03
馬車から降りたのは王だけだった。奥にまだ一人いるようだったが降りてくる様子はなく、ラインハルトも王が降りたらすぐに扉を閉めてしまった。
「陛下、森に踏み込むのは危険です」
小賢しい罠を仕掛けております、なんて恨めしげに警告しているラインハルトに舌打つ。
まるでこの森が開かれた場所のように言いやがる。俺の世界に立ち入るつもりなら、まずはお邪魔しますって挨拶からだろう。フェルだって各種挨拶はきちんとできるんだぞ。
「もう帰れよお前ら。この森は私有地です、押し売りお断り」
「不愉快な男だな、ダンテ」
帰る気はないらしい。何を押し売るつもりだ。
「余は忙しい。ダンテよ、魔王の討伐の依頼を受けよ」
挨拶代わりに文句を吐いて、前置きもなし。己を上位者だと信じて疑わない声で厳かに下される命令に、背中を不快感が這いずり回った。
「やだよ、めんどくせぇ」
「貴様――」
「だって俺もうおっさんだし。最近、筋肉痛が遅れてくるんだよなあ」
あくまで軽薄に、気怠げに。真剣に取り合ったりしない。真面目に応じたりしない。
「王の御前だぞ、控えろ雑種!」
「その雑種頼みなんだろお前ら。てめえこそ控えろよ犬」
しまった、つい。ラインハルトが相手だとどうしても噛みついてしまう。
「俺みたいな搾りかす頼ってねえで、まずは自分らで頑張ってみろよ。魔王ったって、どうせ俺が斬った奴よか弱ぇんだろ」
「聖剣頼みの雑種が図に乗るなよ」
「じゃあその聖剣を貸してくださいって頭の一つでも下げて見せろよ。でなきゃ俺をぶっ殺して奪って行け」
まあ、俺が死んだら聖剣は消滅するんだけど。
俺の態度に眉間のしわを深くして、王が声を尖らせる。
「ダンテよ、これは王命である」
「王様よ、ここは俺の世界だ」
いつまで俺を自国民だと勘違いしているつもりだ。俺はお前らの世界の外にいる。俺に命令できるのは俺だけだ。
「逆らうか」
「従う義理がねえ」
お願いしたきゃてめえが俺の前に跪け。おねだりしたきゃてめえが俺の元に下れ。
「勘違いすんなよ王様よ。お願いしますって頭下げるのが道理だ。臣下に命令してんのとはわけが違うんだよ」
「貴様、ふざけるのも大概にしろ!」
「大真面目だっての。まあ、頭下げても聞いてやる気はねえから、茶番もいいとこだけ、ど……な」
「ダンテ、」
深々と頭を下げるその姿に、喉が締まった。
「頼む。魔王を討ってくれ」
悲鳴のようなラインハルトの制止の声にも応じず、王は折った腰を戻さない。
乾いた笑みがこぼれる。
「は、はは……ありえねえ、お前ら本当……帰れ」
瞼の裏に広がる光景に、胃が引っくり返ったような嘔吐感に苛まれる。まただ、また悪夢。制止する臣下を振り切って頭を下げた王。賢王と名高かったかつての王と同じ血を引くこの男もまた、きっと賢い王なのだろうと予想はつく。
しかしやはり、俺にとってその光景が悪夢だと、思い至ってはくれない。いよいよ嫌がらせじみてきた。
「ダンテ、」
「やだよ、めんどくせぇ」
指先が冷える。背筋を伝う汗が気持ち悪い。
「だ――貴様、いつまでふざけているつもりだ!」
「ふざけてねえって、ラインハルト。大真面目にお断りしてんだ、俺は」
俺はもう、お前らのために悪夢を見たりしない。生きているのか死んでいるのかわからない、そんな日々は過ごさない。生きたいのか死にたいのかわからない、そんな毎日は繰り返さない。
「大好きな女神様に祈って救ってもらえよ、俺を巻き込むなよ。そのために俺はこの森に引きこもってるんだ。知らねえよ、お前らの世界なんて」
