06
転移魔法を探知したのだろう、ユリウスは呼ぶまでもなく向こうからすぐやってきた。
元聖騎士ユリウス・ラインハルト。
王直属国家聖騎士団の総大将アルバス・ラインハルトの息子だ。切れ長の双眸は、こいつが憧れてた女神が好む夜を切り取ったよう。髪も夜を溶かし込んだように暗くて、まるでこいつの底意地の悪さを表しているよう。昔に比べ幾分か和らいだが、眉間のしわは相も変わらず刻まれたままだし、引き結んだ口元のせいで凶悪な威圧感を放つのは父親そっくりだ。
堕落したカモミールの代わりとして女神が寄越したセツが俺に絆されたことで、その代わりとしてやってきた、女神の手先だった男だ。
「よお、ユリウス」
声が尖ったのはしかたないだろう。こいつとは仲良くしてた記憶がまるでない。最終的に喧嘩するようになっただけマシだったが、こいつが俺たちにかけた精神的負荷は大き過ぎた。
「生きてたか、ダンテ」
「元気いっぱいだよ、ざまあみろ」
……どうしても喧嘩腰になってしまう。
「そう噛みつくな。喧嘩をするつもりはない。魔王の件だろう」
座れ、と示された場所に大人しく座る。湖の淵に置かれた適度なサイズの岩は、どうやら椅子の代わりにしているらしい。せっかくなので素足になって、湖に足を浸けてみる。ディーナが住処にしていたのは十年も前のことだが、ここは変わらず清らかであるらしい。ぶっちゃけバチバチの聖水だ。どっぷり魔族領にいたし、魔王城に立ち寄ったこともあって、足の小指まで痺れる。くっそ痛ぇ。
「……鞘を回収したのか」
「したよ。……カモミールのこと知ってたのか」
「ああ、悪魔から手紙が来た」
ギャビンの野郎、ちゃんと連絡したのか。律義な奴だ。
「悪いとは思ったがな、貴様より先に花を届けさせてもらった」
「……」
「そんな顔するな。彼女とは生前に和解している。罰も与えられている」
ずい、と押し付けるように差し出された羊皮紙を受け取る。
『仲直りしました。ダンテ君もいつか仲直りしてね』
カモミールの字だった。あまりの不意打ちに声も出ない。心臓が一度、大きく跳ねて。
羊皮紙が燃え上がった。
「な、ッ――」
しまった。ただの羊皮紙じゃなかった。スクロールだったのか。気づいたところでもう遅い。羊皮紙は燃え尽き、消えてしまった。頭を抱える。
「言えよバカ……くそったれ」
「約束したんだ、しかたないだろう」
俺なら絶対、知ってたら防いだ。魔法が発動しないよう細工して、羊皮紙だけ残した。それが無理でも、文字だけでも残したはずだ。
油断した。スクロールなんて作成できたのかあいつ。魔法をインクに溶かし込んで文字を刻むだけでも困難なのに、俺が羊皮紙に触れたら発動するよう条件まで付与するなんて、無茶が過ぎる。……くそ。ここまでされたら、時空魔法で復元するなんて卑怯なことできない。受け入れるしかない。そこまで計算尽くかよ、カモミール。
「罰って何だよ」
「……彼女のことになると途端にそれか貴様。……もし万が一、お前が森から出て私を訪ねてきた時、それが殺害目的だったら黙って殺されろ、と」
「……容赦ねえな、あいつ」
じゃあ、何だ。さっきのあの表情は、死を覚悟した顔だったってか。
「それだけのことをしたと猛省して、受け入れた」
くそったれ、ともう一度、溜め息と共に吐き出す。
ユリウスはこういう時、バカを見るほど潔い。本当に、俺がその気なら殺されるつもりだったんだろう。こいつの死体を前にさっきの羊皮紙を見た俺がどんな気持ちになるか、そこまで気が回らない不器用さも昔のままだ。バカ野郎。
「いいよ。仲直りしてやる」
カモミールの遺言みたいなもんだ、しかたない。
そもそも喧嘩できるほどには、許していた。だって殺さなかった。あの頃の俺は、殺す基準を種族に求めたりしてなかったのに。殺すのも面倒だったという理由もあるけれど、それだけで生かしておくには、こいつはあまりに憎たらしかった。引き際を見失っていただけだ。決めあぐねていた関係性を、少しだけはっきりさせる。それだけだ。
「まずは魔王軍のことだ」
「近隣の村や町を巡って教会にも行ったが、被害の報告はない。もちろんここにも来ていない。本当にいるのか?」
