第25話 剣聖登場!
ルイーザは、呼びかけられたその声の主に心当たりがあった。
忘れる訳がない。
でも、まさか……と思った。
辺境の地にいるはずの彼の人が王都にいるはずがない、と。
婚約者の不誠実な言動の数々にささくれだっていた彼女の心を、優しく解きほぐしてくれた人。
ルイーザよりずっと強くて大人で余裕があって、彼女の不安定に揺れ動く心ごと包み込んでくれた、大きな器を持った人。
その人が今まさに、カツン、カツン、としっかりとした足音を立てて彼女元へゆっくりと近づいてきている。
まさかと思いながらも振り向けば、本当に彼はこの場所にいた。
そして目があったルイーザに向かって安心させるかのように、いつもと変わらない笑みを向けてくれる。
「剣聖アデルヴァルト・リューディガー様……」
男らしく力強いバリトンの美声の主は、先程話に上がった剣聖その人だったのだ。
漆黒の闇のようなの美しい黒髪を背中で一つに結び、太陽のような強い輝きを放つ金の瞳に、左右対称の整い過ぎるほど整った美貌を持つ青年。
実戦で鍛え上げられた体は実用的でしなやかな筋肉を纏い、まるで肉食獣のような……黒豹のような動きは危険なほど魅力的だった。
王都ではあまりお目にかかれない種類の美形の登場に、今宵の夜会に参加している紳士淑女達がざわめいく。
魅入られたかのような人々の視線を一身に浴びても気にすることなく、自然体でそのままこちらに歩いてきた剣聖は、ルイーザの隣まで来ると少し通り過ぎ、彼女を庇うかのように斜め前に立つと止まったのだった。
ルイーザ達の間に流れていた重苦しい空気を、一瞬で切り裂いてしまったのは思わぬ人だった。
「びっくりした?」
「それは、もう……とても驚きましたわ、剣聖様」
悪戯っぽく小首を傾げながら尋ねてくる剣聖にコクリと頷きながら答えるものの、まだ信じられない。
思わず目を見開き、彼の顔を見つめてしまう。
それはそうだろう。
まさか彼が、このタイミングで出てくるとは誰も思わない。
「君が理不尽に責め立てられるのを見ていられなくてね。思わず出て来てしまったんです」
苦笑しながらも真剣な声で優しく告げられた言葉に、冷えきっていたルイーザの心がポッと温かくなった。
思わず感謝の気持ちを込めて、手を差し伸べてくれた彼にこの日一番の心からの笑顔を向けたのだった。
剣聖アデルヴァルト・リューディガーの登場に、クレイブ達は困惑を隠せない。
ルイーザとクレイブ達の怒涛のやり取りに口を挟む隙がなく、暫く空気と化していたランシェル王子やリアン達だったが、さすがに心底驚いたらしい。
唖然とした表情で見つめている。
「剣聖」という存在は、彼らにとっても憧れと尊敬の対象であり、崇拝に近い想いを寄せる相手なのだから。
その彼がルイーザを庇いに出てくる展開は予想外だった。
当のアデルヴァルトは、クレイブと彼に引っ付いたまま座っているサリーナを感情を消した目で見下ろしていた。
憧れの人から向けられる冷め切った視線に、クレイブの肩がピクリと揺れる。
「先ずは立ちなさい。彼女に手加減してもらったのだから、立てないはずはないでしょう。いつまでへたり込んでいるつもりだ」
「剣聖……様」
厳しい言葉をうけて、よろよろと立ち上がるクレイブ。
その彼に引っ張られる形で、くっついていたサリーナも一緒に立ち上がったのだが。
「うわぁぁぁ……カッコいぃ……」
大人の魅力たっぷりの危険な色気が溢れる男性の登場に、あれほど心配していたクレイブの状態はすっかり忘れることにしたらしい。
ぽーっと見惚れて件のセルフを吐いた。
「あ、あの、初めまして……ですよねっ? わたしサリーナって言います! えっと、アデルヴァルト様って素敵なおまえですけどぉ。ちょっと長くて言いにくいですし、アデル様って呼んでもいいですかぁ?」
何を思ったのか、剣聖相手に可愛らしく頬を染め、上目遣いで話しかけ始めるではないか。
その上、勝手に名を縮め、愛称で呼んでいいかとまで尋ねている。
これにはクレイブ達からも信じられない言ったような視線が向けられる。
しかし、彼女は熱に浮かされたように彼を見つめるのに夢中で気にもしていないようだ。




