05
トマトを収穫して帰宅する。
「フェルお待た――痛っっ!?」
玄関の扉を開けた瞬間、顔面に椅子が直撃した。
「ダンテ遅い!」
「はい、すんません……」
これでも急いで帰ってきたのだが、待ち遠しかったようでフェルの声は厳しい。
しかし、顔を上げ視界に飛び込んできたのは、俺の帰りを待ちわびたフェルの姿ではなかった。
「喧嘩すんなって言ったろ!?」
セツの足を噛んで翼を引っ張るフェルと、フェルの頭を噛んだセツ。思いきり喧嘩していた、ふざけんな。
「こら、離れろ!」
慌てて引き剥がし、双方の怪我の具合を確認する。セツはともかく、フェルはあちこち擦り傷だらけだ。急いで魔力を練る。
「ったく、何やってんだお前ら。先に手を出したのはどっちだ?」
「ガキんちょ」
「烏」
「よし、両成敗だな。二人とも、反省しろ」
嫌、という声は違わず重なった。
「ダンテ! 俺様はご褒美でダンテと一緒に寝るのにガキんちょが割り込もうとした!」
「ダンテ! 烏がダンテと一緒に寝るって自慢して、フェルはダメって除け者にした!」
「ッッッッンで俺のことで喧嘩してんだよ! 俺のために争うな!」
若い頃だってこんなセリフ吐いたことねえぞ。
「みんなで寝ればいいだろうが。セツが俺の右側、フェルが俺の左側! 半分こしろ半分こ!」
ぐぅ、と不満げに呻っている二人に頭痛がする。
「ダンテおじさんの体は一個しかねえの。それとも、俺の体を縦半分に切り分けるか?」
想像したのか、揃って肩を震わせた。千切れんばかりに首を横に振るので、勘弁してやることにする。
「はいはい、じゃあ仲直りな。昼飯にするぞ。セツ、魚は?」
「ダンテ、魚よりやばいのが来るぞ」
「は?」
「四方八方からお客さんだぞ、ダンテ。俺様ってば逃げ切れないかもしれねえ」
ガタガタと震えるセツに説明させるより先に、窓の外が騒がしくなる。嫌だなあ、と思いながらそっと外を覗き見て、げぇ、と呻いた。
先頭を飛ぶのは涙目のセツ。それを追うように駆けてくるのは、ドラゴン。神の寵愛を受けたとすら噂される、この世で最も美しいエンシェントドラゴンが疾走していた。
「ダンテちゃ~ん、ご無沙汰ね。私すごく、すごぉ~く寂しかったわ~」
「待て待て止まれディーナ!!」
フェルとセツの体を床に下ろし、飛び込んできた涙目のセツと入れ替わりで窓を飛び越え外に出る。
「ダンテお行儀――」
「言ってる場合か!」
魔力を練り、家と俺の間に結界を張る。大袈裟だろうが三重だ。
「止まれってんだよ!」
目前に迫った、止まってくれる気配のないディーナめがけて風魔法をぶん投げる。唸る風の塊がディーナの体を穿ち、弾けて散った欠片で畑が水浸しになった。
……俺の野菜たちには苦労を強いる。
「フェル、怪我してないか?」
窓に駆け寄り確認する。フェルはポカンと口を開け、目を丸くして呆然としていた。
「フェル?」
「ダンテ、ドラゴン殺した……?」
「あいつは強いからあの程度じゃ死なねえよ」
仮にも森の管理を任せている守護者の一角だ。殺すわけがないし死なれちゃ困る。