「いない、と結論づけたとこなんだが……エレーナの部下だった連中が襲ってきた」
ぴくっ、とユリウスの片眉が跳ね上がった。
「襲ってきた?」
纏う空気が物騒な色を孕んだ。払うように手を振る。
「精神支配系の魔法を行使された可能性がある」
「ふむ……。しかしお前以外にそんな魔法を行使できる存在が……なるほど、魔王か」
そう、魔王だ。神々が地上にうようよ湧いてた時代にあった古の魔法。神々が地上を見捨てて久しい現代で、行使できるのは俺と、あとは魔王くらいのものだろう。彼らの異常が本当に、魔法による変異であったなら。
「つかお前、教会にも行ったのか」
「そう警戒するな。女神様へ祈りを捧げに行ったわけじゃない。瘴気の濃度に変化がないか尋ねて回ったんだ」
瘴気の浄化。女神に選ばれた聖女にのみ授けられた、ということになっていた神聖属性魔法の応用だ。瘴気を祓い清める。俺が魔王を殺して以降、神聖属性魔法の適性がある連中でも行使できることを女神に周知させた。第二のカモミールを生まないための、俺の偽善。
「特に瘴気が異常発生しているという報告も聞かない」
「じゃあ何だよ、どうなってんだよ」
「知らん。心当たりはないのか」
ない、と即答できたあらどんなにいいか。可能性を潰したくて足掻いてる。
言いたくなくて、ユリウスを睨めつける。
「お前なあ……何でもかんでも俺に八つ当たりするな。ダサンテめ」
かちーんときた。
「おいこらユリウス、お前にその呼び方を許可した覚えはねえぞ!」
「い、良いだろう! 私だって呼ぶ条件は満たしてるはずだ!」
「何だよ条件って知らねえよ! 仲直りしたかって調子に乗るなよ! 仲間だけど、お前は仲間外れなんだよ!」
「言ってることめちゃくちゃだぞお前! そんな風だからカモミールにフラれるんだ!」
ぶちぃ、と頭の中で音がした。よりにもよって、俺が一番、言われたくないことを言いやがった。やっぱこいつ嫌いだ。
「フラれてねえよ! フラれたけど! そうじゃねえんだよ!」
「だから! さっきから言ってることが支離滅裂でわからないんだよ! 言語を思い出せ!」
「はあ!? お前を罵倒するためだけに読書に明け暮れた日もあるくらいなんだぞ! 言葉の殴り合いだってお前にゃ負けねえよ!」
「そういうとこがバカだって言ってるんだバカ! バカンテ!」
「そっちも許可してねえよ!」
掴みかかってやりたいけれど、握り潰しかねないので我慢する。叩いても殴っても、俺はユリウスを殺してしまえる。
「~~っっっっだああ! ほんっとお前ら脆弱だなちくしょう! 弱い! 弱すぎるぞ人間!」
「嘘だろダンテ、お前それは人間が言っていい言葉じゃないだろう!? 思っても黙っとけ嫌われるぞ!」
ユリウスに肩を揺さぶられる。
「自分の強さを基準に考えるのは危険だぞ。俺があの人と縁を切ったのは、あの人の自分本位な厳しさ故なんだぞ!」
「お前だって似たようなもんだったろ」
「あの人と一緒にするな!」
「何お前、親離れしたの?」
「妙な言い方をするな!」
自分が強いことを知っている。ラインハルトは、自分が努力で強さを得たことを誇りとしている。サボらず、怠けず、己を律し続けた果てに得た強さ。才能でない努力で得た強さだから、人間はみな、同じように努力すれば同じように強くなれると、信じて疑うことをしない。故に、厳しい。己がそうしたように他者も鍛える。同じだけの努力を他者にも同じように求める。ついて行けないとか、耐えられないとか、そういうものを全て弱いと切り捨てるから、あいつの周りは力が絶対の基準で、だからこそ多くの人間を魅了する。
ユリウスは早々に落ちこぼれと切り捨てられ、ラインハルトの強さにも魅了されなかった口だ。
「やーい、弱虫」
「よし、口さえ残ってれば返事ができるな! 他は斬り落とす!」
それはつい最近、ラインハルトに言われたことだ。言葉選びも口調もそっくり。げんなりしてしまう。うんざりだ。
「うっわ……お前は本当、ラインハルトそっくり。もう嫌だ」
ユリウスはムッとした。
「私だってラインハルトだ」
「そういうとこも嫌」
「貴様っ――!」
