訓練
療養病棟でも個室だった。かなり広い。
荷物を一通り整理したところで、ノックの音がする。返事をすると、入ってきたのは昨日の比売神子のお姉さんだった。
「失礼いたします。
昨日は配慮に欠けた言葉、真に申し訳ありませんでした」
病室に入ると、いきなり謝罪からだった。
「いえ、こちらこそ感情にまかせた無礼な物言い、申し訳ありません」
ま、この辺は大人の会話だ。
「ところで、すみません、まだお名前を伺ってなかったかと思うのですが」
「竹内沙耶香と申します。どうぞ名前でお呼び下さい」
「えーっと、じゃぁ、さっ、沙耶香、さん? 今日はどういった御用向きですか?」
いきなり名前で呼ぶのは、ちょっと照れるけど……、名前でって言ったしな。
「今後のことについて幾つかお話がございます」
沙耶香さんは、私に女性としての立ち居振る舞いや言葉遣いの指導に来たそうだ。急ぐのは、この身体に慣れてしまう前に基本的な所作を身につけさせたいとのこと。
私が『私』の娘として生きる決心をした以上、『私』の葬儀には私も親族として出なくてはならない。私の退院と『私』の死亡は際限なく待てるわけでもない。せいぜいこの一週間程度で最低限のことは身につける必要があるそうだ。
指導は退院後も続き、比売神子候補として求められることについても、追々学んでいく必要があるらしい。
「甘えが出るから」と母が病室を出ると、指導はすぐに始まった。
「それでは、向こうまで歩いて、椅子に腰掛けて下さい」
私は言われたとおりにしたが、いきなりダメ出しされた。立ち姿と腰を降ろすときの動作が拙いようだ。
立って、歩いて、座る。立って、歩いて、座る。
「重心が真ん中に来てますよ。それは男性の立ち方です」
「歩き方はしなやかなのに、その座り方は何ですか?」
私としてはスッと腰を降ろしたつもりだけど、沙耶香さんに言わせると「どかっ」らしい。とにかく太ももの内側の筋肉に意識を集中することと上半身の体重移動が難しい。女の人って一挙手一投足に、ここまで気を遣ってるのだろうか?
一時間近く歩いたり座ったりを繰り返し、なんとかOKをもらえたときには、昼食時間になっていた。
しかし、ここでも訓練は続いていた。
口の開け方が大きい、知らず知らずに膝が開いている、脇が甘い、背筋が曲がっている、等々……。食べた気がしない。しかも残念なことに、とっておきだったゼリーをICUに置いてきてしまった。
午後になっても、立ったり座ったり、屈んでものを拾う動作をしたり……。言葉遣いまで注意されるから、だんだん無口になってしまう。
「わ、私は昨日まで意識を失っていたのよ! そんな女の子にひどいわっ!」
意を決した渾身の抗議にも
「あら、女の子だったの。気付かなかったわ。がさつすぎて」
とりつく島もない。
そして、字面だけ女言葉でも、イントネーションで全然違うことを実演された。女らしい言葉遣いには、言葉の内容よりも、間の取り方や発声が重要のようだ。
歩行訓練から解放されたのは夕食時間も近づいてからだった。
「さ、それじゃ浴場に行く準備をして下さい」
「え? 部屋にもバスルーム、付いてますよ?」
沙耶香さんは訝しむ私を一瞥すると、さらっと言ってのけた。
「ここじゃ狭くて一緒に入れないでしょう」
「は?」
「早く支度なさい。ぐずぐずしてると食事を終えた他の患者さんがお風呂に入ってきます」
風呂でも訓練ですか……。
幸い浴場は無人だった。
「あの……、沙耶香さん? 私の素性を知っていますよね」
「存じておりますよ。
さっきまでの訓練もそれを理解した上でですし、今ここにいるのも目的があってのことです」
「男ですよ? 思うところは無いんですか?」
「あら? ここには女性しか居ませんけど」
さっきまでと言うことが全然違う。
脱衣所でも、服のたたみ方や下着のしまい方に指導が入る。沙耶香さんからは逃げられない。
横目でチラッと見ると、うぁっ、ダイナマイツ! 着やせするタイプだったんですね。目のやり場に困るし、それ以前にこのシチュエーションに心身が萎縮する。
沙耶香さんはというと、全く気にした様子もなく私の身体をガン見するので、こっちの方が恥ずかしい。男女がまるっきり逆だ。
「あら! きれいな身体してるわね。特に背中からお尻、脚のラインが素敵。それにこの腰の高さ、ちょっと反則ね。股下が身長の半分ぐらいあるんじゃないかしら? うーん、お肌もすべすべ」
踊り子に触れるのは禁止です。この人には恥じらいというものが無いのでしょうか……。
浴場でもダメ出しの連続だった。石けんの使い方、スポンジの使い方……。
泡立ててその泡で汚れを浮かせてとか、擦ってはいけないとか、お手本を実演された。女の子ってこういうことは、お母さんから習うんだろうか。
男として、いろいろと思うところがありながら、脱衣所で身体を拭いて下着を着けた。
鏡を見ると、正真正銘美少女のセミヌード。あれ? 朝見たときより髪が長く見える。濡れてるからかな?
脱衣所をぐるっと見渡すと、体重計だけじゃなく身長計もある。骨格が小さくなったのは分かっているけど、どれぐらい縮んだんだろう。
ひんやりする踏み台にそっと乗る。
身長は二十センチ以上縮んで、百五十三センチ弱。鏡で見た限りはもうちょっと高そうに見えたんだけどな。まぁ、中一女子ならこれでも十分大きい方だろう。ついでに身長計で股下も測ってみた。どうやったかは秘密。脚の付け根の間は女の方が広いんですね。
計る姿に沙耶香さんは眉を顰めていたけど、出てきた数字にびっくりしてもう一度、今度は沙耶香さんの手で測定し直し。指が微妙なところに当たった。これは明らかにセクハラです。
「股下が身長の半分以上って、初めて見た!」
「そうですか? 男だったらたまにいますよ。私は四センチ足りなかったですけど、弟は半分ぐらいでしたし。でも、次会うときは叔父さんということになるんですね」
部屋に戻ると、沙耶香さんは帰り支度を始めた。とりあえず夕食はゆっくり食べられそうだ。明日は、朝食後すぐの時間に来る。
「もうちょっと時間がかかると覚悟してたけど、案外すんなりいきそうね」
「そうでしょうか?」
「そうね。お風呂のときが、一番女の子してたかしら。貴女、素質あるわよ」
お風呂のときって、男としての自我を一番意識させられたときじゃないか。それを「素質ある」って、私は男として一体……。
「沙耶香さんは、本当に平気なんですか? 男性とお風呂ですよ? 裸ですよ?」
「あら、私は今の貴女しか知らないし、今の貴女は誰が見ても美少女ですよ。髪が伸びるのが楽しみね。
それと、余裕があったら、これ、読んどいて」
「なんですか?」
渡されたタブレットとメモリを見る。
「小説。参考になるかも知れないから。
それじゃぁ、また、明日。
あ、あと名前、候補決めなときなさいね。
それじゃ、お休みなさい」
名前のこと、完全に忘れてた……。でも、今日は疲れて考えられそうにない……。




