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お伽噺の後日談  作者: かたつむり3号
第二章 ダンテの「ダ」はダメダメの「駄」
15/33

06


 小さな、小さな声に名前を呼ばれた。

 震えそうになる喉に喝を入れ、崩れそうな膝に力を込める。表情筋に気合を入れ、口角をあげる。


「おう、フェル。さっき振りだな」


 振り返って、しかししゃがんで目線を合わせるには膝に力を込め過ぎた。


「ダンテ、フェルは……嫌いなの」


 咥内の肉を噛み千切って、痛みで意識を鮮明に保つ。弱々しい声でとんでもない刃物を刺してきた。


「烏も、ドラゴンも、魔女も、戦士も、みんな嫌い」


 セツも、ディーナも、クロエも、バルトも、みんな嫌いだとフェルは泣く。


「みんな、ダンテが好き。だから嫌い」


 フェルを出し抜いて俺と一緒にいようと張り切るセツも、俺が愛を囁き唯一の湖を預けるだけの信頼を得ているディーナも、俺に懐いて遊びに来るクロエも、フェルと会うより以前に出会いフェルの知らない俺を知るバルトも。フェルと過ごす時間を奪い、フェルの知らない話をし、フェルへの意識を薄める存在を。


 俺以外に寄る辺のないフェルと、独りぼっちの俺だから成り立ってきた関係だ。互いに互いしかいない、そういう繋がりのはずだった。

 魔王を斬るのだってフェルのためだったのに。寄り道はあくまでもそのための情報収集のはずだったのに。森の外に出た途端、俺は独りでなくなった。孤独を埋める、相手が増えた。

 俺しかいないフェルから、俺を奪っていく存在。


「フェル、ごめんな。俺が悪かったよ」


 一人置いて、独りにした。

 跪いて詫びる。


「もう一度、今度は守るから約束させてくれ。俺はフェルといる。どこにも行かないから」

「……さ、」


 さ、と繰り返すばかりで言葉は続かず、もどかしさからか殴られた。加減はしたのだろう。殴られた頬からは鈍い音がしたものの、痛みはそれほどじゃない。

 フェルはどうしてか目を丸くして自分の手を見つめている。お前が殴ったんだよ、何で驚いてんだ。


「俺さ、お前との旅行が嬉しくて浮かれてたんだ。カッコつけて情報収集とか言って昔馴染みのとこ巡ってるけど、懐かしくてはしゃいだ。俺が楽しいのを、フェルも楽しいって勘違いしたんだ。ごめんな」


 悲劇のヒーローとは、バルトのくせに皮肉が効いてる。

 嫌悪感や拒絶にばかり慣れて、好意や幸福に鈍くなっていた。久し振りに過ごす友人との時間は、鈍っていたものを叩き起こして引きずり出した。脳が麻痺するほど浸って、フェルの孤独や疎外感に目を瞑るほど、酔っていた。


「フェルは、ダンテじゃない」

「そうだよな。ごめん」

「フェルは、楽しくなかった」

「そうだったんだな。ごめん」


 うつむいたフェルの声が沈む。


「フェルは……ダンテがいないとさ、さ……、嫌い」

「なあ、フェル。俺のことはさ、嫌ってていいよ。でもさ、俺の友達のことを、嫌いって決めつけないでくれよ。寂しいから」


 また殴られた。今度はかなり強めに。ちょっとばかり歯が砕けた。……何が気に食わなかったんだ。


「フェルは! ……ダンテのこと嫌い。でも、……大嫌いじゃない」


 どんどん失速する言葉は、今の俺にとってこれ以上ない慰めだった。

 ――まあ、まったく。


「そうか。ありがとう、フェル」


 嬉しいなあ、ちくしょう。


 極まって伸ばした腕を、フェルは避けた。めげずに伸ばすもやはり避けられる。


「フェル、フェルさーん。俺のトマトやるから、機嫌直せよ」

「と! ……だ、ダメ。許さない」


 ちょっと許しかけたじゃん。


「お、お前バルトたちを巻き込んだこと、ちゃんと考えたか?」


 話題を逸らしつつ、もう一つの本題に切り込む。フェルはギョッとして、しかしすぐに怒鳴った。


「ダンテには関係ないでしょ!」

「大ありだよバカ野郎。俺にキレた件で八つ当たりしたんだろうが」

「うっ……フェルちゃんとごめんなさいできる! ダンテは反省してて!」

「……はい、反省します」


 がっくり肩を落とす俺に寄ってきたフェルが、袖口をつまんでまたうつむいた。


「置いて行かないで」

「はい、ちゃんと誘います」

「トマト」

「はいはい、全部食っていいよ」

「……ダンテ、フェルといる?」

「言ったろ。フェルといるよ。今度は破らねえから、約束する」

「じゃあ、許す」

「ありがとう、フェル」


 控えめに腕を伸ばしたフェルの緊張につられて、俺もおっかなびっくり手を伸ばす。昨日も抱きかかえていたはずなのに、腕に乗るフェルの重さは、なんだか久し振りな気がした。