キレると俺を『貴様』呼ばわりするところもそっくり。あいつは俺の前だとキレっぱなしだから常にそうだが、ユリウスもキレると同じように俺を呼ぶ。似た者親子。これで不仲だというんだから詐欺だろ。
「あいつが俺を嫌ってるのって、大事な息子を誑かしやがって、とかそんな理由じゃねえだろうな」
「誑かされてない!」
「ったりめぇだバカ! 誑かしてねえよ!」
「何から何まで腹立たしいな貴様は!」
「そういう言い方そっくり」
「いい加減にしろ! 私とあの人は違う!」
ぴくり、と肩が跳ねるのを止め損ねた。
「わかってるよ。同じなら生かしてない」
警鐘を鳴らす頭に背いて、言葉はどんどん冷え込んだ。
「あいつは俺を許さない。あいつはフェルを見逃さない。俺のことが嫌いだから、俺の愛する者すべてを嫌う。そういうところが嫌いなんだ。あいつはカモミールを貶めたままだからな」
ユリウスの双眸がわかりやすく揺れた。同じようにカモミールを貶めて、同じように俺を怒らせた男だ。思うところがあるのだろう。
「理屈でない感情の話だ。言ってもしかたない部分は確かにある。でも、頑張ってた奴を踏みつけにしていい理由なんてねえだろ。お前は考えを改めたから、嫌いだけど好きだよ」
だから殺さなかった。
ディーナと過ごす日々の中で、白と黒しかなかった世界が少しだけ色を変えた。灰の部分を認めて、押しつけた正義で傷ついた人がいると謝罪した。
女神が定めた正義を絶対だと信じて盲目的に振り翳すままだったら、俺は魔王を斬ったその足でユリウスを殺しに行った。
「私に殺意を向けて、殺し損ねないと確信している貴様が嫌いだ。事実であることが憎らしくて堪らない」
けれど、とゆっくり息を吐き出して続けたユリウスの言葉は、柔らかい音をしていた。
「お前のおかげで私は少しだけ息がしやすくなった。それを否定する気はないし、駄々をこねたりしない」
「……一生、反省しろ。永遠に引きずれ。俺の逆鱗を二度と剥がさないよう、慎重に生きろ」
「ああ、肝に銘じるよ。私はまだ生きていたいからな」
それは、俺にはない願望。まっすぐそんなことを吐くから、そういうところが眩しくて、だから嫌いだとそっぽを向く。羨んでいると、バレないように。
「なあ、……俺が女神を殺すって言ったらお前、怒るか?」
ユリウスは、キレなかった。胡乱な目で眉を顰めはしたものの、すぐさま斬りかかってくるような短気は起こさなかった。
「それは、決定事項か」
「ん~……半分くらい?」
「……」
考え込むような仕草で目を逸らし、しばらく泳ぐ。
変わった、と思う。この男は本当に変わった。女神が定義する正義と悪。それだけが世界の真実だと疑わなかったあの頃のユリウスはもういないのだろう。
「どんな大義がある」
「ねえよ、そんなもん」
即答した。
「俺はダンテだぞ、ユリウス。この国の、大陸のほとんどの国が信仰してる女神を月から引きずり降ろしてぶっ殺すのに、大義なんざかったるいものあるもんか」
俺がくそったれだと思ってるだけで、あいつは結構みんなに愛されてる女神だ。幾度となく見てきた。蹂躙された命を前に、女神に祈る人々の姿を。息を引き取る寸前、最期に女神の名を呼ぶ人々を。理不尽に、不平等に奪われた命は、正当に、平等に女神の元へ招かれる。それは確かに、人々の救いだった。あいつが特別カモミールに残酷だっただけで。あいつの趣味が最悪なだけで。平和を享受してぼんやり生きてる、生きることが許されている連中にとって、あいつは信じ仰ぎ見るに足る神なのだろう。それを殺すと、それでも殺すと、俺が決めるのならそれは。
「私怨だよ」
それ以外に何がある。
言い切った俺を見て、ユリウスは、
「ふ、……はっはっは!」
笑った。爆笑した。
「そんなことを真顔で言うなバカ。だからバカンテなんて言われるんだお前は。……ふふ、ああ駄目だ腹が痛い。ほんっとバカだなお前」
笑い過ぎだろ。涙が出るほど人のこと笑うなんて、どういう神経してんだ。
「ふ、ふふ……ともかく、実行する前にしっかり考えることを忘れないことだ」
「はあ?」
急に説教臭いことを言い出した。素直に聞く俺じゃない。わかっているのだろう、ユリウスは穏やかな口調だった。
