京都 四 訓練
目を覚ますと、隣に裸の女性が寝ている。
「うゎぁ!」
全身から血が引いていく。引いたところで冷静になった。自分はもう『昌幸』じゃない。
「……んもぅ。朝から」
沙耶香さんは私の腕を引っ張る。
「ちょ、ちょっと、沙耶香さん?」
「昨日は、好かったわぁ……」
「え?」
昨日、沙耶香さんと呑んで、先に寝ると言ってベッドに行って、その後の記憶が無い! 私は何をした? いや、された?
慌てて着衣を調べる。浴衣の下のノースリーブは無事、パンツも昨日のままだ。おかしな感触は……多分、無い。
その姿を見て沙耶香さんが「冗談よ」と言う。
……悪い冗談だと思います。一気に目が覚めました。
「何で一緒のベッドに寝てるんですか?」
「昌ちゃんの寝顔があんまり可愛かったからよ」
「おだててもダメです。何もしませんでしたよね?」
「指一本、ぐらいはともかく、えっちなことはしてませんよ。せいぜい、ほっぺにちゅーぐらいで」
やれやれ、溜息も出ない。私は隣のベッドに移動した。
「二度寝?」
「いえ、一方のベッドしか使った形跡が無かったら、ベッドメイクの人に誤解されます」
「あら、細かいわね。
……でも、正解にしちゃう?」
私は沙耶香さんの言葉を無視して、ベッドの中でばたばたする。「あれぇ、パンツはどこだろ」なんて言葉も聞こえるが、今は無視! 乱れた寝具を改めて畳み直した。
朝食はバイキング形式、ではなく、温泉の朝御飯だった。私としてもこっちが好みだ。広い部屋に沙耶香さんと差し向かいで二人きりってのがアレだけど。
温泉卵にカレイの一夜干し、一人鍋には湯豆腐……。京都らしくちりめん山椒もある。湯葉の吸い物に飛龍頭。『前世』だったらこれだけで御飯三杯は余裕だが、『現世』の身体はそこまで食べられない。
まてよ、固体じゃなく液体で米を摂取すれば良いんだ!
「沙耶香さん。熱燗、要らないですか?」
「貴女、朝から何言ってるの。さては、昨日で味をしめたわね」
とりつく島もない。未成年の外見が恨めしい。
朝食後、新聞に目を通したところで、沙耶香さんが立ち上がった。
「さて、神子としての訓練を始めましょうか。まずは貴女のギフトを見せてもらいましょう」
「?」
「歌とダンスが上手くなったんでしょ。こっちの部屋は防音だから、見せてみてよ」
「見せるんですか?」
と言いながらも、披露する機会は嬉しい。渚には気持ち悪いと言われたけど子ども達にはウケてたし。
スポーツウェアに着替え、軽くストレッチをする。しまったな、こんな事ならCDかDVDを持ってくれば良かった。
沙耶香さんも既に着替えている。
私はスニーカーを履いてクルリとターン。うん、床の具合もいい。
アカペラでポップの王様のアルバムから一曲。間奏部分はベースラインとリズムを鼻歌で、自然と身体が動き出す。それは程なく完コピされたダンスとなり……。
期せずして沙耶香さんの拍手が聞こえた。
「歌は、歌いこなしてるって程度だけど、ダンスの方はステージでお金を取るレベルよ! でも同じ歌でもソプラノで聴くと違った雰囲気ね。女性向けの振り付けを貴女用に作ってもらいたいぐらい」
「本当ですか? 渚の前で踊ったらキモチワルイって言われたんですけど」
「どんなの踊ったの?」
言われてやってみると、沙耶香さんも「キモチワルイ」
ところどころ、重力を無視した様に見えるのが気持ち悪いらしい。
「でも、それだけ踊れる身体能力があるなら、訓練が楽しみね」
「訓練って、今日は武術ですよね。何をするんですか?」
「軽く、スパーをしてみましょう」
そう言いながら、マットを床に敷き始めた。
うゎー、この人マジだよ。
「いきなりですか? 私、格闘技の経験無いですよ」
「大丈夫よ。適性を見るだけだし、手加減は十分するから、遠慮無くかかってらっしゃい」
「そんな、女性に対して、出来ませんよ」
「何を生意気言ってるの。同じ女で、体格は私の方が大きいのよ。それにまさか、私に当てられるとでも思ってるの?」
そう言いながら沙耶香さんは防具を投げてよこし、自分もグローブを着ける。
「念のため、沙耶香さんも防具は着けて下さいね」