 迎えに行ったバルトに連れられて帰ってきたエレーナたちに、フェルはつっかえつっかえ謝った。


 謝罪すべく表情を引き締めたフェルを見送る俺に、


『何でそこにいるの! ついてきて!』


 と怒鳴って、千切れんばかりに力強く俺の服を引っ張った。ちゃんとごめんなさいできる、と啖呵を切ったあの姿は何だったのか。俺には関係ないとまで怒鳴ったくせに。


『ご、ごめんなさい……』


 エレーナにはしゅんと肩を落として。子どもたちにはおそるおそる。バルトには、歯を食いしばりながら。

 バルトは呵々大笑してケロッとしていた。子どもたちは、エレーナから俺との喧嘩だと説明を受けていたらしく、勝敗を興奮気味に問いただしフェルを囲んでいた。魔法が発する轟音が、両親の喧嘩の激しさを連想したとか。……日頃どんだけ元気な喧嘩してんだこの夫婦。


 ここまではいい。

 許してもらえた安心感で破顔したフェルの名を呼んだエレーナの声を聞いて、俺とバルトは背筋が凍った。無邪気に返事をしたフェルは、にっこり笑んだエレーナの顔を見て、ひゅっ、と喉を鳴らした。


『フェル様、』


 エレーナの説教は、とても恐ろしく、とんでもなく長かった。

 そばで聞いている子どもたちは、恐怖のあまり泣きだした。バルトは子どもたちを慰めることも忘れて、震えながら俺に縋りついた。かく言う俺も、もちろん震えている。エレーナは俺たちの誰よりも怒りの発露が激しい。滾る溶岩のような女だ。

 鼻にしわを寄せ牙を剥くのは、エレーナが本気で起こっている証拠。説教の合間に唸っていることからも、怒髪天を衝いているとわかった。フェルが相手だ。顔を削ぐことはないが、その分、言葉でしっかり恐怖を植えつけていた。おっかねえ。あまりに恐ろしく、また熱意あふれる説教で、家の中で帰りを待っていたクロエが転がり出てきたほどの激しさだった。セツは早々に逃げた。


『以上です。わかりましたか?』


 日が暮れ始めた頃、ようやく訪れた終了の言葉に、


『ひ、ふぁ……はい、ごめんなさい』


 フェルは本気で怯えていた。泣くのも忘れ、震える体を押さえるために服の裾をぎゅっと握って、歯をガタガタ鳴らしていた。

 もちろん、俺もその後がっつり怒られた。子どもを不安にさせるとは何事だ、とか、親子喧嘩に他人を巻き込むな、とか、ぐうの音も出ない説教だった。親子じゃない、と訂正する暇もなかった。さすがに個別だったが、あれだけ大声を出せば筒抜けだろう。フラフラになりながら戻った俺の肩を、バルトがそっと叩いてくれた。


 ――それが、ついさっきまでの話。


「ね、ねえフェルさん? さすがにちょっと、遠慮してほしいっつーか」


 フェルは返事をしない。


「おっさんにも羞恥心はあるっつーか」


 フェルは返事をしない。


「トイレはやめよう? トイレも一緒はやめよう!? お願い!」


 森での生活にプライベートはなかった。しかしトイレは別だ。家の外、ちゃんと隠れた場所に設置したトイレは、行ったとわかっていても互いに触れないのが暗黙のルール。フェルは今、そのルールさえかなぐり捨てて俺とご一緒しようとしている。トイレの前でじたばた騒ぐ俺たちを見て、バルトの子どもたちがくすくす笑いながら通り過ぎて行った。勘弁してくれ、勘弁してください。


