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ひめみこ  作者: 転々
第五章 京都合宿
34/202

京都 一 コンビニ

 沙耶香(さやか)さんが迎えに来たのは、金曜の昼下がりだった。


「泊まりのだけじゃなく、運動服と勉強道具も持ってきた?」


「はい。一応」


「とは言っても、大学出てる貴女に受験勉強は、今更ね」


「とりあえず、社労士の参考書です。

『前世』は理系だったからこの辺のことが疎かだったし、これなら資格にも繋がりますしね」


「前世?」


「はい。

 これからは『昌』として生きることにしたので、『昌幸』は『前世』と思うことにしたんです。今はまだ言葉だけですけどね」


「心がけは悪くないけど、あまり無理をしないでね。『昌幸』さんを内包しての貴女なんだから」




 途中のSAで食事を採り、一路京都に向かう。もうすぐだ。

 京都東ICは混みそうということなので、一つ前で下りて一般道を走る。道は新幹線と平行して進み、トンネルをくぐる。


 沙耶香さんは「小腹が空いた」と脇道に入ると蕎麦屋に車を停めた。


「ここはね、ニシン蕎麦が美味しいの」


 さっきSAで食べて一時間ほどしか経ってないのに、と思ったが、沙耶香さんの食事が軽かったのはこれが目的か……と納得する。

 でも、この人は体重のことを気にしないのだろうか? 『前世』の『私』でさえ、三十路にはカロリーに気を付けだしたのに。


「昌ちゃんは何にする?」


 正直、あまりお腹はすいてない。『前世』ほど沢山食べられなくなったし。


「残すのも悪いから、冷や奴だけにします。お蕎麦、ちょっとだけ分けて下さい」


 混んでいたせいか、十五分程してやっと出てきた。


「いただきまーす。

 本当は、これをアテに冷酒を行きたい所ね」


「良いですよ。目的地はナビに入ってますし。私が運転しますよ。

 でも金曜の夜に、ニシン蕎麦をアテに冷酒なんて、オッサンですね」


「中身がオッサンの貴女が言う?」


「オッサンだったのは『前世』です。今の私は、花も恥じらう乙女ですから」


 沙耶香さんはやれやれという面持ちで蕎麦をすすり始めた。私も冷や奴を食べ始める。


「花も恥じらう乙女さん、一口いかが?」


「ありがとうございます」


 汁を一口すする。やや甘めの汁だ。でもクドくはない。蕎麦を一口すすると、新蕎麦の季節にはまだ早いのに美味しい。


「美味しいです。端境期(はざかいき)は蕎麦粉を南半球から輸入してるんでしょうか? だとしても、もう終わりの時期ですよね」


「さぁ? 分からないわ。でも、これで貴女と間接キス」


「小学生みたいなこと言わないで下さいよ」


「冗談よ。

 食べ方は合格点ね。まぁ、貴女は元々立ち居振る舞いはきれいだったし。これなら明後日も大丈夫かしら」


「初めて、じゃなくて訓練の初日と言うことが違いませんか?

 って、明後日は合流でしたっけ。何をするんですか?」


「それは明後日のお楽しみ」


 その後は、酔客(すいきゃく)を――主に沙耶香さんが――あしらうのに忙しくなり、食べ終わるとすぐに店を出た。でも、ナンパって感じじゃないな。一緒に飲もうって感じで、下心はあんまり感じない。

 沙耶香さんって男前な空気を纏ってるからだろうか。確かに、若い男性じゃ気後れするかも知れない。




「今日と明日はここに宿泊よ」


 随分いいホテルだ。いわゆるビジネスホテルではない。パーティや式典も出来る高級なホテルだ。フロントからラウンジを見ると、外国人の姿も多い。

 沙耶香さんがチェックインのサインをしている。


 あれ? 部屋は一つ? ……ってことは、またなにか訓練するのかな。


 四〇三号室に着いた。このフロアには客室が四部屋だけ。部屋は落ち着いた雰囲気で、ベッドルームもあれば小上がりの座敷もある。隣には――多分着付けにでも使うのだろうか――ムダに広い部屋がある。


