03
そこまで長居をしたつもりはなかったが、いつの間にか日が昇っていた。
クロエは俺の部屋にいるらしい。
拷問でもされてるのかと疑いたくなるような悲痛な泣き声が部屋の外まで漏れ聞こえている。同じ部屋のベッドではフェルが寝てるんだが……。
とりあえず事情を把握しようと、おろおろするばかりのバルトを張り倒して吐かせる。
「うっかり口が滑って……」
「お前の口ゆるゆるじゃねえか。余計なことしか言えねえのか」
殴った。
「だって知らねえとは思わないじゃん!? カモミールが死んだの二年前だぞ!? クッキー魔女は何やってたんだよ!」
頭を叩く音は二つ重なった。一つはエレーナだ。
「人には色んな事情があるのよ! 繊細な話題なのにあんな言い方して……あれじゃ私だって泣くわよ」
どんな言い方したんだよ。
「会わずにいたのが仇になったわね。手紙で話すようなことでもないし」
「悪いな、エレーナ。心労ばっかかけて」
「いいのよ。この人のバカさ加減を過小評価してた私も悪いの」
バルトはあんまりだ、と顔を覆ってしくしく嘘泣きした。
「クロエには俺が話をするから」
「大丈夫?」
「わかんねえけど、子どもら慰めねえと大変だろ」
クロエがあまりにも激しく泣くものだから、六つ子はうっかりもらい泣きした。今はセツが召喚した姫ちゃんがあやしてくれているのだが、どうしてか泣き止むどころかますます泣いているようで、姫ちゃんの母性はいたく傷ついているらしい。
「姫ちゃんでも駄目となると、ちょっと難しいわね」
「もしかして、例の発作じゃねえのか?」
「えぇ……? でも私は最近ちっとも起きないのよ。子どもたちに伝染して治まったのかしら?」
う~ん、と考え込む俺たちに、バルトが変な顔をした。胡乱な目で見上げてくる。
「容姿の問題だろ、どう考えても」
……は?
こいつは何を言ってるんだ?
同じ気持ちなのだろう、エレーナも首を傾げている。
「~~っっっっこれだから魔族は!」
突然、バルトが頭を抱えて絶叫した。
「姫ちゃんみたいな容姿の魔族ってのは普通! 恐ろしいのわかるか!? 恐怖の対象なの!」
「……姫ちゃんは美人でしょう?」
「美醜の問題じゃねえの! 巨大な蜘蛛ってのがダメなの!」
「おい、俺を魔族に含めんなよ。あとな、容姿をどうこう言うなんて失礼だぞ」
「うるせえ人外は黙ってろ! あの子らの生活圏じゃ初見の魔族だろ。未知の存在は誰でも怖いんだよ。色んな魔族と分け隔てなくきゃっきゃうふふしてたお前らと一緒にすんな」
こいつ、遂に俺のこと人外って言い切ったな。
「エレーナの客は獣人がほとんどだし、人型した奴とばっか接してきたんだぞ。初見の姫ちゃんは俺だってビビったっての。初対面で姫ちゃんを、きゃあ可愛いなんて美人なの~、ってみんながみんな受け止められるなら、人間と魔族は対立してねえんだよ」
エレーナと二人、愕然として顔を見合わせた。目から鱗とはこのことだ。
なるほど確かに。魔族であり魔王軍幹部だったエレーナにとって、姫ちゃんみたいな連中はただの隣人だ。正義感で盲目になっていた頃から共に生活するようになった今まで、敵だから殺してきた俺にとって魔族の容姿はどうでもよくて、恐怖を抱いたことは一度もなかった。せいぜい、人間の赤ん坊という俺が絶対に食わないものを美味と笑う価値観の差に震える程度だ。
盲点だった。人間が魔族を敵視するのは、なにも魔族が人間の食うことばかりじゃない。容姿の差、初見で受ける埋めようのない差が恐怖となるから、未知の物は恐ろしいから。恐怖は理解を遠ざけ、共感を阻む壁となる。
人間である父親とも、魔族である母親とも、あまりに違う姫ちゃんの姿はなるほど恐ろしかったのかもしれない。
「……見直したわ、あなた」
「お前のそういう視点ほんっと貴重だわ……」
「俺を見直すポイントが狭すぎる!?」
今度こそしくしく泣きだしたバルトを慰めるのはエレーナに任せ、俺はクロエを迎えに行く。