帰ってくれ、頼むから。声は消え入りそうなか細さでかすれた。
口元を押さえてうずくまる俺に、ラインハルトの声が突き刺さる。
「貴様はこの国の領地を略奪した罪人だ。脅し盗った土地で踏ん反り返ったところで、王にはなれぬ」
「ああ、そう。俺ってそういう扱いなのか」
だからどいつもこいつも、簡単に俺の森を訪ねてくるのか。取り返せないだけで、土地の所有権は変わらず国にある、と。そういう認識で、だから俺に気を遣う必要も不干渉の約束も守る必要はない、と。
「罪人に頭を下げてまで世界を救おうってか。崇高な心だな、王様。でも俺は生憎、崇高さとか美徳とは無縁だ。魔王退治は自分らで頑張れ」
魔力を練る。ラインハルトが何か言う前に、顔を上げた王が何か言う前に。ありったけの魔力を込めて「黄金の林檎」を発動する。
「もう来ないでくれ」
結界の一部を歪めて、ラインハルトたちの視界に影響を及ぼす。効果は些細なもので、俺の姿が見えなくなる。それから、国境の向こう側の声がこちらに届かないように遮断する。
……もう無理、限界。
せっかく食べた朝飯も昼飯の全部、なかったことにして。俺が立ち上がれたのは、通りがかった蜜柑の樹に肩を叩かれてからだった。
「ダンテ、ダンテ大丈夫かい?」
「大丈夫じゃない」
「おやおや、おばあちゃんが家まで運んであげようね」
お願いします、と言おうとしてまた吐き気に襲われた。とっさに口を押えて耐えていると、その隙にさっさと抱き上げられてしまう。体を持ち上げられる浮遊感にはなんとか耐え、家まで蜜柑の樹に身を委ねた。
◇
魔法で眠らされた、と気づいたフェルは、それはそれは怒り狂った。
手近なものを手当たりしだいに掴んでは投げ、投げるものがなくなれば容赦なく魔法をぶつけてきた。おかげで家の中はぐちゃぐちゃだ。屋根の一部が吹き飛び、床は抉れ地面が露出している。
「ダンテ嫌いっ!」
「うん、ごめんな。俺が悪かった」
胃が空になった俺はもうフラフラで、弾けた腕や千切れた耳の回復に魔力を使ったこともあり、立っていられず地面に座り込んでいる。弱り切った俺をそれでも許さず、フェルはカンカンだ。
「フェル眠くなかった!」
「うん、知ってた。ごめんな」
「フェル寝たくないって言った!」
「うん、聞いてた。ごめんな」
やばい、目が霞んできた。「黄金の林檎」を使い過ぎた反動はやはりきつい。
「ダンテ嫌い! 何で意地悪するの!」
「ごめんな、フェル」
意地悪するつもりはなかったんだけど。言い切る前に、フェルが腕を振った。――ああ、やばい。
ゴキリ、と当たった肩から嫌な音がした。避ける体力も残ってなかった。まあ、避ける気もなかったが。それよりも、やばい。もう回復するだけの魔力が残ってない。これ以上は、森の結界が薄まってしまう。
くっそ痛ぇ……。どうしよう、これ。
「ごめん、フェル。ほんのちょっとだけ待って」
痛みでうまく笑えない。
部屋の隅で玉の入った袋を守っていたセツが、慌てて飛び寄り魔力を練った。
「フェル、ちょっと待ってな。大丈夫だから」
肩の痛みが消える。ホッと息を吐いて顔を上げると、フェルが真っ青になっていた。
「ダンテ……何で、」
冷静になり、状況を理解したフェルの声が震えた。
無尽蔵の魔力、頑丈さだけが取り柄の肉体。フェルは俺のことを知っている。けれど、俺が魂を削って封じていることまでは知らない。絶対に言わないつもりだった。
