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お伽噺の後日談  作者: かたつむり3号
第二章 ダンテの「ダ」はダメダメの「駄」
9/33

1.5 イルコイラナイコ


 私が生まれ育った村は小さくて、そしてとても貧しかった。

 村といっても、管理され、税を払い、統治されている場所とは違う。そういうところに住めなくなった人が逃げ出した先で、たまたま出会った同じような境遇の人々とつくった場所だ。

 税金を納める必要がない代わりに、誰からも助けてもらえない。どこの国にも属せず、息を潜めてひっそりと生きている、それが私たちだった。

 死なないことが目的で、みんな自分のことで精一杯。でも生きているから寂しくて、人恋しくて。だからみんなで集まって生活をしていた。


 私が生まれたのはそういう場所で、村にとって望ましくない子ども、それが私だった。


 なぜ産ませた、と。

 私の父親と呼ぶべき人はいつも責められていた。母親と呼ぶべき人は死んだらしい、と子どもながらに何となく察しはついた。


 お金なんて当然なくて、食べ物を育てる土地もないからみんないつもお腹を空かせていた。赤ん坊が成長できる環境ではなかったし、新たな命の誕生を喜ぶよりも、自分の食い扶持が減る心配の方が先に立つのは当然といえば当然の反応だろう。


『お前はイラナイコだ』


 それが父親の口癖だった。生きるために何でも活用するこの村で『要らない』という言葉が使われることなんてない。だから言葉の意味は知らなかったのだけれど、そこに含まれる感情はぼんやりと理解できた。私を見る父親と彼を責める人たちと、それは同じ表情だったから。


 今にして思えば、よく生きていられたと驚く。ちょっとした病気にも負けそうなほど痩せ細っていて、力もなく、知恵もなかった。それでも周囲の生に対する執念を肌で感じてか、私は結構しぶとかった。


「水を汲んで来い」


 けれどそのしぶとさは、大人にとって邪魔でしかなかったらしい。

 その日、声をかけてきた父の言葉は簡潔で、意味を理解する頃には私は村の外に連れ出されていた。


「水を、汲んで……来る」


 言われたことを理解したら、望まれる結果も理解できた。私はいよいよ『イラナイコ』になったのだ。

 きっと村の外に井戸なんてない。だって桶もくれなかった。水を見つけられず困り果て、歩き疲れ、そうして力尽きて野垂れ死にすればいい、と。帰ってくるな、という気持ちに気づいて、すんなり受け入れてしまえたから、私は迷わず踏み出した。

 誰にも必要とされず、誰からも見てもらえない私が、生まれて初めて村の役に立つことが死ぬことなら。どうせ要らない子なら。まあいっか、と、思ってしまった。


 人目を避けて、道のあるところを避けて、そうして見つけた森へ踏み込んだ。奥へ、より暗いところへ。人間ではなく、魔物に会うためにひた進んだ。

 私はしぶといし、人間はそう簡単に死ねない。お腹が空いて動けなくなるまでにどれだけ時間が必要か、そこから死ぬまでにどれだけ苦しむか。考えるだけでも死にたくないと思ってしまう。ただ待っているだけじゃ駄目だ。少しずつ寄ってくる死をただ待つだけじゃ、私は待ち遠しさで怖気づいてしまう。


 魔族にも人間と同じように王様がいると聞いた。魔族は人間が嫌いだから、滅ぼそうとしているとも。人間の国は今、魔族に攻められていて、暗いところや森の奥にはお腹を空かせた魔物がうじゃうじゃいるらしい。村のばば様たちが言っていた。魔物は私みたいな子どもの肉が大好きだという。柔らかいから骨まで美味しいらしい。その話が本当なら、魔物さえ見つければきっと食べてもらえる。

