03
セツが何も言わず上空へ舞い上がり、離脱した。あとで覚えてろよ。
「うぉおおダァアアアンンンテェエエエエッ!」
猛進してくるのは、カッシュだ。多分、カッシュだ。この声はカッシュだと思う。
なぜか晒している上半身は、昔と変わらず彫ってんじゃねえかと錯覚する程バッキバキな鎧みたいな筋肉に覆われている。どうしてか下半身には腰蓑を纏い、あとは何も身に着けておらず、おまけに裸足だ。何より変なのは、頭三つ分はありそうなデカい仮面をつけていること。前、見えてんだろうな、それ。
突っ込んでくるようなら突き飛ばしてやろうと腰を落とした瞬間、カッシュが跳んだ。四肢を広げ、全身で俺に向かって降ってくる。――夜でも明るい街の灯りに照らされて、カッシュの体がてらっと光った。
「~~~~っっっっか、カッシュ待て来るな!」
「もう遅ぇ!」
あ、やばい。
思わず硬直した体に鞭打つも、カッシュの言葉通りもう手遅れで。
「あああああ!」
「がはははは!」
ぬちゃあ、と汗まみれの体が俺の頭を抱え込んだ。汗くっさ!
「なん、……てめぇカッシュふざけんな! 汚ぇ!」
「がははは! 友情は裸の付き合いだろ喜べ!」
「意味わかんねえよ! 服はどうしたんだよ何で十年前より自然に帰ってんだお前!」
昔はちゃんと服を着てた。森で会ったばかりの頃ならともかく、一緒に旅をするようになってからは服を着るってことをちゃんと覚えたはずだ。そうでなくても、狩った獣だの魔獣だのの毛皮を剥いで被ってたから、今より肌の露出は少なかったはずだ。それがどうしてこうなった!?
「オレ様の仕事着だ! かっけえだろ!」
「お前の中じゃカッコいいのかそれ。じゃあ、うん……いいよ」
抵抗をやめる。もうべちゃべちゃだ。
魔力を練ってカッシュごと洗い流す。びゃあ、と変な声を出して石畳を流れたカッシュはしかし、楽しかったのか腹を抱えて笑い転げている。
「あー……元気そうだな、カッシュ。久し振り」
「オレ様はいつだって元気だぜ! お前は相変わらず辛気くせェ面してんな、ダンテ」
「今の顔はお前のせいだよ」
まさか十年振りの再会で汗を顔中に塗りたくられるなんて思わない。辛気臭い顔にもなる。
「ったく、そんなんだからいつまでも経ってもダサンテでバカンテなんだ。ちょっとこっち来い!」
途端にカッシュはカンカンに怒り出した。昔から感情の起伏は激しい奴だったが、今のは本当に何がきっかけてキレたのかさっぱりわからん。逃がすまいと俺の腕を掴んだカッシュに引きずられ、せっかく近くまで迫ったアイリスの店からどんどん遠ざかってしまう。
そうして連れてこられたのは、街の裏に広がる森だった。
「座れ」
地面を指さされ、渋々、腰を下ろす。カッシュは俺の前で腕を組み、立ったままだ。
「アンジェリカに聞いたセツに聞いたぞ。お前、まだいじけてんのか」
「……いじけてるわけじゃ、ねえ……よ」
「オレの目を見て言え!」
「目どこだよ」
でっかい仮面のせいで顔の位置も曖昧だ。魔眼で見通すのもなんとなく嫌で、見ないようにしてるんだ。
「めんどくせえなあダンテは!」
そんな生き生きと俺を責めるな。
よいしょ、と脱いだ仮面の下から現れた顔は、相も変わらず絶句するほど美人だった。売れば大金になりそうな艶のある青い髪。大きな鳶色の双眸は宝石のような輝きがある。もうすぐ四十になるというのに、肌艶は十代の子どもにも劣らない。体は傷だらけのくせに。
