5.5 おまじまい
泣き出したフェル様を前に、ダンテは何もしない。ごめんな、と泣き笑いのような顔をするばっかりで、麻袋からあふれて滴る涙を拭ってあげようと動くことすらない。
「駄目……」
余裕がないんだ。
フェル様に大嫌いって言葉をぶつけられて、ダンテは多分、傷ついた。傷ついて、それを誤魔化そうと躍起になって周りが見えてない。
知ってる。私はそうなった人を知ってる。
「ダンテ!」
体は勝手に動いた。抱えてくれていたバルトさんを振り払って、ダンテのところまで走る。ほとんどぶつかるみたいにダンテの腕に縋りついて、声を張る。
「ダンテ! フェル様が泣いてる!」
揺さぶろうと腕を引くもビクともしなくて、そうしてる内にフェル様が背を向けて走り出した。幸い行き先はバルトさんの家でホッとする。家の前に立っているバルトさんを大きく迂回するように走って、フェル様は家の中に入って行った。
「ダンテ、ダンテ! フェル様行っちゃったよ!」
「……クロエ、怪我ないか?」
「ないよ! ダンテが庇ってくれたから。ありがとう、ごめんなさい。寝惚けてて状況が何もわからなかったからパニくってたの。それよりフェル様だよ、追いかけて! すぐ追いかけて!」
謝ったって解決しない。フェル様はきっと、謝ってほしいわけじゃない。私もそうだった。ごめんって言われると余計にこじれる。違う、そうじゃないのに、ってムキになる。追いかけたって拒絶される。でも追いかけないと、喧嘩もできない。
「今、俺が行っても逆効果だろ」
「それでも行くの! ダンテじゃないと駄目なの!」
何で、どうして。いつだってフェル様のことばっかりのくせに。放っておいたことなんてないくせに。何でこんな時ばっかり身を引こうとするの。どうしてこんな時ばっかり。
「バカンテ! 臆病者!」
逃げないでよバカ。嫌われたくらい何だってのよ。いっつもいっつも嫌いって言われてるじゃない。バカ、ダサンテ。
めちゃくちゃに怒鳴って引っ張っても、ダンテは動かない。私の方が泣きそうになっていると、バルトさんが大笑いしながら寄ってきた。
「あっはっは! ダンテお前、遂にクロエにまでバカってバレたのか?」
途端にダンテの顔が渋くなった。
「クロエ、バカンテは放っとけ。こいつ拗ねると長いんだ。それよりお前、フェル坊の様子を見てきてやれ」
思わず怯んだ。
「わ、私じゃ無理よ……だって、」
「大丈夫、大丈夫! ダサンテが行くよりまともな話し合いになるって」
自信はない。でも、ダンテは動きそうにない。
「ダンテにはいい薬だ。いつまでも悲劇のヒーローじゃいられねえって思い知れ」
ぴくっと反応したダンテが私を見る。泣き出す前の、子どもみたいな顔だった。
「……クロエ、頼む」
「わ、私……わかった」
弱気は、ダンテに頼られた喜びに負けた。小さく頷いた私を見て安堵したように息を吐いたダンテは、魔力を練ってフェル様が壊した一帯を巻き戻した。
家へ向けて走り出した私の背後で、謝るダンテをバシバシ叩いて笑い飛ばすバルトさんの声が聞こえた。
◇
しばらく探して、見つけたのはダンテが荷物を置いている部屋だった。薄く扉が開いていて、まるでダンテを待っているよう。フェル様はその奥で、荷物の間に紛れ込むように蹲っていた。
「フェル様……?」
返事はない、当然だ。
最初から知ってた。フェル様は私のことなんてちっとも興味なかった。だって貢物しか見てなかった。名前を呼ばれたことすらない。向けられるのはいつだって敵意で、好意なんて欠片もなかった。初めて会ったあの日、フェル君、とさえ呼ばなければきっと、フェル様は私に声をかけることすらなかったとわかる。
ダンテじゃない誰かに、まして敵意を向ける相手に慰められるのは、きっとすごく嫌だと思う。ましてや説教の真似事をされるなんて、屈辱すら感じるかもしれない。それでも、今でないと駄目だ。こういう喧嘩は、すぐ仲直りしないと駄目だ。でないと、私みたいになる。
「ちゃんと言わなきゃ伝わらないよ」
お礼が言いたい。会いたい。
私は自分の気持ちばっかりで、何で駄目なのってムキになってた。私は、私を助けてくれた瞬間のダンテしか知らない。自分を受け入れてくれた、助けてくれた、神様だと思った。勝手に神様にして、ダンテの気持ちは無視してた。
綺麗にしてもらった。元気になった。伝えればきっと、私の神様は喜んでくれる。よかったな、って頭を撫でてくれる。そんなのわからないのに。私にとっての特別が、ダンテにとっても特別なんだと決めつけてた。
「ダンテは多分、嫌いって言ったらその通り受け取るよ。そうなんだなって受け止めちゃうよ」
扉のそばに座り込んで声をかけ続ける。部屋の中に入らないよう、でも壁や扉で隔たりを作らないよう気をつける。ダンテじゃない私は、ここから先には入れない。入っちゃいけない。
フェル様は自分の領域にははっきり線を引いていた。自分だけの場所。秘密基地という形で家の外に設けるのではなく、ダンテの家の中に線を引いていたということは、そういうことだ。ダンテには許していた。