フェルの体をひっくり返したり腕を持ち上げたりしながら怪我の有無を確認し、大丈夫そうだと安堵していると、背後から声がかかった。
「ダンテちゃん、ひどいわ」
散った欠片が収束し、ドラゴンの姿に戻っていく。
ドラゴンであるにもかかわらず、肉体はスライムのそれに近い。物理攻撃では傷を負わない流水の肉体。水を司り、神の寵愛を受けた関係上、ドラゴンでありながら神聖属性魔法が使えるという特異性をもつ。ディーナが管理する森の東側にある湖の水は常に浄化されており、聖水となっている。
流水のように絶えず波紋を広げる特殊な表皮は濃淡すら変化する青。瞳だけが深い青で、瞬きはまるで波のように藍を染める。
「ごめんな、ディーナ」
睨みつけてくる視線にも、笑顔で応じ振り返る。川のせせらぎのような清涼な声とは裏腹に、このドラゴンはとんでもなく嫉妬深い。嫉妬の炎は文字通りその身を焦がし、水面の鱗は沸騰し、波の瞼は蒸発する。
「久し振りなのよ? 抱き止めてほしかったわ」
「ごめんな。ディーナにはつい甘えて、寂しい思いをさせたな」
この嫉妬心を母性によるものだと言い張り、俺に甘言を吐かせる。まったく度し難い。
「ダンテちゃんのために美味しいお魚を持ってきたし、お小遣いもたくさん持ってきたのよ。そんな私に乱暴して、謝罪の前にフェルちゃんの心配するなんて、嫉妬しちゃうわ」
「ごめんな、ディーナ。ディーナは強さに甘えた。言い忘れてたけど、相変わらず綺麗だな、ディーナ」
褒め殺しは、ディーナには抜群に効く。
「まあ! 嬉しいわ」
案の定。
声が弾んだ、と思った時にはもう、俺の体は濡れていた。
ディーナの愛情表現は激しい。まず俺の体を咥え、水塊の牙で甘噛みする。とはいっても相手はドラゴン、一噛み一噛みが致命傷だ。その後は丸呑みされ、海の体内を泳ぐことになる。もちろん呼吸などできず、尻尾の先から放り出されるまで息を止めて耐えねばならない。最後は熱い抱擁だ。加減はしているのだろうが、地力の差で文字通りぺちゃんこにされる。魂の制限を解いた後でよかった。
封じたままでは、数えるのがバカらしくなる程度には死んでいる。だから会いに行かなかった。俺の力を制限した状態では、ディーナの愛撫に耐えられない。
「……気は済んだか?」
「ええ、大満足よ。ダンテちゃんは相変わらず頑丈ね。ママ、とっても嬉しいわ!」
「……そうだな」
頑丈さで乗り切れるような甘いものではなかったが、疲労で返事はおざなりになった。お前は俺のママじゃねえだろ、なんて言うことすらしんどくて聞き流す。
「ディーナに喜んでもらえて、俺も嬉しいよ」
呼吸を整えついでにずぶ濡れの体を火魔法で乾かす。ディーナはすっかりご機嫌だ。
「可愛いダンテちゃんに、ママからのプレゼントよ」
ディーナの体内を泳ぎ回っていた魚が吐き出される。俺の攻撃とディーナの愛撫にも耐え抜いた、活きの良い魚だ。しかし、鱗はなぜかくすんだ緑色をしているしサイズもやたらデカい。……何だこの魚?