背丈は俺とそう変わらないのに、筋肉のせいで俺よりデカく見える。だのに顔はそこらの女より整ってるとあって、道ですれ違う奴、顔につられて振り返った奴、果ては対面した敵でさえ、カッシュを見た奴は混乱で脳みそが鈍ってしばらく動けなくなる。険しい顔で剣を構えていた奴が、混乱で呆けて目を回す様は本当に可哀想で、同情したものだ。飛んでる鳥でさえ仰天して降ってくることがあったほどだ。嬉々として締め上げ食材が降ってきた、とはしゃぐ笑顔を、俺たちは複雑な心情で眺めていた。
「何だよ、ダンテ?」
どんなに美しい顔をしていても、普段から最大声量で話すせいで喉は嗄れ、カッシュの声は濁っている。顔と体と声、一個として噛み合ってない。
「いや、相変わらず強烈な顔だな、お前」
「がっははは! オレ様すげえだろ!」
褒めてるわけじゃない。
「あ、違ぇ! ダンテてめえ騙したな! オレは怒ってんだぞ!」
勝手に騙されておいて俺を責めるな。
「やっと森から出てきたってのに、何でいじけてんだ! 魔王って何だ! 殺したんじゃねえのか! 魔王軍なんて見てねえぞ! カモミールはもういねえんだぞ!」
「カッシュ待て、一度に言うな。一個ずつ、せめて一個ずつ責めてくれ」
立ち直れなくなる。手加減してくれよ、ちょっとでいいから。
「魔王って何だ」
カッシュが地割れのような低い声を出す時は、腹の底から怒っている。
「現れたらしい、って」
「誰に言われた」
「女神」
「じゃあ嘘だろ!」
カッシュはきっぱりと言い切った。
森での生活が長かった男だ。神への信仰などあるはずもない。なにせカッシュの育ての親は森の獣たちだ。
「それを確かめに出てきたんだよ、カッシュ」
「オレたちに会うためじゃねえのか?」
森に住む精霊たちに揶揄われながら育ったことで、獣ではなく人間として成長し言葉も身に着けた。けれど理性より本能、野生に生きる男だ。
「会いたかったよ、もちろん」
「オレたちはもっとだ。離れる必要なかったのに、お前がオレたちとダンテを引き離したんだろ」
心に素直で感情にまっすぐ。生きることや命について、独特の考え方を持つ森の狩人。俺たちの、生きたいのか死にたいのかもわからず死んだように生きていた俺とカモミールの生き方の先生、それがカッシュだ。
「必要だった、って言ってくれよ」
「嫌だね。アンジェリカが泣いてたんだぞ。良くねえことに決まってる」
「……悪かった」
一緒に過ごした時間の中で、アンジェリカが泣いたのはたった一度。泣かせたのは俺で、慰めることもしないまま別れた。カッシュが人として、森を出てからの生活で手本にしていたアンジェリカを泣かせた俺は、相当にひどい男に違いない。
うつむく俺の頭を叩いて、カッシュは深々と溜め息を吐き出した。
「お前、自己犠牲も大概にしないと死ぬぞ」
「……」
「ほら見ろ。自覚があるから言い返せねえ」
カモミールと約束したから生きてる。フェルがいるから生きてる。
生きてる、生き続けてる。生きよう、と思ったから。でも、生きたい、と思ったことは多分ない。
「オレはお前らの先生だから、わからねえことは何でも教えてやる。でも、わかろうとしてねえ奴は何を教わったって覚えねえんだぞ」
「俺は……生きるよ」
ばしぃっ! ときつめに叩かれた。
「アホか! 生きてるだけじゃ駄目って話だろうが! 楽しいことも胸がポカポカすることも、お前一個も知らねえだろ。カモミールとバルトと三人で旅してた時の思い出だけで賄ってんだろ。いいかダンテ!」
よく聞けよ、とまた叩かれた。
「貯金はなあ! 貯金箱に金を入れないと貯まらないんだぞ!」
台無しだった。いいこと言う風だったのに。
「お前のそれは、幸せ貯金を崩してるだけだ。いつか無くなる。そしたらお前、どうすんだ?」
どうする……?
