03
人狼エレーナ。
元魔王軍幹部で、腕っぷしが強くて足がべらぼうに速くて、心根の優しい、バルトの料理上手な嫁さんだ。それが今、俺たちの目の前で地面に座り込んで号泣している。
「あ! ダン……、よく来…………から、……な!」
こちらに気づいたバルトが声を張る。しかし声量を増すエレーナの泣き声に掻き消され、何を言ってんのかさっぱり聞きとれない。
魔力を練る。申し訳ない気持ちはあれど、俺の首にぶら下がるために両腕が塞がっているフェルが暴れて背中を蹴りまくってそろそろ骨が折れそうだし、腕にしがみついて爆音に耐えているクロエがそろそろ俺の腕を千切りそうだし、セツに至っては既に俺の肉を抉り取ってしまった。このうえ鼓膜まで破れては堪らない。エレーナの周囲に結界を張り、声を遮断する。ついでに自分の傷を癒し、確認するのも面倒なので全員まとめて回復魔法をかけてしまう。これで鼓膜が破れていたとしても問題ない。
「あっはっは! 元気そうだなダンテ! じゃがいもはキッチンに置いてあるから、荷物置いたら集合な!」
そうじゃねえよ。そうじゃねえだろう? 何だこいつ。
「おいバカト、どうせお前が悪いんだからさっさと謝って顔面削ぎ取られろ」
「喧嘩してねえよ!? 夫婦仲は結婚以来ずっと良好だよ!!」
いや、だって。視線だけでいまだ泣き続けるエレーナを見遣る。途端にぎくりと体を強張らせたバルトが、俺とエレーナの間で忙しなく首を振る。
「あ、違っ……これは!」
浮気が発覚した時にする反応じゃねえか、それ。
「フェル、バカが感染るといけないから、クロエと一緒に家の中に入ってろ。セツ、案内してやれ」
「泣いてるの、大丈夫?」
「大丈夫。バルトの顔面はなくなるけど、エレーナはそれで笑顔になるから」
「わかった」
「フェル様、そこでわかったって言っちゃうんだ……」
「ぎゃっぎゃっぎゃ! 行くぞお前ら俺様についてこい!」
違うってば、と涙目になるバルトを置いて、三人はさっさと家の中に入ってしまう。クロエだけが惜しむように何度もバルトを振り返っていたものの、足を止めることはなかった。
「え? 俺の顔面がなくなることについて、誰も何も言ってくれねえの?」
「風通しが良くなって涼しくなるんだ。良いことばっかりじゃねえか」
「俺の顔はそんな強引な手段に訴えないといけないほど暑苦しいのか!?」
無視して結界の前にしゃがみ込む。泣き続けている以上、解除はできないので結界をノックしてみる。
「あー無駄無駄。泣いてる間はそればっかなんだわ」
バルトの声は落ち着いている。随分と慣れた反応だ。
「何で泣かせたんだ?」
「だから俺じゃねえって! いいから来い。エレーナはこのまま放っておいても、しばらくすれば勝手に泣き止むから」
「……夫婦仲は良好なんだよな?」
「お願いだから説明させて? 俺たち十年振りに会ってんのよダンテ? そんな蔑むような目で俺のこと見ないで?」
大男が無理して身を縮める様が可笑しくて、堪らず破顔した。
戦士バルト。俺より頭一つ分は背の高いこの男は、人間の中でもかなりデカい。縦だけでなく、筋肉に覆われた肉体は分厚くちょっとした壁のような巨躯をしている。加齢で少しばかり顔にしわができたが、三十を半分は過ぎた今でも衰えは感じない。
「わかったわかった。説明させてやる」
「じゃがいもの皮むきも手伝って?」
え、図々しい。
言わんとすることを察したのか、バルトは俺が口を開くより先に俺の体を肩に担ぎ上げやがった。バルトほどではないにせよ、俺にもしっかり筋肉がついているし上背もある。にもかかわらず、こうも軽々担がれるとはどういうことだ。筋肉バカめ。
「あっはっは! なっっつかしいなあ、ダンテ」
「……そうだな」
十年、十年だ。一度として連絡をしたことはない。生死を共にする旅をした仲間、命を預けあった仲であるのに。
第一声から、あの頃に戻ったような会話ができた。一瞬で埋まった十年の距離は、俺から、今の姿をフェルに見られたらどうしよう、という気持ちを忘れさせた。
裏口から入ってキッチンへ行くなんて気遣いが、バルトにできるはずもなく。
フェルに見られた。結構しっかり目が合った。
誰か俺に回復魔法をかけてくれ。そんな気持ちが浮かぶほど、目を逸らすフェルの気まずげな表情は俺に深い傷を刻んだ。
