01
俺の顔面を踏みつけた二角獣は、機嫌よく頭を振って鬣をなびかせている。後ろからぞろぞろ現れた多種多様な魔獣たちも、どことなく気分がよさそうだ。
「あっはっは! すまないなダンテ、その子は嫉妬深いんだ」
「そうかよ……」
俺でなければ鼻どころか顔ごと潰れて女神の元へ召されていただろう攻撃を、大笑いして流すところは変わらない。俺だから、痛い、で済んでいるのに。
「君は変わらず頑丈だな。安心したよ」
「うん、とりあえず……足を退けるよう言ってくれる? 旧友との再会が蹄の感触と土の味ってのは、普通に悲しい」
「あっはっは! そうだな、私もダンテの顔が見たい」
アンジェリカの指示で、二角獣は渋々ではあったが足を退けてくれた。……俺の顔を削ぎ落とすように蹄を擦りつけて。アンジェリカはそんな様子にすら呵々大笑する。颯爽と飛び降り、腰に手を当て背筋を伸ばした。
調教師アンジェリカ。
勝気な双眸は紫苑、髪は絹のように艶やかな金。夜すら跳ね返してしまいそうな、活力あふれるエルフだ。長い耳にはいくつもの飾りがぶら下がり、そのどれもが彼女の愛する魔獣を召喚するための魔法具だ。
森の民らしく自然を愛し、しかしそれ以上に魔獣を愛する生き方はエルフとしては変わり者で、故郷を追い出されるまで貫き通した魔獣への愛を誇りと胸を張る。カッコいい女性だが、相手を選ばない愛はセツが怯えるほど熱烈だ。
「改めて、久し振りだなダンテ。息災だったかな?」
「頑丈さだけが取り柄だからな。そっちも元気そうだな」
「私はいつだってご機嫌だよ。で、君の可愛いセツを私に愛でさせてもらいたんだけど」
ひぃっ、と上空でセツが悲鳴をあげた。
「どうしてかずぅっと飛んでるんだ。食事を用意しても降りてきてくれない。つれない子は珍しくてね、どうしても撫で回して抱きしめたい衝動が抑えられない」
「……そういうとこ変わらねえなぁ」
そういうところが怯えられている、とは教えてやらない。
「君の言うことなら聞くだろう? 少しでいいから愛させてくれるよう頼んでほしい」
目を輝かせるアンジェリカに対して、俺の方は眉が下がる。
「俺との再会を噛みしめてくれよ、まずは。これでも結構な勇気を出してここにいるってのに」
「君が勝手に意地を張っていただけだと思っていたんだけど?」
「……事実ってのは時に何よりも強烈な攻撃になるんだぜ、アンジェリカ」
「あっはっは! 寂しん坊さんめ」
握った拳を結構な強さで胸に打ち付けられた。続いて二撃目が鳩尾に叩き込まれたところを見るに、どうやら怒っているらしい。
アンジェリカはエルフ族の中でも若輩だ。なにせまだ六十代。人間からするとそれなりの年齢だが、エルフとして見れば子どもと言っていい。しっかり者で俺たちを導いてくれる大人という立ち位置にはいたものの、反面、無邪気さや素直さは俺たちの中でもダントツに激しかった。感情の発露も素直なもので、言葉でも殴るが手もしっかり出す。
「私たちみんなに寂しい思いを強いておいて、たった十年でまた魔王だなんて。君は一体、何をやってるんだ?」
「ごめん……」
「人間と魔族の共存を目指して――私が遺志を継いで、可愛い魔獣たちとサーカス巡業をしているって知ってたかい?」
「知らなかった。ありがとう」
「王都に行きたい気持ちをどれだけ我慢してきたか、わかるかい?」
「ごめんな、アンジェリカ」
徐々に力を増す拳を手のひらで包み、そっと引き寄せる。抱きしめることには成功したが、代わりに胸に強烈な頭突きを食らった。
「会いたかったよ、ダンテ」
「俺もだよ、アンジェリカ」
ぎゅう、と抱きしめ返してくれる腕に力がこもった。アンジェリカはギリギリまで俺のそばに残ってくれて、最後まで俺が引きこもることに反対していた。説教も苦情も、いくらだって受け止める。――と、浸っていた俺の下半身に、激痛が駆けぬけた。思わず下半身を引き抱きしめたアンジェリカごと上体を前倒した。
何だ、何をされた。いや、されたことは明確だ。膝だった。何の躊躇もなく膝を打ちつけられた。確実に潰れた。反射的に練った魔力で既に完治しているが、あれはきっと潰れた痛みだ。原因は俺にあるといえ、なんて恐ろしいことするんだこの女。カモミールにだってされたことねえよ、そんな攻撃。
「アン、……おま、え……正気か?」
「チッ……」
舌打ち!?
男の象徴を潰しておいて舌打ちしたか今こいつ!?
