8話 『買い物帰り』
悠人は後悔した。なぜあのときOKをしてしまったのかと。なぜあのとき格好つけて「嫌いじゃねえぜ」なんてセリフを吐いてしまったのかと。
悠人は恨めしく思った。己の無知を。今までに女性と会話したことがほとんどなかったことを。あるいは気づけた。『女性との買い物』という単語が出てきた瞬間に気づくべきだった。もし数時間前に戻れるとしたら、自分の顔を思いっきりぶん殴ってやりたい。
「おい、ルーシー! いい加減にしろ!」
「えー? 何がー?」
山積みになった箱と腕に掛けて並んだ袋を抱え、悠人は怒鳴った。その拍子に山が崩れそうになるのを押さえ、とぼけるルーシーを箱越しに睨みつける。
「ちょっとだけって言ってたろうが!」
「もうへばっちゃったのかい? 情けないなあ」
ルーシーは振り返り、口を尖らせて言った。
別にへばっているわけではない。体力的にはチート能力のおかげか余裕がある。問題は精神的な方だった。興味もない服やアクセサリーが似合うかどうかのチェックをさせられ、長時間、ボケーと待たされたと思ったら、今度はあれやこれやと色んな店に入り浸って同じことの繰り返し。そして箱の高さはどんどん上がっていく。本当に何の苦行なのか。
これのせいで、もう日が暮れかけている。本当なら部屋で転移疲れを癒せたはずなのに、余計に疲れてしまった。
「ちょっとじゃないか。まだまだ先は長いよ」
「これのどこが! 目ん玉腐ってんのか! 眼科か脳外科行ってこい!」
「ひどいな」
疲労でやつれている悠人とは裏腹に、ルーシーは楽しそうに手を真下に組んで歩いている。
本当にどうしてこれに付き合っているのかと甚だ疑問に思ったが、一度言ったことは理由もなく簡単には曲げられない。だが、余念は残る。悠人は内に燻る感情を言うべきかと少し悩んだが、結論は早かった。
「まったく女ってやつは、どうしてこうくだらない買い物に時間を費やせるのかね。そんなことやっている暇があっ――」
「あ、次はこっちの店に行こう」
「勘弁してくれ」
もう限界だと、そう訴えかけようとしたとき服屋へと行く彼女の足が止まった。青色の瞳が目の前の服屋ではなく、少し遠くの方を向いている。
悠人はその視線の先をなぞるように追っていき、やがてとある人物にぶつかった。
「ソフィア、あいつ何やってんだ」
赤髪が特徴的だったので、すぐに気がついた。そしてその隣には一人の少年がおり、青果店の目の前で何やら揉めている。
「だから、俺はやってねえって言ってるだろ!」
「嘘をつくな! 私は見ていたんだぞ、お前がリンゴを盗んだところを!」
ソフィアは少年の腕を掴み、声高に叫んだ。周囲の通行人たちも足を止め、彼らのやり取りを傍観している。
「おいおい、どうした……ってあんたか」
店の奥から男が出てきた。バンダナを身に着けた髭面の男はソフィアを見ると、たちまち渋い顔を浮かべる。
「何か御用ですかい」
「ああ、実はさっきな、この少年があなたの店のリンゴを盗み取ろうとしていたのだ。私はそれをしかとこの目で見ている」
「そんで、坊主。盗んだのか」
男は少年の顔に近づいて尋ねる。しかし、少年は違うと首を横に振るだけだった。
「ほら、違うらしいぞ」
「そんなの信じられるか! 私はこの少年は鞄の中に入れたのを見てるんだぞ」
「おい坊主、鞄の中を見せてくれるか?」
少年が頷いて、鞄を開いて中身を見せた。男は少年の鞄をのぞき込む。しかしそこには水筒しか入っておらず、リンゴはどこにもなかった。
「ないじゃないか」
「そ、そんなはずは……」
ソフィアも鞄の中をのぞく――やはり結果は同じだった。
「さ、もういいだろう。坊主、行け」
「ち、違う。私は確かに――」
「わかった、わかったから。商売の邪魔だ。さっさとどっかに行ってくれ。」
男は店の奥に戻っていく。ソフィアは拳を握りしめ、顔を俯かせてその場を去る。そして悠人たちのいる方向へと歩いてきた。
「ソフィア……」
ルーシーは彼女の落ち込んでいる姿を目にし、心配そうに呟いた。周りの人間からひそひそと「またか」、「相変わらず懲りねえよな」と囁き声が聞こえてきた。悠人はそれだけでなんとなく彼女の置かれている立場を理解する。
俯いたソフィアが傍まで近づいてきた。はっと顔を上げ、悠人たちを見入る。
「お前ら、どうしてここに」
「いや、ルーシーの買い物を手伝わされてな」
「そ、そうか。お前も大変だな」
箱越しの会話に戸惑ったように労いの言葉をかけられる。予想通りの反応だった。
「見られたか」
歯切れ悪そうに頬を掻き、目先を逸らす。
「ああ、見てたぞ。お前が懲りずにまた冤ざ――」
ルーシーにチョップを喰らわされ、強制的に黙らされる。彼女は穏やかだった目つきに睨みを利かせている。さすがに悪いことをしたようだ。
「ソフィア、大丈夫かい?」
「ああ、大丈夫だ。気にせんでくれ」
そうは言うが、明らかに落ち込んでいるソフィア。増々ルーシーは心配そうに見つめている。
「それじゃ買い物、楽しんでこいよ」
「鬼か」
ソフィアの方も気をつかったのか。それからは何も言わずに夕陽の沈む方角へと歩き出し、その場を去っていく。
「彼女、いつもあんな感じなんだ」
ふと小さな声でそう告げた。
「曲がったことが嫌いで正義感が強いから、周りにそういう人間がいたら、見過ごすわけにはいかない。でもいつも空ぶって勘違いをしてしまうから、みんなに呆れられてるんだよね。そういう僕も最初出会ったときは誘拐された少女って思われたんだよね」
「奇遇だな。俺も奴隷商と間違われたぞ」
「あはは。それは誰でも間違えるよ」
「ふざけんな」
ごめんごめんと冗談ぽく笑った彼女。それから小さくなったソフィアの背中を眺め、視線を落とした。
「実力も確かだし、一生懸命なんだけどね……さて、この話は良いとして、これからどうしようか。僕としてはまだ買い物をしたいところなんだけど……」
悠人は全力で首を振る。
「そうだよね。わかったよ。今日はもう帰ろう」
悠人の反応を見て、諦めたように首を傾けた。
やっと解放されると悠人は安堵のため息を吐き、西日が町を照らす中、ルーシーと共に帰路についた。