ココのお礼
止まらない腹の虫で俺は死ぬというのか。
あきらめかけたその時、俺の隣から騒音が鳴り出した。
「ぐごごごごご!」
ココが机に突っ伏して居眠りをしていた。
しかもとんでもないイビキを立てて!
ぎゅるる「ぐごごごごご!」るる……
イビキの音に腹の虫がかき消される。
嘘だろ?
こんな最高のタイミングであの真面目なココが居眠りするのか!?
「こらそこ! だれだ居眠りしてる奴はぁ!!」
書き取り授業の先生が後ろの席のココに怒号を飛ばした。
ココは体を起こし、立ち上がる。
「私です! すいませんでした!」
い、居眠りしてた奴が怒られて、勢いよく立ち上がって言うことか、それ……?
「姫里ココか……。学業成績優秀なお前が居眠りとはな。勉強も良いが、就寝時間に寝るのだぞ!」
「はい、すいません!」
深々と頭を下げると、それに先生も納得したのかそれ以上は言うことはなかった。
そのタイミングでチャイムが鳴る。
……ココ、今のは俺を助けてくれたってことだよな?
◆
放課後、俺はココをいつかの広場へ誘った。
時刻は四時半だが、霧のせいで薄暗く、すでに常夜灯が点いている。
「話ってなんですか?」
「ココ、お前、俺のことをどこまで知ってる?」
彼女はチラチラと周囲を見た。黒髪の毛先が舞った。
「バンくんは人間です」
……!
とうとう吸血鬼に俺が人間であることがバレてしまった。
しかも、相手は俺の標的かもしれない吸血鬼だ。
「そうか。なら、さよならだ」
俺は踵を返す。
機関の存在が分かるようなものは自室には無い。
ただ、俺が吸血鬼に捕まれば今まで機関に仕込まれた技や術が筒抜けとなる。
「待ってください!」
「……」
ココは半吸血鬼だと言っていたから、この場で俺を殺せるほどの力は無いだろう。
だが、他の吸血鬼に知らせているなら話は別だ。
「私、このことは誰にも話してません」
俺は足を止める。
「本当か?」
……いや待て、ココだって吸血鬼なんだ。
俺はココのことが好きだけど、やはり吸血鬼は信用ならない。
「はい。そして約束します。このことは誰にも話しません」
「嘘だ! 弱みに付け込んで裏切る。それが吸血鬼の常套手段だろう!」
何が約束だ! そんなもの誰が信じる。
半吸血鬼化した俺は家族を襲わないと約束したのに、俺は家族に棄てられた。
『バン、出ていけ。弱みに付け込んで裏切るのが吸血鬼の常套手段だ』
兄貴に言われた言葉を反芻する。
そっくりそのままココに言ったが、この態度こそ吸血鬼ハンターとして正しい。
そうだ。俺は間違ってない。
「バンくん!」
ヒュン!
俺はココが何かを投げつけた気配を察知し、振り向いてそれを銀炎術をまとわせた指で受け止めた。
やはりそうだ。油断させて攻撃を……ん?
「ペンダント?」
ココが大事にしてたものだ。
ドラクに取られて俺が取り返したものでもある。
なんでこれを……、と顔を上げた先でココが以前、近づくなと言った山の山頂の方を指さしていた。
『山の頂上は危ないので近寄っちゃダメですよ』
たしかそんなことを言っていた山だ。
今まで優しそうな顔をしていたココとは正反対の覚悟に満ちた顔をしている。
「そのペンダントは預けます。もしバンくんの正体がバレたなら、私はあの山を上って死にましょう!」
「山を上って?」
「あの山の頂きは霧宮島で唯一、霧がない場所。つまり、陽の光が差し込む場所なのです」
吸血鬼の弱点その三、直射日光だ。
霧で遮られた間接的な光や鏡越しの光はまったく効かない。
奴らを完全に滅ぼすには体を杭で打ち込んで陽の光に当てるのだ。
「仮にそうだとしても、俺は信用できない。ココは吸血鬼で、俺は人間だ」
自分で言って、勝手に傷ついた。
もしもココが俺を噛んだ相手じゃなかったら初恋の相手だから。
「構いません。だからそれを預けます。大事なものですから」
「親の形見と言ってたな」
「はい。その時が来たらお手数ですが、私が死んだと他の家族に伝えてください」
なんという気迫。なんという覚悟。
死なない生物の吸血鬼が自分が死ぬことを勘定に入れてやがる。
ああ、クソ! わけがわからねえ。
「なんで俺を引き止めるんだよ!」
「バンくんが私と同じハーフだからです」
ちょうどこの場所でココは混ざりものだとドラクに貶された。
その時、互いに半吸血鬼だと分かったのだ。
「違う。同じハーフでもココは吸血鬼側。俺は人間側だ」
未熟な吸血鬼に噛まれて吸血鬼になれない存在が半吸血鬼だが、だからと言ってその全てが俺のように主を殺そうとするわけではない。
中には主に従って自身も完全な吸血鬼を目指す者がいる。
「そうですね。私は仕える主がいます」
「なら!」
そこでココは打って変わって、頬を赤らめて視線を逸らした。
急にどうしたんだ?
「その……、バンくんはなんだか昔馴染みのような気がして放っておけないんです」
「昔馴染み……?」
いや、たしかに俺も会って始めの頃から、ココには幼馴染っぽい雰囲気を感じていた。
まさか本当に、ココと俺は過去に会っているのか!?
くそ、こういう時すごく悔やむ。どうして俺は噛まれた時の記憶が無いんだ。
「は、はい。変ですよね……、あはは」
ココが困った風に笑った。
先ほどまでの真剣な顔つきはどこへやら。
「おかしな話だが、実は俺もそう思ってたんだ」
いや何を答えてるんだ。
妙な空気に当てられて余計なことを喋ってしまった。
「それは奇遇ですね……」
ココも照れた感じになってるし。
いやでも改めて考えてみると、お互いにそう思ってたってことはもう運命的な出会いなんじゃないのか?
いやいやいや!
「じゃなくて! ココと俺は吸血鬼と人間! 土台、信じるなんて無理なこと!」
「はい。でも私、同じハーフが居てくれて嬉しかったんです」
その言葉に偽りの色は感じない。
むしろ、俺もココのような相手と短いながら学校生活を送れて楽しかった。
漫画でしか読んだことのない青春が俺にも来たと思った。
……嬉しかった、か。
「わかった。俺は決めた」
ココになら騙されても良い。そう思えるのはノーニャと俺の関係にも言える。ノーニャと同じように話せればそれが恋かどうかも分かるかもしれない。
俺は受け取ったペンダントをココに差し出す。
「これは」
「良いんだ。気持ちだけで嬉しい。俺、学園に残るよ。ありがとう」
ココが花のような笑顔になった。