02
烏がけたたましく鳴く。
「ダンテ! ダンテ!」
あれからじじいは毎日のようにやってくる。騎士団長からの脅迫文やら、国王からの何とかって文書やら、神殿からの嘆願書やら。魔王を討伐してこい、という内容が言葉の装飾を変えて書かれた紙切れを届けに来るのだ。暇なのだろうか。
「うるっせえよセツ! お前もうちゃんと喋れんだろうが何の嫌がらせだ!!」
八咫烏。
森全体の監視と、森の南側の管理を任せている俺の使い魔だ。本体は我が家の屋根の上で警報装置の役割も果たすが、今は家の中で鳴きまくっている。
林檎から回収した玉は七つ。森を四分割して守護する奴らの玉は四つ、うち壊したのはセツの玉で、本来の力を取り戻したことで制限していた言葉も戻り、朝から喋り通しだ。
「ダンテ!!」
「聞こえてるってんだよ! 焼き鳥にすんぞてめえ!」
セツの頭をもぐ。分裂して二羽になったセツが二重奏で鳴き喚く。
「俺の伝言ちゃんと覚えたか?」
「覚えた! 俺様に任せとけダンテ!」
「頼りにしてるぞ。じゃあ、みんなとおしゃべりしてこい」
窓を開け送り出す。残ったセツの本体はずぅっと俺の名を呼んでいる。
「セツ、セツちょっと黙れ」
「やなこった! 俺様ってば久し振りのおしゃべりなんだ付き合えダンテ!」
ぎゃあぎゃあ、と騒ぐセツが俺の周囲を飛び回る。通常の烏よりずっと大きな図体で飛び回られると、非常に邪魔だ。決して広い家ではない。いつ何時、家具を薙ぎ倒されるかヒヤヒヤする。
「ダンテ、今日のお昼ご飯は焼き鳥?」
「フェル、さすがにこいつを食ったら腹壊すぞ」
服の裾を引くフェルが残念そうに眉尻を下げた。その間も視界を遮るようにセツが横切る。
「セツ、飛ぶな邪魔だ」
「つれねえなあ、ダンテ! つまんねえぞ!」
文句を言いつつ、セツは存外、素直に着地した。
「えーと、これで迅速な連絡手段は確保できたな。監視も増やした。みんなに魔王の話も知らせたし、あとは……」
「ダンテ、俺様が情報収集してきてやるよ! 千切って森からいくつか出せ!」
「簡単に言ってくれるな。この森がどんだけ閉鎖的な構造してると思ってんだ」
外からの侵入者だけでなく、中からの脱走者への対策もがっちり組み込んである。
俺の一生分くらいの時間は魔王なんて面倒事は起きないだろう、と踏んで、これでもかと行使した魔法やら制約やらが邪魔で、俺でさえ外に出るのは難しい。使い魔とはいえ、そう易々と外に出してやれないのである。
「ダンテの玉も壊せよ。形振り構ってる場合じゃねえだろ?」
「……簡単に言ってくれるな」
余計なこと言うな、という気持ちを込めて睨めつける。
言葉を介さずとも意思疎通ができる、使い魔とは便利な存在だ。互いの全てを共有する、ということに拒否感を抱く奴もいるらしいが、俺みたいなおっさんは今更、使い魔を相手に隠しておきたい何かなどない。
隠し事があるとすれば、フェルに対してだけだ。
林檎に預けていた玉七つの内、三つは俺に関するもの。俺の魂を削って三分割して封じてある。
不意に、フェルが俺の足に飛びついた。
「フェル? どうした?」
「今日は火の魔法、教えて!」
「火? 火はなぁ……それに俺、今日は――」
「フェルできる! 畑も野菜も焼かない!」
ムキになったように声を張るフェルに首を傾げる。
「フェル……?」
「おいガキんちょ! ダンテは忙しんだぞ、独り占めすんな!」
舞い上がったセツがつっつかんばかりにフェルに寄った。慌てて嘴をわしづかみ遠ざける。セツは俺との繋がりばかりで、フェルとは縁遠い。他の住人たちのようにフェルを可愛がってくれないのだ。