「ダンテ、フェルといるって言った」

「限度がある! 限度があるだろ!?」

「約束した」

「そうだな! 約束したよな! でも考え直そうちょっとでいいから冷静になろう!」


 どうしよう、こいつ全然離れない。俺の足にしがみついて、ぶん回しても引っ張ってもすごい抵抗を見せてくる。


「……本当についてくんの?」

「一緒」

「……よし、わかった。まずはエレーナに相談し――」


 あっという間だった。瞬きの間に、フェルは俺の足を解放しどこかへ走り去っていった。


「……エレーナ、便利」


 我儘を言うフェルを封じる合言葉として、今後、大いに活躍しそうな予感がする。

 下手な使い方をすると俺がまた叱られるので、用法容量を守って使用する必要はあるが、しばらくは効果を発揮してくれるだろう。そんなことをつらつらと考えながら用を足し、部屋に戻る。


「何してんだ、お前?」


 部屋で待っていたのは、正確には俺のベッドで寝っ転がっていたのは、バルトだった。


「何って、お前と語らおうと思って待ってたんだよ」


 ひょい、と持ち上げて見せたのは、バルトがとっておきの時にと大事にしている酒だった。値が張るからとケチって、グラスは小振りだ。


「ちょっと飲もうぜ」

「……おう」


 さっそく、と注がれたグラスを受け取って、軽く合わせる。おかわりの保証はないので舐めるように飲む。


「で、どうだった? 久し振りに死んで生き返った気分は?」

「まずそれかよ。……良い気分なわけねえだろ」

「はっはっは! でも良かったなあ、人間やめててよ。蘇生だの時空魔法だの、人間じゃ使えねえもんな」


 こいつは本当に、人が気にしていることを遠慮なく踏み抜いて行く。


「まさかダンテが子どもに振り回される日が来るとはね~」


 自分のグラスにだけおかわりを注いだバルトが、にやにやとだらしない顔になった。


「何だよその顔」

「いや~? 孤独死の線が消えたことにホッとしてんだよ」


 孤独死すると思われてたのか、俺。


「はしゃいで子どもに拗ねられるダンテ、見物だったぜ」

「ここぞとばかりにバカにしてくるな、お前」

「バカにさせろよ。心配ばっかりかけやがって」

「……悪かったよ」


 こればっかりは俺が悪い。全面的に俺が悪いので、言い訳もしない。


「ま、今回はちゃんと帰ってきたからいいけどよ」


 拗ねたように口を尖らせるバルトに言葉もない。


「魔王の件が片付いたら、昔の仲間を全員集めて宴会しようぜ、ダンテ」

「わざわざ集めなくても、お前はいつでも会えたろ」

「会えたけど、会ってねぇよ」

「……は?」

「お前は会えねえのに、俺らだけ仲良くしてたら寂しいだろ? 俺たちなりに気を遣ったんだぜ」


 噛みついてやりたいのに、気持ちが肯定しているせいで黙るしかない。

 どいつもこいつも、俺の悪夢に付き合って。そうならないよう、独りになったはずだったのに。

 堪らず顔を顰めた俺を見たバルドが肩を竦め、話題を変えた。


「そんな気遣いを無視してしょっちゅう連絡寄越すのは、カッシュだけだ」

「……あいつは野生児だ。人間より猿に近い、諦めろ」

「金の無心してくる猿とか嫌過ぎじゃね? 魔物として討伐していいだろもう」


 一体いくら無心したんだろうか。恐ろしいので質問しない。


「ま、そういうわけだから? 宴会しような」

「……ああ、そうだな」


 悪夢はいい加減、終わりにしなければ。


「酒はお前が奢れよ。そんで、食事はお前とエレーナとクッキー魔女がつくる。俺はつまみ食いする連中を押さえとく」

「つまみ食いする奴ばっかじゃねえか、俺らの仲間は。……フェルは強敵だぞ。カッシュもいるのに」

「カッシュは……アンジェリカに押しつけよう」

「そんなことしたらカッシュ死んじゃうだろ……」


 懐かしい名前がぽんぽん出てくる。おかわりをねだらなくて良かった。酒が入ったら、酔って泣いていたかもしれない。


「宴会といえば肉だよな~。お前、狩りしろよ。獲物は俺が選んでやる」

「おいバルト、俺にどんだけ役割押しつける気だ。あとそれ、何杯目だ」


 グラスに注ぐ意味ないだろ、と言いたくなる勢いでおかわりしている。


「みんなに心配かけてごめんなさい宴会なんだから、お前が一番あくせく働くんだよ。当然だろ?」

「そんな目的の宴会なら賛成しなかったよ。俺のことこき使って喜ぶ奴ばっかじゃねえか、俺らの仲間は」


