通夜
『私』の通夜のため、家族はセレモニー会館に集まった。
会館の人は仕事として淡々と振る舞う。必要以上に突っ込んだことも訊かないし、関わってくることもない。
けど、一部のスタッフが度々私を見る。
『故人』の面影を色濃く残す少女。でも弟や妹とは歳が離れている。しかも純粋日本人には見えない髪と目の色。
どう見てもワケありだ。
分かっていたんだけどね。分かっていたけど、街で脚とか尻に向けられる視線とは明らかに違う嫌な感じがする。これに比べれば、エロい視線の方がマシ。健全というか、まだしも受け容れられる。いや、受け容れてるわけじゃないけど、我慢できるというか、理解できるというか……。
私は、式が始まる前から憂鬱になってきた。下っ腹も痛くなってくる。私は小さい頃から、嫌なことがあったりストレスが大きくなるとよく下痢をした。それはこの身体になっても同じらしい。
意外と弔問客は多かった。もっとも、大半が仕事関係で友人はほとんどいない。私に友人は多くなかったし、その少ない友人も散らばってるから仕方がない。
弔問客が喪主である父に挨拶に来るのだが、例外なく親族席にいる私を見ていく。と言うより、私で視線が一旦止まる。そして次に『私』の遺影を見て、もう一度私を値踏みするように見るのだ。
複数人で挨拶に来たときには、一通り挨拶して離れていくときに、小声で何事かを話しながら去ってゆく。
もちろん、こんな幼子を残してとか、子どもを先に見送るのは親として云々とか、そういうのもあるだろう。
でも、話題の中心は、多分、私の出自のことだ。もしかしたら自意識過剰かも知れない。しかし、こう同じ視線移動が繰り返されるとそうに違いないと思い込んでしまう。
むしろ「こちらのお嬢さんは?」と、素直に訊いてくる人の方が好感が持てる。訊いて来たのが、『私』の個人的な友人ばかりだったから、評価が甘くなっているだけかも知れないけど。
読経も終わりに近づき、弔問客が再び焼香を始める。
当然、親族の席に近づくわけだが、やはり、私と『私』の遺影を見比べる。
実際にはそうじゃないのかも知れないが、既にその辺の感情をたっぷり刺激されて過敏になっているのか、全員が私の出自をあれこれ詮索しているように感じられる。
その場から逃げ出したいが、立場上それはできない。子ども達がぐずりだしたときに、渚と一緒に部屋を出るべきだった。
我慢していたが、だんだん気持ち悪くなってくる。息苦しいし、頭痛や吐き気までしてくる。
「昌ちゃん」
小声で沙耶香さんが呼ぶ。斜め後ろから私の腰と肩を抱えていた。いつの間にか、私は体重を完全に預けている。
「控え室に戻りましょう」
そう言うと返事を待たず、足下のおぼつかない私を部屋から連れ出した。会場のドアを閉めると私を抱え上げる。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。自分がしたことはあったけど、女の人にされるのは初めてだ。
「お、降ろして下さい。自分で歩けます」
抗議は通らず、そのまま親族の控え室に連れてこられた。部屋の隅に並べた座布団に寝かされる。
沙耶香さんは上着を脱いで私に掛けると、グラスに水を入れてきた。
「水、飲めるかしら?」
「はい」
応えて、グラスを受け取った。背中を沙耶香さんが支えてくれる。
一口、二口と嚥下すると、幾分マシになった。
「沙耶香さん、男前ですね」
「惚れたなら、私のところに嫁に来る?」
「それ、性別が逆ですよ」
「でも、少なくとも今の貴女は、婿って感じじゃないわね」
沙耶香さんはクスリと笑って応える。
暫く横になったことで、ずいぶん楽になった。
「ちょっと、顔色が戻ったわね」
沙耶香さんは私の額を確かめながら言った。
「そんなに酷かったですか?」
「最初は紅潮していたけど、急に蒼くなったから、これはヤバいと思って連れ出したの。
……必要なこととは言え、酷なことしちゃったわね」
「承諾したのは私ですから。
ちょっと、トイレに行ってきます」
私は立ち上がり「今、トイレに行くのは……」という沙耶香さんの言葉を振り切って控え室を出た。
トイレに入ろうとしたところで誰かに呼び止められた。
「小畑、昌さん、だったかな?」
「はい?」
初対面のはずだ。何で名前を知って……、と一瞬考えたが愚問だ。この式場では、私は特異な立場と外見だ。
「こっちは男性用だよ」
男女分けされたトイレを使うのは初めてじゃないはずなのに、結構、いっぱいいっぱいだったみたいだ。
「すみません。ぼんやりしてました」
私は一礼して女性用に向かった。
中に誰もいないことを確認する。
未だ後ろめたさを覚えるが、尿意には勝てない。個室に入って用を足していると、何人かが入ってくる気配。うーん、出ていきにくい。
ドアの向こうから弔問客の話し声が途切れ途切れに聞こえる。
「見た? 小畑さんとこの隠し子」
「見た、見た。すごい美人! アレ、将来すごいわよ! 男ども、あの子と看護婦の話しかしてないし」
「だよね~。
でも小畑さん、見かけによらずヤルことはヤってたのね」
やれやれ、『私』のイメージががた落ちじゃないか。心の中でぼやいていると、外の会話は続いていく。
「あの子、ハーフ?」
「あの髪は治療の副作用って聞いたわ」
「治療に、米国に行ってたって聞いたわよ」
「じゃ、日本の保険効かないじゃん」
「小畑さん、治療に億の金を突っ込んだんだって」
「そんなお金あったの?」
「株で一儲けして、億の資産があったらしいわよ」
私と『私』の『設定』を話し合っている。益々出ていきづらい。
「あの子が、それを相続するらしいわ」
「それで奥さんが親権を持つんだ」
「なーるほど。一生遊んで暮らせるもんね」
「あの子、継母と一緒じゃ苦労するわよ」
だんだん、生臭い話になって行く。なんで女の人って、トイレでこんなしょーもないうわさ話、しかも憶測でしかない話をするのだろうか。聞きたくないのに延々と続けるから、出るに出られない。
どれだけその話を聞かされただろうか。
渚は……、『私』が選んだ妻はそんな人間じゃない。
私は息を殺して、個室にしゃがみ込んでいた。時間にすればほんの数分だっただろう。でも、私には気が遠くなるほど長い時間に感じられた。
周囲の気配が消えて数分、ようやく私はトイレから出た。
出たところに、沙耶香さんが立っている。
「申し訳ありません。私の配慮が足りませんでした」
無言で歩く私を沙耶香さんは後ろから抱き締め、自分の方に向けた。
「奥様、いえ、お母さんの前では、そんな顔をしないで下さい」
私は暫く、沙耶香さんの胸を借りた。
「すみません。ブラウス、汚してしまいました」
「いいのよ。どうせ、クリーニングに出すし、上着を羽織れば見えませんから。……でも、これで私も一人前ね」
「?」
「男を腹の上で泣かせられたら、女は一人前だって、何かの本にあったわ」
思わずクスリとしてしまった。
それ、出典知ってる。いや、二次出典かも知れないけど、書いてあった本持ってるし。それをここで言うかな?
でも、そのおかげでちょっと心のスイッチが切り替わった気がする。セリフはアレだけど効果はあった。
「私は、男でしょうか?」
「さぁ? どうかしら」
沙耶香さんは私の頭をくしゃくしゃっとし、改めて撫でつけた。
でも、私がそのセリフを知ってることを見越して、あえて狙ってやってるのだろうか? だとしたら凄いな。