バルトのことを散々に言ったが、助かった、という気持ちもある。ギャビンのところでは結局、騒ぐだけ騒いで涙の一つも出なかった。
涙で解決できる問題なんて一つもない。学んだのは随分と昔のことだが、それにしたって。カモミールを喪ったことでさえ、素直に悲しんでやれない自分に辟易していたところだ。ここにきてなお、受け止めるつもりなんて全くない自分の愚かさにうんざりする。
クロエに話さざるを得ない。言葉にして、自分で言って、いい加減、俺も諦めをつけるべきだ。
カモミールは、もういない。
◇
扉は少しだけ開いていた。ノックはしたが返事はなく、しかたないので中に入る。フェルが眠っていることを確認して、扉は閉めた。
「クロエ」
フェルが寝ている隣のベッドに突っ伏してぐしぐし泣いている。
ひくっ、としゃくりあげる音が返事の代わりだった。
「ごめんな、黙ってて」
扉のそばの壁に背を預けて声をかける。今日はタオルも、ミルクも持ってない。気を逸らしてやれないから、向き合うしかない。
ごめん、と繰り返すと、クロエはゆるゆる体を起こした。
振り向いたクロエの目は真っ赤になっていた。瞼も腫れて目端も痛々しいほど赤いのに、涙はあふれて止まらない。
「じっでだのね」
「うん」
鞘は俺の所有物だから、カモミールのことはちゃんと伝わっていた。糸が切れるような儚い感覚があったのを最後に、カモミールとの繋がりは完全に絶ち消えたから。
「なんで……いっでぼじがっだ」
「ごめんな」
シャーラは多分、クロエから俺に伝わることを危惧していた。クロエは知ったら黙っていられない。持ちうる最大限の優しさで、俺を心配しただろう。
どうせ森から出られないのに。墓参りにも行ってやれないのに。事実として知っていても、誰かの口から聞かされる事実は重みが違う。俺が傷つくことも、その原因が自分にあると気づいてクロエが傷つくことも、シャーラは避けたかった。どちらも守ろうとした。
クロエが帰ってきた時に、俺との距離が物理的に離れた時に言うつもりで。思いがけず強情に帰って来なかったせいで、結果として秘密にしていたような形になった。
「俺が、カモミールは死んだ、って言葉にするのが怖かったんだ。森にいれば、あいつがいなくなった世界を見ずに済むから。知ってても、わかってても、実感したくなかった。曖昧なままにしておきたかった」
怖くて。言葉にしたあとの自分がどうなってしまうのか、考えることが怖くて。怖くて、クロエに言えなかった。
「お前が会いたがってることは知ってたけど、どうしても言い出せなくて。シャーラのことも、責めないでやってくれ。意地悪で隠そうとしたんじゃない。俺のせいで言えなかったんだ」
ごめんな、とまた謝った俺の顔をめがけて、クロエが枕を投げつけた。甘んじて受ける。
「バカンテ! 違うでしょ!」
真っ赤になった目で、肩を怒らせ、詰め寄ってきた。クロエの拳が俺の胸を打つ。力はまったく入っていなかった。
「私にごめんじゃないでしょう!」
座って、と怒鳴られ、従うと今度は痛いくらいの力で抱き着かれた。
「大事な人が死んじゃったら、寂しいね、でしょ!」
しとどに濡れた肩で、クロエがまた泣き出したんだとわかった。
「知ってるわ。おばあちゃんは意地悪なんてしないもの。私のこともダンテのことも大好きだもの。事情があって言えなかったってわかる、わかるもん……」
声は涙に濡れて、しかし力強い口調だった。
「ダンテはすぐ自分を悪者にする。そうじゃないでしょう? 私も、みんなもダンテが優しいこと知ってるもの。なのに、どうしてダンテは自分に優しくしてあげないの?」
寂しい時に、寂しいと言えないくらい。自分にばっかり意地悪するの。
それこそ寂しそうに、クロエが泣いた。
「私、今からまたすごい声で泣くから。大声で泣きまくるから。ダンテが何か言ったって聞こえないから!」
涙に濡れてほとんど言葉になっていなかったけれど、言うなりクロエは本当にわーんと泣きだした。