肉体は魂の器だ。肉体だけでは生きていけない。魂は全ての原動力だ。その魂を削ったせいで、人間の規格を外れた俺の肉体を俺自身が持て余している。不足した魂に過剰な肉体。あふれこぼれるほどの魔力を逃がすために行使している魔法はどれも複雑で、ぶっちゃけ俺が自由に行使できる余剰魔力はそう多くない。それでも日常生活でちょっとした魔法を行使するだけなら何も問題はなかった。
「何で、ダンテ……」
俺が死なないと思っていたから、フェルは遠慮なく俺を攻撃したのだろう。この十年、ずっとそうしてきた。
「今日はちょっと疲れたんだ。俺ここ最近、寝不足だし」
「で、でもダンテ……」
今日のように「黄金の林檎」を使いまくると、割ける魔力が足りなくなって回復魔法も時空魔法も使えなくなる。時空魔法は元々、無理矢理に行使しているから頻発できない。フェルが言うこと聞いて待ってくれなかったら、やばかった。
「もう大丈夫だから」
黙っていても問題ないと思っていたから言わなかった。ちゃんと誤魔化せるはずだった。
まさかこんなに早く魔王が現れて、その討伐依頼が俺にくるなんて予想もしない。油断した。フェルにこんなマヌケをさらす予定はなかったんだ。
「ダンテ何で回復しないの!」
「言ったろ。今日はちょっと疲れてて、魔力練るのしんどいんだよ」
「嘘! ダンテは疲れない! 何で嘘吐くの!」
「嘘は吐いてない。俺だって疲れる。ただちょっと……フェルに言うの忘れてた」
「ダンテ大馬鹿者! 死んだらどうするの!」
「年取ると物忘れ激しくなるんだよ。俺が悪かった。生きてるから許して?」
「ちゃんと覚えてて!!」
「はい、約束します。ごめんなさい」
頭を下げる。
疲労していることを伝え忘れた。強引だが、話題をすり替えることに成功したらしい。素直な子に育ってくれて嬉しいよ、まったく。
不満げに俺の背をつつくセツは、撫でてやることで誤魔化して言葉を塞ぐ。
「ダンテ、どうしたら疲れない?」
急に声を落としたフェルに思わずセツを撫でる手がブレた。弾かれたようにセツが声を張り上げる。
「ダンテ! 玉壊せよ玉! 魂を削るなんて毒ばっかりだ、体に悪いんだぜ!」
「セツ! お前はほんっっとにもう! 言うなってんだよ反省してこい!」
嘴を掴んで窓の外へ放り出す。
「フェル今のは――っっっ!」
部屋の空気が凍りつくほど冷え切っていく。光を失ったフェルの双眸に射抜かれ、俺はしずしずと平身低頭した。
「ダンテ」
「はい、すんません」
「フェル知らない。魂のこと、フェルに言うの忘れてた?」
「はい、すんません」
黙って、フェルは部屋の隅に放置されていた玉の入った袋を引きずってくる。
「ダンテ、魂は駄目。危ない」
いや、でも、だって。
拒絶は許されず、言い訳も塞がれ、言い逃れなどできるはずもなく。
「ダンテ、反省して」
「……はい、すみません」
声も荒げず、手も出さず、静かに静かに怒るフェルは、とても恐ろしかった。
◇
目の前に広がる満点の星空のような空間に、俺は迷いなくブチ切れた。
「やっぱり来やがったなくそったれ女神っ!!」
結局フェルは玉を三つとも破壊するまで許してくれず、他に言い忘れたことはないかと詰問された。すっかり忘れていた満ち満ちていく力に眩暈がして、十年振りに満たされた肉体は反動で軋み、我慢して帰宅したのが嘘みたいにあっさり吐いた。俺に中てられて、フェルもちょっと吐いた。夕飯ではまたフェルにトマトを食われ、寝るまでずっと胡乱な目をやめてもらえず、ぐったりだ。
それもあって俺は今、ものすごく機嫌が悪い。
手近な星を鷲掴んでは手あたり次第に投げまくると、一つが何かにあたって跳ね返った。そこへ向かって駆け腕をぶん回して殴りつける。――当たった!
