腹が鳴ったら死
吸血鬼学園の生活の大変なところはそれだけではない。
奴らは昼休みになっても食事をしないから、俺はこうして便所に籠もってカロリーバーを隠れて食べ始めるところだ。
潜入任務用に二週間分あるうち、すでに五日分を消費した。
「おい、誰か入ってるのか?」
大人の声だ。たぶん教師だろう。
学校の便所なんて吸血鬼は誰も使わないから格好の場所だと思ったんだがな。
「……はい、入ってます」
「そうか。悪かったな」
「あ、はい」
さすがにこの状況でカロリーバーを食うわけにも行かないよな。
仕方なく教師が去るのを待つ。
キーンコーンカーンコーン
「はぁ、嘘だろ」
昼休み終了のチャイムが鳴る。
どうやら昼飯を食いっぱぐれたらしい。
個室から出ると誰の姿もなかった。
◆
空腹に耐えながら受ける午後の授業はマジで死にそうだ。
なぜって腹が鳴ったら人間だとバレるから。
「しかし、この静寂はまずいな」
午後は人間社会に溶け込む防衛術という人間の俺にはえらく退屈な授業だ。
流れるプールの上に掛けた橋を渡るだけ。
難なくこなした俺の後ろで、ドボン、と水に落ちる音がした。
「あかんもうだめや、うぇぇぇ……」
水着姿になった関西弁の子がプールから引き上げられると、その場に四つん這いになって水を吐いていた。
吸血鬼の弱点その一、流れる水が苦手。
「わざわざ水着に着替えるほどの授業か、これ……?」
顔面蒼白になったココが息を切らしながら俺に寄りかかった。
「何を言ってるんですか、バンくん」
うぉ。
ふにゅり、と豊満な胸が腹部に押し付けられる。
「はぁ、はぁ……、私、今日は渡るのに四度もプールに落ちましたからね……」
「そ、そうか。大変だったな」
黒髪を濡らしたココの姿は控えめに言って魅力的だ。
ていうかその肉体でスクール水着は犯罪だと思う。
「バンくんは一度も落ちてないなんて、すごい精神力です」
「ま、まあな」
なんで流れる水に弱いのかは不明だ。
仮に俺がプールに落ちると香水が落ちて人間の匂いをさせてしまう。
正直、こうしてココがくっついてくるのは嬉しいが、香水が落ちるのでやんわりと押し返した。
うーむ、名残惜しい。
「こういうところは羽あり組はつらいですよね」
「へえ、そうなのか」
「私たちよりキツいそうですよ。あっ、全員着替えて今度は調理室だそうです」
ココは耳ざとく教師の指示を聞き、俺たちは流れるプールから離れた。
というかメシ食わない吸血鬼のくせに、調理室で何するんだ?
◆
調理室に移動した俺たちは、調理机を囲うようにして四人ずつで座る。
俺、ココ、関西、関西の友達の四人だ。
「うちこの授業、苦手やわ。いっそ殺して」
「あたしらが死ねますかっての」
「そや。ここにも出たらしいで。猛獣」
「あーね。後ろの調理机の傷がそうらしいわよ」
六台あるうちの一台には四本の爪の跡があった。
なるほど、それで猛獣か。
「猛獣、怖いですね。バンくんは怖くないんですか?」
「どうだろう、恐怖感はもうずいぶんと麻痺してるからな」
もうその恐怖感とやらは転入初日、周り全員が吸血鬼だらけの状況を丸一日過ごして克服したつもりだ。
今は余裕が出てきたくらいだ。
その時、他の生徒たちみんなが鼻を押さえてうずくまった。
「うっ、にんにくの匂いです……」
ココが見るからにキツそうな顔をしていた。
吸血鬼の弱点その二、にんにくが苦手。
「そんなにキツいか?」
むしろ俺にはいい匂いに感じる。
マスクを付けた先生がにんにく料理を各調理机に置いていく。
うちの机に来たのはペペロンチーノだ。美味そう。
「うぷっ……あかん、吐いてくる」
「ご、ごめん、あたしも……」
向かいの二人組は早々にリタイアした。
ココは俺の背中に顔をうずめた。
「私、もう限界かもしれません」
「えっ、吐きそうなのか?」
俺の背中に吐くなら廊下まで引っ張っていくぞ。
「が、がんばりますぅ……」
こうしてうめき声だらけの授業の時間を、俺はぼんやりと過ごしていく。
出された料理を吸血鬼になりきるためにも食うわけに行かず、ただただ腹を鳴らさないように耐えるだけ。
きつすぎるぜ。
◆
本日最後の授業は移動教室で、吸血鬼文字の書き取りというえらく静かな授業だ。
俺は自然とココと隣同士になった。
間近で話せるチャンスを得られたし、ココが俺を噛んだ吸血鬼かどうか確証を持てるくらい話しておきたいところなのだが。
……くそっ、調理室でニンニク料理を見たせいで、余計に腹が減っていた。
我慢するのもかなり限界だ。
ぎゅる……
「はぅあっ!」
俺は素っ頓狂な声を出して、腹の虫の声をかき消す。
まずいまずいまずい!
腹の虫なんて鳴らしてしまえば、一発で人間だとバレてしまう。
「バンくん? どうかしたんですか……?」
隣の席からココが小声で心配してきた。
よりにもよって一番知られたくない相手が隣だなんて。
さらに教室じゅうの視線を集めてしまう。
「そ、それが上手く書けてたのに書き間違いをしてしまって」
「はぁ。そんなことで大声出さないでくださいよ! もう」
「ごめんごめん」
心配してくれるココには悪いが、嘘を吐いた。
ココは自分の作業に戻り、他の生徒たちも肩をすくめて作業に戻る。
まさかこんなに空腹なことで窮地に陥るとは思わなかった。
「うっ、何やこの匂い!?」
前の方の席から関西弁が飛んだ。
廊下から別学年の生徒たちの悲鳴が聞こえてきた。
「あかん! 他のクラスでニンニク耐久授業やってるみたいや!!」
関西が慌ててドアを閉める。
騒然とした教室だったが、しばらくして静かになった。
……どんだけ苦手なんだよ、ニンニク。
ふと気を緩めた時、炒めたニンニクの良い香りがした。
ぐぎゅるるるる……
「はっ」
やばい、腹の虫が鳴り出した。
だってこんなに美味そうな匂いがしたら耐えきれねえ。
ぐぎゅるるるる!
「う、うおおっ」
止まれ!
止まれ!
ぐぎゅるるるるるるるる!!!!
ダ、ダメだ!
俺はここで死ぬのか――!?