 お腹が空いている魔物がいい。口が大きくて、牙が鋭くて、私なんて一噛みで食べきってしまえるような、怖がる時間も逃げ出す暇もない、そんな魔物がいい。


 どれだけ歩いたか、日が沈みかけた頃、ようやく見つけた。

 口が大きくて、牙が鋭くて、私なんて一噛みで食べきってしまえるような、真っ白な魔獣だった。あいつならきっと、私を食べてくれる。


 ホッとして息を吐いたのと、魔獣がこちらを向いたのは同時だった。目が合って――魔獣はふいっとそっぽを向いて、どこかへ歩き出してしまった。

 慌てて駆け出し追いかける。


「ま、待って!」


 遠ざかる背に声をかけても、魔獣は振り向いてくれない。

 どうしよう、お腹が空いていなかったのか。あるいは私が美味しくなさそうなのか。


「待って、待ってよ! 私きっと美味しいから! 痩せてるから食べるところは少ないけど、子どもだからきっと柔らかいよ!」


 待って、行かないで。必死に叫んで走っても、魔獣の方がずっと足が速くて。気づけば視界のどこにもいなくなっていた。


「待ってよぉ……」


 荒くなった息をどうにか整え、周囲を見回す。自分がどこにいるのかなんてもうわからない。

 どうしよう、見つけなくちゃ、食べてもらわないと私……死なない(役に立たない)と。魔獣を捜すことに夢中になって、死ぬことばかりに目がいって、近づいてくる人に気づくのが遅れた。


 男の人が二人と、女の人が一人。反射的に身を引いて、けれど振り返って走り出すより先に声をかけられた。怯んだ拍子に、疲労が邪魔してへたり込んでしまった。

 どうしよう、人に見つかった。人は駄目だ。死んでほしい相手がいて、自分がそいつよりずっと力が強くて賢くても、人は人を殺すのに遠回りする。首をへし折って殺してはくれない。遠くで、自分の見ていないところで勝手に死んでくれ、と。

 頭の中はあっという間に真っ白になって、そうこうしているうちに距離はもう走ってどうこうできるものではなくなった。――ああ、駄目だ。


「お前どっから来たんだ?」


 声をかけてきたのは大男だった。体と同じで声も大きい。銀色のフルプレートの鎧を着こんだ彼は、日に焼けた肌に真っ白な歯がよく映えていた。人懐っこい青い瞳は晴れた日の空みたいで、綺麗だな、なんて場違いなことを思った。


「行くとこねえのか? ガリガリだし随分と汚れてんな。何してんだ? こんな森の中をガキが一人で、危ねえぞ?」


 雨みたいに次から次へと言葉が降ってくる。一つも返事ができなくてうつむいた私の頭を撫でてくれたのは、女の人だった。肌は雲みたいに真っ白で、髪も雪みたいに真っ白で、目は元気な葉っぱの色をしていた。


「そんなにたくさん質問したらびっくりしちゃうよ」


 綺麗な人だ。花みたいだ。

 食べられないから拾うな、と叱られた記憶がよみがえる。あの時は綺麗だからずっと見ていたいと思ったけれど、持って帰らなくて良かった。私が触ったら汚れて、きっとすぐに枯れてしまっていた。