「痛い痛い暴力反対っ!」
溶けだすように人の形をとった夜空がしくしく泣く。
星を散らした輝く夜空を思わせる髪は腰まで流れ、角度によって金にも銀にも見える月の瞳は涙で潤んでいる。
「ひどい、私自ら直々にお願いしてあげようとわざわざ夢の中に降臨してあげたのにしくしくしく……」
十年振りに肉体に戻ってきた魂は思ったよりしっくりきてしまった。そのせいで、これまで必死に保ってきた森の結界が揺らいだ。全盛期、完成した俺の力が満ちたせいでびっくりした魂の器と同様に、結界もびっくりした。
俺を監視しているはずの女神が、その揺らぎを見過ごすはずがない。案の定、こいつは強引に夢の中へ割り込んできた。
「目線が上から過ぎんだよくそばばあ。どうせ嘘泣きだろ」
「誰がくそばばあよ女神様に向かって! くそも許さないしばばあはもっと許さないわよ!」
ほら見ろ、嘘泣きじゃねえか。
「生意気よあんた! 女神様なのよ私! もっと喜びなさいよ!」
「迷惑しか被ってねえんだよ。お前の顔見たって腹立つばっかだっつの」
「女神の試練はありがたいものなのよ!」
「お前の責任転嫁を一々ありがたがっていられるかよ」
そうでなくても嫌がらせか八つ当たりでしかないのだ。
女神ユースレアティスト。星空と正義を司り、星の乙女などと呼ばれているらしい。美しいものを愛し、堕落や悪意を嫌い、争いをやめない人々への失望の涙は天から降る雨となる。人々は雨上がりの空に架かる橋を見て、女神が悲しんでいる、と手にした武器を置くという。
「それよりお前、何しに来たんだよ」
「はあ!? あんたが魔王の討伐に行かないし聖剣も返さないって駄々こねてるって私の可愛い信者たちが泣いてるのよ!」
駄々、ねえ。言ってくれる。
「聖剣でないと魔王を斬れないとかまた適当なこと言ったんだろ、どうせ」
愛する信者たちに犠牲を強いるくらいなら、元勇者の俺を再び勇者に選定してしまおう、と。そういう魂胆なのだろう。いつものことだ。一を殺して万を救う。最大多数の幸福のための尊い子羊。勇者というのはいつだって、正義のための犠牲だ。
務めを果たした後に与えられる栄誉と特別なお礼だけで、それまでの傷は癒され心は満たされると信じている。人を馬鹿にするのも大概にしやがれ。
「無垢な魂、純真な心。お前の好きな美しさは俺にはもうねえだろ」
「魂は腐り、心は濁った。でも、あなたは変わらず誇り高い。私の愛する美徳だわ」
絶世と謳われる女神の微笑みも、俺が相手では効果なし。むしろ綺麗な分だけ腹が立つ。これをありがたがる人間の気が知れない。
「ねえ、お願いよ。今度は昔よりずっと無茶なお願いだって叶えてあげるわ。だから私の愛しい世界のために、魔王を斬ってちょうだい」
あなたにしか頼めないの、と。頬を撫でる手を弾く。しかしめげずに女神は俺の背後に回って身を寄せる。
「あなたと聖剣があれば斬れない邪悪はないの。今のあなたなら苦もないでしょう? 人の領域を超えた肉体と魂を持ち、希望を根源に持つ勇者様。私のために、どうか正義を果たして」
女神の定める正義、女神が拒絶する悪。
下す裁きは女神に基づき、赦しは女神の慈悲に基づく。
冗談じゃない。
「俺、お前のこと嫌いなんだよ」
「な、何よ急に」
女神の体が離れる。
「俺の夢の中にいるくせに、主導権が自分にあると思ってる傲慢さとか。自分の美貌を絶対だと思ってるとことか。魔王を相手にするのに、全を救おうとする強欲さとか」
魔力を練る。俺の世界というなら夢の中だってそうだ。
夢の主人はあくまでも俺、俺の領域であるならば、「黄金の林檎」は問題なく発動する。魂が戻ったことで、行使するリスクは消失した。あり余る魔力も今なら難なく掌握できる。遠慮は要らない。
俺が何をするのか理解したのだろう。夜空に暗雲が立ち込めた。
「あんたはいつもそうして私を拒む」
「お前の愛も大概、盲目だな。押しつけが過ぎると嫌われるぜ。まずは、相手の気持ちを思いやることから始めろよ」
「意味がわかんない! 私はあんたを――」
「死ね」
星が落ちる。夜が白み、空間が晴れていく。
「わからず屋……」