耳元で響く泣き声が周囲の音を掻き消して。クロエの背に回した腕から伝わる体温だけが熱くて。いつの間にか冷え切っていた指先に熱が移ったら、喉の奥から嗚咽が飛び出た。
寂しい。
カモミールが死んで、寂しい。もう会えない。今度こそ本当に、二度と会えない。笑った顔も怒った顔もべそかいた顔も、見られない。名前を呼んでもらえない。名前を呼んでやれない。
一度、泣きだしたらもう止まらなくて。後悔や未練でがんじがらめになっていた気持ちのたがが外れたら、寂しいばかりが残っていた。
何が諦めるべき。何が悲しんでやれない。アホか俺は。
諦められるわけがないだろ、いつまでも後悔する。悲しいに決まってんだろバカ、いつまでも埋まらない。俺の生涯、ただ一人。唯一を喪った。認めたくない、嫌だ。未練に引きずられるばっかりで、駄々をこねる感情が邪魔をして。後悔ばかりが重くて。
寂しい、悲しい、会いたい。
認めたら死にたくなる。でも死ねないから、ずっとずぅっとそっぽを向いていただけだ。
カモミールが死んで二年。目を逸らして、気づかないフリをして、誤魔化して、逃げ回ってきた寂しさ。腹の底で膿んでいた傷が痛みだす。こんなに時間をかけてようやく、俺はちゃんと泣くことができた。
◇
真っ赤になっておまけに腫れたクロエの目も、目端が赤くなった俺の目も、バルトは知らん顔してくれた。ただ、よかったな、と肩を叩いただけで済ませてくれた。
「――それより、外が大騒ぎになってる。俺は死にたくないからダンテ、お前に任せた。クロエのことは任せろ、俺がしっかり守ってやるから」
「台無しだよ」
よくわからんが、守るというなら預ける。エレーナの姿が見えないということは外にいるんだろうが、嫁は守らなくていいんだろうかこのぼんくら亭主。
フェルを抱きかかえて外に出る。
「……勘弁してくれ」
家の外は大騒ぎだった。
「ダンテ! 早く来い!」
ご機嫌なアンジェリカの声が、はるか上空から降ってくる。
通常個体より二回りは巨大な満月熊が三匹、鎧亀を抱え、甲羅の上では千鳥孔雀が五羽、広げた尾を倒し重ねている。その中心に立って胴を伸ばす蝦蟇口蛇の頭上で、アンジェリカは片足でバランスを取っていた。
「何やってんだ、マジで」
「子どもたちを楽しませるって、建前ね。どうしてもセツを抱きしめたいみたい」
のそのそやってきた姫ちゃんは、心なしかお疲れの様子だった。労うついでに魔力を練って供給してやる。
「ありがとう、ダンテちゃん」
「こちらこそ。悪いな、呼び出して」
「いいのよ。そうそう、森は変わりないわ。ちょっと、か子ちゃんがぐずってるくらいで」
「あいつが泣き止んでる方が異常なんだ。泣いてるに越したことはねえ」
「またそんな言い方して。ダンテちゃんは女心がわかってないのね」
姫ちゃんが、嫌われるわよ、と茶化してガチガチ牙を鳴らす。
誰に、とは言われなかったが、嫌われたくないのでフェルの肩を撫で起こして誤魔化す。
「ふがっ……ダンテェ」
「おはよう、フェル。姫ちゃんが来てくれたぞ」
「姫ちゃん!」
目が半分も開いていないのに体をねじって俺の腕から脱出したフェルを、姫ちゃんは顔で受け止めた。
「姫ちゃん、久し振り!」
「フェル様は今日も元気ね、嬉しいわ」
「フェル、俺はアンジェリカを引きずり降ろしてくるから、しばらく姫ちゃんと待ってろ」
返事を待たず踏み出した俺の手を、フェルが握った。
「ダンテ、おかえり」
どうしてだろう。そんなこと、もう幾度だって言われてきたはずなのに。慣れるほど交わしたやり取りなのに。
「ああ、ただいま」
今日はこんなにも泣きそうになるんだろう。
「お花、渡せた?」
「渡せたよ。おじさん緊張して顔真っ赤になっちゃうの我慢し過ぎて、熱が目に移動して目尻が真っ赤になっちゃったよ」
「ふふ、ダサンテ」
「俺もそう思うよ。俺ってば本当、フェルがいないとダメダメなの」