「ったく……」
がしがし、と頭を掻く俺を見上げたフェルがぽつりと声を漏らした。
「ダンテ、フェルといる……?」
「言ったろ。フェルといるよ」
この森は俺の世界、俺の国、俺の領域だ。女神を脅して結ばせた複数の誓約をもって、俺が制約を課した土地だ。人間の国では討伐対象になっている魔族を山ほど抱え込んでいるし、人間の国では禁忌とされる魔法だって山ほど行使しまくっている。
魔王の領地でさえ、ここまで禍々しい場所じゃなかった。
そんな場所だから、ここにいる魔族は、魔王の調査目的といえども安易に外に出せない。今は少しでも情報がほしいというのに。魔王を討伐してこい、と催促するくせに、肝心な魔王の情報はちっとも寄越さないのだ、あの連中は。
「フェルといるために必死こいて頑張ってんだよ、俺は」
「何してる?」
「うーん……フェルには、ちょっと……難しい、かなあ」
「ふーん……?」
何をしているのかと言えば。魔王の調査をするために、セツを森の外に出そうと躍起になってる。それから、かつての魔王城の近所に住んでる昔馴染みと連絡をとろうとしてる。
魔王なんて名乗ってるバカは誰なのか。何をしようとしてるのか。侵攻を始めているという魔王軍に属するバカは誰なのか。……どう考えても偽者だというのに、どこのバカが与して軍なんて率いてんだちくしょうめ!
「フェルは、何かする?」
「そうだなあ……お前は、健やかに過ごしてくれていればそれで」
「ふーん……?」
腹いっぱい飯を食って、元気いっぱい遊んで、ぐっすり眠って。そうして健やかに育ってくれさえすれば、フェルに求めることはない。
首を傾げたフェルがしばし迷うように目を泳がせ、再び俺を見上げた。
「ダンテ、フェルのせいで忙しい?」
不意打ちで、取り繕えなかった。引きつった口端を見られたくなくて、とっさに背を向ける。背にかかるフェルの声が切なげに沈んだ。
「フェルといると、忙しい?」
腹にグッと力を込め、フェルの方へ向き直る。しゃがんで視線を交錯させ、できるだけゆっくり、言い聞かせる。
「俺がフェルと一緒にいたいから、頑張ってるんだ。お前と一緒にいるためなら、忙しくてもへっちゃらだよ」
「忙しいの、嫌じゃない?」
「今の忙しさは、終わった後にお楽しみが待ってるから嫌じゃない」
にっこり口角を持ち上げると、フェルもぎこちなくだが笑ってくれた。
「もうちょっとしたら火の魔法を教えてやるから、待ってろ」
「わかった」
ぱたぱたと領地へ引っ込むフェルの背を見送って、掴んだままのセツの嘴を解放してやる。
「お前、言葉選びには気をつけろよ。何だよ、独り占めって」
「俺様たちみんなのダンテだろ。なのにあのガキんちょばっか甘やかしてよ~。パパ気取りか? ダンテ」
「そんなつもりはねえよ」
そんなつもりは、あってはならない。
「なあ、ダンテ……本当に魔王のこと放っておいていいのか?」
「放置はしない。希望通り調査に出してやるから、しっかり調べて来いよ」
「今のダンテじゃ無理だろ。俺様ってば超強いんだかんな」
「……知ってるよ。でも、俺は今のままでいい」
無尽蔵な魔力も頑丈さだけが取り柄の肉体も、中身がスカスカな魂も、森で生きていくために捧げると決めている。俺の根源は腐っていて朽ちていてしぼんでいるが、それでいい。
「……つまんねえぞ、ダンテ」
「寂しそうにすんなよ、セツ。愛してるぜ」
「知ってる。俺様も愛してるぜ、ダンテ」
