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ひめみこ  作者: 転々
第一章 変わる日常
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別人として

 私は促されてソファに掛けた。


「ィっ、つ!」


 下半身に痛みが走る。思わず腰を浮かせる。


 そのとき私が履いていたトランクスは、布の合わせ目が背面中央から股下に向けて走り、前の窓に至る縫製になっている。

 以前の身体なら、汗に濡れて布地の動きが悪いとかでなければグイッと来ることは無かった。仮に食い込んでもその範囲は股下あたりで物理的に止まったのだが、今の身体はその辺の構造が変わっている。

 まして、下がってこないよう(へそ)の上で引っ張り上げていたから、座って後ろに引っ張られた瞬間、縫い目がどうなるかは推して知るべし。


 痛みに、前屈みになる。


「ケホケホ」と咳き込むふりをしながら右手でコップを取り、水をくれるようにお願いする。


 皆の注目が右手のコップに集まったのを確認して、左手をお尻に回した。屈んだまま腰をさするふりをしてトランクスに余裕を持たせ、中央の縫い目の位置を左足付け根側に引っ張る。

 男で言うところのチン・ポジ作業。こんな場面でするとは……。痛みと情けなさで、目尻に涙が滲む。

 クソっ。何でボクサータイプを選ばなかったんだろう。あれなら縫い目が両脇にしか無かったのに。


 今度は無事に座ると、年配の看護師さんから説明があった。

 私は過換気症候群で意識を失ったらしい。




 さっきの姫巫女のお婆ちゃんが続きを話すそうだが、私はそれを制した。そんな話より重要なことがある。


「お話をうかがう前に、二,三、訊きたいことがありますが、宜しいですか?」


 お婆ちゃんは黙って頷く。


「一応、確認ですが……、今の私の身体って、外科的に造ったものですか? あるいは、別の体に脳だけ移植したとか……」


「いいえ。その姿は貴女本来のものです。私たちは、生命維持や清拭などを超えることはしていません」


 本来って……、じゃぁ、これまでの人生は、父親として、夫としての私は何だったんだろう?


「元の姿に戻れる可能性は、……ありますか?」


「無いものと考えて下さい。過去、元の姿に戻った例はありません。まして貴女の場合は性別すら変わっています。一生をその姿で生きることになりましょう」


 そんな簡単に変われるはずもないか……。ま、期待はしてなかったけど。




「まず、先月までの私は存在せず、今の私も公的には存在しない人間ですね。

 戸籍やなんかはどうなりますか?

 この状況じゃ、正規の方法では……、それ以前にこの外見では仕事もできないです。

 わざわざ私に会いに来るってことは、この状況に対してなにかあるんでしょう?

 私はともかく、子ども達はどうなるんですか?

 なんか……、ぶっちゃけ、経済的な援助とかあるんですか?

 それにたいして、私は何かしなくてはならないのですか?


 ……あ、すみません。

 別にあなたの所為(せい)ってわけじゃないですね。

 でも、とにかく今の状態は困るんで、正直、藁にもすがりたいんです」


 お婆ちゃんは苦笑とも微笑みともとれる表情をして話し始めた。


「それは当然の心配です。ですが、無用の心配です。


 まず、戸籍については貴女の回復を待って新たに準備いたします。結果として現在の戸籍は変更……、死亡扱いになりますが、これは仕方ありません。

 さしあたり支度金として一億、更に血を受け継ぐ者として、当面は月々五十万を支給することになっています。合算すれば、貴女が今後受け取ったであろう賃金を十分に超えるかと思いますが、如何(いかが)でしょう」