「生意気ね。まぁ良いわ。大口叩けるのも今のうちよ」
私も真新しいグローブを着ける。グローブと言ってもボクシングみたいなのではなく、指も使える。
「とりあえず、制限時間は二分ね。始めるわよ」
沙耶香さんが半身に構える。凄い迫力だ。
言葉や道具から言って、沙耶香さんの身につけているのは打撃系だろう。素人が離れてじゃ勝負にならない。
ピーカブーで頭を振り、ダックして踏み込む。密着してしまえば、相手の技はかなり封じられるはずだ。伊達にボクシング漫画を読んでない。
そこから拳を突き出す――一応手加減して――が、当たらない。上手く向きを変えられたり、出掛かりを抑えられたり。途中から手加減を忘れて突くが、全然当たらない。
あれ? っと思った瞬間、天地が逆に。とっさに臍を見る要領で顎を引くと、背中に衝撃が来る。訳が分からないうちに投げられたらしい。『らしい』というのも、結果から判断してだ。
「まだ一分も経ってないわよ。続き、やる?」
「もちろん!」
沙耶香さんが時計を戻す。第二ラウンドだ。
何をされた? 突いた拳が腕ごと吸い込まれて転がされた感じだ。ダメだ。近い間合いじゃ多分勝負にならない。
沙耶香さんは静かに構える。よく見るとサウスポースタイルで拳は握ってない。これって突きより組みがメインのスタイルかも。
今度は離れた間合いで、スピード重視で行く。体格は負けてるけど、リーチはそれほど差がない。スピードは多分こっちが上だ。
反時計回りに動き、右ストレート主体に攻める。
沙耶香さんはそれを嫌って踏み込んで来るが、こちらは回り込むように逃げる。良い感じだ。
と油断したら、いつの間にか隅に追い込まれている。
とっさに踏み込んで背中でタックル。
不発。
見事に転がされたが、今度は何をされたかを――少なくとも投げられたことは――認識している。
そのまま前転し、間合いを離そうとしたら、あっさり捕まった。左腕の関節を極められて動けない。
「痛っ! 痛い、痛い! 堪忍、堪忍、降参!」
「とまぁ、こんなもんね。
でも貴女、格闘技の経験が無いって嘘でしょ?」
「本当に経験なんてありませんよ。こっちは一発も当たらないし」
「私に当てられるわけ無いでしょ。
でも経験無しには見えませんでしたが」
「?」
「まずびっくりしたのが、突きの一つ一つに体重が乗ってること。あれって、四〇キロ台の女の子が出せるパワーじゃないわよ。
それに拳を真っ直ぐ突いて来るし、フットワークも速い……。なんて言うのかな、体の使い方、特に下半身が様になってるのよ。
あと、一回転がされた後、スタイルを変えたでしょ? あれはどうして?」
「初めは、くっつけば技の大半は封じることが出来るし、素人でも勝負になるかな? って思ったんですけど……。
でも、実際はくっついた方が差が出るようなので、離れて戦うことにしました。で、捕まりそうになったら体当たりで逃げようと」
「今の貴女の力量で言えば、正解に近い選択ね。よくそういう判断が出来たわね」
「うーん。格闘技を扱った漫画を沢山読んでたからでしょうか」
私はいくつかの漫画を挙げた。
「知っているだけであれだけできれば大したものよ。
ボクシングルールでやったら、多分私じゃ敵わないわね。男性相手でも軽い階級の四回戦や六回戦クラスなら……」
「圧倒できますか?」
「初見の一ラウンドぐらいは練習相手になれるかも」
「その程度ですか……」
「貴女、職業で格闘技やってる人、舐めてるでしょ。
ぺーぺーでも、素人の一般人を基準にすればバケモノよ。身体能力の高さだけじゃ勝負にならないわよ。
貴女のレベルは、素人にしてはやる、って程度。突きや蹴りを真っ直ぐ、しかも体重を乗せてってのは、練習しないでなかなか出来ることじゃないから」
「格闘マンガとか、カンフー映画とか見たら、男子って真似するでしょ。それが一種の練習になってたのかも知れませんね」
「男の子として身体を動かしてたからかしら? これは訓練が楽しみね」
その後、沙耶香さんから合気柔術の手ほどきを受けた。と言っても、基本の足捌きと投げを一つだけ。沙耶香さん曰く「スジがいい」らしい。