ぎゃっぎゃっぎゃ、とセツの笑い声を聞くのも久し振りで。こんなことすらできないほど弱体化させられて、それでもこいつは受け入れていたんだな、と苦笑する。
くすぐったそうに体を揺らしていたセツだが、急に声を張り上げた。
「ダンテ、ダンテ! 客が来たぞ森の入り口にお客さん!」
目を丸くしたフェルが領地から転がり出てくるほどの声量に、思い切り顔を顰める。
「……誰だ」
「ラインハルト! ラインハルト!」
手からカップが滑り落ちた。床に触れる寸前でなんとか受け止め、フェルの方を振り返る。
「ふ、フェル~……フェル、昼寝の時間だぞ~」
アルバス・ラインハルト。王直属国家聖騎士団の総大将で、王の右腕だとか王の懐刀だとか呼ばれている、この国最強の男だ。
「眠くない」
「大丈夫、眠くなるから」
寝ない、と首を振るフェルの体を抱き上げ頭の位置を撫でる。がくん、と首が揺れ、すぐに寝息が聞こえ始めた。
強引に魔法をねじ込んで眠らせた、とフェルはきっと気がつく。嫌がることはしたくない。何かを強制もしたくない。けれど今回は、ラインハルトの来訪だけは例外だ。
領地の奥、寝所の中央に寝かせ毛布を掛けてやる。
「ごめんな。起きたらちゃんと怒られてやるから」
そっと領地を出て、埃を被った自分の剣を手に取る。アダマンタイト製の一級品、ないよりはマシだろう。久し振りに感じる剣の重さに苦笑を漏らし、俺はほぼ十年振りに、全力出して森の入口まで駆けた。
◇
森の周囲には対侵入者用の結界が幾重にも張り巡らせてある。入るには俺の許可が必要で、侵入者はわりと容赦なく攻撃する設定だ。わかりやすい門などを構えてはいないが、立ち入り禁止、猛獣注意、私有地、といった看板はあちこちに立ててある。
俺が到着するのと、ラインハルトが剣を抜くのはほぼ同時だった。
「待て待て待て待てこらラインハルト!」
慌てて声をかけるも、ラインハルトは俺の顔を見るやこめかみに青筋を立てて剣を振り上げ、あろうことか振り下ろした。
「バカてめえぶっ殺すぞ!」
せっかくぶら下げてきた剣を抜く時間すら惜しくて、迷わず腕を伸ばしてラインハルトの剣を受け止める。金属がぶつかり合うような甲高い音が響く。腕に纏わせた結界は五枚、うち三枚が破られた。……おっかねえ。
「貴様か、気づかなかった」
「嘘吐けぇ! 見てから剣を振り上げただろうが!」
俺が本気で張った結界を斬って侵入しようとか、どれだけわんぱくなんだお前は!
剣の腕はこの国随一。魔法への耐性は人間離れしており、やわな魔法ならほとんど自動といってもいいレベルで抵抗できてしまう。人間としては最高峰の実力者だが、とにかく短気で言葉より先に剣を抜く。
「腕ごと斬り捨てるつもりだったのだが、無駄に頑丈だな、貴様は」
「俺の結界を三枚も破いたお前の鋭利さの方がおかしいんだよ」
ぷいっとそっぽを向く様はガキのようだが、確か今年で五十も半ばを過ぎたはずだ。
鎧のような筋肉に覆われた巨躯、分厚い胸板、丸太のような腕。国内最強の名に恥じぬ肉体は、彫刻のような美しさすら感じさせる完璧なバランスだ。年齢に見合った顔のしわはそれすら威厳を際立たせるようで、眉間に刻まれたしわと相まってとんでもなく凶悪な顔面をつくりあげている。
「俺に対してだけ発動するその短気、いい加減にしろよ」
「俺を待たせる貴様が悪いのだ」
「急に訪ねてきといて偉そうなこと言ってんな。大体、何の用だよ」
「決まっているだろう! ……いや、その話は後だ。すぐに陛下がいらせられる」
「……は?」
間抜けな声が出た。陛下が、何だって?