どうするんだろう、俺は。幸せだった時の記憶に縋って、楽しかった記憶を頼って、それで今を謳歌しているフリをしているだけの俺は、どうすればいいんだろう。
死ぬことなんてこの先、いつになるかわからないのに。鞘の戻った俺はもう、死ぬこともできないかもしれないのに。
いつまでフリを続けられる。いつまで笑顔をつくって見せられる。
「生きるばっかじゃ駄目だぞ、ダンテ。お前オレたちの中で一番バカなんだから、一個ずつ拾って抱えとかねえと駄目だぞ」
頭に触れた手が、今度は優しく叩いていく。
「お前はオレたちが腹いっぱいだと満足する。それと一緒だぞ。お前が腹いっぱいでないと、オレたちは満足しない。オレたちの『たち』にはお前もいるんだぞ」
前にもこうして叱られた。
カモミールと二人、生きていても死んでいてもどうでもいい、と思っていた頃。森で出会った狩人は同じように俺たちを叩いた。
『そんなんじゃすぐ死ぬぞ!』
人生でぶち当たる多くの壁を前に、生きるか死ぬかの選択なんてありはしないのだ、と。生きることは前提で、それをわかっていない奴は生きると決めても死ぬのだ、と。
仲間が増えて、毎日が騒がしくて楽しくても、それでも生き抜こうという意思のなかった俺とカモミールを何度も殴って、生きることを叩き込んだ。飯を抜いても獣だらけの夜の森へ放り出しても平然としている俺はともかく、カモミールには効果を発揮した。大勢で過ごす食事を楽しい、と感じていたカモミールにとって、孤独も空腹も、既に平気ではなくなっていたから。思い知って、俺を説得した。
死を恐れないこととは違う。生きているからこそ恐れるものもある、と。カモミールに説得されたら俺も頷くしかない。生きてみよう、なんて言うから。寂しいのは嫌だ、と言葉にされたら抗えなかった。
「悪かったよ、カッシュ」
「反省しろ、バカ。お前バカなんだから、一個ずつ反省しねえと忘れるぞ」
言葉もない。
本当に、すっかり忘れていた。そうだった。カモミールがいなくなって、生きてみよう、と言われたこともなかったことにしていた。
「カモミールはおっちょこちょいだったからな。お前の心を全部もらったつもりで、実はちょっとだけ忘れて行ったかもしれねえだろ」
「全部やったよ」
「わっかんねえだろ見えないんだから! オレ様が忘れてったって言ったら忘れてんだよ先生なんだからオレ様が正しい!」
だから、と初めてカッシュの声が震えた。
「あげたからもうないとか、寂しいこと言うなよ」
「カッシュ……?」
「カモミールだけじゃなかったろ? オレたちといても楽しかったろ? カモミールが死んでオレたちみんな寂しかったけど、それで全部カモミールにあげちゃったら、まだ生きてるオレたちはつまんねえだろ。オレたちが好きなのはカモミールだけじゃねえんだぞ」
カッシュの拳が胸を打った。
「カモミールはお前の心をちょっとだけ忘れて行った。嘘でもいいからそういうことにしろよもう。そんで、お前は心がいい加減、寂しいって泣くから森を出た。小さいから十年も気づけなかったけど、気づいたから、またオレたちと楽しいことして、育ててでっかくしようぜ」
カッシュの言葉はいつだってまっすぐで、だからこそ突き刺さる。アンジェリカが冷静に言い聞かせてくれたことを、感情的にぶつけてくるから。
段階を踏んで、ようやく俺の身に沁みる。世話のかかる奴だと、何度も呆れられた。
「育つと思うか?」
俺の弱気も、カッシュは鼻で笑い飛ばした。
「弱っちぃ花だって自然の中で勝手に育つんだぞ。お前はオレ様よりも強いんだから、気合入れて育て」
花を例えに出されると、頑張るしかなくなる。きっとこいつはそんなつもりないけど。花の名を持つ女を愛する俺は、そう言われたらカッコつけずにはいられない。
「そうだな。水やりくらいできなきゃダサいもんな」
「できてもダサいだろ、ダサンテなんだから」
「……ああ、そうだな」
挽回できないあだ名とはいえ、どいつもこいつも容赦なく呼びやがる。
でも、嫌だ、と拒絶しようとは、思えない。それは多分、変化と呼んでいいんだろう。笑ってしまう。俺に変化とは。
「何、笑ってんだよ」
「いや、可笑しいなと思ってさ」
「説教されてんだぞ、お前。舐めてんのか?」
そうじゃねえよ。声の代わりに笑いがこぼれて、頭に拳骨が落ちてきた。
やれやれ、とこぼしながら隣に腰を下ろしたカッシュと並んで、ぼんやりと街から漏れる光を眺める。
「俺さ、」
声は思いがけず震えなかった。
「楽しい、と思うんだ。森を出てお前らと再会して、昔みたいにはしゃいで。バルトと事が済んだ後の話もして」
