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ひめみこ  作者: 転々
第一章 変わる日常
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その日、そして私は

 重い瞼を持ち上げると、さっきまでとは別の病室のようだ。周囲には『いかにも』な機械が並んでいる。点滴以外にも、管や線がいくつも私に繋がれている。

 医療器のモニタに表示された日付は、……ん? なんだか既視感がある。


 そうだ、さっき姫だか巫女だかのお婆ちゃんに変なことを言われて……、そこで記憶が途切れている。




 女性……、私は聞いた内容を反芻すると、意を決して手を自分の下腹部に持って行った。


 紙オムツらしき感触。さすがに中に手を入れる勇気はない。少しの逡巡のあと、オムツの上に恐る恐る指先を這わせる。

 進めた指先は、途中から斜面を滑落する。尾根付近の内側に骨格があることは伺えるが、そこから先に手がかりらしきものは無い。指先から、頬から、血の気が引くのを感じる。

 同意無しに身体を造り替えるなんて、犯罪じゃないのか? それとも、命と性別で命を取ったのか?

 いや、仮にやむを得ない事情があったとしても、それ以上のことが必要とは考えられないし、渚がそれに同意するとも思えない。

 子どもたちが「おまえのとーちゃんニューハーフ」とか言われるのは、あんまりだ。


 手を上に持って行く。既に結論は出ているが事実確認だ。

 入院着の上から手を触れると予想よりも小さい。頂も申し訳程度だ。結婚してからはご無沙汰だが、週三回ジムで鍛えていた男の体じゃ仕方ないのだろうか。

 ……いや、私は一体何を期待していたんだ?


 作り物だから仕方ないのだろうか、小さな膨らみは不自然な硬さだ。触れた頂もヒリヒリするが、どうせ四十間近。今更使い途はない。


 この手の小説は読んだことがある。少年が目を覚ますと少女になっていて、さぁ大変! というアレだ。

 それで言うところの「ない~! ある~!」のシーンだが、アレは当事者が十代で思春期まっただ中だから成立する。若い頃ならともかく、四十路間近のオッサンがオバサンになっても、あるのは更年期障害だけ。


 入れ替わりものとかは、娯楽として客観的に楽しむ分には良いが、当事者となると笑えない。父親として子どもに接することはできなくなるだろうし、夫婦生活も……。

 まさか自分がその立場になるとは。




 事実確認を終えて溜息をついた瞬間、側の機械から警告音らしき電子音が鳴り出した。心電計の電極でも外れたのだろう。


 私が体を起こすと同時に看護師が入って来た。上半身を起こした私を見る表情に安堵がある。

 私は目礼し、水差しを指さした。

 看護師は「少しずつですよ」と断ると、水差しからコップに半分ほど水を注いで手渡してくれた。


 私はゆっくりと、確かめるように飲み込む。ややぬるいが、ひりつく咽にはこれぐらいの方が良いだろう。十分近くかけてコップに半分ほどの水を飲むとようやく人心地ついた。


「あり……、がとう……」


 何度か咳き込んで、やっと声が出た。以前と違う自分の声に違和感を覚える。


 水を一口飲んだことで内蔵が目を覚ましたのか、下半身に『ある感覚』が現れた。

 意識があるのに放出ってのは、大人として沽券に関わる。

 私は看護師にトイレへ行く許可を求め、ベッドから降りた。


 今度は無様に倒れずに済んだが、身体には倦怠感が幾重にも縋りついてくる。それらを引き連れたままトイレに向かうのは、三メートルが三百メートルにも思える作業だ。


 私は何とか個室のドアを閉めて便座に向かう。




 そこから先の描写は省かせてもらうが、あることが重大な事実を私に突きつけた。


 私のそこは、不毛地帯だった。


 慌てて鏡を覗き込む。そこに映る私は髪の大半が抜け落ち、夏毛になったかのように細く短い毛がある。新たに生えた部分は白髪混じりのせいか――黒い髪の方が少ないが――まだらに見えてみすぼらしい。

 しかし、頭髪とは対照的に、顔自体は四半世紀ほど前の姿だ。どういうことか解らないが、外見は若返っているようだ。


 眼鏡を掛けていないのに周囲がはっきり見える。視界の違和感はこれか。

 私が眼鏡を使い始めたのは、中学二年のとき。若返っているとすれば、今の肉体はそれ以前のものだということ。一方で、胸乳は微妙にふくらんでいる。第二次性徴が現れる年代だ。


 今の私はせいぜい十二、三歳だということか……。

 はぁ……。これからどうしようか。


 この外見では仕事を続けられない。まず、打合せで門前払いだ。


 SOHOでCADオペさんでも?


 無理無理。今時オペにそれだけの仕事量もない。


 顔も合わせられないんじゃ、貰える仕事も貰えない。


 そもそもこの姿では労働法的に就労できない。


 私の預金は、定期やなんかを解約してもせいぜい三千万。決して少ない額じゃないが、生活費として使えばあっという間だ。

 渚はフルタイムで働いているけど、その給料で家族全員養えるかというと……、難しい。


 株なんて博打みたいなもんだし。


 どうする?


 私がここから成長できたとしても、就労できる外見を得るまでには五,六年はかかるだろう。それから得られる収入で子ども達を学校に出してやれるだろうか? いや、そもそも大人の姿に成長できるのか?


 まてよ、それより私の戸籍はどうなっている?


 どう考えても、今の私は公的には存在しない人間だ。まともに就労すること自体無理。コンビニのバイトすら望めない。


 姫とか巫女とか言ってたけど、資産も稼ぎも身元保証も無いでは、非合法なお仕事一直線じゃないか。でも、子ども達を育てるためには、世界最古の職業も視野に入れるべきなのだろうか?


 私は鏡に両手をつき、そこに映る自分を見た。


 鏡の向こうの貌は病的に白く、目ばかり大きく見える。


 混乱、困惑、焦燥……、感情の入り交じった表情。思考だけがぐるぐると回る。




「……さん、小畑さん! どうしました? 大丈夫ですか?」


 看護師の声にハッと我に返る。また意識を失ったと思われたかもしれない。


「は、はい、生きてます。今、出ます」


 私は応えると、周囲を見回した。百貨店の紙袋の中を覗き込むと替えの下着や洗面道具が入っている。先月、渚が持ってきてくれたものだろう。


 私は袋からトランクスを取り出すと急いで身につけた。

 当然だがウエストが緩い。二十センチほど縮んで、今は六十センチもないだろう。痩せたせいか、ウエストのゴムが肋骨に届きそうだ。

 収まりが悪いが仕方がない。落ちてこないよう手を腰にやる態で入院着の上からトランクスを引き上げておく。後で渚にサイズが合う下着を買ってきて貰おう。




 トイレを出ると、病室の入り口に付近にはさっきのメンバーが揃っており、例のお婆ちゃんが座るよう促した。


 私はそれに従った。

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