昔から何を食っても腹を壊さないせいで、魚の種類や見分け方はちっとも覚えない。毒があっても感電しても平気だから、覚える必要もないんだが。……フェルも強靭な腹をしているから、まあ大丈夫だろう。
「ディーナ、小遣いもくれると助かる」
シン、と空気が凪いだ。鱗の一枚も波を立てず、タイミングを誤ったかと俺の心ばかりが荒れ狂う。じぃっとこちらを見つめるディーナの双眸を折れそうな心でなんとか見据え、どれだけそうしていたか。
「いいわよ~! ママ、欲しいだけあげちゃう!」
ディーナはきゃあっと可愛い子ぶった声をあげながら、体内から金貨の入った袋も吐き出した。
ディーナには森の東側と俺の財産の管理を任せている。もともと財宝を守護するドラゴンだったこともあり、森へ移住する際あっさり承諾してくれた。
湖の底に沈めてある財宝は全て俺の財産なのだが、管理する側としては無駄遣い厳禁ということらしい。ママ、を自称していることも手伝って、お小遣いという名の申請制になっている。実際、機嫌が悪いと銅貨一枚もらえないのだ。
「魔王ごっこしてる子を殺しに行くんでしょう? フェルちゃんも連れて行くの?」
「ああ、だから食費が多めにいる。そうそう、森への魔力供給は継続するから安心しろ」
森と俺は細い糸のような魔力で繋がりを結んであり、それを通して魔素を供給している。
「フェルちゃんにはとことん甘いわね、ダンテちゃん。嫉妬しちゃうわ」
「そう言うなよ。ディーナのことも愛してるぜ」
袋の中の金貨を数えながらの会話は上の空で、気づいたディーナの声が尖った。
「もう! 私はダンテちゃんの一番になりたいのよ!!」
ちゃんと聞いて、とディーナが腕を振る。うねる波に金貨を攫われるわけにもいかず、溜め息を飲み込んで俺も腕を振った。押し負けたディーナの腕が弾け、ちょっとした雨が降る。
「ディーナ、前にも言ったろ。俺の一番はやれない。でも、ドラゴン種の中じゃお前が一番美しいと思ってる。それで満足してくれ」
しゅん、とうつむくディーナの口元を撫でてやる。
「……本当に、私が一番? 一番綺麗?」
「ディーナが一番、綺麗で美しいドラゴンだ」
「……旅先でもっと綺麗なドラゴンに会うかもしれないわ」
「でも、ディーナ以外のドラゴンに俺の財産を任せようなんて思わねえよ。俺の湖はディーナにしかあげない」
ディーナだけ、と念を押す。
「わ、わかった。今の言葉で、満足してあげる」
触れている鱗がじわじわと熱を帯びていく。照れているらしい。
「ありがとう、ディーナ」
小遣いを担ぎ上げ、水浸しになった周辺を元に戻す。魚も回収し、帰ろうと一歩踏み出して、玉の話をしていなかったことを思い出した。
「なあ、ディーナの玉だけど――」
振り返った先、ディーナが自分の腹に頭を突っ込んでいた。火照った顔を冷やしているつもりなのだろうが、尻尾の先までぼこぼこ沸騰している。
「あー……気をつけて帰れよ」
見なかったことにしよう。
◇
この魚は何なのか、本当に食えるのか。
セツも交え、三人で知恵を出し合うが、誰も正解を知らないので話し合いは難航した。最終的に腹を壊したら俺が回復魔法をかける、という強引な解決案を打ち出して昼飯となった。
玉の話はできずに終わったが、そのためだけにディーナを訪ねて行きたくないので、無視して勝手に壊した。というか、なんだかどっと疲れたこともあって残った守護者の玉三つ、面倒になってまとめて壊した。……事後報告でも構わんだろう。
「セツ、四方八方からの客って言ってたよな」
「おう、今も向かってきてるぞ」
「遅くねえか?」
「西の嬢ちゃんは魔樹を燃やしては治してってちんたらやってるからな。姫ちゃんは眷属食うのに忙しい」
「……あ、そう」
だから、大切な戦力である眷属を食うのはやめてくれ。
