04
賑やかで騒々しい食事を終えると、フェルを含め子どもたちは瞼が重くなり、瞬きが増え、ほとんど眠気に負けていた。なんとか歯磨きを済ませ、ベッドに並べて寝かせる頃には半数も意識を保てていなかった。
「はは、遊び疲れたんだな」
寝息を立てる子どもたちの手前、さすがのバルトも小声だ。
「泥だらけで帰ってきたものね」
どんな遊びをしたらああなるのか、子どもたちは泥のそういう魔族かと思うような有様で帰ってきた。
昼寝をしていたクロエを叩き起こして四人がかりで子どもたちを抱えて洗い乾かし、あったまったことで微睡みに身を任せ始めた子どもたちに服を着せ、ほとんど寝ている子どもたちに食事をさせ歯を磨き、終わる頃にはクロエも疲れて一緒に寝てしまった。
食い意地の張ったフェルでも眠気には勝てなかったのか、あんなに楽しみにしていたじゃがいもも半分食べたか食べないかで夢の中だ。
「フェル様も、人見知りするみたいって魔女から連絡が来ていたけれど、心配なかったわね」
「うちの子らの元気に巻き込まれちゃ人見知りどころじゃなかったろ」
「ああ、そうだな。助かったよ」
魔王への不安はずっと付き纏っていることだろう。今はただそれを上回る緊張に襲われて誤魔化されているだけだ。長らく俺との二人暮らしだったところへ、急に複数人での旅行だ。行く先にいるのは俺の友人とはいえ、フェルにとっては名前も知らない奴が大半を占める。飯でどこまで騙されてくれるかと、気が気じゃなかった。
「二、三日いて我が家の賑やかさに慣れれば、あとはどこ行っても平気よ」
「ありがとう、エレーナ」
「明日からはもちっと役に立てよ、ダンテ」
「……ああ、そうだな」
バルトの血だ。頑丈な子ばかりだが、そうはいっても子どもの体は柔らかい。俺の森で遊び回って逞しく育ったフェルとはわけが違う。エレーナに似て二足歩行する狼タイプの子でもビビるのに、バルトに似て人間寄りの体に獣の耳と尾が生えたタイプの子なんて怖くて腰が引ける。俺みたいな筋力馬鹿は、へし折ってしまわないかと気が気じゃなかった。フェルだけはちゃちゃっと片付け、しかし六つ子には苦戦を強いられた。けれどちんたらやっていると寝てしまう。完全に寝てしまい脱力して、関節をどっかに落としてきたんじゃないかと不安になるほどぐにゃんぐにゃんになった子ですらてきぱきと処理していた二人を見て、育児とは戦いなんだなあ、としみじみ思い知った。
「明日は私が子どもたちをピクニックに連れて行ってくるから、あんたたちはダンテのお土産を処理しておいてね」
「……エレーナ、俺はまだ死にたくないんだ」
「ダンテが蘇生してくれるから平気よ。愛してるわ、あなた。頑張って」
がっくり肩を落としたバルトが下から抉るように睨めつけてくる。
ディーナから掻っ攫ってきた魚は、人間が食べていいものではなかった。森へ移住する前にディーナが住処にしていた土地周辺の川や海の一部を、ディーナが食事を理由に勝手に湖のそばへ繋いだ。我が家の食卓に並ぶ魚は、そこから姫ちゃんに宅配してもらっていた。飯を作れ、と伝言してきたバルトに食わせるために、今回は俺が自ら回収したのだが。
「魚と魔族の見分けくらいはつけろよ、さすがに」
「すまん……」
焦点の合っていないぎょろ目をした鮮やかな虹色の鱗を持つ魚は、よく見れば足が生えていた。気づいたのは防腐処理をした時だが、まあいいか、とそのまま持ってきた。世界は広いんだからこんな魚もいるだろう、と。そんなわけなかった。
「昔もそうやって俺の腹を破壊しただろうが。ちっとも成長してねぇ」
「すまん……」
まさか魚を食って体中が真っ青な鱗で覆われることがあるなんて思わなかった。しかも雌だったらしく卵を産みつけられた。バルトの腹がパンパンに膨れて弾けた時は、さすがのカモミールも吐いていた。あれ以来、食料調達はバルトの担当になった。