 そんなことをぼんやり思って、ハッとする。考えるより先に、頭を撫でる手を弾いていた。


「触らないで! 汚いから!」


 自分が何を言ったのか。相手がどう受け取るのか。思い至ったのは、弾かれた手と私を交互に見て目を丸くした女の人が、ふにゃり、と笑ってごめんね、と謝った時。


「今日は頭から体液被っちゃったからなぁ……。お風呂入ったのに、臭いが残ってる? ねえねえダンテ君、私まだ臭いかな?」


 女の人が声をかけたのは、さっきからずっと黙ってこちらを見ているばかりだった男の人。

 寝癖だらけの黒髪はボサボサで、気怠そうな雰囲気を垂れ流している。


「ダンテ君ダンテ君、嗅いでみてよ」

「俺だって臭いわかんねえよ。嗅覚なんてとっくに麻痺してるって」

「えぇ~……」


 くんくん、と腕や髪を嗅ぎだした女の人を見て、ダンテと呼ばれた男の人は溜め息を吐き出した。面倒くさそうに頭を掻いて、私の目線に合わせてしゃがみ込む。


「おい、子ども。臭くないよって言ってやれ。嘘でもいいから」


 違う、違うの。私が汚れてるから、私に触ったら汚いから。はくはくと口を動かすけれど声にならない。どうしよう、焦るばかりの私の思考を遮ったのは、大男さんの笑い声だった。


「ぷっ、ははは! ダンテ聞こえちゃってるぞ! 嘘でもいいとか……ふふ、見ろよ聖女がしちゃダメな顔になってる……ククク」


 ぴくっ、と。ダンテさんの肩が跳ねて、顔がわずかに青くなった。


「私やっぱり臭いかな?」

「……お、おひさまみたいな匂いがします」

「ダンテ君、嘘はよくないと思うな?」

「……臭い。鼻がもげる。魔除け代わりになる程度には臭い、俺ら全員」


 空気が凍るって多分、今のようなことを言うのだろうな、と私でもわかった。でもやっぱり、大男さんはそんな空気もろともしない。お腹を抱えるようにして大笑いだ。

 どんどん冷え込んで冬みたいになってきた空気にも知らん顔で笑い転げて、落ち着いたと思ったらダンテさんの肩を抱いて私を見下ろした。嵐みたいな人だ。


「自己紹介もまだだったな。こいつは勇者、俺はバルト。よろしくな嬢ちゃん」

「ゆう、しゃ……?」

「俺のことも名前で紹介しろバカ! ダンテだ」

「いいじゃん勇者で。どうせ世界を救ったら平和の象徴だとかで持ち上げられんだぜ? 本名は隠してた方が、後々の生活が楽になるってもんだ」

「そんな先のことまで考えて生きてねえよ俺は」


 なんだか盛り上がり始めた二人を見て、女の人が騒がしいねえ、とのんびり笑った。


「私はカモミール。あなたお名前は?」

「な、まえ……」


 知らない。もらえなかった。

 水も食事も渋々とわけてもらえたけれど、名前だけは誰もくれなかった。一度だけ欲しい、と父親にねだったことがあるけれど、殴られて食事を抜かれて、それだけだった。以来、二度とねだったことはない。


「お名前、私には教えたくないかな?」


 持ってない、と言うのが恥ずかしくて下を向く。


「ん~……ダンテ君どうしよう。私、嫌われちゃったかな?」


 違う、と言いたくて、でも何を言ってもうまく伝わらない気がして。私は口をきつく結んで、顔を上げない。


「何だガキんちょ、名前ねえのか?」

「またお前は無神経なことを! ちったあ考えてから喋れバカ! バカ!」

「二回も言うなよ! 好きに名乗れんだから、名前が無いなんてむしろ良いことだろ!?」

「ごめんね、バルト君はちょっとお馬鹿さんなの」

「カモミールまで俺をバカ扱い!? ちょっとダンテに毒されてんじゃねえの!?」


 バルトさんがいると、ずっと騒がしい。胸の奥の方が重くなっていたはずなのに、そんなことがバカらしく思えてしまう。不思議な人だ。


「名前はな、ちゃんっっと考えて決めろよ、ガキんちょ! 俺なんてなあ! この名前のせいでバカトなんて紹介されてんだぞ!?」


 私が名前を持っていないことが確定してしまった。しかも、自分で名づけることになっている。


「バカと勇者とカモミールって、語呂がいいよね~」

「カモミール頼むからお前まで俺をいじめないでぇ」


 今度はこっちの二人が盛り上がり始めた。

 この三人はすごく仲が良い。私の知らない、人間関係。見ているだけで、胸の奥がぽかぽかする。


「おいお前、何で名前ないんだ」


 ぽかぽかあったかい何かに浮かされて、ふわふわしていたせいだろうか。ぶっきらぼうなダンテさんの声に、


「わたし、イラナイコだから」


 言葉はすんなり滑り出た。

 生きること、生き続ける事がすべてというあの村で、自分のことだけで精一杯なあの村で。それでも誰も孤独ではない、孤立していないあの村で。私だけが独りぼっちだと、気づいていた。