「フェル、昼飯遅くなってごめんな」
「トマト美味しいからいい」
魚はトマト煮にして味が悪くても誤魔化そうと思ったのだが、トマトはフェルの総取りという約束だったために、俺のはただの塩焼きだ。ちなみにセツは俺の道連れで同じく塩焼きだ。普通に美味い魚だったおかげで助かった。
「あ、ダンテダンテ、姫ちゃん来たぞ」
「姫ちゃん!」
俺の代わりに返事をしたフェルが残りを掻き込み、ご馳走様、と手を合わせるなり外へ飛び出して行った。慌てて俺も後を追う。
「あらあら、ダンテちゃんじゃない。お久し振りね~」
のんびりした調子で笑うのは巨大な蜘蛛。透き通るような赤色の体と細長い八本の脚が麗しい、紅洞蜘蛛という種類の魔蟲だ。二列に並んだ九つの目だけは色濃い赤で、これはフェルが自分とお揃いだと気に入っている。……紅洞蜘蛛は肉食で、特に子どもの肉が好物なのだが、これは言ってない。俺の森に住む蜘蛛たちは子どもを食べないし、姫ちゃんはお上品な蜘蛛なので言わなくても大丈夫だと判断した。決して、フェルがあんまり懐くから言い出すタイミングを逃したとかではない、と自分に言い訳する。上顎から伸びる立派な牙も、ここで生きる蜘蛛たちにとっては飾りのようなものだ。
「よお、姫ちゃん。今日も可愛いな」
「まあ、お上手ね。今日はフェル様も一緒なのね、嬉しいわ」
「姫ちゃんこんにちは!」
フェルは姫ちゃんの元へ駆け寄り頭胸部に抱き着いた。
「今日もお目目綺麗」
「ありがとう、フェル様」
姫ちゃんは器用に鋏角でフェルの体を抱きしめている。
「ダンテちゃん、忙しいでしょうけどお話いいかしら?」
「もちろん。姫ちゃんにはよろしくお願いしないといけないことがあるんで、お話くらいいくらでも」
「あら~苦労が絶えないわね、ダンテちゃん」
ギジャギジャ、と独特の声で姫ちゃんが笑う。
「北側のことなら私に任せなさい。大丈夫よ」
「助かるよ、姫ちゃん」
姫ちゃんには森の北側の管理を任せている。彼女は子沢山だし、眷属も多い。夜目も利く。食欲旺盛な子も多いから、うっかり俺が見逃した侵入者なんかも確実に捕らえてくれる。まあ、よほどのことがない限り、北側への侵入者は骨も残さず行方不明になるのだが。
「ところで魔王の討伐、本当に行くのかしら?」
「行く! フェルも一緒に行くの!」
「まあまあ、そうなのね」
「ダサンテだからフェルが一緒にいてあげないとダメダメなの!」
ダサいダンテだから、ダサンテ。普通に傷つく。ご機嫌に言い放たれると余計に傷つく。姫ちゃんが否定してくれないことも手伝って、ダメージは倍だ。
「あらあら、ダンテちゃんはフェル様がいないとダメダメね~」
「ダメダメね~」
否定はしないが、あんまり言うなよ傷つくから。
「ダンテちゃん、何かあったら遠慮なく言ってね。私、頑張っちゃうわよ~」
「あ、ああ頼りにしてるよ、姫ちゃん」
ガチガチと牙を打ち鳴らすその姿は捕食者のそれだ。フェルを抱いているという状況がもう、捕食直前の様子にしか見えない。お、おっかねえ……。
ぶるり、と身を震わせた俺には気づかず、姫ちゃんはのんきに笑っている。
「姫ちゃん、眷属を食ってるって聞いたけど、やめてね大事な戦力だから」
「意気地なしのダンテちゃんがうじうじ魔王の件を後回しにして気を揉ませた挙句、結局は私に何の相談もなしに勝手に森を出るって決めちゃったから、つい。玉も勝手に壊しちゃったみたいだし。水臭いじゃな~い?」
「……はい、すみません」
相当お冠らしい。どうせ本物の魔王じゃないんだからさっさと首でも胴でもぶった斬って終わらせて来い、と。顔を見なくても姫ちゃんの言いそうなことくらいわかる。意気地がなくて後回しにしたことを否定できない分、姫ちゃんの怒りは効果を増す。
