつも張って、聖柱を立てているから、瘴気がラスティに流れて来る事も人の国に影響を及ぼす事もないけれど、魔王を失ったあの国では、今何が起きているのだろう。
「あんなに濃い瘴気、魔ノ国で暮らす魔族は、平気なのかしら?」
そこには、アルの大事な人がいるのだろうか? 親は死んだと言っていたけれど、他に家族はいなかったのだろうか。
魔ノ国の方を見ながら思う。魔族は、魔族と暮らす方がいいのかもしれない。
だけど、目を閉じて一番に浮かんでくるのは紅茶色の瞳で。
(みんな、どうやって好きになった相手のことを離さず捕まえておくのかしら?)
アルに思いを告げる女の子達はみんなキラキラ輝いていて可愛くて。私はそれがとても羨ましかった。
あんな風に素直で可愛くなれたら、せめて気持ちを伝えることくらいは許してもらえるだろうか、とそんな事を考える。
「シアっ! やっと見つけた」
そんな風にぼんやり眺めていたら、後ろから聞き慣れた声がした。
「アル、どうしたの?」
「どうしたの、じゃない。こんな夜更けにそんな格好で一人で彷徨いて、何かあったらどうするの」
アルはやや怒った口調で、私のそばまで来てそういった。どうやら心配をかけたらしい。
「何もないわよ」
私は満月を仰いで、そうつぶやく。
「だってほら、今日はこんなに月が綺麗」
力が満ちているから、きっと何か起こったとしても、私が負ける事はないだろう。
アルは呆れたような、困ったような顔をして、私の肩にカーディガンをかけた。
「シアは、自分が女の子なんだって、もっと自覚してほしい」
そう言って、私のことを抱きしめた。
「……あんなに、小さかったのに……なぁ」
耳元でかろうじて聞き取れるかどうかくらいの声量で、アルはつぶやくように、そういった。
「アル?」
それは一体、どういう意味だろう?
私が聞き返すよりも早く、アルは私と手をつないで、家のほうに歩き出す。
「その部屋着どうしたの?」
「シェイナがくれた。変?」
「変、じゃない。むしろ似合ってるけども、露出が多い。聖女がそういうの着て出歩かないの」
「……意味が分からない」
まぁ確かに露出してる服なんてほぼほぼ着た事なかったけれど、私は昼間の服もこの部屋着も可愛いと思っているし、シェイナも褒めてくれた。
アルも似合っているって言ってくれたのに着たらいけないなんて理不尽だ。
私はまた子どもっぽく拗ねそうになって、はっとしてシェイナのアドバイスを思い出す。
『分からない事は素直に言葉にして聞いてみたらいいんですよ。拗ねているだけでは何も伝わりませんよ? ああ、ついでに尋ねるときは思いっきり腕に抱きついてみたらいいですよ。今まで合っていない下着と服のせいでせっかくの武器が活かされてなかったようなので』
私が持ってる武器とは何なのかシェイナは笑うだけで結局最後まで教えてくれなかったが、昼間の一件でシェイナのアドバイスは聞いた方がいいと学んだ私は素直に実践する事にした。
「ねぇアル、今何を考えているの? どうして怒っているの? この服そんなに嫌い? 露出多いとなんでダメなの?」
繋いでいた手を離してアルの腕にぎゅっと抱きつき、私は素直に尋ねる。アルは驚いた顔で紅茶色の瞳を大きくし、硬直した。
「シア、誰の入れ知恵だろうか?」
「……? シェイナがモノを尋ねるときはこうするといいって言ってた」
「……無自覚で無双するのは聖女の力だけにして欲しい。あとコレ、他の男にやったらダメ、絶対」
ため息混じりにそう言ったアルは大きな手で、子どもにするみたいに私の頭を撫でる。
「……ホント、いつまでも子どもでいてくれたらいいのに」
ヒトの気苦労も知らないでと苦笑するアルを見ながら、疑問だけが増えていく私は首を傾げる。
「アルは、すぐ私の事を子ども扱いしたがるけれど、私コレでも立派な成人女性よ? 結婚だってできるし、現に婚約者いたし」
チビで痩せっぽっちだったから、年齢以上に幼く見えてしまうらしいけれど、これでも私は18歳だ。アルは魔族だからきっと私なんかよりずっと長く生きているのだろうけれど、年齢だけで比較したら人はみんな子どもになってしまう。
私の抗議を聞いたアルはがしっと私の肩を両手で掴んで、
「はっ? 婚約者? 待って、シア。あの勇者とそこまで関係進んでるの? 俺聞いてないけど?」
と、なぜかとても動揺した声でそう聞いた。
何でここでノエルが出てくるのかがさっぱり理解できないけれど、そう言えば追放された話はしたけど婚約破棄された話はしていなかったなと思いいたり、経緯を話した。
「……まぁ、そんなわけで王子様は新しい聖女様とご婚約されて、私は自由を手に入れた、と」
その上聖女じゃないという証明書までくれたし、危険なルートでラスティに追放したことから察するに、私が戻って来ないように事故死させる気満々だったのね、きっと。
死を偽装する必要も呼び戻される心配もないし、至れり尽くせりだわとにこやかに笑って話す私とは裏腹に、アルの顔は険しく拳を握りしめている。
「……この国は、どこまで俺の聖女を馬鹿にすれば気が済むのかっ!」
普段穏やかなアルからは想像できないくらい低く冷たい声で、アルはそう怒っていた。
「アル、そんなに怒らなくても。私別に王子好きだったわけでもないし。なんなら数回しか顔合わせてないし」
「良くないっ。第一、シアはなんでそんな奴と婚約なんて」
私はアルを宥めるようにアルの黒髪を撫でる。まぁ、そう思うよねとため息をついて、私はなるべく明るい声を心がける。
「聖女の力って遺伝するんだって。でも、何代先にそれが発現するのかは分からない。だから、王家で聖女の力を独占するために聖女の子が必要なんだってさ。孤児院を人質にとられてたから、私が逃げたら孤児院潰されちゃうかもって。あそこにはまだ、幼い子が沢山いたし、先生に迷惑かけたくなかったし」
王子との婚約は表向き魔王討伐の褒章だけど、ありがたくもなんともないそれを回避する方法があの時の私にはなかった。
婚約してから後もずっと働き詰めで考えることすら面倒で。
聖女としての義務だと言われれば、そうなのだろうとしか思わなかった。今考えればおかしい事だと分かるけれど。
「ふふ、でも今は王子様に本当に感謝してるの。婚約破棄してくれて、追放してくれたおかげで、私はアルに会えたし、今とても楽しい。聖女としてお勤めしてた時と違って、孤児院にも沢山寄付できるしね!」
だからそんなに怒らないで、とアルに笑いかける。
「怒ってくれてありがとう。でも、私笑っているアルの方が好きだわ」
「俺の聖女は慈悲深すぎる」
「そんなことはないんだけど」
以前アルから俺の聖女が笑っていてくれたら充分だと言われたけれど、私は充分だと思えない。
アルを見ているとどんどん欲が出てきてしまう。
アルに笑っていて欲しい。
アルに幸せになって欲しい。
アルに傷ついて欲しくない。
そして、叶うならずっと側にいて欲しい。
それらはまだ口にはできないけれど、心の中でそっと祈る。
せめて、明日もこんな一日が続けられますように、と。
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