 大盤振る舞いだ。金額もさることながら、戸籍とか公の記録まで改ざんできるのか。子ども達の生活や進学資金の心配が無いことに、安堵の溜息が出る。


「参考までに、その金額は税込みですか? あと、通貨は何でしょうか? できればユーロとかだったらいいなぁ」


「まぁ。ホ、ホ、ホ……。

 こんな場面でそんな切り返しをする方は初めてですわ。


 無論、税引き後、通貨は円です。お望みならドルでもユーロでも支給できますが、その場合は数字が二桁ほど小さくなりますよ」


 お婆ちゃんは破顔して答えた。齢の割に変な色気がある。若いころはさぞかし……。美人さんも苦笑している。


 私が日本円での支給を希望すると、お婆ちゃんの表情が真剣なものに変わった。


「ところで、あなたに求められることの前に、私どものことについて説明しなくてはなりませんね……




 私たちは『比売神子』と呼ばれ、この日本に仕えております」


 まず漢字が違っていた。でも、普通『ひめみこ』って聞いたら、姫御子でなければ姫巫女って漢字を連想すると思う。

 比売神子は、現代においては宗教的な存在ではなく、一種の異能者と見なされている。と言っても、例自体が少ない上に大っぴらに研究するわけにも行かない事情があるらしい。


 お婆ちゃんによると、かつての比売神子たちは、政治的選択にあたっての助言を伝える役を担ってきたそうだ。

 直近の仕事は、戦争は避けるべしというものだったが、結果は第二次大戦の惨禍だ。

 あんまり良い仕事してないようだが、それ以後は直接の戦争をしなかったおかげで、日本はいろいろと問題を抱えながらも今のところは繁栄を謳歌している。これからは分からないけど。


 現在、現役の比売神子は四名。目の前のお婆ちゃんと隣の美人さん、あと二人は来ていない。比売神子候補は私を入れて十八名。

 さっき病室にいた看護師も候補者だったが、比売神子にはなれなかったそうだ。それでも、組織のバックアップに携わっている。


 比売神子の役割は、国が岐路に立ったときに進むべき道を伝えることだが、直近の仕事は空振りで、それ以後も開店休業状態。しかし、関係者には国のバックアップがある。

 とりあえず、日の丸がバックにあって、(にえ)とか人柱(ひとばしら)的なのが無いことに安堵した。


 比売神子の血を強く受け継いだ者は『血の発現』を経て神子となり、その後の通過儀礼によって比売神子となる、らしい。

『血の発現』を経るだけで、異能と言える力を持つらしいが、それがどの方向に出るかは分からないそうだ。


 この『血の発現』は概ね十二歳から十七歳で起こり、その過程で第二次性徴初期の姿となる。

 もちろん、成人してから『血の発現』が起こることもある。むしろ高い年齢で起こるほど、より力を持った『格の高い』比売神子となる可能性があるが、身体の変容に耐えられず命を落とす者もいたそうだ。


「はしかや水疱瘡は、子どものうちに済ませておいた方が楽ってことですか」


「人の血と神子の血のせめぎ合いです。互いが強ければ強いほど発現は遅れ、せめぎ合いも苛烈を極めます。その結果、命を落とす者も少なくありませんでした。

 ですが生き残れれば、より強い力を持った比売神子となります」


「ダムがでかければでかいほど水は時間をかけて貯まり、決壊したときの破壊力も大きい、ということですね」


「先ほどから神子の血を病原菌か災害のように言っておられるようですが、筆頭比売神子様を前に無礼ですよ。

 本来、比売神子候補となるだけでも、とても名誉な事です」


 初めて美人さんが口を開いた。


「お姉さん、子どもいる?」


 私の声は硬かった。少女の声だが、自分でも信じられないほどに威圧的だった。


「うちの子は甘えたいさかりで父親を失うんです。その意味分かってます?

 あんたにとってはどうか知らんけど、私の家族にとっては災害以外のなんだって思います?」




「二人とも、お止めなさい」


 お婆ちゃんの声は決して大きくはなかったが、不思議と他を圧する力があった。


「あまりにも突然で、しかも重大な話です。冷静に、と言うのが無理な注文でしょう。

 続きは後日に改めましょう」


 そう言い残すと、比売神子の二人は部屋を辞した。




 母も(なぎさ)も目を赤くしている。


「ごめん」


 私がうな垂れて一言発すると、渚は私の側に座り頭を抱き寄せた。左頬に渚の体温と鼓動が伝わってくる。


「あなたはあなたで居てくれた。どんな姿になっても、あなたはあなたよ」


 涙が出てきた。逆の立場だったら、私は同じことを言えただろうか?


「済まない、しばらく一人にしてほしい」


「分かったわ。何か欲しいもの、ある? 買ってくるから」


「と、とりあえず飲み物と、あと、身体に合う下着を。その、今履いてるのは緩くて……」


「一応訊くけど……、男性用? 女性用?」


「……。

 じょ、女性用でお願いします」


 渚は(いぶか)しげに私の顔を覗き込んだ。まさか私の性向に疑いを感じているのか? だったら、黙って両方買ってくればいいのに。


「お、女として生きることに慣れなきゃいけないし、いずれ避けて通れない(みち)だし……。それに、男性用はどうせすぐに処分しなきゃいけないからもったいないし。

 知ってるだろ。形から入る方だって」


「そ、そうだったかしら?」


 なんだか、疑われている気がする。でも、本当の理由はみっともなくて言えない。




 その日から、私は別の人間として生きることになった。

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