母親、という立場を最初に宣言したのは姫ちゃんだ。ディーナはそれに対抗して真似しているだけに過ぎない。
既に数えきれないほど立派な子どもがたくさんいるのに、どうして俺みたいなでっかい息子が欲しいのかさっぱりわからん。
「外に出るなら必要なものがあるでしょうに、真っ先に連絡が来ると思っていたんだけど」
姫ちゃんは抱きしめるフェルの体をズラし、視界を塞いだ。空いた鋏角で九つの瞳の一つ、端にある深紅を抉り取る。
「はい、ダンテちゃん」
「姫ちゃん、これは――」
「持って行きなさい。必要になるかどうかは、その時に決めればいいのよ」
有無を言わせないその言葉に、俺は頷くしかなくて。それ以上は何も言わずに受け取った。
姫ちゃんによろしくお願いすること。本来は八つの瞳に加え隠した、フェルの玉をより厳重に保管してほしい。先回りされてしまった。
まったく敵わない。母親を自称するだけあって、息子の考えはお見通しということだろうか。
「じゃあ姫ちゃん、今度は美味いもんでも持って俺から遊びに行くよ」
「赤様がいいわ~」
「こ、子狐とかな~……」
赤ん坊なんてどうやって調達するんだよ。……手段がわかっても、まあ、実行しねえけど。倫理観の差がたまに俺の精神にダメージ与えてくるんだよなあ。
「姫ちゃん帰るの?」
「ご用が終わったから、お仕事しないとね」
「むぅ……」
名残惜しそうに姫ちゃんにしがみつくフェルを引き剥がす。
「姫ちゃん困らせる悪い子はだ~れだ」
「フェル良い子! 姫ちゃんバイバイ、またね!」
「はい、またね。フェル様はお利口さんね~」
フェルの頭と、ついでに俺の頭もぐしゃぐしゃと撫でまわして、姫ちゃんは帰って行った。
「ダンテ、みんなダンテ好き」
「……ありがたいことにな」
そっと息を吐く。
弱体化を言い訳に距離を置いていた連中は、もう黙って放っておかれてはくれない。構ってほしいのはみんな同じだ。
魔王を倒したその後に、また力を制限すると言ったとして、果たしてどれだけが賛同してくれるだろうか。気が重い。
◇
夜、ふと目を覚ますと体を横たえていたのは冷たい床だった。ベッドで寝ているのは足だけだ。
ベッドの上では、手足を投げ出しているフェルが寝息を立て、野生を忘れたセツの翼を毛布替わりにしていた。毛布はセツが独占している。
「何でだよ……」
俺を取り合って喧嘩したくせに、肝心の俺を蹴落としてどうする。半分こどころか邪魔者じゃねえか。
「ぎゃ、ダンテ……客だぞ」
もにょもにょと覚束ない声でセツが身じろいだ。
「いいから寝てろ」
頭を撫でてやると、嬉しそうに鳴いてすぐに寝息を立て始めた。
フェルにも毛布を掛けてやる。
欠伸をこぼし、外に出ると、地鳴りのような足音が迫ってきた。
「ダァアアアンンンテェエエエエッ!!」
どいつもこいつも、どうして俺に抱き止めてもらいたがるのか、とぼんやり考えながら両手を広げる。木々を薙ぎ倒し、魔樹を踏みつけながら俺の胸に飛び込んできたのは、巨大な虎だ。
「だんふべぶっ!」
「……ぶっさいくな声だな、か子」
火虎。燃え立つ炎のように揺らめく毛皮は真白で、瞳は濃淡を変える炎が灯っている。しかしその目からは絶えず大粒の涙があふれ、流れる先から蒸発して、じゅうじゅうという音が止まない。
「か子~お前、何でこっちに来たんだよ」
名を呼んでも体を揺すっても返事はなく、鼻をすする音ばかりが返って来る。
燃え移った火が魔樹まで焼いているのを見て、深々と溜め息を吐き出す。
受け止めた巨体を担ぎ上げる。これ以上の被害が出ないよう結界を張って、か子の住処へ向けて歩き出す。こいつ担ぐと俺の上体がすっぽり埋もれて、足の生えた毛玉に見えるから嫌なんだよなぁ……。
か子が通った道を戻りながら時空魔法で火を消し被害をなかったことにする。おいおいと樹液の涙を流す魔樹たちが足に縋りついて進みにくい。適当に蹴散らす。