「国王陛下が直々に貴様に魔王討伐の依頼においでになると言っている。存在自体が失礼なのだ、せめて言葉には気をつけろよ」
その発言が俺に対して失礼だろうが、と頭の中で浮かんだ気持ちは口まで降りてこず。
「バカじゃねえの?」
代わりに滑り落ちた言葉は、最悪だった。
表情が抜け落ちたラインハルトが静かに剣を構える。一歩、俺の方へ踏み込んだ。とっさに許可を出し、結界の攻撃対象から外す。ラインハルトが国境を越えた。
「口さえ残っていれば返事ができるな。他は斬り落とすとしよう」
穏やかな声がラインハルトの怒りを如実に示す。俺はほとんど反射的に魔力を練った。
「死ね雑種」
「お断りだ」
がくん、とラインハルトの膝が崩れる。くずおれる体を支えようと切っ先を下に向けた剣を蹴り上げ、いよいよバランスを崩したラインハルトから距離をとる。
「貴様、何をした」
「いやだってお前、殺意が駄々洩れでおっかねえから」
「何をしたのかと聞いている」
跪いた状態から起き上がれないラインハルトは、双眸を怒りで燃やしながらこちらを睨め据える。
「魔法だよ。お前が悪ぃんだぞ。国境を越えなきゃ行使できなかったのに踏み出すから」
俺が敷く俺の法「黄金の林檎」は俺の世界の中でしか使えない固有魔法で、主に俺の言葉を介して発動する。女神と王からこの世界をもぎとった時に、君臨と支配だけを目的に組み上げた魔法だ。俺にしか使えない、誰にも奪えないよう警戒し過ぎて俺でさえ行使するのが面倒くさいと感じる、複雑怪奇な魔法になってしまった。おかげで発動すれば俺でなければ解除できないだけの強制力を発揮するようになったから、こいつみたいなの相手にする時は便利なんだ。
「これ疲れるからさ、あんま使わせんなよ」
精神に干渉する古い魔法を応用して、絶対服従の領域にまで強化した魔法だ。ラインハルトの魔法抵抗力を凌駕してくれたのは嬉しいが、魔力消費も激しい。
「化け物が……」
「ああ、そうだな。俺もそう思う」
こんな魔法、人間が生きていくうえで必要になる場面なんてない。そもそも人間の肉体で行使するには負荷がかかりすぎる。組み上げるという発想も異常だし、組み上げて行使までするなんて狂気の沙汰だ。そんなことは、俺が一番よくわかってる。
「やはり貴様のような男は殺しておくべきだったのだ」
「俺もそう思うよ。残念だったな、俺より弱いばっかりに殺し損ねて。俺が殺してやれば良かったんだけど、俺はほら、意気地なしだから」
王の首に聖剣を突き付けたあの時、あの場に、俺を殺せる奴はいなかった。俺が世界で一番の強者だったあの一瞬で、俺を殺しに来た奴はいなかった。――俺のはったりに、どいつもこいつも騙された。
疲れ果てて向けられる殺意にも鈍くて、気力も枯れ果てていたあの時、あの場、あの瞬間こそ、俺が人生で一番の弱者だった時間だ。あの時、自分の首を落とす力も残っていなかった俺を殺せなかった人類は、唯一の機会を逃したんだ。
「いつか殺すぞ。貴様のような奴が生きていて良いはずがない」
「おう、頑張れ~」
ラインハルトはとにかく俺が嫌いだ。名前を呼ぶと舌が腐ると言って、徹底して俺を貴様と呼ぶくらい嫌いだ。嫌い続けるのも疲れるだろう、と同情してしまうくらいどこまで行っても俺を嫌う。
俺もラインハルトのことは嫌いだが、しんどいので殺意を抱き続けたりしない。名前を呼ばない、なんて制限も疲れるのでしない。
手を抜けるだけ抜いて、ただ嫌いでいる。嫌い方まで相容れない、どこまでも平行線だ。
「あ、馬車きた。本当に王様くんのかよ。暇かよ」
嫌がらせも兼ねて、「黄金の林檎」解除と同時にラインハルトの顎を蹴り上げ国境の外に転がし出す。気絶しても構わない気持ちで強めに蹴ったが、ラインハルトはカンカンに怒ってすぐ身を起こした。
「貴様――!」
「ちっ、元気だなお前。ほら、ご主人様のお出ましだぞ」
王家の紋章を掲げた豪華な装飾でごちゃごちゃした馬車が一台、ゆっくり俺の前で停止した。護衛の馬車も連れず、余裕のご登場とはムカつくこった。
顎を赤くしたラインハルトが踵を返し恭しく扉を開け、中から姿を見せたのは、俺の知らない王様だった。
「あれ? 若返った?」
「相変わらず癪に障る男だ」
神経質そうな藍色の釣り目、後ろに撫でつけた銀髪は王家の血を示している。苛立たしげにこちらを睨めつける男は、俺が脅して心をへし折った王様の、三番目の息子だった。