「バカト、お前やっぱり顔面削がれろ」
「あっはっは! その呼び方も懐かしいなあ」
俺の呪詛は、バルトの快活な笑声を前に虚しく溶けた。
◇
バルトの家は魔族領内にある。エレーナが妊娠した時に、たまたま家を持て余していた奴が譲ってくれたのだ。森の奥深いところに建つ家なのだが日当たりが良く、六つ子を育てるにも十分な広さがある。
荷物を置いて一息つく暇もなく、フェルは元気な六つ子に引きずられるように森へ出かけて行った。年頃の子どもたちは母親があんな状態で構ってもらえず、元気を持て余していたらしい。同年代っぽいぞ、ということでフェルが捉まり、人見知りを発動する隙もなく連れ出されて行った。一応セツを千切り気づかれないよう後を追わせる。
クロエはというと――
「ねえねえ、私のことわかる? 覚えてる?」
「おう、思い出したぞ。さっき説明されたからな!」
「目の色がね、バルトさんと一緒だったの! ずっと見てほしかったの!」
「そっかそっか! 綺麗な色だな!」
すっかり童心に帰っていた。
フェルに情けない姿を目撃されたことで俺が落ち込んでいる隙にキッチンへ乗り込み、嬉々としてバルトに抱き着いて喋り倒している。バルトもあの時の娘がこんなに元気になって、と懐かしみ、頭を撫でて構い倒してやっている。
「あの時のこと、ずっとお礼が言いたかったの」
「あっはっは! 気にすんな。それより名前、よかったな可愛いの付けてもらえて」
「そうなの! ダンテが――」
「ダンテが付けた名前はくっそダサかったもんな!」
あ、と思った時には遅かった。
ぱあん、と鋭い音が反響し、バルトの頬には綺麗な赤い手形がついた。
「あの時は助けてくれてありがとう! バルトさん大好きよ!」
ぷんすか怒りながら感謝を叫んで、クロエは足音も荒々しくキッチンを出て行った。
「え? 何? 何で?」
呆然と頬を抑えるバルトを見ていたら、俺の傷は癒えてしまった。……うん、俺が担がれて運ばれたのは男同士のちょっとしたじゃれあいだ。俺だってフェルを担ぐことあるし。大丈夫、恥ずかしくない。今のバルトに比べたら、ちっとも恥ずかしくない。
「今のはお前が悪い」
「だってお前イルコって名付けたんだろ!? ダサいじゃん!?」
「それでもクロエは大事にしてんだよ。宝物をけなされたら誰でも怒るだろ」
「何でみんなダサンテにもらった名前を受け入れられんの? 女ってみんなそうなの?」
「知るか」
がっくりと肩を落としたバルトが立ち上がり、部屋の隅から大きな袋を引きずってきた。中身をのぞけば全部じゃがいもで唖然とする。
「女って難しいな~」
会話を継続させつつ、俺にナイフを差し出してくる。渋々受け取りじゃがいもを手に取る。
「こないだもさ、『最近ちょっと太っちゃって、困るわ~』ってエレーナが言うから『わかるよ』って答えたら顔を削ぎ落とされたんだよ」
受け取ったばかりのナイフを取り落とすところだった。
「え? 何? バルトお前、バカなの?」
あまりにもくだらない。
「そ、削ぎ落された顔はどうしてんだ?」
旅の道中はカモミールも俺もいた。回復魔法には事欠かない。けれど今は違うだろう。エレーナは風魔法を扱わせれば誰にも負けなかったが、他はからきしだ。バルトに関してはそもそも魔法の適性がない。
「どうしてんだ、って……大惨事なんだぞ」
「だから気になって質問してんだろ」
頑丈で我慢強いのがバルトの持ち味だが、エレーナの爪で顔を削がれればただじゃ済まない。
ざわつく俺を前に、バルトはなぜか口角を吊り上げ誇らしげに胸を張った。
「我が家の末っ子が回復魔法の適性があってさ、すぐ治してくれんだよ」
すっげえだろ、と笑ったのもつかの間、今度はなぜかげんなりしょぼくれた。
「でもなんか最近は冷たくてさ。『パパはそろそろ女の子の気持ちをちゃんとお勉強した方がいいと思うの』とか言って、心配もしてくれなくなった。俺、顔面がなくなって血まみれなのに」
太って困ると落ち込む嫁に、わかるなんて返事をする父親が相手では、娘も冷たくなるだろう。そんな理由で顔を削り落とされて血まみれというのだから、回復させてもらえるだけでもバルトはもっと感謝するべきだ。
「カモミールや俺じゃねえんだ。回復が済むまで時間かかるだろうし、痛ぇだろ」