「か子、住処から出るなら首輪つけろって言ったろ」
常に燃えているか子の体では移動するだけでも被害甚大だ。移動の際は結界を展開する俺お手製の首輪をつけるという決め事を、こいつはなかなか守らない。
「だって、だってぇ……」
「だってじゃない」
「だってダンテ、あたしより先にディーナのとこ行ったってセツが言ってたんだもん」
俺から行ったわけじゃない。あいつが勝手に来たんだ。
か子は極度の寂しがり屋で甘えん坊で臆病で怖がりだ。それだけでも面倒くさいのに、こいつは涙腺がぶっ壊れていて嬉しくても泣き、悲しくても泣き、怒っても泣く。
「十年も放っておかれて、あたし寂しい」
「だってお前もディーナも愛情表現が過激なんだもん。魂は封印するって話したろ? 俺、死んじゃうよ」
「うぅ……それでも会いに来てほしい」
無茶言うな。
顔を顰めたとわかったのだろう、か子が体を丸め俺の頭にかぶりつく。不満があるといつもこれだ。加減をしないので、やはり制限のある状態では会いに行けない。
か子の住処は森の西側にある洞穴だ。か子のために俺がつくった。家を建てるのに木を伐採したついでに、その場を住処として整え、管理も任せた。
「フェルちゃんを優先するのは我慢するから、ディーナよりはあたしを優先してほしい」
「契約したのはお前のが先」
「そんなのじゃ嫌、寂しい」
ぎゅう、としがみつかれ、骨が軋んだ。
「ん~……あ、抱っこはお前だけ」
姫ちゃんはそんなこと求めないし、ディーナは俺でも抱えるのは苦労する。セツは……例外だろう、雄だし。フェルは特別枠だ。
「本当? 私だけ?」
「か子だけだよ」
途端に猫撫で声を出すか子が上機嫌に喉を鳴らした。
「じゃあ、寂しくにゃい」
「はいはい、可愛い可愛い」
洞穴の最奥にある寝床まで運んで、か子はようやく大人しくなった。
「じゃあ俺、帰るぞ」
「待って待って、ダンテ。これ、返しとくね」
か子が差し出したのは、腕輪だった。召喚の腕輪。契約した相手を、魔力を消費して呼び出すための魔法具。箱にないと思ったら……どいつもこいつも、先回りしてくる。
「森の外に出るなら必要でしょう?」
「……要らねえよ」
俺の悪夢に、付き合わなくていい。
「にゃぱぱ、ダメだよ。ダンテ優しいから、すぐ無茶しちゃうでしょ。楽をすることも覚えなくちゃ。でないと、森を飛び出して追いかけてっちゃうんだから」
付き合いはセツより長い。俺が初めて契約を結んで、初めて愛した魔獣。一番ズタボロだった頃を知っている、数少ない相手。それがか子だ。
「わかったよ。お前には俺の世界を守ってもらわないと困るし」
「にゃぱぱ。お留守番は任せてにゃん」
「ああ、頼む」
腕輪を受け取り踵を返した俺の背に、か子が問う。
「ダンテダンテ、ダンテ今は寂しくない?」
寂しい、と。そんなことを思った日はない。これまでの人生、全部。寂しさとは縁遠い……そんな余裕ある日々はなかった。
寂しくない、と返すと、か子は嬉しそうに目を細めた。
「ダンテはあたしたちがみんなで頑張って殺しても死なないけど、放っておいたら一人ぼっちで死んじゃいそうだったもんね。でも寂しくないなら、もう大丈夫だね」
「……そう、か」
そうだったかもしれない。
あのまま一人でいたら、独りで生きていたら。
「お前らがそばにいてくれるから、寂しくねえよ」
「にゃぱぱ」
振り返り、大きな額を撫でてやる。
「じゃあ、また来るから。良い子でいろよ」
「うん、また遊んでね」
待ってる、と微笑むか子は相変わらず泣いていたが、寂しいとは言わなかった。俺が決定を覆さないと知っている。止めても無駄だと知っている。
まったく、ままならない。
待っている、その一言がこんなにも心強いのだと、かつての俺に教えてやりたいものだ。