「……アンジェリカ。紅洞蜘蛛の巣に興味あるか?」
「ある」
「今度、調査させてやるよ」
勢いよく顔を上げたアンジェリカの表情が輝く。
「……カッシュと二人で」
一瞬で崩れた。
「悪魔か君は!?」
すかさずアンジェリカは俺に掴みかかり、胸倉を締め上げられた。
「どこに人の心を捨ててきたんだ!? 昔のダンテはもっと優しかった! 人でなし! 悪魔!」
締められた胸倉を揺さぶられ、首ががくんがくんと前後する。うっかりすると落っこちそうでおっかない。しかし謝らない。すっとぼけて見せる。
「何が不満なんだか、俺にはさっぱりわかんねえ」
「何だと!?」
「昔もあったろ。二角獣とお友達になりたいって言い出したお前を助けてやるって張り切ったカッシュと、二人で一晩――」
「やめろ! あれは私の一生の恥だぞ!」
顔を真っ赤にしたアンジェリカが爆音のような声量で怒鳴った。ひどい言われようだ。
「そんな言い方ないだろ。二人きりで屋内だったのは、相手がカッシュじゃ奇跡だぜ」
「誰一人に対しても隠せていないだろうが!」
「それは多くを望み過ぎだろ。奇跡は一個が限界だ。大丈夫、カッシュのことは俺らで叱っておいたから次はちゃんとコソコソできる」
「君という男は! 君という男は! バルトがいるからマシに見えるだけで、配慮も気遣いもできてることの方が少ないからな!」
アンジェリカの言葉にハッとした俺は、その場にくずおれ肩を震わせる。筆舌に尽くし難い屈辱だった。
「俺が、……バルトと、同類……?」
「あー……うん。ダンテは昔からバルトにはそんな感じだったね。変わってなくて安心したよ」
「そんなとこで安心されても俺が困る」
ふふ、と機嫌の良い笑みがアンジェリカの口からこぼれたところで立ち上がる。仕切り直しだ。察したのか、アンジェリカが小さく咳払いした。
「会いたかった。会いたくて、会いに来てしまった」
「会いたかった。会いに来てくれて、嬉しい」
笑い合って、続きは背後から響いた悲鳴に遮られた。……本当、森を出てからこんなことばっかりだ。
振り返った俺の視界に飛び込んできたのは、泥の魔族……じゃなかった。フェルだ。多分フェルだ。フェルくらいのサイズの泥の塊が、嫌、と叫びながら俺の方へ走っている。
「嫌! ダンテお風呂!」
どうやらバルトに洗われることが嫌で逃げ出してきたらしい。それにしてもすさまじい姿だ。何をどう遊んだらそこまで見事に泥に汚れるんだ。
魔力を練る。抱き着かれちゃ堪らない。水の魔法で洗い流してしまおう。
「おや、あれはフェル君かな?」
「ああ、洗うからちょっと待って――」
がしっ、と。後ろ手に拘束された。下手に振り払われないよう、小指を掴んで捻り上げられている。
「アンジェリカ?」
「フェル君! ダンテはここだぞ!」
「アンジェリカ!?」
仕切り直したじゃん! さっき良い雰囲気で仕切り直したじゃん!
アンジェリカの体を傷めずに拘束を解こうと悩んでいるうちに、スピードを上げたフェルがもうそこまで迫っていた。あ、やばい。思った時にはフェルはもう抱き着く姿勢になっていて。そのタイミングで膝裏を押され、かっくんと俺の体は崩れた。
「ダンテェ……」
「待ってフェル待って待って! ~~~っっっっきったねえ!!」
べしゃあ、と。抱き着かれたところから嫌な音がした。土の味のあとは、泥の味。そして夕飯には未知の魚が待っている。……フェルと喧嘩をした罪が、あまりに重い罰となって降り注いでくる。
「あ、あんまりだ……」
しくしく泣きだした俺の頭上で、アンジェリカの勝ち誇った笑声だけがいつまでも響いていた。
◇
風呂に入って、フェルを洗って、執拗に歯を磨いて、やけくそ気味に焼いた魚を頭から骨ごと噛み砕いて、執拗に歯を磨いて。俺が落ち着いたのはそれからだった。
アンジェリカはご機嫌でエレーナと酒を飲み交し、バルトは風呂上がりの子どもたちに紛れて同じテーブルにつき、どさくさに紛れてエレーナの作った料理を食っていた。俺の方は一度も見なかった。クロエは俺から目を逸らしずっと肩を震わせていたし、フェルは俺がなぜ無表情なのか気にもならないようで口にひたすらサラダを詰め込んできた。
納得いかない。こんな一日で終われるか。アンジェリカとの再会で、むしろ傷ついたぞ俺は。食後でうとうとし始めたフェルの歯を磨き、酒盛りを続けるアンジェリカたちから離れ部屋に戻る。
フェルをベッドに寝かせ、荷物を漁る。
向こうから来るとは思わず予定が狂ったが、まあいい。しばらくは酒盛りを続けるだろうし、魔獣たちは移動で疲れたのかぐっすりだ。今夜のうちに、当初の予定を済ませてしまおう。