「痛ぇよ。毎回、よく生き残ったな俺って感心するくらい痛ぇよ」
「反省して態度を改めろよ。自分を褒めてる場合か」
いつか死ぬぞ。
「女の相談事って解決策より先に共感してほしいんだって、前にエレーナが言ってたから」
「女の太った、は気づかなかった俺は今のままで綺麗だと思うし今のお前が好きだよって言ってほしいんだって、前に俺をぶん殴ったカモミールに怒られたろ!?」
「あの時はお前を笑うのに忙しくて聞いてなかった」
そんなんだから、何笑ってんのよ、ってお前も殴られちゃったんだよ。
「あの時のカモミールそんなこと言ってたのか。ちょっと要求が多くないかそれ? 難易度高いぜ」
「今それを言ってもしかたねえだろ!」
「言ってやったの?」
「……ちゃんと言えるようになるまで日に何度か聞かれたからな」
「え、何それ怖い」
俺はもっと怖かったよ。あいつは聖女のくせに金槌を武器に魔族をぶん殴ってた女だぞ。にっこり笑ってんのに手には金槌持ってたんだ、嫌でも言えるようになる。
あんなに一緒に過ごしてて、何でお前はそんな見事に見逃してんだよ。一回くらい見てろよ、俺がカモミールに脅されている恐怖の現場を。共有しろよ、俺の恐怖を。
「それであの頃のお前、やたらとたんこぶあったのか」
「そんなことは忘れてていいんだよバカト」
はい、浄化。言い方は軽くても金槌は普通のそれより重量があって、そのせいで攻撃も重かった。しかも殴りつけた相手にはもれなく聖痕を刻みつける仕様で、並みの回復魔法じゃ治せなかったんだ。
「俺の話も、お前がバカって話もいいんだよ。それよりエレーナだ、エレーナ。どうなってんだよ」
思い出すだけでも背筋が凍る思いで、慌てて話題を逸らす。
「わっかんね」
「は?」
遠慮のない声が出た。説明すると言っておいて、わからないとはどういうことだ。
「な~んか最近、不安定なんだよなあ……」
「お前が何かやらかしたんじゃねえの?」
「ざっけんな! 俺の愛情は嫁さんと子どもたちに全部を注ぎ込んでんだよ!」
でもお前、繊細さとかまるでねえじゃん。言いかけた言葉はしかし、バルトが吐き出した息の重さを前にすんで呑み込む。
「……本人も何で涙が出るのか、わかんねえみたいでよぉ」
「打つ手なし、か?」
「そうなんだよぉ! 泣いてる間はすげえ悲しいみたいなんだけど、涙が止まるとそれもピタッと治まるらしい」
わけがわからん。
「子どもたちも心配してっし、俺は俺で無力感からすっげぇへこむし、そのせいであいつも落ち込んでるし」
大慌て、とはこのことか。
「先に言えよ、じゃがいもとか後回しでいいから」
呆れる俺に、バルトは拗ねたように口を尖らせた。
「原因がわかんなくても、今のお前なら可能性の方を優先するだろ。そしたら俺、お前に会えなかったかもしれねえだろ」
可能性。真っ先に思い浮かぶのは当然、魔王だ。そしてバルトの言う通り、先に話を聞いていたら俺はここには来なかっただろう。フェルをシャーラに預けてでも、一人で魔王城へ走ったはずだ。
「嬉しかったんだぜ、俺。セツから、お前が俺らに会いたがってるって伝言もらってさ」
「……悪かったよ、連絡もしないで」
「あっはっは! 今こうして会いに来たので帳消しだろそんなもん!」
気にするな、と肩を叩かれた痛みで、こぼれそうになったものをぐっと呑み込む。
昔から、バルトの忍耐強さに甘えてきた。底抜けに深い懐で、大抵のことは受け止めてしまえる男だから。大雑把でバカだから女心みたいな複雑怪奇なものとはさっぱり相性の悪い奴だが、人の弱さにはとことん寄り添える優しさがある。
心配かけているとわかっていても、生きているのか死んでいるのか、それすら知らせなかった俺を黙って待っていてくれるこの男に、俺は寄りかかってばっかりだ。
「ありがとな、バルト」
「あっはっは! いいってことよ」
しばらく二人で黙々とじゃがいもの皮をむく。昔もこうして、二人で料理をしたものだ。カモミールは不器用過ぎて、皮どころか実まで削るし挙句の果てには自分の指まで切り落とした。噴き出す血をぼんやり眺めながら、拳大のじゃがいもだったものが飴玉サイズの屑いもになったのを見て、黙って時間を巻き戻したのは懐かしい思い出だ。料理は俺とバルト、カモミールは配膳と味見役、と決めたのは、三人で過ごした最初の夜だった。
