暗闇に光る花1
めっちゃ遅くなりまして、申し訳ない!
東霧の平原では日の移り変わりに明確な違いはないけれど、霧の時間を仮に夜と仮定するならば今は夜明けの時間である。外にはまだうっすらと霧がかかっているけれど、周りの様子が全く分からないほどではない。久しぶりに屋内での睡眠をとることができた。自分でも気づかないうちに精神を摩耗してしまっていたのだろう。就寝前には瞼を閉じた瞬間にゆるりと静寂へ誘われていた。今までと比べて格段に寝覚めもいい。
寝る場所は昨日僕が目を覚ました部屋のベッドをそのまま使わせてもらった。もともとこの部屋はナシサスさんの部屋らしく、彼は僕に寝台を譲って床に寝ている。眠気はさほどないし、二度寝をするのはみっともない。かといって僕が一人先に起きても、何かが出来るわけではないため時間をもてあますことになってしまった。
尿意を催してしまったため、寝ているナシサスさんを起こさないように部屋を出る。大部屋の床にはカレンさんが眠っていた。この魔導装甲車は平屋一軒ほどの広さがあるとはいえ、四人もいれば部屋数は不足しているようで、ダグラスさんは運転室を、カレンさんは大部屋、リリさんはもう一つの小部屋を主に使用しているらしい。昨晩の内に場所を教えてもらったトイレに中の不在を確かめた上でお邪魔する。この車はどうにも高性能のようで、トイレとお風呂が完備されている。高性能な魔導具を用いた貯水システムのおかげであるとか。つまり、生活がこの一台でほとんど完結してしまっている、というわけだ。
トイレを済ませ、また音を立てないようにしながら大部屋に戻るが、皆酒を飲み交わし、騒いでいたからだろうか、まだ起きる気配もない。車内前方にある扉をあけて、薄い霧の中に身を委ねる。霧の中では自分の存在が薄まっていくようで、もういっそこのまま消えてもいいのかもしれない、とすら思えてくる。
まだ、早いだろうか。僕は旅団の方々に恩を返さねばならない。そしてその手がかりは昨日掴めたのだから、この生を捨てるには早すぎるだろう。ああ、それだけではなかった。僕のために地位を、命をなげうってくれた人がいたではないか。あの人のためにも、僕はこんな所では死んではいけないのだ。
「マキア」
ふと気づくと隣にはリリさんが居た。
「おはようございます。リリさん」
「リリでいい」
「いえ、そういうわけには」
「いい」
「…………分かりました。リリ」
「そう」
彼女はそれでお気に召したようだった。その声、言葉からはなかなか分かりづらいが、彼女は行動に感情がよく表れる。彼女は僕の手をとって左右に体を揺らしていた。
「何をしてたの」
「特に何もしていませんよ。皆様を起こしてしまわないように、外に出ていただけです」
「じゃあ、戻ろう」
「分かりました」
彼女に手を引かれるままに車に戻る。しかしまだ他の三人は眠ったままであるようだ。昨日、主にその三人が酒に呑まれていたため、仕方ない。
「マキア、お風呂入る」
「あ、はい」
「これ、外して」
昨日約束した通り、彼女の呪具を解呪することとなった。昨日は彼女をその場の雰囲気に飲まれて出来るといってしまったけれど、一、二年前に紙上で読んだだけであった。だから僕は異様に緊張していた。
呪具とはいえど魔法具である。使用者と魔法具の間には魔力の流れが存在している。その流れを見つけて僕の魔力を介入させることによって妨害する事で解呪は完了する。何をするかは説明だけならば非常に簡単で、魔力の流れをなんらかの存在に移植してやるのである。そのためにはもう一人の生贄かある程度強力な魔力を帯びた魔法石を用意せねばならない。実際は生贄が選択されることがほとんどだ。魔法石なんてものはそう簡単に見つけられるものではない。今回は一時的にその生贄を僕に設定するわけである。
「じゃあ、いきます」
「痛くしないでね」
もちろんそのつもりだけれど、自信がないからそれには答えないことにした。傷つけてしまわないようにしなければならない。心を落ち着け、目を閉じて、体内の魔力の流れに集中する。禍転じて福となす、と言ったところだろうか。昨日まで体内で魔力が暴動を起こしていたおかげで、自分の魔力を意識することはさほど難しくはなかった。
「手を出してください。今からリリさんに僕の魔力を流していきます。どうか受け入れてください」
出された左手に僕の右手を絡ませて、おもむろに魔力を流していく。他人の魔力というものは、一歩間違えると激毒と化す。魔力の器を持たない人に魔力を流すことはできないが、少しでも魔力の器がある人には魔力の共有、注入を行うことができる。そのため、意図的に魔力の暴走を起こすことが出来る。もちろん、誰にでも出来る技ではない。魔力の操作に長けているものでないと、そもそも他人の魔力が流れている魔力線を見つけることは到底できない。そんな無駄なことをするくらいならば、普通は魔法の練習でもして、炎をだして相手を焼いてしまう方が容易に相手を害することが出来る。僕は残念ながら魔力の操作ばかり上手くなってしまったわけだけど。
リリさんの魔力の流れは細く、侵入させるのにも時間がかかった。絶対に魔力暴走を起こしてはならない。そうして、ようやく僕はリリさんと呪具の間にある魔力線を見つけることに成功した。細い、細い繋がりだ。今にも吹き飛んでしまいそうなくらいに細い繋がりだった。なんとか繋がっていようとするリリさんの魔力を押しのけるようにして、僕の魔力を流してみる。すると仮面は魔力であればなんでもいいようで、すんなりと僕の魔力を受け入れた。これで、きっと…………
仮面に手を伸ばせば、抵抗もなくすんなりと外すことができた。魔力線を僕の魔力で上書きすることができたようだ。呪具としての機能もそのままのようで今は僕の左手のひらにくっついて離れようとしない。これで完全にリリさんから呪具を切り離すことができた。
「はぁっ、はぁっ。上手くいった」
「だいじょうぶ?」
「お気になさらず」
緊張からか、息が上がっているし、かなりの汗をかいてしまったようだ。それも仕方のないことか。他人の命をどうこう出来る立場だったと考えるとむしろ当然なのだろう。
僕の言葉からはすっぽりと感情が抜け落ちてしまったのだろう。自分でも驚くほど無機質な声がでていた。しかし、リリさんの声に感情が戻った様子はない。リリさん自身もそれに気づいたようだった。
「気持ちがでない」
「もしかしたら、忘れているだけかもしれません。リリさんはこの仮面をいつから付けていたのですか」
「覚えてない。でもずっと」
「だったらきっと、今はやり方を忘れてしまっただけですよ。これからきっと思い出せます」
「そっか」
その表情から彼女はしっかりと納得はできていないのだと分かった。先ほどとは異なり表情が読み取れる分、何を考えているのかはよりわかりやすくなった。
そうして、少し落ち着いてリリさんの顔を見て、ふと気づく。彼女はすでに完成された容姿だった。この世に生み出された存在で最も美しいものはリリさんなのではないだろうか。彼女の目は左右で色が違った。右眼は広い湖のごとき明るい青に、左目は日のごとき眩い金色に光っている。彼女をじっと見つめる僕を不思議そうに見つめ返すリリさんの傾げた額には、自然に伸びた白い前髪がふんわりと揺れている。長い間、僕は彼女に見惚れていた。
この時、僕は新たな神に出くわしたのだろう。きっと。
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