「クロエちゃんはどうする? 連れて行く? それとも昔話に花を咲かせる?」
「連れてってくれ。俺、普通の飯を食ってる奴の横でゲテモノなんて食いたくない」
味は良いかも知れねえだろ、と顔に出たのか、バルトが思いきり顔を顰めた。
「コドモノネガオハカワイイナー」
話題を逸らす。
「俺とエレーナの子だぞ、可愛いに決まってんだろ。にしても、クロエの奴、えらくはしゃいでたな」
親バカな奴だ。あっさり逸らされた。これ幸いと乗っかる。
「嬉しかったんだろ」
シャーラの家では末っ子だったクロエは、子どもたちの面倒をみるという経験が少ない。お姉さんになったみたいで嬉しかったのだろう。バルトの失言に腹を立てて不貞寝していたとは思えないほど、それはもう大人ぶって先輩風を吹き荒らしていた。……子どもたちはほとんどが夢の中で、明日には覚えていないだろうが。
「さあ、大人諸君。ここからは大人の時間よ」
尻尾を振ったエレーナに連れられ部屋を出る。
ダイニングに戻ると、食卓には酒が用意されていた。
「いつの間に……すげえな」
「速さには自信がある、わん」
「な? 俺の嫁さん最高だろ?」
鼻先をツン、と上へ向けたエレーナは誇らしげだ。それを見たバルトが我が事のように鼻を鳴らす。
「はは、エレーナは昔から最高だろ」
「あら、嬉しいわ」
先に座ったエレーナが、組んだ手の上に顎を乗せ微笑む。
「おいこらダンテ。人の嫁さんを俺より持ち上げんな。やらねえぞ」
途端にバルトが牙を剥いた。自分の椅子をエレーナに寄せ、俺の椅子は遠ざける。……ガキかよ。
「アホか。俺に盗らせてくれるような女じゃねえだろ、お前に惚れてんだぞ」
「……くっそ、口じゃお前に勝てねえ」
「他で勝ったことあるみたいな言い方すんな」
「緩急で酔う! 持ち上げるか貶すかどっちかにしろよな!?」
白熱する俺たちを止めたのは、エレーナの唸り声だった。
「起きてきた子どもたちの人数分、顔を削ぐわよ」
何その脅し文句こっわ! うるさいって一言より効果は抜群にあるが、恐ろしさは比じゃない。
すみません、と言葉が自然とこぼれ落ちた。バルトは痛みを思い出したのか、そっと自分の頬を両手で挟んで支えている。
「さ、嫌な話を先に済ませましょう。魔王の件ね」
空気が張り詰める。しかしそれは一瞬で、深々と吐き出される溜め息は二人分ぴったり重なった。自分たちで引き締めたくせに勝手に弛緩させ、揃って食卓に突っ伏す。
「家の周辺を探ってはいるんだけど、魔王軍の影も形も見当たらないのよね~」
「エレーナの部下だった連中にも頼んでるし、俺も昔の伝手に当たってはいるんだけどな~」
魔族領にいる二人に情報が集まらないとなると、いよいよおかしな事態だ。
エレーナの部下は大半が獣人だ。鼻も利けば耳も良い。日常の些細な変化を感じ取ることに関しては、人間よりずっと敏感で正確だ。
「わかったことといえば、突然に泣き出す発作が私だけのものじゃないってことくらい」
「エレーナの他にも、獣人の中ではじわじわ広がってるらしいぜ」
「広がってる?」
「昨日まで平気だった奴が次の日とか、まさに話してる最中にとか。大騒ぎだとよ」
「騒ぎになり過ぎて、正確な情報が回ってこないのよねぇ。発作が始まった時期とかきっかけを探りたいのに」
「どうしたもんかねぇ……」
謎が深まったばかりで、俺の溜め息も自然と深くなった。
引退したとはいえ、エレーナは魔王軍で幹部をやっていた女だ。彼女が探っても見つからない魔王軍となると、存在しない、と考えた方がいいのかもしれない。人間側の早とちり、勘違い、あるいは女神の嘘。どの可能性も遠慮したいが、否定はできない。しかしそうなると、魔王が現れたという情報の方も怪しくなる。わざわざ俺の夢に割り込んでまで討伐しろ、と囁いた女神のあれは何だったのか。