「お前は基本的に強欲なんだ。そのくせバカで視野が狭い」
「ボロクソに言うなお前」
口調が穏やかだからって誤魔化されねえぞ。態度を工夫するなら言葉も選べよ。
「もう少し周囲に目を向けた方がいい、という話だ。自分の中身だけを当てにしているといつか、私のようになる」
それは嫌だろう、と問われ、迷いなく頷いた。
ユリウスのように。自分の中にある信仰心だけを当てに他者を無視していたら、みんなに嫌われた。カモミールを役立たずだと罵倒して、セツを堕落したと見下して、か子を嫌い、エレーナを出会い頭に斬り殺そうとした。自分の尺度だけで他者を推し量ろうとして、結果、ユリウスの正義はへし折られた。
ディーナだ。
ドラゴン種は基本的に神と仲が悪い。神々は自分たちを至上の存在だと譲らず、地上を自らが創造した人間の箱庭だと定めた。ドラゴン種は天上にこそ至れず神に敗れはしたものの、地上の覇者として君臨し続けている。
人間だけが神の子で、それ以外は世界を汚す悪とみなす神々は、ドラゴン種も悪と断じた。しかしディーナは、ドラゴンでありながら神の寵愛を受けた。神々とそれに準ずる者のみに行使が許された神聖属性魔法を扱うことを、神々が地上を去った今なお許されている。
神々が地上に残した矛盾、女神が曖昧なまま放置した悪であるはずの存在。ディーナと出会って、ユリウスの正義は、女神への信仰はブレた。白と黒。明確に線引きされていたはずのものが、境界を失い混ざり合った。
「挫折だけで仲間を……カモミールを置いて行ったわけじゃないだろ」
「……訳知り顔すんな」
「嫌ならちゃんとしろ。お前は私が、焦がれるほど憧れた勇者の称号を与えられた男だ。英雄は英雄らしく、しゃんと立ってもらわねば困る」
正しくありたい。悪に脅かされる全ての人を守りたい。救いを求める全ての人に救済を。
独り善がりではあったけれど、ユリウスの理想は俺よりよっぽど勇者らしく、英雄に相応しいものだった。
「何だよ、それ……勝手に困れ」
勇者の称号は、女神が勝手に寄越したものでしかない。英雄なんて、もし俺が本当にそんな立派な奴であったなら、カモミールを救えたはずだ。
救えなかった無力感も、救いたかった後悔も、味わわずに済んだはずだろう。
「どいつもこいつも俺を勇者と呼びやがる」
「何だ、まだそんなことで拗ねてるのか」
バカだな、とまた言われた。
「諦めろ。どうせ手を差し伸べずにはいられん性格だろう。お前がどんな態度であれ、どれだけその気がなくたって、救われた側には救われたという結果しか残らない。どうしても勇者でいたくないなら、……そうだな、魔王にでもなれ」
だから、言葉を選べよ。
膨れ上がった殺意を隠す余裕はなく、止まれたのは、ユリウスの顔面を掴んだ指に力を込める直前だった。
「意味、わかって言ってんだろうな」
「わかったうえで、それでも言っている。拒むばかりで打開策を模索しないお前に、可能性の話をしている」
「何が可能性だ。あるわけねえだろそんなもん」
「言ったろ! 周囲に目を向けろ、ダンテ。救った側の、お前の事情なんざ知ったこっちゃねえんだよ」
だから何だ。救われたと思ってる奴らに俺の事情が関係ないように、救ってないと言い張ってる俺にだってそいつらの事情は関係ない。
救ってない。カモミールを救えなかった俺を、たった一人を守れなかった俺を、勇者だなんて呼ばないでくれ。勇気なんてない。希望なんかじゃない。頼むから、――
「面倒くさい男だな貴様は!」
胴を掴まれた。指にばかり意識を向けていたせいで反応が遅れた。あっ、と思った時には既に俺の体は浮いていて、投げられたと理解した時にはもう、背中から湖に沈んでいた。
息を吸う間もなく、急いで陸に上がろうと体勢を立て直す。水面を目指して水を掻き――体が沈んだ。ぎょっとして足元に顔を向けて、うっかり口を開けてしまった。
何かが足を掴んでいる。目を凝らせば、それは複数の腕だった。半透明の腕が湖底から伸び、俺の足を掴んで引っ張っていた。
何それ怖っ!?
残ったわずかな酸素を吐いてしまって、反射的に吸った。バカだ俺は。ごぱっ、と喉から変な音がして、俺の体は腕に引かれるまま深く沈んだ。




