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ひめみこ  作者: 転々
第十一章 昌に
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報告 レポート

 やっぱり、報告しとくべきかな。かなり迷った末に沙耶香さんに電話をかけた。


「はいはぁーい。昌ちゃんからかけてくるなんて、珍しいわね」


 明るい沙耶香さんの声に気後れしてしまう。


「沙耶香さん。あんまり良くない知らせです」


「何かしら?」


「先日、偶然、光紀さんに会って、私の出自がバレました」


「はぁ?」


「だから、『前世』のことがバレました」


「どういうこと?」


 その顛末を話した。沙耶香さんは一部補足を求めたけど、基本的には最後まで聞いてくれた。


「まぁ、光紀ちゃんなら大丈夫でしょう。


 でも、貴女も軽率ね。いえ、神子になったばかりの頃だったら言質は取られなかったんだろうけど」


 沙耶香さんによると、以前の『私』だったら、一旦下がって考えたであろう場面でも、その場その場で応じてしまうことが増えたらしい。要するに、会話が子どもになっている。


「改めて、女子として成長すれば良いでしょう」


 とりあえず、光紀さんなら秘密を漏らすことも無いと沙耶香さんは断じた。神子の件について漏らせばどうなるかもよく解っているし、性格的にも漏らすことは無いだろうとのこと。

 前世の年齢を加算すれば、光紀さんよりも大人であるべき人はいくらでもいるけれども、光紀さんは、あれで精神年齢が神子の中では高い。……その『神子』中には私も含まれるのだろうか?


「貴女は、いろいろとバランスが悪いから。

 理性的に考えられる範囲なら、精神年齢は神子の中では一番高いんでしょうけどね」


 沙耶香さんは含みのある言い方をする。


 とりあえず、光紀さんとは神子という立場を離れて友人として付き合っても問題ないそうだ。「事情を知っている友達がいた方が、貴女にとってプラスになるでしょうから」と沙耶香さん。




「改めて、お久しぶりです」


「ささ、上がって、上がって」


 光紀さんの部屋は、いかにも女子大生風の小綺麗なワンルーム。一応、バストイレ付きだけど、キッチンが貧弱。ガスが一個口しか無い。料理をするにはちょっと不足だ。

 玄関扉の脇にあるブレーカーを見上げると三十アンペア。これじゃあIHとかは心許(こころもと)ないな。そう言えば、自分も学生時代にエアコンをかけたままホットプレートと電子レンジを使って、ブレーカーを落としたことがあった。




 部屋に通されて座ると、キッチンから「ふぃぃぃ」という音がする。沸騰すると音が鳴るヤカンだ。

 程なく光紀さんがポットを持って現れた。茶葉がガラスポットの中を上下している。お、この匂いは、


「光紀さん、ボクの好きなお茶を用意してくれてたんですね」


「まぁね。実は、隆もアールグレイが好きなのよ

 あと、もう『僕』じゃなくてもいいのよ。私も『昌ちゃん』って呼ぶし」


「あはは。なんだか癖になってて。光紀さんだと、つい、ね」


 うーん。好きな茶葉ってことは、部屋に入れる関係なのか……。なんだかもやっとする。別に妬いているわけじゃないけど。一度は告白された人が別の人とってだけで。

 そんなこと言える立場じゃないのは分かってるけど。




 しばらく近況報告をしたあと、光紀さんはおもむろにレポートを出した。


「もうね、ちんぷんかんぷん。正直、何やってるか分からないわ」


 レポートの問題に目を通す。うわ! ガチの数学だ!


「光紀さん、確か文系でしたよね?」


「経済学部よ。文系なのに『微分積分学概論』よ。なんでこんなのが必須なのよ」


「あー、経済かぁ。だったら要るかも。でも、文系学生に一年目から『ε―δ』なんてハードル高いですよ。

 ところで、隆さんは理系じゃないんですか?」


「彼は人文だから、この分野じゃもっと役立たずよ」


「そうですか……。それじゃ、どこから始めますか?」


「とりあえず、ここから」


「ですよねー」




 そりゃそうだ。まずは『収束する』ってことから。

 実際、大学の数学で最初のハードルがこれだと思う。高校までは直観的に扱ってきた話を、きちんと扱うために導入するわけだけど、これで数学が嫌いになってしまう学生も出るのだ。

 線形代数ぐらいなら、高校のとき数学はそこそこ得意でしたってレベルでも余裕を持ってついて行けるけど、こっちは高校までのそれとは、入り口からして異質に感じる人も多い。


 とりあえず、等比数列が収束する場合を具体的に説明する。第N項から先がεより小さくなるんだから、項がεと等しくなるようなNの値を具体的に求めてみる。


「ほら、こうするとNはεの関数になるでしょ。εをいくつにしても、それより大きいNさえ決めれば、第N項から先はεよりゼロに近くなる」


「なんで、こんな変なことするのよ。逆Aとかヨとか……」


「無限大とか収束とかって、直感で理解できないから、こういう方法を使うんですよ」


「直観的に明らかでしょ?」


 光紀さんが口をとがらせる。この人のこういう表情は初めて見るけど、なんだか可愛いな。って、今は関係ない。


「いや、それは理解してないから。話が抽象的になったら思考が止まるってことは、理解してないってことだから」


 一個一個、具体例を作って説明するのは、なかなかに骨が折れる。多分、光紀さんは数学嫌いになるクチだな……。




 今度は関数の『連続』について、拡大図を三個並べて説明する。光紀さんは納得したようなしないような。いや、多分、納得していない。

 初めのうちは『こういうもんだ』ということにして、道具として使う練習をするしかないだろう。私だって、学生時代は定理の証明が出てくるたび、具体例を作ってなぞったものだ。もっとも、その具体例を作るということ自体も勉強なのだけどね……。懐かしい。


 十数年ぶりに脳を数学モードにする。


 あれ? 調子が出ない。おかしいな? 空間を想像できない。それに、三次元も想像できない。どうしちゃったんだろう?




「……ちゃん、昌ちゃん」


 呼ぶ声にハッとして現実に戻る。


「ごめん。ぼーっと考え事してた」


「どんなこと考えてたの? 昔の彼女?」


「まぁ、そんなところです。えっちなことを考えてました」


 おかしいな? 空間を想像できない。どういうことだろう。二十年ほどあけたからサビたかな?




 二時間以上かけて、解説したのは三問。とりあえず、残りの四問は模範解答を作っておいた。でも、同じ学科の一年生でこれをきっちりこなせるレベルの学生って、そうそう居ないと思う。




「私が学生時代に使った参考書紹介しますね。私もきちんとはやってないですけど『ε―δ』とか『一様収束』とか、テーマを絞った解説本があるから。

 経済で確率過程やるなら結構重要です。それと、集合や位相の話もきっちりやっとかないと、後々、訳分かんなくなりますよ」


 インターネットで通販サイトを開いた。私もお世話になった本だ。でも、こんなのって専門的に勉強しようって人にしか要らないけどなぁ……。と思いながらも、家に帰ったら大人なポチり方しようかと迷う。別に勉強する気はないけどインテリアとして……。




 結局、ポチらなかった。『JC』の部屋には大数より合わないし、そもそも必要ない。

 でも、何でこんなに勘が鈍ってるんだろう?

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― 新着の感想 ―
[一言] εの記号なんて文系の私には(゜ε゜)の顔文字にしか使ったことないです。 何て読むのかもちんぷんかんぷんな私は文系です。 どんどんと前の時の知識が使えなくなっていって、女性的になっていってい…
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