拗ねた子どものような呟きを残して、女神は薄れて朝日に溶けて消えた。
◇
ハッとして飛び起きる。
痛いくらい鼓動する心臓の音がうるさい。じっとりと汗ばんだ体が気持ち悪い。冷え切った指がきつくシーツを握り込んで、手のひらに爪が食い込んでいた。
……勘弁してくれ。
光の差し込まない窓が、まだ夜だと囁く。今、目を閉じたらまた夢を見そうで。深く息を吐きだして、両手で顔を覆う。
しっかりしろ、大丈夫だ。覚悟していたことだったろう。
大丈夫、大丈夫。口の中で呟いて、ふと視線を感じて弾かれたように気配をたどる。
「フェル……?」
暗がりの中でぼんやり浮かぶ深紅。フェルが、俺を見ていた。
「どうした? 目が覚めたのか?」
「ダンテ、」
切ない声にとっさに腕を伸ばす。フェルは迷わず飛び込んできた。抱き上げ腿に座らせる。
「ダンテ、怒ってた」
――ああ、そうか。
夢の中とはいえ魔法を使ったから、フェルも気づいたのだろう。
「あー……ちょっと怖い夢を、な。びっくりしたよな、ごめんな」
俺の胸に頭をぐりぐりと押しつけるフェルが、弱々しい声で名を呼んだ。
「ダンテ、どうしたら寝れる?」
「ね、……寝てるぞ、俺。ちょっと夜更かししてるから寝不足なだけで。知ってんだろ、最近はよく昼まで寝てる」
「フェル知ってる。ダンテ、朝にならないと寝ない」
「……」
どんなに逃げても、どこまで逃げても、あいつは俺を手離さない。悪夢を生き抜いた便利な駒。使い道がある限り、女神は俺を見逃さない。
現れるなら夢の中だとわかっていた。いくら俺が魂を削って弱体化していても、女神が俺の森に現界することは許さない。だから来るなら夜、俺が眠っている時間に。わかっていても、頭で理解できても、どうしても眠れなかった。
あいつは俺の悪夢の原因で、俺はいまだ悪夢の振り払い方を知らない。耳の奥にこびりついた悲鳴はずっと続いているし、瞼の裏に焼き付いた赤は鮮烈なままだ。女神の姿を見れば、声を聞けば、悪夢はより鮮明になるから。
眠るとあいつがやって来る。目を閉じることすら恐ろしくて、朝日が差し込むまで震えていた。
今夜はそんな生活に肉体が限界を迎え、気絶するように意識が沈んだに過ぎない。女神は待ち構えていたのだ。俺が夜、眠るのを。
「いいよ、ダンテ」
優しい、優しいその声に、背筋が凍る。
「魔王を、殺しに行っていいよ」
――頼むから、
そんなことをお前に、言わせたくなくて頑張っていたはずなのに。俺の臆病が結局、フェルに残酷な言葉を選ばせた。
「はは、やだよ。めんどくせぇ」
「フェルも、一緒に行ってあげる」
「駄目だ、連れて行かない」
「ダンテはフェルといる。だからフェルが、魔王を殺しに行く」
ひゅっ、と喉が詰まった。
「今の魔王は、ダンテをいじめるから。悪い魔王は、殺そう?」
フェルの定める正義、フェルが拒絶する悪。
世界のためでも女神のためでもない。俺のために、俺が夜きちんと眠れるように。そのためだけに魔王を殺すという。
「はは、お前カッコ良いな。俺の味方じゃん」
「ダンテはカッコ悪いけど、大嫌いじゃないから」
すとん、と言葉が胸に落ちてくる。強張っていた体から力が抜けて、自然と口元が緩んだ。
「そっかぁ……じゃあ斬るか、魔王」
「うん」
俺のために魔王を殺すとフェルが言うのなら。俺はフェルのために魔王を斬ろう。
「昼まで寝てるとお前に朝飯、作ってやれないもんな」
「うん。フェルはダンテが作った朝ごはん食べたい」
「そうと決まれば、明日から準備だな。忙しくなるから今日は寝るぞ」
玉はまだ三つ残っている。森の管理を任せている連中に留守番を頼んで回らないといけないし、預けている金を回収する必要もある。なにより、俺たちが森の外へ出るための準備がある。やることが目白押しだ。
「ダサいダンテのために、今日はフェルが一緒に寝てあげる」
「おう、頼むわ」
カッコ悪くてダサい俺は、勇者にはなれないけれど。フェルに大嫌いと言われないためなら、魔王くらい殺してみせる。
おやすみ、と目を閉じることはもう怖くない。フェルの寝息を聞きながら、俺の意識もすぐに途切れた。