「あ、エレーナ落ち着いたみたいだな」
結界の内側をノックされる感覚があった。
「じゃあ任せる。俺は飯をつくる」
「わかった。……フェルはトマトが好きなんだ」
「ちょうど食べ頃のがある。俺の嫁さんが育てて子どもたちが水やりしてるトマトだから、クッキー魔女の飯にも負けねえぞ!」
「任せた」
二ッと歯を見せる笑顔は昔と変わらない、子どものような無邪気さがあってつられてしまう。
懐かしさが胸を満たすのを感じながら、俺は裏口から外へ出た。
◇
結界の中では、エレーナがにこやかに手を振っていた。
艶やかな灰色の毛並みは変わらず手入れが行き届いていて美しい、と思う。凛々しい黒の瞳は鋭いが、どこか温もりを感じるのは彼女が母親だからだろうか。
結界を解く。
「久し振りね、ダンテ。思ったより元気そうで安心した、わん」
こういうお茶目なところも変わらない。
「丈夫さしか取り柄がないもんで。エレーナも元気そうで良かったよ。バルトは、ちょっと元気が有り余ってるみたいだけどな」
「うふふ、あの人は元気が取り柄だから」
「そうだな」
立ち上がったエレーナが砂を払う。立ち上がれるよう広めに張れば良かった、と反省する。自慢の尻尾が砂まみれで申し訳ない。
「ごめんね、せっかく遊びに来てくれたのに」
「気にすんな。もう平気か?」
「涙が止まればなんてことないのよ。でも突然始まって急に終わるから、最近は外出も控えてるの」
そりゃあ、外出先で急に号泣し始める人狼なんて怖すぎる。
「子どもたちも心配してるし、バルトも落ち込んでるし、何とかしたいんだけど原因がわからないから」
「原因、か……」
魔王と関係があると思うか、と。問おうと開いた口からは、何の言葉も出てこない。決めたはずの覚悟は所詮、言ってるだけの見せかけだ。
「これじゃあ仕事もできなくて、困ってるのよ」
「仕事って、そういえば何してるんだ?」
バルトと出会って恋に落ちて。エレーナは幹部の席を降りるのを迷わなかった。大事なもの、守りたいもの。エレーナが優先順位を決めあぐねたことはない。
正しいか間違ってるかは後にならないとわからないから、どっちに転んでも後悔しない方を選ぶ。エレーナはそういう生き方のできる女だ。
「爪よ、爪。お手入れの仕方を教えたり、実際に私がお手入れしたり。家の一室を仕事場にしてね、楽しくおしゃべりしながら週に一度やってるの」
誇らしげに差し出された両手を見て、笑みをつくり込むのに苦労した。爪といえば、エレーナのそれは武器だ。硬く、鋭く。一切の容赦なく敵の肉体を引き裂くその威力は、幾度となく目撃してきた。
「あとは子どもたちを相手に歯磨き講習とかもしてるのよ」
牙も自慢だし正直、牙の方が殺傷力は高いけど、噛み殺すと顔中に血がべっとり付くじゃない。私も女だし返り血まみれの顔は抵抗があるわ。血が美味しい奴ばかりとは限らないし。いつか、犬なのに牙は使わないのか、とずけずけ質問したバルトへの回答だ。
笑んだエレーナの口に並ぶ牙を見て震えた記憶は、今も胸の奥に根付いている。
「え、エレーナの爪と牙はいつも綺麗だったから、説得力があっていいと思う」
どんなに血で濡れた爪も、翌朝には綺麗な漆黒に戻っていた。牙はいつも真っ白で、どんな硬い肉でも容易く噛み切ってしまえる鋭利さがあったことを覚えている。
「ありがとう、ダンテ。あ~あ、あの人にもダンテくらい女心がわかればねえ」
「俺だってわかんねえよ。女はいつだって神秘的だ」
わかるのは、カモミールが物理的に叩き込んでくれたことだけ。
「さて、と。そろそろ中に入りましょう。お腹を空かせた子どもたちが帰ってきちゃうわ。魔王の話は夜、子どもたちが眠ってからにしましょう」
「ああ、そうだな」
エレーナの鼻がひくひくと何かの匂いを感知している。耳もピンと立っているから、子どもたちの音でも探っているのだろう。
ややあって、エレーナの表情が険しいものへと変わった。
「バルトったらミートソース作ってるのね。早く戻りましょう。あの人、火加減が下手くそなの」
「強火が好きだよな、あいつ」
エレーナに促されるまま従って、裏口からキッチンに戻った。ミートソースは少し焦げていた。