「要らない子って……ガキんちょお前、意味わかって言ってんのか?」


 騒いでいたバルトさんが静かになるくらい、私の言葉は衝撃だったらしい。


「知らない。でも、お父さんも村の人もみんなそう言う」


 大人がそう言うのだから、意味が何であれ私はイラナイコなのだ。


「その要らない子が、一人でこんな森の奥まで何の用だ?」

「……水を、汲んで来いって言われた」


 沈黙は、思ったよりずっと長く続いた。三人ともさっきまでの明るい空気なんて忘れたみたいに、難しい顔をしている。私のせい、私のせいで暗くなった。


「ダンテ君、シャーラおばあちゃんのところへ連れて行ってあげよう」

「ダンテ、俺も賛成だぜ。お前らを元気にしたクッキー魔女なら、ガキんちょ一人くらいどうってことないだろ」


 ダンテさんは、返事の代わりに私に質問した。


「お前、どうする?」

「わ、私……」

「お前はどうしたい? 生きたいのか死にたいのか、それくらい決めてここまで来たんだろうな?」


 バレている、とわかった。

 水を汲んで来い、と言われて村を追い出された私が、その意味に気づいてその言葉を受け入れて、それだけでここまで来たことがバレている。まあいっか、なんて。そんなの嘘っぱちだ。だって私にはわからない。わからないから、決められない。

 生きていたのは、周囲がみんな必死で生きていたから。仲間外れにされたくなくて、生きたいフリをしていただけ。死んでもいいと思ったのは、邪魔者でしかいられなかったと思い知ったから。死ぬことで役に立てば、ひょっとしたらもしかしたらって縋っていただけ。


「わ、わか……らない」


 素直に答えた私をみて、ダンテさんが深々と溜め息を吐き出す。


「生きたいか死にたいか考えるってすげえ体力が要るんだ。お前はガリガリで弱っちぃから、とりあえずたくさん飯を食ってたくさん寝ろ。まずはそっからだ。世話してくれるばあちゃんとこに連れてってやる」


 俺たちも世話してもらったから、と言うなり私の首根っこを掴んで――目が眩んだ。

 クラクラする。ちかちかする。ぐわんぐわんと揺れる頭を押さえていると、ダンテさんが誰かと話している声が遠くに聞こえた。


「シャーラおばあちゃんに任せなさい」

「頼むよ、ありがとう」


 少しずつ音がわかるようになってきたと思ったら初めて聞く声で、びっくりして目を開けると、知らない人、知らない景色が飛び込んできてまたびっくりした。


「初めまして。あらあら、びっくりしちゃったねえ」


 そっと背中を押され歩み出る。


「いらっしゃい、お嬢ちゃん。お腹は空いていないかい? まずはお風呂に入ろうね」


 まただ、この人も、私を見ても笑ってくれた。なんだかくすぐったくて、逃げるようにダンテさんを見上げる。


「この人がお前の世話をしてくれる。嫌なことなんて吹き飛ぶぞ」


 暗い森の中では気づかなかった。眠たそうで半分しか目を開けていなかったから気づかなかった。ダンテさんの目はカモミールさんと同じ、元気な葉っぱの色をしていた。――綺麗。


