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東霧の平原3

 精神的動揺は他人に見せないように生きてきた。父からはその術を教わったし、実践を常としてきた。何事に対しても疑う心を持ち続けること、それが長生きのコツであると習い、現状その訓戒は全くもって正しかったということが証明された。信用することと、疑わないことは同義ではない。疑わないことは信仰することだ。


 「私の疑わないものは神だけだ」と父は僕に語った。神は常に正しく、我々を導いてくださる。僕もそう信じていた。

 

 僕は今も生きている。全てを疑いながら。父も、母も、そして神でさえも。


 ***


 かつてないほどに精神的に揺らいでいることを自覚できた。それもきっと当然のことだろう。ここ数日は死と隣り合わせといって差し支えなかったのだから。誰だって死は怖い。とはいえ、会ったばかりの人の前で涙を流してしまうのは不覚であった。感情の揺らぎは弱みである。誰にも見つかることなく心の奥底にひっそりとしまっておくべきものであった。


 あの後話は一時中断し、ベッドに腰掛けてリリさんが運んできてくれた食事を摂った。久しぶりにまともな食事を摂ったのではないか。最近は碌なものを食べていなかった。強い魔力に侵されていたものばかり食べていたせいか、魔力を含有しない食物を口にしても上手く味を感じることが出来なかった。しかし噛みきれないような硬い肉に比べると、葉物があるだけで口当たりの良さに満足感を感じた。


「それでマキアさん、これからの予定はあるのかい。もし何処かに用事があるのなら我々の目的のついでに送り届けよう」


 食後、ナシサスさんは僕に問いかけた。


「予定などは特にありません。でも、これ以上ご迷惑をおかけするのも忍びないので、近くで職を探して生きていきたいと思います」

「あー、君にはきちんと現状の説明が出来ていなかったな。実はここはまだ人類の居住地域ではなくてだな……」


 ナシサスさんは「何と説明すればいいのやら」とぼやいて少し困ったような顔をした。当然その対面には同じく困った顔をした僕が座っている。


「残念ながらここはまだ東霧の平原で街じゃないんだぜ。坊ちゃん。まあ、普通は分かんないよな」

「東霧の平原には居住地が存在しないと思っていたのですが。この家は一体」

「もうすぐ分かるさ」


 カレンさんは彼とは逆に面白くて仕方ないといった顔で僕を見ていた。ここが街ではない、とは一体どういうことなのだろうか。平原にポツンと一軒家が立っていたとでもいうのだろうか。だけどこの不毛の地でいったい人が暮らしていけるものだろうか。

 様々なことを考えてみたが、先程の言葉の真意は掴めそうになかった。


「丁度いいや、隊長!そろそろ霧も晴れる。出発の時刻だ。坊ちゃんには驚いてもらおう」

「そうしようか。カレン、いつもより安全にしてくれよ」


 わかってるって!と肩を回しながらカレンさんは部屋を出て行った。


「あの、ナシサスさん。出発するなら準備をした方がいいでしょうか」

「いや、君はそのままでいい。意味は分からないだろうけれど、もうじきに分かる」


 ナシサスさんはそういって完爾と笑った。その無邪気な笑みは状況が何も分からない僕の質問意欲を消滅させた。しばらくの間は流れに任せるのがいいのだろう。一度命を諦めた身だということを心の片隅に留めておかなければなるまい。一つ救われた人生を流れに刃向かって失うような事態は避けよう。


 体はまだ疲れを残していたようで上体を起こしたままだと腰に怠さがあった。ナシサスさんに断りを入れてまたベッドに倒れ込む。シーツ代わりにかけられた布の下は固い。床に直接寝転んでいるのとさほど変わりはないが、しかしそれで十分だった。目を閉じると再び睡魔が僕を誘っている。このまま意識を失うのだろうと、そう考えの纏まらない頭でぼんやり考えていたときだった。




 BRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!!!!!!!!!