麻袋を被って顔を隠すフェル様の表情をいつだって過たず理解するダンテがいる家の中に、見透かせる場所に自分の領域を設けるほどに。いつだって暴ける場所に隠し事を置いていられるほどに。フェル様はダンテに心を許していた。
「フェル様、」
「うるさい!」
強い拒絶を、無視する。
「ダンテはフェル様のこと、大好きだよ。見たらわかる。見てたから、わかるよ」
独りぼっちになっていたダンテが、たった一人そばに連れていた子ども。私が会いに行っても、私と話していても、いつも気にかけてた。いつも心配してた。目に見えない優先順位。ダンテの一番は、フェル様だ。
「嫌ってるって思われたら、悲しいよ」
おばあちゃんなんて大嫌い。
同じように言葉をぶつけた。ダンテに会いたいばっかりで、どんどん成長する自分の体に焦って、私だとわからなくなるかもしれないと勝手に怯えて。今の私じゃ駄目だと、私は駄目だと、否定されたような気がして。駄目じゃない、寂しい、嫌わないで。後ろ向きな気持ちがあふれて余計に焦って。困ったように笑うばかりで頷いてくれないおばあちゃんに、八つ当たりした。
あの時のおばあちゃんの顔を、私は絶対に忘れない。傷ついて、悲しんで。でも、ごめんね、って笑ってた。あんな作り物の笑顔、させたかったわけじゃないのに。
ダンテも同じ顔してた。おばあちゃんより上手に笑って見せたけど、間違いない。
「怒っててもいいの。悲しいなら悲しいって言っていいの。それはダンテとちゃんと話せばいいことだから。でも、でもねフェル様」
喧嘩なんだから、フェル様にだけ謝れなんて言わない。言いたいことは全部ぶつけた方が良い。だけど、
「嫌いじゃないよって、言いに行こうよ」
あの言葉だけは、どっちも傷つくだけだから。痛いばっかりの言葉は、刺さったままにしちゃいけない。
「フェルは……ダンテ嫌い。でも、大嫌いじゃない」
「うん、知ってるよ。みんなわかってるよ。でも今、ダンテだけが知らないの。それは寂しいよね」
ダンテはどこか、フェル様から一歩引いた態度をとる。大事に大事にしてるのに、宝物みたいに接するのに、それをいけないことみたいに。たった二人で暮らしてたのに、独りと一人で暮らしてた。
「行こう、フェル様」
一度、言葉にした大嫌いは、たくさんたくさん好きって伝えて塗り潰すしかないんだ。時間が空けば空くほど言い辛くなって、いつかそばにいることも辛くなる。逃げ出した弱虫の私は、ダンテが連れてきてくれたから帰って来られた。じゃあ、フェル様は?
ダンテの森にいて、ダンテのことだけ好きで、ダンテしかいないフェル様は一体、誰が連れて行ってあげられるの?
「フェルは、お前のことも嫌い。ダンテを盗る。でも……大嫌いじゃない」
ありがとう、と。その言い方はダンテそっくりだった。
「私はフェル様のこと大好きだよ。いつかお顔を見せてもらえるように、好きなってもらえるように頑張るね」
ダンテを盗られる。フェル様にそう思ってもらえる私はきっと、見込みがある。ダンテを巡って喧嘩できるくらい、仲良くなろう。
ゆっくり、おそるおそる歩み寄ってくれたフェル様に精一杯の笑顔を向ける。
「お前、怪我……」
「してないよ。フェル様とっても強いのね、すごいわ」
「……ダンテ」
「ダンテが教えてくれた力なら、きっと優しい使い方ができるわ。だから今度は、誰かを守るために使いましょうね」
お姉さんぶった口調は空気を和らげようと思ってのことだったけれど、フェル様は存外、重々しく頷いた。
「じゃあ、ダンテのところに行こう。喧嘩しなくちゃ」
「喧嘩……?」
言葉に驚いたせいか、差し出した手は素直に繋がれた。
「そう、喧嘩。ダンテに怒ってるなら、何で怒ってるのか言葉でしっかり伝えなきゃ。言葉が全てじゃないけど、言葉にすることで伝わることもあるでしょ?」
言葉にすることで、思い知らせることができる気持ちもある。
「言わなくても伝わってることって要は思い込みだから。言葉にして、確信にしてあげるの。フェル様が最近ちょっとセツ君とばっかり遊び過ぎだと思う、って言えば、ダンテもやっぱりフェル様のこと後回しにしてたよね、って反省すると思うよ」
「言葉に……」
「いっぱい怒っていいよ。嫌なこと悲しいこと寂しいこと、全部ぶちまけて、それで最後はお互いごめんなさいって言ってお終いにするの。大丈夫、ダンテは全部受け止めてくれるよ」
だって、ダンテはフェル様のこと大好きだもの。
外に出ると、ダンテはまだそこにいた。家に背を向け一人で立って、ぼーっと空を見ている。
フェル様は動かない。ぎゅう、と握った手に力がこもった。
「フェル様、勇気が出る魔法をかけてあげる」
しゃがんで、フェル様と顔の位置を合わせる。
「おばあちゃんに教えてもらったの。魔女のおまじない」
指をくるくる回して、呪文を唱える。
「プリングラタンストロベリー」
私の好きな食べ物を羅列しただけの呪文に意味はない。きっとおばあちゃんの思いつき。でもこのおまじないが効かなかったことは一度もない。
「これでフェル様は勇気いっぱい。大丈夫」
ふふ、と麻袋の向こうでフェル様が笑った。
「変なの」
手を放して踏み出したフェル様が振り返って私を見た。
「でも、ありがと」




