京都 一 コンビニ
沙耶香さんが迎えに来たのは、金曜の昼下がりだった。
「泊まりのだけじゃなく、運動服と勉強道具も持ってきた?」
「はい。一応」
「とは言っても、大学出てる貴女に受験勉強は、今更ね」
「とりあえず、社労士の参考書です。
『前世』は理系だったからこの辺のことが疎かだったし、これなら資格にも繋がりますしね」
「前世?」
「はい。
これからは『昌』として生きることにしたので、『昌幸』は『前世』と思うことにしたんです。今はまだ言葉だけですけどね」
「心がけは悪くないけど、あまり無理をしないでね。『昌幸』さんを内包しての貴女なんだから」
途中のSAで食事を採り、一路京都に向かう。もうすぐだ。
京都東ICは混みそうということなので、一つ前で下りて一般道を走る。道は新幹線と平行して進み、トンネルをくぐる。
沙耶香さんは「小腹が空いた」と脇道に入ると蕎麦屋に車を停めた。
「ここはね、ニシン蕎麦が美味しいの」
さっきSAで食べて一時間ほどしか経ってないのに、と思ったが、沙耶香さんの食事が軽かったのはこれが目的か……と納得する。
でも、この人は体重のことを気にしないのだろうか? 『前世』の『私』でさえ、三十路にはカロリーに気を付けだしたのに。
「昌ちゃんは何にする?」
正直、あまりお腹はすいてない。『前世』ほど沢山食べられなくなったし。
「残すのも悪いから、冷や奴だけにします。お蕎麦、ちょっとだけ分けて下さい」
混んでいたせいか、十五分程してやっと出てきた。
「いただきまーす。
本当は、これをアテに冷酒を行きたい所ね」
「良いですよ。目的地はナビに入ってますし。私が運転しますよ。
でも金曜の夜に、ニシン蕎麦をアテに冷酒なんて、オッサンですね」
「中身がオッサンの貴女が言う?」
「オッサンだったのは『前世』です。今の私は、花も恥じらう乙女ですから」
沙耶香さんはやれやれという面持ちで蕎麦をすすり始めた。私も冷や奴を食べ始める。
「花も恥じらう乙女さん、一口いかが?」
「ありがとうございます」
汁を一口すする。やや甘めの汁だ。でもクドくはない。蕎麦を一口すすると、新蕎麦の季節にはまだ早いのに美味しい。
「美味しいです。端境期は蕎麦粉を南半球から輸入してるんでしょうか? だとしても、もう終わりの時期ですよね」
「さぁ? 分からないわ。でも、これで貴女と間接キス」
「小学生みたいなこと言わないで下さいよ」
「冗談よ。
食べ方は合格点ね。まぁ、貴女は元々立ち居振る舞いはきれいだったし。これなら明後日も大丈夫かしら」
「初めて、じゃなくて訓練の初日と言うことが違いませんか?
って、明後日は合流でしたっけ。何をするんですか?」
「それは明後日のお楽しみ」
その後は、酔客を――主に沙耶香さんが――あしらうのに忙しくなり、食べ終わるとすぐに店を出た。でも、ナンパって感じじゃないな。一緒に飲もうって感じで、下心はあんまり感じない。
沙耶香さんって男前な空気を纏ってるからだろうか。確かに、若い男性じゃ気後れするかも知れない。
「今日と明日はここに宿泊よ」
随分いいホテルだ。いわゆるビジネスホテルではない。パーティや式典も出来る高級なホテルだ。フロントからラウンジを見ると、外国人の姿も多い。
沙耶香さんがチェックインのサインをしている。
あれ? 部屋は一つ? ……ってことは、またなにか訓練するのかな。
四〇三号室に着いた。このフロアには客室が四部屋だけ。部屋は落ち着いた雰囲気で、ベッドルームもあれば小上がりの座敷もある。隣には――多分着付けにでも使うのだろうか――ムダに広い部屋がある。
「ビジネスホテルでシングル二部屋だと思っていたのに、こんな部屋でびっくりしました。でもどうして相部屋なんですか」
「二人でいろいろすることもありますからね。貴女には女としての自覚を早く持って貰わなくてはいけませんし。
一緒に寝る? 女の悦びで強制的に自覚を促しましょうか?」
「!」
「冗談よ。でも、そのウィッグは外して行動して貰えないかな? せめて明後日まで」
口では『前世』と言いながらも、一歩踏み出せない。私は無言で沙耶香さんを見る。
「ちょっと、そんな目で見ないでよ。本当に変な気になるでしょ。
でもね、京都なら外国人も珍しくないし、貴女も本来の姿で過ごせるんじゃないかしら? 少なくとも貴女、遠目には日本人には見えないもの」
そういうことか。日本人として過ごすにはこの外見は目立つけど、外国人としてならそんなに変じゃない。
「沙耶香さん、英語いけますか?」
「普通にしゃべれるけど、何?」
「ここにいる間は、私は留学生という設定で行きません? 外では会話も英語で。だったら、ウィッグ無しでも外出できそうです」
「それじゃ早速、英語タイムね! 今からコンビニ行きましょう」
「今から?」
「思い立ったが吉日よ」
※筆者注 以下、英語での会話も便宜上日本語で表記します。
私たちは、繁華街にほど近い路地を歩いている。「普通にしゃべれる」と言うだけあって、沙耶香さんの英語は見事だ。外見――私のちっぱいとはスケールが違う――と相まって、アメリカ人と言っても通用しそうだ。
もちろん、私も負けずに話す。聞き取りは比売神子パワーのおかげだ。
コンビニに入ると店員が「いらっしゃいませ、こんばんは」と威勢良く挨拶する。見たところ学生バイトだろうか。もう一人は留学生っぽい。見たところマレーシアあたりかな?
私もワザと変なイントネーションで「コンバンワー」と返す。もちろん笑顔もプレゼント。
私の笑顔に頬を染めて挙動不審になる店員を見て、いたずら心が出てくる。
ふと見ると、沙耶香さんはお酒をポイポイとカゴに入れる。一人であれだけ飲むのだろうか?
私はそれを横目にアイスクリームを物色する。
おっ! これは使えそう!
ソフトクリーム風のを取り出す。生乳六〇%が売り文句だ。
それを沙耶香さんに見せながら、店員にも聞き取れる英語で「これを食べたら、私のスペアリブもホルスタインになるかしら?」などと訊く。そして大げさに胸を見比べる。
狙い通り、学生バイトは、赤くなった耳をダンボにして聞いている。
支払いのところで、とどめの一撃。パッケージの『生乳』を指さして、
「ナ・マ・チ・チ」
店員はきょとんとした後、咳き込んだ。顔の赤さは最高潮。
少年、これぐらいでドギマギしてどうする。若いなぁ。
一時的に不器用になった手でなんとかお買い上げシールを貼ってくれたので、それを受け取る際に指をちょっと触れさせる。もちろん狙ってだ。
さらにもう一度「なまちち」発言をした後、代金を手渡した。もちろん笑顔とお礼と指先の接触付き。
店員は頭から湯気でも上げそうだ。
ホテルへの道すがら、沙耶香さんはあきれた顔で会話を日本語に戻した。
「調子に乗ってるのか、無理をしているのか、どっちかしら?」
「少し、調子に乗ってたかも。でも、この姿で男の子をからかうのが愉しいと思えれば、一歩前進かな? と思って……」
「……前進する方向が違います」
沙耶香さんの溜息は深呼吸並みだった。