「ビジネスホテルでシングル二部屋だと思っていたのに、こんな部屋でびっくりしました。でもどうして相部屋なんですか」


「二人でいろいろすることもありますからね。貴女には女としての自覚を早く持って貰わなくてはいけませんし。

 一緒に寝る? 女の悦びで強制的に自覚を促しましょうか?」


「!」


「冗談よ。でも、そのウィッグは外して行動して貰えないかな? せめて明後日まで」


 口では『前世』と言いながらも、一歩踏み出せない。私は無言で沙耶香さんを見る。


「ちょっと、そんな目で見ないでよ。本当に変な気になるでしょ。


 でもね、京都なら外国人も珍しくないし、貴女も本来の姿で過ごせるんじゃないかしら? 少なくとも貴女、遠目には日本人には見えないもの」


 そういうことか。日本人として過ごすにはこの外見は目立つけど、外国人としてならそんなに変じゃない。


「沙耶香さん、英語いけますか?」


「普通にしゃべれるけど、何?」


「ここにいる間は、私は留学生という設定で行きません? 外では会話も英語で。だったら、ウィッグ無しでも外出できそうです」


「それじゃ早速、英語タイムね! 今からコンビニ行きましょう」


「今から?」


「思い立ったが吉日よ」




 ※筆者注 以下、英語での会話も便宜上日本語で表記します。


 私たちは、繁華街にほど近い路地を歩いている。「普通にしゃべれる」と言うだけあって、沙耶香さんの英語は見事だ。外見――私のちっぱいとはスケールが違う――と相まって、アメリカ人と言っても通用しそうだ。

 もちろん、私も負けずに話す。聞き取りは比売神子パワーのおかげだ。


 コンビニに入ると店員が「いらっしゃいませ、こんばんは」と威勢良く挨拶する。見たところ学生バイトだろうか。もう一人は留学生っぽい。見たところマレーシアあたりかな?

 私もワザと変なイントネーションで「コンバンワー」と返す。もちろん笑顔もプレゼント。


 私の笑顔に頬を染めて挙動不審になる店員(坊や)を見て、いたずら心が出てくる。


 ふと見ると、沙耶香さんはお酒をポイポイとカゴに入れる。一人であれだけ飲むのだろうか?

 私はそれを横目にアイスクリームを物色する。


 おっ! これは使えそう!


 ソフトクリーム風のを取り出す。生乳六〇%が売り文句だ。

 それを沙耶香さんに見せながら、店員にも聞き取れる英語で「これを食べたら、私のスペアリブもホルスタインになるかしら?」などと訊く。そして大げさに胸を見比べる。


 狙い通り、学生バイトは、赤くなった耳をダンボにして聞いている。


 支払いのところで、とどめの一撃。パッケージの『生乳』を指さして、


「ナ・マ・チ・チ」


 店員はきょとんとした後、咳き込んだ。顔の赤さは最高潮。

 少年、これぐらいでドギマギしてどうする。若いなぁ。


 一時的に不器用になった手でなんとかお買い上げシールを貼ってくれたので、それを受け取る際に指をちょっと触れさせる。もちろん狙ってだ。

 さらにもう一度「なまちち」発言をした後、代金を手渡した。もちろん笑顔とお礼と指先の接触付き。

 店員は頭から湯気でも上げそうだ。


 ホテルへの道すがら、沙耶香さんはあきれた顔で会話を日本語に戻した。


「調子に乗ってるのか、無理をしているのか、どっちかしら?」


「少し、調子に乗ってたかも。でも、この姿で男の子をからかうのが愉しいと思えれば、一歩前進かな? と思って……」


「……前進する方向が違います」


 沙耶香さんの溜息は深呼吸並みだった。

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