どうりでバルトが驚いた顔をするわけだ。
楽しい、なんて生きてなきゃ言えない。先のことなんて、考えないようにしてた。ただ生きてるだけじゃない。心はやったと意地になって、そのくせ人生を楽しんでいる。
なかったことにしていたのだって結局、俺がそう思い込んでいただけ。とことん駄目だ、俺はまったく。
「自分のことなのに何もわかってねえなんて、俺はやっぱり駄目だな」
「お前だけだ、知らないのは」
バカンテめ、と。
なぜか拗ねたようなカッシュの声は弱々しい。すっかり萎びさせちまったな。
「アイリスとはどうだ?」
無理やりにでも話題を変える。大人しいカッシュなんて気持ち悪い。
「怒ってる」
今度はわかりやすく拗ねた。
「オレが何しても何を言っても怒ってる」
「女心はいつの時代も男には難しいな」
「金がねえ」
「……」
それは、しかたねえよ。
降ってもこねえし湧いてもこねえ。何度も教えてやったのに、湯水のように使うからだ。借金し過ぎて、魔族と喧嘩してんのに人間からも逃げ回ってた。アンジェリカのサーカスもどきで金を集め、俺とバルトが討伐した魔族の素材を売って金を稼ぎ、カモミールが聖女の笑みで寄付を募った。
「金がねえから怒ってんのか? 言わねえからわかんねえ」
「……さあ、それはアイリスじゃねえとわかんねえよ」
人間と共存共栄を目指すサキュバス。
野生児のカッシュには刺激が強過ぎた。芽吹き始めていたアンジェリカとの関係が枯れるには、あまりにくだらない理由でここに留まっている。
「ダンテ、なんとかしろ」
じっとりした視線が絡みつく。
「荷が重いぜ、カッシュ」
「罪滅ぼしだと思えば安いだろ」
だったら金を払うよ。喉まで出かかった言葉を、すんでのところで腹の底に沈める。ここで金を要求しないということは、カッシュは気づいてる。金で解決できる問題ではないことを。そして自分ではどうにかするには、限界だということを。
バルトへは散々、金を無心していたというし、金で解決しようとして拗れたか。
「アイリスには用があるわけだし、カッシュ先生の授業料だと思って、話くらいは聞いてくるよ」
ぱあっと表情の晴れたカッシュを手で制止する。
「ただし、期待すんなよ。女心、それも相手はアイリスだ。俺で理解できると思うのはさすがに楽観が過ぎるぜ」
「……カモミールと番になる度胸もない男だから?」
「俺の話は関係ねえだろ!?」
びっくりした。ざっくり傷ついた。
「じゃあ、何だよ。惚れた女がいるのに足踏みしてたへなちょこ以外に、何か理由があんのか?」
「アイリスは複雑だからって意味だよ!」
何でいちいち俺を貶すんだよ!
「カモミールは単純ってことか?」
「ぶっ飛ばすぞお前!」
「やるかへんちょこ!?」
立ち上がり睨み合った俺たちの頭上で、ぎゃあぎゃあ、とセツが鳴いた。
「喧嘩! 喧嘩! カッシュ喧嘩だ、にゃんにゃん天国!」
ぴたっと動きを止めたカッシュが、いそいそと仮面を被った。
「アイリスのこと任せたかんなダンテ! オレは仕事だ!」
「お、おう……いってらっしゃい」
「いってくる!」
うぉおおお、と雄叫びをあげながら走り去るカッシュの背を見送って、俺は再び地面に座り込んだ。嵐が過ぎて行った。
何食わぬ顔で、セツが俺の隣に着地する。
「てめえ、自分だけ逃げたな」
恨めし気な視線を向けるも、セツはこっちを見ない。
「あいつ、俺様のこと食おうとするんだぜ。俺様ってば怖くて逃げちゃったんだぜ」
「食われたって死なねえんだから、一回くらい食われちまえ」
「ぎゃあ!? さすがの俺様だってカッシュに食われたら死んじゃうかもしれないんだぜ!」
出会い頭に食い物として数えられたことを根に持っているらしい。迷わず締めようと腕を伸ばされえて以来、カッシュとは一定の距離を開けて付き合っていた。姫ちゃんすら食料に数えた男だ。いざとなればセツくらい平気で食うだろう。
「さて、と。アイリスに会いに行こうか」
「俺様が怯えてるのに慰めないのは駄目なんだぜ!?」
どうせ死なねえだろ、と重ねようと思った言葉を口ごと塞いで、セツが顔面に張りつく。
「はいはい、怖かったなあ。大丈夫、大丈夫」
もごもごと違う言葉を吐き、頭頂部を指でくすぐってやる。
「ぎゃっぎゃっぎゃ! くすぐったいんだぜ」
ご機嫌に身をよじるセツの羽毛が鼻やら耳やらくすぐって。
「っっっっくしょんっ!」
「ぎゃっ!?」
くしゃみの弾みでセツを吹き飛ばした。
あー……やっちゃった。
地面に転がるセツが、きゅう、と喉の奥から切ない声を漏らした。




