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28話 『失踪』


「はぁ……」

 朝の中央広間での一件が終わり、宿屋へと帰ってきた悠人を迎え入れたのは、銀髪青眼の少女、ルーシーのため息だった。

 彼女は受付窓口に怠そうに突っ伏しており、何やらぶつぶつと独り言を言っている。何を言っているのかは悠人にはわからなかったが、特に気にせず玄関の扉を閉める。


「あっ、悠人君。おかえりなさい……はぁ」

 悠人の存在に気づき、ちょっとだけ顔を起こして挨拶を交わしたルーシー。しかしすぐさま疲れたように項垂れ、力なくだらりと腕を落とした。


「どうしたんだ」

「どうしたもこうしたもないよ。聞いてない? グランドタートルがやってきて、祭りが中止になったんだ……僕は今日、とても遣る瀬無いよ」

 何もやる気が起きずに気が沈んでいる彼女は、再び深いため息をついた。ため息に交じり、生気まで吐き出されているかのように呆然自失となっている。


「でもな、こうしててもしょうがないし。宿の補強もしなきゃだし――おっ、丁度いいところに来てくれたね」

 暫く天井を仰いで唸り散らしていた彼女だったが、やがてゆっくりと立ち上がり、階段から降りてきたミアに視線を移す。


「お帰りなさいませ、悠人様」

 そう言って紫色の髪を左右に揺らしながら、悠人の方へと歩み寄ってくる。そしてルーシーに対して訝し気な顔をしながら訪ねた。


「どうされたのですか?」

「いやね。さっき嵐が来るって知らせが届いたじゃない? だから二人とも宿の補強を手伝ってもらえないかなと思って」

「私は構いませんが……」

 ミアは悠人をチラ見して様子を伺う。


「はぁ。まあ状況が状況だからな。そんな不安そうな顔すんな。手伝ってやるよ」

 今回ばかりは仕方がない。もし強風でこの宿が倒れてしまえば悠人にとっても痛手であり、ルーシーの精神状態もただでは済まないだろう。それに補強程度のことであれば、中央広間での仕事に比べれば簡単である。

 すぐに終わらせて暇になった時間を、本でも読んで過ごそうと悠人は今後の予定を考える。


「ありがとう。二人とも」

 思考に耽っている悠人と快く受け入れてくれたミアに対し、ルーシーは静かに感謝の言葉を述べた。


 そして受付奥の部屋から板と、それを窓に打ち付けるための道具を取り揃えて、早速作業に入り始める。

 悠人は重たい板を持ち上げて支え、ミアは窓に打ち付け、そして全般的な指示をルーシーが出すという役割分担で宿中の壁や窓を補強していく。


 作業は思っていたよりも難航し、かなりの時間がかかった。何せ人数が少なく補強する場所が広いのだ。当然と言えば当然であるが、これでは普段の仕事と変わりがない。読書をする暇はなさそうだと悠人は早くも見切りをつけ、次々と作業を進めていく。


「風、だいぶ強くなってきたね」

 作業も残り半分に差し掛かったところで、窓の外に目を遣っていたルーシーが口を開いた。

 今朝、中央広間ではそこまでではなかったのだが、時間が経つにつれ雲の流れが速くなり、辺りが段々と暗くなっていった。

 本格的に嵐が近づいてくる兆候。

 その前に終わらせようと、悠人は無言でペースを上げ始める。


「本当に残念だよね。ミアちゃんも、せっかく踊りの練習してたのに……僕、楽しみにしてたんだけどな」

「はい……ルナさんも一生懸命ご指導してくださいましたし。残念でなりません」

 板に釘を打ち付けながら、ミアは悲しそうに肩を落とした。


 二人とも会話も作業も始終暗く、そのせいかペースが落ち気味であった。できる限り早く終わらせたい悠人にとって、それはとても歯痒いことだった。


 どうしてそんなに落ち込む必要があるのだろうか。中止になったところで別にそこまでデメリットはないだろうに。

 むしろあの激務から解放されると思うと清々しい気持ちさえ出てきた。むろん他のバイト先を探す必要があるが、今より楽なものをいくらでも選ぶことはできる。

 ミアにしたってそうだ。踊りの練習をしなくて済んだのだ。来る日も来る日も多忙な時間に身を置かなくてもよくなったのだ。

 だから、そこまで落ち込む必要性はどこにもない。


 別にどうでも良いことだと呆れかえる。それを気にするくらいなら手を動かせと鼻で笑う。

 しかしその反面、悠人はなぜか心の奥底に靄がかかったような感触に襲われた。今まで味わったことのない(いびつ)な感情。何とも言えない矛盾に、悠人は不快そうに口を曲げた。


「ん? 誰か来たのかな?」

 そんなことを考えていると、玄関から扉を叩く音が聞こえてきた。ルーシーは小首を傾げ、慌ただしく鳴り響くノックに返事をして向かっていく。


 彼女が扉を開けると、そこにはラフスが立っていた。彼は息を切らせており、ずかずかと宿の中へと入っていく。

 見知らぬ人間が突然入ってきたことに戸惑い、ルーシーは声を詰まらせて尋ねた。


「えっと、君は……」

「突然押しかけて申し訳ないけど、悠人はい――いた! 悠人!」

 険しい顔で悠人の元へと近寄り、肩を掴んできた。強い力に顔を顰めたが、鋭い視線と荒げられた声色に様子がおかしいという思いが勝る。


「悠人、ルナちゃんが見てないか?」

「ルナ? さあ、見てねえが」

 思い当たる節はないと首を横に振る悠人。

 ミアと同じ紫色の髪とエメラルドの瞳が特徴的なので、さもすればやはり今日は見ていないことになる。


「あいつがどうかしたのか?」

 鋭い剣幕の彼が不可解で、悠人はそう問いかけた。他の二人も彼を注目する。

 ラフスはやはりかと一度目を逸らした後、覚束ない呼吸のまま口を開いた。


「大変なんだ! ルナちゃんがいなくなった!」


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