新盆
もうすぐ夏休みの時期だ。
墓参りと言えば、八月の旧盆が主流だけど、我が家では新盆の時期にもしている。
父は仕事柄、本来のお盆に休みを取れないことが多かったので、母方の祖父母世代の誰かが新盆でお参りしているのを真似たようだ。もちろん、いわゆる旧盆にも、可能な限りお参りはしていたけれども。
お墓の掃除をする。対外的には『私』が亡くなったという体裁だから、初盆ということでいつもより念入りだ。
蝉時雨が暑さを助長する。ペットボトルのお茶を一口。子どもたちを渚の実家においてきて良かった。幸い、曇っているおかげで直射日光に炙られないとは言え、こんなところに一時間もいたら、熱中症が心配だ。
ほんの少しの風が、汗で湿った腕を僅かに冷やす。今日は草むしりをするので丈の長いパンツを履いているが、こんな日はスカート――ノースリーブのワンピースあたり――の方が涼しかったな。
周囲りは蝉時雨だけの静寂。こういうのが、岩にしみ入る、なのだろうか。岩じゃなくて墓石なのがアレだけど。
掃除を終えると、渚は無言のまま蝋燭に火をつけ、お線香を焚く。私は、ちょっと度数と値段がお高めのビールを出すとプルタブを開けた。
缶を供え、私も並んでお線香を焚く。
私が本当に『昌幸』の娘だったら、どんな想いでここにいるだろうか? 悼むのだろうか? それとも、自分を放っていたことを憤るのだろうか?
それよりも、隣の渚だ。どんな想いなのだろう。誰に対して、何に対して、手をあわせているのだろう?
遺骨の入っていない墓。私は生きているけど『昌幸』はもうこの世に存在しない。
缶に結露した水が墓石を少し濡らしている。
一昨日、解ってしまった。いや、解らされてしまった。
今の私は昌という少女なのだ。その生き方を選ぶしかない。
私は手を合わせた。
なんとか頑張ってみます。この墓に入ることはなくなりそうだけど、ご先祖様に貰った命だから、これを次の世代に繋いでいきます。
隣を見ると、蝋燭の炎を見つめる渚。
何を想っているのだろうか。
私の視線に気づいたのだろうか。チラとこちらを見て微笑むと立ち上がった。
「まだここに居るのに、お線香を上げるのも変ね」
うん。変だよ。
「自分で『自分』にお線香上げるって、変な感じだよ。
まぁ、今はお線香の十倍の価値があるものを持ってるけどね」
言った瞬間、しまったと思う。渚の顔から笑顔が消えた。
「ごっ、ごめんなさいっ。注意されたばっかりなのに」
渚は私を抱きしめた。抱きしめた手に力がこもる。
「ごめんなさい……。ごめんなさい」
渚は嗚咽をかみ殺して謝る。誰に対して? 何について?
私は渚の背中を、あやすようにゆっくりと叩いた。
「私は……、応えられなかった……。貴女を……、受け容れられなかった……」
渚の嗚咽は続く。
絡み合った想いから、思いついた順に話してるんだろう。支離滅裂な独白だった。
もともと、渚は『私』に比べて、性的なことには淡泊だった。
男女間の欲求の差というものもあるが、日々仕事に追われ、それほど体力があるわけでもない渚は、特に子どもが生まれて以後は、自分の睡眠時間の確保を優先しがちだった。
応えられないことがあった。邪険にすることもあった。そのこと自体に、感じる必要の無い負い目を感じていたらしい。そこで開き直るか、『私』の所為にできる強かさがあれば、幾分ましだったろう。でも渚は、開き直れなかった。
その負い目を打ち消すためか、愛情は身体ではなく心のあり方こそだと思うようになっていた。肉体的なつながりは、愛情を高め合う、確かめ合う、一つの手段であって、心の延長上にあるものだと。
男性的な知識で言えば、愛情と欲求は個別に存在する。それは必ずしも不可分でなく、欲求のみが単独で存在することも、大多数の男性にとっては物理的な現実だ。
そして、それなりに時間と体力を使う行為に、女性の側が毎回応じられるはずがないことも当然のことと理解している。
そのままであれば、そんな負い目も大した問題ではなかった。よくある話で済んだだろう。しかし、『私』が私になってしまった。
愛情を持っていたはずなのに、姿が変わっただけで受け容れられなくなった。相手は変わることなく求めていたのに。
渚は自問した。相手が女性になっただけで受け容れられない自分は、昌幸ではなく昌幸という男性の肉体を愛しただけなのか。でも昌幸の男性としての求めにも十分応えられなかった自分は……。
『私』が逆の立場だったら、拒否感どころか忌避感だろう。自分の妻が、いきなり少年になってしまっても行為を受け容れられるという漢は、そうそういない。