 ベッドの下から明らかに何かが爆発し続けている音がしたと共に地面が小刻みに揺れ始めていた。睡魔よ、さようなら。当然僕は飛び起きることとなった。

 

「じ、地震ですか!?逃げないと!?ナシサスさん、どうすれば!?」


 地震なんて数年に一度起きるかどうかの大事件である。僕はどうしていいやら分からずにベッドから跳ね起きて立ち上がったが、体が後ろに引っ張られるような感覚がして再びベッドの上に背中から倒れ込んだ。

 ベッドの上の布を体に巻き付けるようにして慌てふためいている僕の様子がツボに入ったのか、相変わらず壁際の椅子に腰掛けたままのナシサスさんは、堪えきれなくなったように笑っていた。少しの間爆笑した後、彼は「すまんすまん」と半笑いで言いながら今まで閉め切られていたカーテンを開けた。


「笑ってすまなかった。君も案外子どもらしいところがあるようだな。安心して欲しい。この揺れは地震ではないし、君の命に関わるようなことも起きないよ。そろそろ種明かしをしようか」


 そういって彼は窓際で手招きした。促されるまま窓の外を確認すると同時に前髪が風にさらわれた。一瞬眼前で何が起こっているのか理解できなかったのは仕方がないだろう。先ほど目の前にあったはずの樹木はもう遙か彼方に置き去りにされていた。目まぐるしく景色が変化していく現状から、この部屋は高速で移動していると分かった。このようなことが出来る存在なんて僕の知識の中にはたった一つしか存在しなかった。


「魔導装甲車…………ですか」

「ほう、知っていたのか」

「ええ、存在だけですが。まさか、一見するどころか搭乗できるとは露程も思いませんでした」

「まあ世界に十台もないだろうからな。むしろ知っていたことに驚くくらいだ」


 僕は以前よりこの車両のことは知識としては知っていた。実物を見るのは初めてだ。しかし魔導装甲車などというものは普通に生きていく上で見かける方が少ない代物なのである。この車両は大陸上の未探索地域の踏破を目的として作成されたもので、複数人を搭載したまま地形を気にしない移動が可能である優れものだ。また、多少の魔物の攻撃を耐えることの出来る装甲を保有している。簡単に言えば一軒の平屋を乗せた車である。そのため製作コストは膨大で、長い年月をかけて優秀な職人がやっとの事で作り上げることが出来る。

 しかし未踏の地域の探索・開拓を目的にしている以上、この車両があるからといって、コストに見合うだけの成果を上げられるかは未知数である。つまり途方もないギャンブル性を孕んでいるためほとんど作られることはないのである。製作は主に国家が主導して行うが、メリットとデメリットが釣り合わないことがほとんどであることから個人は勿論、保有する国家も数が限られている。少なくとも僕の母国には存在しなかった。もともと内閉的な性格を有する我が国は、自国の領土以外の開拓を望まなかった。東霧に包まれた現在地周辺一帯は未開拓地域で間違いない。そもそもここが未開拓地帯であることを確認した上で僕はここを目的地として進んできた。

 

「勘違いされる前に言っておくが、この車は旅団が専有しているもので、どっかの国からの借り物とかじゃない」

「それこそ信じられません。魔導装甲車を一旅団が保有するなんて」

「俺たちマティーカ旅団は決して国に属すことはないのさ。こいつは昔、纏まった金が入った際に当時俺がいた国が所有していたものを買い取ったんだ。どうにも上手く扱えずに不良債権になってたみたいで、作成費よりも安く手に入れることが出来たのは幸運だった」

「一体何のために…………」

「よく見てみれば分かるさ」


 そういって彼は遙か彼方に聳える名も分からない高山を目に焼き付けるように見つめていた。ふと真似してみたくなって、僕も周りを見渡してみる。生きるか死ぬか分からずに彷徨い歩いていた時には気づけなかったけれど、そこには雄大な景色が広がっていた。栄養の少ないこの土地で必死に生き残り育った樹の幹は太く、針葉がさらりと揺れ落ちる。赤茶けた大地には余計な緑がなく、遙か遠くに見える山々とのコントラストが美しい。まるで窓の外が一つの絵画として成立しているようだった。


「綺麗ですね」

「綺麗だな」


 しばらくの間二人は沈黙の中生命の神秘に包まれていた。顔面に叩きつけられる風は優しくはないけれど、一瞬でも見逃すまいと目を見開いていた。きっとこれが答えなんだろう。


「理由が分かった気がします」

「…………そうか」


 その後も僕たちは窓の外を見続けていた。

本日の投稿は以上となります。少しでも面白いと思っていただけたなら嬉しいです。今後もあまり間を開けすぎないようにしながら続きを投稿していこうと思います。

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