工場
帰宅から一週間、体調が悪かったこともあって、外出はしなかった。火曜日に始まったアレも土曜にはほぼ終わり、開けて日曜日はすっきりとした朝だ。今日は少し外出だ。
今、私は電車で一駅離れた工場にいる。『私』の勤務先だった所だ。日曜日だから敷地内に人気はない。事務所も照明がおとされているようだ。
窓から工場の中を覗くがよく見えない。シャッターの脇に行くと、通用口のノブは回る。施錠されていない。
私は通用口からセットアップ工場に入った。
中は薄暗いが、視界は十分だ。
一ヶ月前とほとんど替わらないが、よく知っている見慣れない機械が部分的に組立中。『私』が設計したものだ。
大物部品がまだなのだろう、メインフレームが無いため、組み立ては一時休止状態だ。
私は部品の周囲りを歩きながら、出来を確認する。うん。見える範囲は設計通りだ。
そのとき大声で誰何された。この声は谷口さん――『私』の上司――だ。何で日曜日に出てきてるんだろう。
「嬢ちゃん、もしかして昌幸の……」
「はい。小畑昌です。
済みません。勝手に入っちゃって。父が働いていたところを見てみたくて。でも、どこから入ればいいか判らなくて……」
「まぁいい。事務所に来な。お茶ぐらいはある」
相変わらずぶっきらぼうなオヤジだ。
「お父さんのこと、残念だったな」
どう答えて良いか分からず、無言で頷いた。
「どうにも外せない仕事があってな、終わって急いで通夜に行ったが、結局昌幸の御両親にしか会えなかった。
昌幸も無念だったろう。まだ小さい子を残して……。
済まんな、齢をとると独り言が多くなって」
工場から外に出ると、薄暗い工場に慣れた目に太陽がまぶしい。
「ん? 髪はきれいな銀色だって聞いてたんだが……」
「あの、変に目立つのが嫌だったので」
私がウィッグを外して本来の姿を見せると、谷口さんは目を見開いた。
「昌幸に、お父さんによく似てるな。うちの娘も嬢ちゃんぐらいの別嬪さんなら良かったんだが。ま、親父が儂じゃぁ仕方ねぇか」
不思議と悪い気はしなかった。結局こういう事は言葉の内容よりも、誰が言ったかの方が重要だ。
事務所に入ると薄暗く、書棚がすっきりしている。
「日曜日ですけど、何をなさってたんですか?」
大体予想できるが一応訊いてみた。
「設計部門は店じまいしようと思ってな。一昨日から後片付けをしてたんだ。儂ももう歳だし、後を任せられるのもいない。ま、潮時だな」
谷口さんは大手メーカーを早期退職した後うちで設計をしていた。今も嘱託でお願いしていたが、既に六十二歳。次を育てる時間はもう無い。
「そういやぁ、昌幸も出荷前には必ず自分の設計した機械を見てたな。さっき嬢ちゃんが見てた機械、あれはお父さんの最後の仕事だ。組立てを手伝ったが、まずまずの設計だ」
あれ?『私』が仕事をしていたときは、ほとんど誉めてくれたこと無かったのに。
「父は、何をしていたんですか?」
「嬢ちゃんに言っても解りにくいだろうけど、工場で使う機械の設計だ。手堅い設計をするようになったな。とにかく、間違いや手戻しをしない工夫がいい。
つっても解らないな。ウチで造ってるのはオーダーメイドの一点ものばっかだから、いつも一発勝負なんだ。
設計が不味いと、後がどんなにがんばっても上手くいかない。結局作りなおす事もある。
ところがアイツの設計は、調整するだけで何とかなる事が多かった。酷いときでも部品をいくつか作り直すだけで何とかなった。
仕上がりだけを見ると簡単そうに見える設計だが、実はそういうのが難しい。だんだんそれが出来るようになってきてた」
すごい誉めっぷりだ。身内に貶すようなことは言わないだろうけど、それを差し引いてもすごい。ちょっと嬉しくなった。
「ありがとうございます。それを聞けば、父も喜んだと思います」
私は一礼した。
「嬢ちゃん。コンピュータ、要るか?」
「はい?」
「昌幸が使ってた端末、持ってけや」
あれって、安くないぞ。3DCADと解析用のワークステーションだ。グラボはOpenGLに最適化されてるけど、買った頃ならゲーミングPCとしても使えるレベルだった。XP用のデバイスドライバが揃ってる最終世代だろう。
「良いんですか? 会社の資産でしょ」
「子どもが細けーこと気にすんなって。どうせ特別償却で落としてあるし、ウチじゃ昌幸以外には宝の持ち腐れだったしな。
どうせ処分するか、二束三文で下取りに出すんだ。それぐらいなら、嬢ちゃんに使ってもらった方がいいだろ」
「だったら、私にも宝の持ち腐れかも……」
「いいんだよ。どうせ誰も使えねぇんだ。なら、嬢ちゃんに使って貰えばいい。お父さんの形見だと思って持ってけや」
「でも、電車だから、こんなの持って帰れません」
「儂が送ってやるよ」
結局、ワークステーションと付属品、何故か『私』が使ってた工具箱まで貰うことになった。女の子に工具箱って、変だと思わないのだろうか?
「儂の車に乗った女は、嫁と娘と嬢ちゃんで3人目だな。
しかも、助手席は嬢ちゃんが初めてだ。嬢ちゃんのお父さんに見せびらかすつもりだったんだがなぁ。
本当は、助手席は十八歳未満お断りだが、嬢ちゃんは特別だ」
「でも、十八禁なことは私もお断りですよ」
そう言うと、谷口さんは相好を崩して大笑いした。
「上手い。そういう返しはお父さんの血を引いてるな」
そうこうしているうちに家に着いた。
家は留守だった。多分、子ども達を連れて買い物にでも行ったのだろう。
荷物を下ろしてもらいお礼をすると、谷口さんは相好を崩す。
「なんか、相談したいことが有ったら、この番号かこっちに連絡してくれ。嫁の方がちゃんと出るからこっちのがいいかな。
昌幸の娘なら、儂らにとっちゃ孫みたいなもんだからな。遠慮はいらん」
谷口さん、こんな事言う人だったのか。正直、昌幸だったときに聞きたかった。いや、単に女の子に甘いだけか?
何はともあれ、ハイスペックなPCを『ゲットだぜ』出来たのはラッキーだ!