「ぼんやりしてる暇ねえぞ。綺麗になるのも太るのも元気になるのもあっという間だ。しゃんとしろ。そんで、しっかり考えろ」

「乱暴な言い方だねえ、ダンテ坊や。大丈夫だよ、おばあちゃんがちゃんと福福にしてあげるからね」


 頭を撫でてくれる手はしわだらけだけど、カモミールさんと同じくらい優しい。顔を上げると、おばあさんがまっすぐ私を見てくれていた。……優しくてあったかい陽だまりみたいな目を見たら、涙が出た。

 私が汚れていても構わず頭を撫でてくれる。私が嫌なことを言っても構わず笑ってくれる。私がどんな人間でも構わず助けてくれる。初めてのことばっかりで気持ちが追いつかなかった。

 どこにいたって邪魔者扱いされて、誰といたって無視されていた。初めて、生まれて初めて、拒絶されなかった。そんなことが、こんなにも嬉しい。


「おやおや、これじゃあお水もたくさん飲まないといけないね」

「あ、忘れるとこだった。シャーラ、こいつ名前がない」

「あらあら、じゃあ素敵な名前を考えようね。何がいいだろうね」


 にこにこ笑いかけてくれるおばあさんと、ずっと背中を撫でてくれるダンテさんに、ますます涙が止まらなくなった。



「名前か……じゃあお前、今日からイルコな。必要な子だから、イルコ」



 別に大事にしなくていい。もっといい名前を思いついたらそっちを名乗れ。

 素っ気なく続いた言葉は耳をすり抜けた。

 ずっと、ずぅっと欲しかった。私の名前、私だけのもの。私は私でいてもいいんだよって、言われた気がした。


 神様というのは、月に住むという女神を指す言葉だと思っていた。

 でもこの日、この瞬間、私の神様は寝癖頭の勇者になった。



「まったく困った坊やだね、ダンテ」


 おばあちゃんが深々と溜め息を吐き出すのが聞こえた。

 扉越しに盗み聞きするなんてお行儀が悪いと叱られてしまう、と躊躇したのはほんの一瞬だ。今を逃したら次はないかもしれない。今日はたまたまそういう気分で、なし崩し的に認めてくれただけかもしれない。明日になったらダンテはまた、誤魔化してしまうかもしれない。そう思ったらもう止められなかった。

 私は是が非でもダンテの口から、私を救ってくれた勇者はダンテなんだ、と言ってほしい。私の名前を呼んでほしい。


「人にあげるばっかりじゃ、いつか疲れちまうよ。遠慮は美徳じゃないんだよ、ダンテ」

「そう言われてもなぁ……」


 ずっとずぅっと会いたかった私の神様。

 何度も渋られ、それでも諦めずしつこく聞き縋ってようやく聞き出した勇者の居場所は、王都の北方に広がる森だった。


『あの子は勇者じゃないんだよ』


 おばあちゃんの悲しそうな笑顔の意味がずっとわからなかった。ダンテは勇者で、私を救ってくれたダンテは彼で。


『私、間違えたりしないもん!』


 どうして会いに行っちゃいけないの。ダンテのおかげで生きようと思えたのに。ダンテがくれた名前が大好きなのに。ありがとう。ただ一言、それだけ伝えられれば、それ以上は望まないのに。


 子どもらしく感情任せで泣きながら、何度も何度もお願いした。連れて行ってほしい、会いに行きたい、お願いおばあちゃん一回だけでお終いにするから。


 大抵のことは、しょうがない子だねえ、なんて言いながら許してくれるおばあちゃんが、こればっかりは絶対に頷いてくれなかった。その意味を、幼い私は気づけなかった。

 こんなに綺麗になった。こんなに元気になった。綺麗でサラサラになった髪を、カモミールさんに撫でてほしい。綺麗にしてもらったから気づけた晴れた日の空と同じ色をした瞳を、バルトさんに見てほしい。お揃いだねって笑ってほしい、イルコって名前を呼んでほしい。あの日、言いそびれたごめんなさいとありがとうを、たくさん伝えたい。

