遠足 一
「あ、天使のおねーちゃん!」
私の姿を認めた園児が大声を上げた。保育士さんが「天使みたいね」と私を評してから、園児にとって私は『天使』になっている。その前の『お姫さま』も照れるけど、『天使』はそれ以上だ。
案の定、他の園児と保護者の視線が集まる。周は注目を浴びて鼻高々だが、私は身が縮む思いだ。
「お早うございます」
「お早う、昌さん」
挨拶すると小野先生――持ち上がりだった――もにこにこ笑いながら挨拶を返してくれた。
「すいません。今日は母が出勤日なので、私が代わりに来ました」
「いいのよ。昌さんが来ると子ども達も喜ぶから」
実際、園児達は私の周りに集まっていろいろ話しかけてくる。主におやつとお弁当の内容だ。
お母さん達も私をじろじろ見る。子どもを持った女性は、遠慮というものが無くなるのだろうか? お父さん方を見習ってほしい。チラ見はしたけど、あえて目はそらしている。
うーん。でも、ショートパンツは選択ミスだったかも……。
でも、何でまた渚はこんなのばかり買って来るんだろう。本人はこんな服一着も持ってないのに。
本当は、こんな風に思うぐらいなら、自分で買いに行けばイイと思うけど、未だに婦人服売り場には抵抗がある。結局、渚が選んだ服を着ているのだ。
しかし、渚はことあるごとに私のことを「無防備だ」「危なっかしい」と言う割に、脚が出るデザインのを選んでくるのはどういう意味だろう。ホットパンツなんて未だに脚を通したこともない。
バスでは子どもと保護者がそれぞれ並ぶように座る。周は先頭の席が良かったみたいだけど、残念、三列目だ。
目的地は、バスで一時間半ほど先の公園だ。広い芝生がある。
「周くん、おしっこ大丈夫?」
「でないよ! おねえちゃんはおしっこだいじょうぶ?」
「お姉ちゃんも大丈夫だよ」
答えるやいなや、後ろから「天使さんはおしっこしないよ!」
いやいやいや、私は天使でも昭和のアイドルでもないから。
「エリちゃん。おねえちゃんは、天使じゃなくて人間だよ。だから、ご飯も食べるし、おしっこもするんだよ」
イスに膝立ちになって背もたれ越しに覗き込むと、エリちゃんは満面の笑みだ。
「おしっこも、うんちも?」
「そうだよ」
と応えた瞬間、四人いたお父さん方全員が気まずそうに目をそらした。おいおい、女の子に幻想持つ齢でもないだろう。
「はい、改めて、お早うございます。
まず、バスの中でのお約束……」
小野先生の挨拶だ。
最近はバスでもシートベルトをさせるようです。そしてバスの中でものを食べるのは禁止。
一昨年の研修旅行――研修や視察を名目に、業者間の親睦を深めるための――では、視察が終わったらバスの中でビールの缶とつまみが配られていた。それと比べると保育園児の方が行儀いい。
目的地に着くまでは手遊びと歌。保育士さんはかなり段取りをしてきている。手遊びはともかく、歌は私も知っているから一緒にうたう。伊達に幼児番組を見ていない。
保育士さんは私がうたうのを聞いたことがあるから驚かないが、お父さんお母さん方は「おおっ」となる。ふっふっふ。比売神子パワーだ!
目的地に着いたら、少し早いお弁当。子ども達の仲良しグループと同じ東屋に保護者も座る。一人だけ混ざったお父さん、お母さん三人と私に囲まれて、肩身が狭そうだ。この兄ちゃんは平成生まれかな? と思ったが、ぎりぎり昭和生まれだった。
お母さん方は「若い男の子はかわいいわね」などと、不穏当な発言をする。不倫は拙いよ…。
一人のお母さんが話しかけてきた。私の姿から、純粋日本人でないと思ったらしい。
通り一遍に『設定』を説明する。この辺は慣れたものだ。
「周――弟はお母さん似だけど、私と妹はお父さん似なんです」
「あ、本当に、お父さんとそっくりね」
別のお母さんが言う。あれ? 『私』を知ってるのかな? こっちは知らないぞ?
「父をご存じなのですか?」
「ううん。見たことがあっただけ。お父さんが整った顔立ちだと、娘も美人ね」
「そうねぇ。私も、もっとイケメンと結婚すれば良かったわ」
なんだか、話があやしい方向に進む。子どもも聞いているんだぞ。そして、一人だけ混ざったお父さんがますます居づらそうにしている。
私たちはお弁当を広げた。今回は周の好みに合わせてタンパク質系が多いメニュー。それでもヒジキとか切り干し大根とかもある。主に私の弁当箱に。それをお母さん方とシェアするのだ。
「あら、このヒジキ美味しいわ。どこの?」
「あ、これと卯の花は私が炊いたんです。切り干し大根とサラダは母ですけど」
「私にも一口… あら、ホントに美味しい!」
見る間に私の食べる分が減っていく。でも口々に「中学生で、偉いわねぇ」などと褒められるのは悪い気はしない。確かに中学生でこの料理が出来るのはすごいだろうとは思う。『昌幸』としての経験あればこそだ。
見ると、一人だけのお父さん、お弁当がかわいらしい。言わずもがなの愛妻弁当だ。お父さん本人は料理がからっきしだそうだ。
「やっぱり、料理も出来た方がいいかなぁ」
「それは、出来た方がいいんじゃない?」
お父さんの独り言に私が応えると、周りのお母さん方から異論が出た。要約すると、ダンナは往々にして家事を嫁に任せっきりにするけどケチはつける。むしろ中途半端に家事が出来るダンナの方がめんどくさい、らしい。
うーん。私はめんどくさい夫だったのだろうか? いや、ケチはつけてなかったと思うし……。今更、渚には訊けない。
奥さん達の話はどんどん熱くなる。家事が駄目なら駄目で、奥さんが風邪で寝込んだとき、ダンナの「いいよ、そのまま寝てて」までは良かったけど「俺は外で食べてくるから」にキレそうになったとか……。
セーフ。渚が寝込んだときは、ちゃんと看病したし、おかゆも作ったぞ。
でも、だんだん居づらくなる。私でさえそうなのだから、このお父さんはもっとだろう。奥様トークって、男性側から見て、そもそも正解が無い設問が多いんだよね。
「おねーちゃん。あっそぼっ」
園児が呼びに来た。これ幸いと私は立ち上がった。一応、居づらそうなお父さんにも声をかける。男の子は、やっぱり男性と遊ぶと楽しいみたいだしね。
このお父さんも私と同じだったのだろう。すぐに園児を追いかけ回し始めた。このぐらいの男の子達にとって、自分たちが疲れてふらふらになるまで遊びに付き合ってくれる人がいるのは、それだけでうれしいのだ。
ひとしきり遊ぶと喉が渇いてきた。チラと別の東屋の方を見やると、男性陣は一カ所に集まって談笑している。ん? クーラーボックスからなにやら取り出している。私も冷っこいものが欲しい!