重くなる空気を散らすように、エレーナが酒を注いだコップを渡してくれた。
「魔王との関係を探ろうにも、侵攻してるっていう魔王軍が見つからない。一匹でも見つければ締め上げて吐かせるのに、困ったわね」
「やっぱ魔王城に近づけねえってのは痛ぇよ」
「魔王城、か……」
継続して見張らせているセツからも、誰かの出入りがあるという情報はいまだ届かない。どうなっているのか、さっぱりだ。
ちらり、とバルトと視線が交錯する。逸らしたのは、バルトだ。
「おいダンテ、お前ちょっと見に行って来いよ」
意識して何気なく装うバルトの様子には気づかなかったのか、エレーナがすぐさま噛みついた。
「はあ!? 何を言い出すかと思ったらこの人はまったくもう!」
「だってそれが一番手っ取り早いだろ? どうせ魔王城の結界はダンテにしか解けねえんだから」
迂闊な言葉を選んだら顔を削る、と言わんばかりに爪を構えたエレーナと距離を取って、しかしバルトは黙らなかった。
「だからって、ダンテを一人で魔王城に向かわせるなんて……」
「ナメクジじゃねえんだ。ダンテだって、いつまでもじめじめしてねえよ」
「もう! 言葉を選ぶってことを知らないわね! 凹凸のない顔にしてやろうか!?」
「顔の凹凸を消しても言葉の凹凸はなくならねえよ!?」
俺を置いて俺のことで喧嘩が始まった。……バルトは俺のことをナメクジと同じものだと認識してたのかよ。そんでエレーナもそれに関しては否定してくれねえのかよ。
「俺のために喧嘩すんなー」
何だよ凹凸のない顔にしてやるって。夢に出るわ、おっかねえ。
「でもダンテ……」
「心配してくれてありがとう、エレーナ。大丈夫だから。セツを連れて行くから一人じゃねえし」
ホッと安堵の息を吐くエレーナを見て、隣に座り直したバルトが首を傾げた。
「それ実質一人じゃね?」
何でこいつはすぐ余計なこと言うんだ。
「一人と一羽だ。俺とセツをまとめんな」
自然と眉根が寄った。エレーナが再び爪を構えた瞬間、窓からセツが飛び込んできて笑った。
「ぎゃっぎゃっぎゃ! 照れんなよダンテ! 俺様たちは一心同体だろ?」
「へーへー、行くぞ運命共同体」
すとん、と手刀を落としてセツを割る。二羽になったセツは余程、俺とのお出かけが嬉しいのかゲラゲラ笑っている。
「セツ」
「何だ?」
「何だ?」
二羽とも返事した。
「留守番する方だよセツ居残り号! わかってんのにしゃらくさいことすんな!」
召喚の腕輪を外して、輪の中にセツの足を突っ込む。
「何かあったら呼べよ。やり方、忘れてねえだろうな」
「忘れるような手順ねえだろ!? ぎゃぎゃ! ダンテは俺様のこと何だと思ってんだ!」
召喚の腕輪はセツと共有している装備でもある。俺が契約して登録した魔族を、俺の魔力を消費してセツが呼び出せる。そして、腕輪には俺とセツも登録してあって、いざというとき呼び出せるようになっている。俺とセツだからこそできる無茶だ。
「フェルがいるんだから、呼ぶなら姫ちゃんにしろよ」
「わかってるぜ、ダンテ。湖の彼女なんて呼び出した日には大惨事なんだぜ。西の嬢ちゃんは家ごとみんな丸焼きにするだろうし」
「……涙で鎮火する分ディーナよりマシだ」
どちらにせよ大惨事であることには変わりない。
「ダンテ、本当に大丈夫? バルトを連れて行っていいのよ?」
不安そうなエレーナに答えたのはなぜかセツだ。
「ぎゃっぎゃっぎゃ! 俺様がいればダンテは平気なんだぜ、狼。戦士の出る幕はねえよ」
「あら、そうなの? じゃあ、しっかり助けてあげるのよ、烏」
「火花を散らすな、仲良くしろよまったく。セツ、ダンテのこと頼むぞ」
「任せろ、バルト。俺様がいれば世界一安心なんだぜ」
俺を置いてきぼりに話を進めんなよ。
「ダンテ、気をつけて行ってこいよ。お前バカなんだから、うっかり転ぶなよ」