 俺が疲れたり、ぐったりしてると拍手が起こるような連中だった。


「剣の腕は錆びてねえだろうな? みんなが集まったら剣技大会するぞ」


 聞けよ、話を。耳を傾けろよ、俺の抗議に。


「子どもたちの前で地面に転がされようなんて、道化としての自覚があり過ぎだろ」

「負け前提で話すな! お前以外には負けねえから! そもそもダンテ対俺たちのレイド戦だから!」


 俺への対策が厚過ぎるだろう、それは。


「あ~楽しみになってきた。ダンテ、お前さっさと魔王どうにかしろよ」

「悪かったな、逃げ帰って来て」


 俺だって予想外だったんだ。若い頃に張った結界に苦戦するなんて思わない。


「帰ってきたからいいって言ってんだろ。何度も言わせんなよ、ほんっとバカだなお前」


 バルトは遂に、グラスを持ったままビンを呷って飲み干した。おかわりするかどうか、聞くくらいしろよ。

 バカバカ言われ過ぎたこともあり、かちーんときた。


「バカトのくせに……」


 小声で言ったつもりだったが、バルトの耳は拾ったらしい。グラスを置いて立ち上がった。


「うるせえ! いつまでもカッコつけていられると思うなよ! お前がバカなことに気づいてないのなんてなぁ、カモミールくらいだかんな!」

「あいつが気づいてなきゃ俺の完全勝利なんだよざまあみろ!」

「てんめぇこの野郎! 俺でさえエレーナにはバカだってバレてんのに! お前だけカッコいいままでいさせるもんか! 表出ろ表!」

「やってやらぁ! 呼び名にダサトも追加してやるから覚悟しとけよ!」


 ぎゃあぎゃあ、と喧嘩しながら外に出て、揃って剣を置いてきたことに気づいた。恥ずかしいので取りになんて戻れない。顔を見合わせて一拍。黙って拳を握り構える。

 タイミングを探って、空気が張り詰める。いざ――


「喧嘩したら夕飯抜きよ、バカ共」


 地の底から這い上がってくるような唸り声に、俺たちは迷わずその場で跪いた。


「仲良く語らってると思ったら、何で喧嘩に発展してるのよ」


 怒りよりも呆れの方が多そうだ。エレーナが深々と溜め息を吐き出した。


「ダンテ、日に何度、喧嘩すれば気が済むのよ。良い子にしてなさい」

「はい、すみません」

「バルト、暇なら子どもたちをお風呂に入れて。またフェル様を巻き込んで、泥だらけなんだから」

「はい、すみません」


 フェルの奴、逃げたっきり戻らないと思ったら、子どもたちに捉まっていたらしい。友達ができるのはいいことだ。


「あんたたち、夕飯は例の魚を食べるのよ。調理も自分たちでしなさい」

「はい、いただきます」

「はい、いただきます」


 ものすごくカッコ悪い姿だった。おっさんが二人、説教されて地面に正座とは情けない。ダサすぎて涙が出る。

 魚を焼くなら、今夜はバルトと二人で外食だな、とぼんやり思う。エレーナはフェルを説得してくれるだろうか。

 エレーナに急かされいそいそと家の中へ戻っていくバルトを見送って立ち上がる。いつの間にか日が暮れていた。


 不意に、セツの泣き声が響き渡った。樹々の間から飛び出してくる。


「ぎゃあぎゃあ! ダンテ助けて俺様ってば大ピンチなんだぜ!」

「どうした?」

「のんびりすんな! お客だぞ! アンジェリカ、アンジェリカ! 魔獣狂いのお出ましだ!」

「……は?」


 ぽかん、と口を開けた俺の隣で、エレーナが耳をぴくぴくさせる。


「ダンテ、本当に来たみたいよ。それも大所帯で」

「大所帯って……」


 問いかけようとエレーナの方を向くと、彼女はもうそこにいなかった。……逃げるなら、俺にも教えてくれよ。

 顔を正面に戻したまさにその時。



「アンジェリカ様のお通りだぞ!」



 バカでかい声と共に、樹々を薙ぎ払って、巨大な馬に乗った女が姿を現した。

 二角獣(バイコーン)。純潔を穢し、好物は善良な男だ。普通の馬の二倍はある体躯は筋肉質で、鬣から蹄まで真っ黒だ。目だけが爛々と赤い。


「やあ、ダンテじゃないか! 十年も待たせるなんて、気を揉ませるな君は!」

「よお、アンジェリカ。ひ――」


 アンジェリカの声に反応し嘶いた二角獣が前足を持ち上げ、振り下ろした。


「――さし振りだな」


 ゴッ! と俺の顔面からすさまじい音がした。……俺が善良であるという証明に、せめてなっていますように。

 

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