だから、渚がそれ負い目を感じる必要はないし、愛情と欲求は別のことだ。
そう言うのは簡単だし、渚もそれは理解できるに違いない。
でも、納得はしないだろう。
私はどう答えるのが良いか分からず、無言で抱きしめたまま泣き止むのを待った。時折しゃくり上げる動きが伝わる。
どれくらい経っただろうか? 既に線香も蝋燭も燃え尽きた。蝉時雨に混じって、遠くから人の声がする。墓掃除の道具を持った夫婦と、二人の少年が歩いてくる。
談笑していたが、私たちの姿を認めると、黙って脇を通り過ぎた。
渚は私から身体をはなすと「誤解されたかしらね?」と、いつものいたずらっぽい表情を向けた。でも化粧は崩れ、目もその周りも赤くなっている。
「きっと、どんな想像しても、正解できないよ。私にだって、何が正解か分からないもん。それに……それだって、きっとまた変わるだろうし」
「そうね、きっと」
「とりあえず、帰ろうよ。お母さんはお化粧も直した方が良いし、私も汗だくだから着替えたいし。このままじゃ食事も買い物も行けないよ」
「私もシャワー浴びようかしら。昌、貴女も一緒にどう?」
「じゃ、そうしよっか、お母さん」
帰宅後、シャワーを終えて、渚の髪にドライヤーをあてる。
私たちの関係は何だろう? 既に夫婦ではない。親子というのも少し違う。家族ではあるのだけど。なんだろう。
冷風に変えて仕上げをする。
「じゃ、交代。今度は昌ね」
今度は私が籐の椅子に座り、ドライヤーをかけて貰う。
「ねぇ、お母さん」
「ん?」
「私、髪を伸ばそうかと思うんだけど」
「いいんじゃない? 貴女、きっとそっちの方が似合うし」
「そうかな?」
「そうよ。今度一緒に美容院に行かない? せっかくきれいな髪なのに、千円散髪じゃもったいないわ」
私はショルダーレスのワンピースをかぶり、サッシュを巻く。渚はサマージャケットを羽織りながら「そういう服が似合うって、羨ましいわね」と言う。
この服も、渚が買ってきたものだ。自分が着てみたかったけど、着られなかった服を私に着せるのだ。でも、渚も似合いそうに思う。
「お母さんも着てみればいいんじゃない?」
「ショルダーレスなんて、年甲斐も無くって、思われるじゃない。それに、サッシュベルトなんて、貴女みたいに手足が長くてほっそりとしたシルエットじゃないと、似合わないし」
渚も日本人としては手足が長いし、太ってもいないと思うんだけどな。
二人で食事に行く。光紀さんに教えてもらったイタリアン。渚も気に入ったようだ。そして二人でブラブラと買い物。まだ七月だけど秋物を選んだ。
「お母さん。ありがと」
「何?」
「一昨日のこと。あれで解ったような気がする」
私はもう昌として生きる。その覚悟? 決意表明? それを渚に伝えた。本人は意地を張っただけのつもりかも知れないけど、それが私の背中を押してくれた。
「今はまだだけど、いずれ恋もする。きっと。
そのときは、相談に乗ってもらうかも知れない。
逆に、お母さんが恋をして再婚しても、心から祝福できるようになれる、と思う」
「そうね。でも、私は昌幸さん一筋よ」
そして、さっきのお参りのことも話してくれた。あのお墓には、『昌幸』の歯が入っている。『私』の身体で、変容後の要素を含まない最後の部分だ。
そして、恋をしたら必ず『お父さん』に報告するよう念押しされた。
「うん。必ず」
こんな会話は初めてかも知れない。数日前とも、墓参り前とも、違う関係になったような気がした。
賛否はあろうかと――とくに渚との関係には――思いますが、物語は一旦ここで区切りとなります。これ以後は主人公が『昌』であることをほぼ受け容れ、『昌』として成長し、恋をし、結ばれ、結婚することになります。
それまでにも、主人公は『昌』として生きることに向き合っていたのですが、過去との決別を出来ませんでした。渚との関係の変化を受け容れたことに背中を押される形で、『昌』として生きることになりました。
無論、この後にも友人との関係や、比売神子となること、諸々の出来事がありますが、それは『昌』という少女の物語で、いわゆる『TSもの』という括りからは少し離れることになります。
今後はゆっくりペースで更新、でも進行としては飛ばし気味で続けますが、『TS』ならではのイベントはほとんど無くなります。過去の知識や経験から『強くてニューゲーム』な色合いが強くなるかもしれません。
(続きは活動報告にて)