 日に日に膨れ上がる望みは一つも叶わぬまま、時間だけが過ぎて行った。おばあちゃんに頼むのではなく、自分の足で会いに行こう、と私が考えるようになるくらい。


『おばあちゃんなんて大嫌い!』


 取り返しのつかない言葉をぶつけて、ムキになって、謝る機会を逃したまま逃げるように家を出た。

 国家魔導士を目指したのは、勤務先が王都だったから。仕事を口実に王都へ行ける。必死に勉強して、決死の訓練をこなして。そうして試験を口実に初めて行った王都で、長めに確保した滞在期間の残り全部を使って森へ通った。


「ダンテ坊や、そろそろ覚えないといけないよ。好意に自覚的であるだけじゃ、ダメなんだよ」

「シャーラ、俺が俺を好きになる日はこないよ。未練が多すぎる」


 ずっとずぅっと会いたかった私の神様。待ちわびた再会はしかし、思っていたほど劇的ではなかった。

 寝癖頭も気怠そうな雰囲気も同じなのに、見間違えるはずもない私の勇者様なのに。ダンテの目は深紅になっていて、そしてダンテは、独りぼっちになっていた。


「ごめんな、シャーラ。心配してくれてるのに、俺は安心させてやれない」


 ダンテがどうして変わってしまったのかわからなくて、言いたかったことの欠片も伝えられなくて。泣きそうになっていたら、森に入ってもいいと言ってくれた。ぶっきらぼうに優しくするところも同じで、結局はちょっぴり泣いてしまった私を見てダンテが乱暴に頭を撫でてくれたことを覚えている。

 ダンテがどうして変わってしまったのか、それは今でもわからないけれど。変わらないところだって確かにあって、だから私はダンテのそばにいたい。今はそれだけで、我慢する。


「ダンテ坊や……」

「それよりシャーラ、孫が人ん家の玄関を吹き飛ばすじゃじゃ馬に育ってるみたいなんだが、苦情は受け付けてもらえんのか?」


 空気を一変させるようなわざとらしい軽い口調は、ダンテが何かを誤魔化す時によくやる手だ。こうなったらもう、誰も話を蒸し返せない。話はお終い。


「……そうさねえ、本人はちゃんと謝ったかい?」

「反省はしてねえけど、俺が催促すれば一応」

「それは、悪い子だねえ」


 悪い子、という言葉で喉の奥から変な声が出た。


「~~っっおばあちゃんッッッッ!!」


 隠れていたことなんて忘れて部屋の中に飛び込んだ。


「おやおや、クロエ。夜更かしかい?」

「え、いやあの……」

「よお、クロエ。シャーラの説教は長ぇしおっかねえぞ」

「知ってるわよそれくらい!」


 ダンテと違って十年以上も面倒を見てもらってるんだ。怒ったおばあちゃんの怖さはダンテよりずっと知ってる。なんならもう泣きそうだもの。


「とりあえずお座り。まずは盗み聞きの件からだよ」

「ひぃっ」


 低くなったおばあちゃんの声だけで涙目だ。


「じゃあ、シャーラ。俺もう寝るわ。おやすみさん」

「はい、おやすみ」

「ま、待ってダンテ……」


 置いて行かないで、とべそをかく私に軽く手を振って、ダンテは無情にも部屋を出て行ってしまった。


「クロエ」

「……はい、おばあちゃん」


 反射的に、床に膝を揃えて座る。

 お茶のお代わりをカップに注いで一口。ゆっくりとしたおばあちゃんの動きに、ああ長くなるしめちゃめちゃ怖い奴だ、と顔から血の気が引いた。


 ダンテは結局、イルコって呼んでくれなかったな、なんて。拗ねた気持ちはおばあちゃんが三回目のおかわりをした辺りで掻き消えた。

 お説教は夜更けまで続き、私はフェル様が起きてきてもまだ、足が痺れて動けなかった。

 

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