「見送りついでに貶すな。お前も少しは心配とかしろよ」
何だこいつ。
魔王城に行かせることに気まずさを感じる程度の気遣いを見せたかと思ったら、見送りはまともにしねえのかよ。
「はっはっは! ちゃんと帰ってくるってわかってる奴を心配してもしかたねえだろ」
「……そうかよ」
「おう! 気張って行け!」
そういう心配をしろって言ったわけじゃない。魔王城で俺が怪我する心配より、行ったきり帰ってこない心配が先に立つ。過去の俺の選択の結果が招いたことだ。反論もできねえ。
「よし、そんじゃ行ってくるわ」
肩を回し、軽く筋肉を解す。魔王城は転移魔法で行けない。走っていくしかないのだ。朝までには帰ってこないと、セツと二人で行ったと知られればまたフェルが拗ねる。
「フェルのこと頼むぞ」
「おう、任せろ」
「任せて」
コップの酒を干して外に出る。
「行くぞ、セツ道連れ号」
「ぎゃぎゃ!? もっとマシな呼び方にしてくれよダンテ、ダサンテ」
「嘴、落っことしても知らねえぞ」
ぐっと腰を落とす。
慌てて肩に飛び乗ったセツが三本の足でがっちり肉を掴んだ。
「ダンテ、抱きしめてほしいんだぜ」
「超強いんだろ、踏ん張れ」
踏みしめ、駆ける。
こんな時ばっかり、と泣いたセツの声が後方にすっ飛んで行った。
本気も本気、全力疾走だ。障害物を避けるために飛んだり跳ねたりしているが、久し振り過ぎてたまに失敗する。樹をぶち抜いた拍子にセツが振り落とされ、慌てて拾いに行く。
「だ、ダンテ!? ただ走ってるだけなのに何で俺様を落とすんだ!? 走るセンスもないのか!?」
目を塞ぐように顔に飛び込んできたセツをしかたなく抱えてやる。
「悪かったな。思ったより走れてて、自分でも驚いてる」
「ダンテはやっぱりダメダメなんだぜ!? 自分の体だろ!?」
振り落とされたのがよっぽど恐ろしかったのか、セツは泣きながらキレている。
「そう言うなよ。もう落とさないよう抱きしめててやるから」
「誤魔化されねえよ! 怖くて俺様ったら漏らしちゃったんだぞ!」
「うっそだろお前! 離れろ!」
引っ掴んで引き剥がそうと引っ張るも、爪を食い込ませて離れない。
「バカバカダンテのバカバカンテ! 大好きな俺様のこと受け止めろよ!」
「限度がある!」
「ダンテのせいなんだから受け止めろよ! 俺様ったら怖くて赤ちゃんなの今! 赤ちゃん! なの! ばぶぅっ!」
ばぶぅ、じゃねえよ。烏の赤ちゃんは、ばぶぅ、って言わねえだろ。人間に寄せんな。
「ああもう! ……服はお前が洗濯しろよ」
「俺様ってば浄化も水魔法も得意なんだぜ! ばぶぅ」
嘘吐け。水圧で俺の靴をぺちゃんこにしたり、刃みたいになった水で俺の服を切り刻んだことしかねえだろが。不得手ってんだよそういうの。
大口開けて騒いでいると、へし折った樹の破片が飛び込んできて不味い。ばぶばぶ言ってるセツの相手は腹立つばっかりだ。口を閉じて走ることに集中する。
流れていく景色の中に魔王軍の姿を探しているが。気配すらない。濃くなる瘴気ばかりが鼻につく。
しばらく走ると、目の前に懐かしい建物が見えた。欠けた月の明かりを浴びるそれは、魔王城。その正面で立ち止まる。セツも口を閉じた。
目の前にそびえる魔王城に口角が吊り上がったのは反射に近い。肌を刺す禍々しい瘴気も、夜の暗がり以外の何かが蠢くような濃い闇も、あの頃からちっとも変わってない。
「はは、おっかねえ……」
――どうか、
とっさに浮かんだ祈りは頭を振って打ち消す。どうせ、祈る相手なんて俺にはいない。
励ますように、ともすれば慰めるように、セツの翼が頬を撫でた。
「はは、ダッセェな俺」
「ぎゃぎゃ、ダンテはいつだってダサいぜ」
「そっか」
そうだな。カッコつけたってしかたない。泥臭く行こう。
震えそうになる体に喝を入れ、踏み出す。