「ご飯の前なら、今度はフェルも行ってあげる」
「そりゃあ、心強いね。じゃあ今度は一緒に行こうぜ」
「うん」
荒っぽく頭を撫で繰り回して、今度こそ踏み出す。
アンジェリカは逃げ回るセツを抱きしめようと手を伸ばして、その動きに合わせて支えている魔獣たちがフラつく。
子どもたちはさっきまで大泣きしていたとは思えない無邪気さで大喜びしていた。今にも駆け寄りそうなはしゃぎっぷりで、エレーナが真っ青になって押しとどめている。
「セツ、聞き忘れたことあるから伝言しろ。アンジェリカは危ないから降りて来い」
カモミールのことが本命だったとはいえ、魔王軍の話をしないのはうっかりが過ぎたと反省する。
アンジェリカを大きく迂回したセツが俺の肩に着地した。
『魔王軍なんぞ知らん。貴様が魔王様を殺してから、魔王軍と名のついた組織は未確認だ』
さすがに気を回してか、セツは思念でギャビンの返事をそのまま復唱した。
ギャビンは魔王軍幹部の中でも古参だ。同じ幹部でも、脅威も発言力も他の比ではない。絶大にして絶対だ。そのギャビンが知らない、と断言した。これはいよいよ、様子がおかしい。どうなってるってんだよ。
「ダ~~ンテェ~~」
思案に耽る時間はなく、上からアンジェリカの声が落ちてきた。セツの体を引っ掴み、そのまま飛び降りたアンジェリカの体を受け止める。片手で受け止めたせいでアンジェリカの肘がもろに顔面を打ったが、しかたない。掴んでいたセツをアンジェリカに渡し、地面に下ろしてやる。
「さすがはダンテ! 私を裏切らない!」
「ダンテ!? 裏切者!! ぎゃああああ!!」
抱きしめられたセツの悲鳴を聞きながら、俺はフェルの元へ戻る。
「覚えてろよダンテェエエ!」
背中に突き刺さる悲鳴は物騒だったが気にしない。
許せ、セツ。久し振りにあった仲間のことを甘やかしたい男心だ。
姫ちゃんとじゃれていたフェルが俺を見て、目を丸くした。姫ちゃんも八つの目をきょろきょろさせた。
「あ、ダンテ」
「後ろ」
「倒れる!」
振り返らなかった。魔力を練ることを優先して、状況はセツと視界を共有して把握した。とぐろの解けた蝦蟇口蛇の胴が千鳥孔雀を撥ね飛ばし、驚いた満月熊が鎧亀を放り投げていた。時空魔法を魔獣たちにぶん投げる。バランスを崩した魔獣たちが停止した。駆け寄って全員を回収し、安全な場所に寝かせ魔法を解く。
「アンジェリカこら! 子どもがいるんだぞ!? お前のサーカスの安全性はどうなってんだよ!?」
アンジェリカは魔獣たちを振り返りもしなかった。セツを抱きしめたままにこにこしている。俺の怒声を聞いてもケロッとしたものだ。
「ダンテがいるんだから、私は子どものようにはしゃいだって問題ないだろう?」
「俺が鈍ってたらどうすんだよ!?」
「友の危機に鈍感な君じゃない。大丈夫」
その信頼は重いよ。危機管理どうなってんだ。
「エレーナ怪我ないか!?」
振り返った先、目を丸くしている子どもたちの頭を撫でながら、エレーナもケロッとしていた。
「ダンテがいるのよ? 怪我なんてあるわけないじゃない」
「何だよそれ……打ち合せでもしてたの?」
俺のせいで危険に鈍くなったというのなら、それはそれで心配だ。
「あっはっは! ダンテ、君は相変わらず自分への評価が低過ぎる。おいで、お説教してやる」
「……危機を救って、説教されんのかよ」
いまいち状況を把握できてないフェルは、おろおろしながら姫ちゃんにしがみついている。
「フェル、俺また説教されるらしいから、みんなと朝飯食ってろ」
「また留守番?」
途端に不満そうに頬を膨らませた。
「アンジェリカの説教もおっかねえけど、手を握っててくれるのか?」
「ダンテ、いってらっしゃい」
「……はい、いってきます」
薄情者め。
先導するアンジェリカの腕の中で暴れるセツを巻き込むことだけ決めて、俺も後をついて行く。家の中、ダイニングで朝食の準備をしていたバルトの目が、可哀想に、と言っていた。




