夜の散歩
蒸し暑い。
まだ四月も後半に入ったばかりというのに。
暑いせいか、子ども達もなかなか寝付いてくれなかった。
この暑いのにくっついてくるからイライラするし、それを感じ取ってか子ども達がなかなか寝付かないので大変だ。
寝付いた子ども達のタオルケットをなおし、ダイニングに戻る。冷たいものでも飲もうと冷蔵庫を開けたが、こんな日に限って品切れだ。
冷凍庫のアイスクリームも以下同文。
「買いに行くか……」
でもコンビニまで自転車で行くのもめんどくさいな……。よし!
私は久しぶりにウィッグを着け、体型が出にくいデニムのワンピースを着ける。サングラスを持って『私』の車に乗り込んだ。
ハンドルを握るのは何ヶ月ぶりだろうか。自然と笑みが出る。顔バレしないよう、隣の市のコンビニまで走る。
コンビニでペットボトルのジュースとお菓子を幾つか。レジは気だるそうな顔をした四十代半ばの女性だ。誰何されることなく支払いを終え、車に乗り込んだ。
せっかくだから少し遠回りをして帰ろう。
少し欠け始めた月が煌々と照らす中、幌を開けて月光浴しつつ走る。
オープンカーというと、髪がたなびくイメージがあるが、最近の車は風の巻き込みがほとんど無い。もっとも、巻き込む風は後ろから後頭部や背もたれに当たるよう吹くから、髪が後ろに、なんてことは有り得ない。
意外に思われるかも知れないが、屋根を空けるよりも、屋根を閉めて窓だけ開けた方が、車内の空気はかき回されるのだ。
ちなみに、どれぐらいの速度でヅラが飛ぶかという実験をした例もあるが、ディフレクターさえ立てていればそうそう飛ばない。某高級車であれば、二百キロオーバーでも頭髪が威厳を失うような事故は起こらないらしい。
もちろん私はヘアピンで固定しているので心配無い。
もう少し心地よいドライブを愉しみたいがそろそろ潮時だ。幌と窓を閉めて家路につく。
と、電話が鳴った。拙いな。渚が起きたのかな?
車を停めて電話を見ると、沙耶香さんだ。
「もしもし? こんな時間に何ですか?」
「昌ちゃん、できたら今から言うところに来てくれないかしら?」
「え? どこですか?」
沙耶香さんが指定した場所は、ここから五キロほど後ろだ。家からは十キロ近く離れている。
「そんな遠くに今からですか? 一時間ぐらいかかりますよ」
「無理に、とは言わないわ。
でも、あと一キロ少し先で、飲酒運転の検問やってるわよ。
止められて職質されたら、ちょほいと大変よ」
う、バレてる。何で……?
「五分で来られるわね」
「は、はひ」
この声の方が、『格』より怖い……。
指定された会館の駐車場に着くと、沙耶香さんが腕組みして立っていた。
車から降りた私を認めると、沙耶香さんは無言のまま踵を返して玄関に向かう。私も無言で後を追った。
小会議室と札の付いた扉をくぐるとテーブルを挟んで椅子が八脚。
「座って」
私が座ると、沙耶香さんが向かいに座った。
「変装しなきゃいけない、という程度の分別ははたらいたのね。
無免許運転するなんて、貴女、いくつ?」
「……」
「中身は四十近いわよね」
「その歳の『私』は免許持ってます。ゴールドだから、失効してませんし」
「中学生でしょ!」
「だったら、四十の判断力を求めないでよ!」
「中学生が小学生でも、無免許運転の是非は判るでしょ!
頭の中まで子どもになったの?」
「……」
「何か、言いたいこと、ある?」
「ありません」
「今日、貴女の追跡に何人動いたか、知ってる?」
追跡? どういうことだろう?
「貴女のすることは貴女だけの問題じゃなく、比売神子の存在全体に関わる可能性があるのよ」
私に興味を持った人間が、出自を調べれば……。
公的記録が造られたものだと気づき、そこに何か秘匿すべきものがあると思われたら……。
『血の発現』に伴う変容にまで辿り着くことは無くとも、神子という立場に何らかの影響が出るかも知れない。
沙耶香さんは私の表情を見て深呼吸をした。
「これ以上、この件については話す必要は無いでしょう。貴女なら危険性を理解できるでしょうから。
でも、車はこちらで預からせて頂きます。
理由は、言わなくても判るわね」
「はい」
「ところで、学校では孤立気味らしいわね」
「……」
「貴女は、周囲りを子どもだと思ってるでしょ。
実際、知識も判断力も、比較にならないでしょうね。……今晩の一件を別にすれば。
でも、そういう気持ちで周囲りを見ている限り、ずっとこのままよ。別に、見下しているわけじゃないでしょうけど、彼らなりに大切だと思っていることを、下らないと考えてるんじゃなくて?
終わったことは変えられないし、貴女もすぐには変われない。
でも、貴女はもっと学ぶべきね。少なくとも全員、女としては人生の先輩なんだから」
私は沙耶香さんの車で家まで送られた。
温くなったジュースを冷蔵庫にしまうと、涙が溢れてきた。
沙耶香さんの言うのが正論だろうけどさ。
でも、以前は当たり前にしてきたことも出来ず、かといって年少者として振る舞うこともできない。
子ども扱いと大人扱いを都合良く使い分けられてる……。
帰り道にカーラジオから聞こえた『アルハンブラ宮殿の思い出』が耳から離れない。
――同時刻 車内――
「はい。竹内です」
「はい、今、送り届けたところです。
今後、こういうことは起こらないでしょう」
「変化、ですか?
確かに変わりつつあります。やや不安定ですが」
「そうです」
「恐らく半年前、いえ、二ヶ月前までの彼女なら、今日のようなことはなかったと思います」
「仰るとおり、心が肉体の年齢に引かれているようです。その兆候は以前からありました」
「それは、判断が難しいです。
今回は、学校で孤立しているストレスと、月経前症候群が重なったためでしょう」
「いえ、それが精神の女性化と言えるかは疑問です」
「はい。その件はもう少し時間がかかると考えます」
「はい。以前報告したとおり、理性が緩んだときにその側面が現れます」
「……あれで挑発に乗りやすいところもありますから」
「私見ですが、それはあまり良い方法とは思えません。
やはり、『昌幸』としての人格を尊重……」
「……はい。私もそう考えております」
「仰るとおりです。むしろ早いぐらいかと……」
「今のところその心配はありません。その心配が必要になれば、むしろ重畳と言えるのでは?」
「はい。お任せ下さい」
「はい、分かりました」
……