もやもやと色々考えていたせいか手元が狂い、金の入った袋を床に置いた際に音を立ててしまった。フェルが鼻を鳴らして起きてしまう。とろとろ持ち上がった瞼の下の深紅が俺を捉え、ぱっちり開眼した。
「あ! フェルも行く!」
俺が出かけようとしている。気配だけで察して食いついてきた。
ベッドを飛び降り、逃がさないとばかりにしゃがんだ俺の背によじ登る。
「誘って! ダンテ、フェル誘って!」
「フェル、俺は今から好きな女に花を届けるっていう重大な任務があんのよ。子連れじゃ行けねえよ」
ムッとしたのが気配でわかった。というか髪を引っ張られたのでわかった。
「フェルも行く!」
どこどこ俺の背を蹴り飛ばしながら移動したフェルは、俺の頭に腹を乗せ逆さに俺をのぞき込む。
「おっさんが顔を真っ赤にして女に花を差し出してる姿を見たいのか? 吐いちゃうぞお前。せっかく美味い夕飯を食ったのに」
サッとフェルの顔が青ざめた。飯を盾にされて困るのは、食いしん坊の性だろう。そのまま畳みかける。
「頼むよ、フェル。おじさんカッコつけたいお年頃なの」
こんな気分の夜でなきゃ、きっとズルズル後回しにしていた。シャーラにだって頼まれていることだ。覚悟が決まるのを待ってたら、いつになるかわかったもんじゃない。
努めて明るい声を出したつもりだったが、フェルは何かを察したのか俺の頬をぎゅっと挟んで肩を強張らせた。
「じ、じゃあ……フェルが寝てから行って」
寝てから魔王城に行ったら死んだんだけど……。
「帰って、起こして。それまで寝てる」
「ああ、なるほど……。わかった。ありがとう、フェル」
ガシガシ、と乱暴に頭を撫で繰り回す。
「いってらっしゃい」
「おう、行ってくる」
魔力を練る。脱力した体を支え、ベッドまで運び横たえる。毛布をかけて、今度はゆっくり頭を撫でる。
荷物の中から、シャーラの家で摘んできた花束を取り出す。
「う~ん……」
魔法、便利。時さえ止めてしまえば枯れることはなく、結界で覆ってしまえば他の荷物と一緒にしても花びらを散らすこともない。
フェルがはしゃいで摘み過ぎたせいでかなりの量になったが、豪勢になっていいだろう。ちまちまと編んでいく。ちなみに、フェルのために作った花冠は寝惚けたフェルが食ったせいで一日と保たなかった。
今の俺なら、死ぬまで魔法をかけっ放しにして、いつまでも美しいまま保存しておくことだってできる。花だけじゃない。人間が相手でも魔族が相手でも、時を止めて、永遠に、死なないように。
「よう、ダンテ。お前も来いよ」
ひょこっと顔をのぞかせたバルトの声でハッとする。思考を振り払う。
「おう、悪ぃ」
「子どもたちはみんな寝たぜ」
できたばかりの花冠をとっくり眺め、なかなかの出来栄えだと自画自賛する。フェルが摘んだ赤い花が、俺の摘んだ白い花によく映える。
「可愛いもん持ってんな。何? おしゃれに目覚めちゃった?」
「バーカ。……俺ちょっと出かけるから、フェルのこと頼む」
「……なるほど。おう、任せとけ。ふふん、お前がびりっけつだぜ。悔しいだろ?」
「俺が最初じゃ後の奴らが霞むだろ。気ぃ遣ってやったんだ」
「悔し紛れとしては最低な言葉を選んだな。否定はしないけど」
うるせえよ、と憎まれ口を叩きつつ、否定されなかったことがちょっと嬉しい。
「明日の朝飯までには帰って来いよ。エレーナの作るシチューはうめぇから、食いっぱぐれたら損だぜ」
「了解」
魔力を練る。転移魔法を展開する直前、ふと思い出してセツを呼ぶ。
「ぎゃっぎゃ! どうしたダンテ、花持って雌に会いに行くのに俺様を連れて行こうなんて、嫌われちゃうんだぜ」
「ちっげえよ! 留守番してる間にフェルと喧嘩になったら誰も止められねえだろ」
足につけたままの腕輪を指す。
「何かあったら姫ちゃんを呼べ」
「なんだよ自分を呼べって言わねえのかダンテ! ガキんちょが癇癪起こしたばっかだってのに、ぎゃっぎゃっぎゃ! めちゃめちゃ楽しんでくる気じゃねえか!」
「いいだろ別に! 姫ちゃん呼べよ!」
起きることはないし、起きたとしても今回は癇癪もない。わかっているが、一応、念のため。……俺の臆病は不治の病だ。
にやつくバルトが追撃する前に転移してしまう。
バルトとエレーナの家がある場所から、魔族領へもう少しだけ踏み込んだ場所にある巨大樹。瘴気も薄く、日当たりもいい。家の周辺には花畑まである清涼な場所。
元聖女カモミールの家だ。




