入浴
打ち合わせも終わり、お義父さんとお義母さんは帰った。
私は風呂の支度をする。子ども達を風呂に入れるのは私の日課だったが、それもおよそ一月ぶりだ。
脱衣所でいつものように服を脱ぐと、渚は周の服を脱がしながら、ちょっと恥ずかしそうに私を見る。
「ん? どうしたの?」
「あなたって、女としての恥じらいとかは無いの?」
「女として……って言われても、実感無いし。
それに、なんて言うのかな、この体は自分じゃない気がして……。むしろ中途半端に下着姿を見られる方が、女装を見られるようで恥ずかしいよ」
「その辺も、意識を変えていかないとね。
はい、周君、お姉ちゃんと入って」
「お姉ちゃんと?」
「そうよ」
私に続いて周も浴室に入って来た。
かけ湯をしてお尻を洗うと、周はくすぐったそうにする。軽く流して湯船につかった。
「お姉ちゃん、どうして頭、白いの?」
「どうしてかなぁ。周君はどうして頭黒いの?」
「髪の毛が黒いから黒いよ」
「お姉ちゃんも、髪の毛が白いから白いよ」
「どうしてお姉ちゃんの髪は白いの?」
「周君はどうして黒いのかな?」
「黒いから」
「ワンワンでもニャンニャンでも、いろんな色があるでしょ。でもワンワンはワンワンでしょ。
人もいろんな色があるの。頭だけじゃなくて、お顔もいろんな色があるの」
「うん」
納得したようなしないような複雑な顔だ。でも、難しいと考えられるぐらい知恵が付いてきてると思うと嬉しくなる。
「お風呂熱い」
禅問答のような会話に飽きたのか、湯船から出ようとする。
身体を洗ってやると、周も石けんの付いた手で、私のお腹をなで回した。
「こぉら、やめて! くすぐったい。
はい、流すよ」
「ほら、ボク、おちんちんあるよ」
周は見せびらかす。
「大事なところだから、隠しておいてね」
「お姉ちゃん、どうしておちんちん無いの?」
周は私の身体をじろじろ見る。
三歳で女体に興味を持つなんて……、って、まだそんな段階じゃなく、純粋に肉体に対する興味だろう。
「どうしてかなぁ」
ちょっと傷つきながら応える。
「なくしちゃったの?」
う、今のはぐさっと来た。
黙っていると
「お父さんも、じいじもあったよ」
どう応えたものか。「ふうん」と相づちだけ打つ。
「お父さんもじいじも黒かったよ」
「え? 何が?」
「おちんちんのおヒゲ」
あ、そっちか。少し安堵する。
「お姉ちゃんも、大きくなったらおヒゲ生えてくるよ」
「大きくなったら?」
「うん。じいじが言ってた」
これ絶対、保育所でも言ってるんだろうなぁ。保育士さんは子どもを通じて家庭の会話や事情を知ってるらしいし。
周を脱衣所に出し、今度は円を入れる。
円はまだ十分に話せないので、会話というより声かけになる。いつものように、「ほぉら、背中洗うよー」と言いながらお湯をかけると大喜びだ。
ところが、仰向けに抱いて頭を洗い始めると、いつもならウットリとした顔になるところなのに、ものすごく不安な表情をする。今の私の抱っこでは安心できないらしい。
確かに、こんな貧相な腕で抱かれるのは不安かも知れない。でも、お母さんには安心して抱かれてることを考えると、今の私にはそこまでの信頼感を持てないでいるようだ。そう考えると、ちょっと悲しくなる。
円を脱衣所で待っている渚に任せて、今度は自分の身体を洗う。昌幸だったときよりも時間がかかる。
『昌幸だったとき』か……、そう考えられるということは、現在の自分を受け容れつつあるということだろうか。
脱衣所に出ると、渚と子ども達は既に出た後だった。
私は手早く身体を拭き、下着を着けた。この作業も慣れたものだ。
と、ドライヤーが目に入る。昨日までは沙耶香さんにしてもらってたけど、やっぱり自分でもした方が良いだろう。
ドライヤーを強くし、遠くから手首で左右に振りながら温風を当て、髪を下から掬い上げるように風を通す。最後に冷風を当てて完了。
パジャマがないのでノースリーブに七分丈のスウェットを着ていく。これなら余っているウエストも紐で縛れる。
ダイニングに行き、習慣でビール瓶をタンブラーに傾けた。やっぱり、風呂上がりは冷えたビールだ。入院中は、アルコールはナシだったし。
いつものように咽に流し込んだ。
「ぐァっ、苦ぁっ!」
口の中にあるのは確かにビールの味だ。なのに、あれほど美味いと思っていたビールが今は美味しくない。味覚が変わったようで、咳き込んでしまう。後味を消すために口をゆすぐ。ダメだ。何か味のある飲み物、出来れば甘いもの。
冷蔵庫から梅酒を取り出した。うん。まだしも飲めなく無い。でも少し苦みを感じる。もう一口。やっぱり苦い。
あれ? おかしいな? 周囲りが揺れている。何ンか目の前がぐるぐるしてきた。咽も熱いし胸も背中も熱い。ちょっとお水を飲もう。あれ? 立てないゾ。
壁をつたって流しまで、めんどくさい。冷蔵庫を開けて炭酸水を飲む。その場で座り込んでしまった。立つのがめんどくさい。
「あなた! まさか飲んだの?」
「一口、一口らけらよ。苦くれ飲めらららっ」
「あなた未成年でしょ! とりあえずこれ飲んで」
渚がグレープフルーツジュースをコップに入れてくれた。ごくごく飲む。
「あー、美味しい。お代わり」
もう一杯注いでくれた。ごくごく。私の奥さんは優しいなぁ。
部屋の隅にはいつでも子どもを寝かしつけられるよう布団が敷いてある。渚に連れられ、私はそこにごろりと横になった。
「周ぇー、円ぁー、一緒にねんねしよー」
なんだか分からないけど、楽し眠たくなって……。
「痛タタ……」
気がついたら、食事は終わっていた。なんだか頭が痛い。気持ち悪い。トイレに慌てて走るが足がもつれそうだ。
跪いて、飲んだものをパシャパシャと吐き出すと、少し楽になった。顔を洗ってうがいをする。どうやら悪酔いしそうになったらしい。昼食を食べそびれた上、風呂上がりにアルコールを入れれば当然か。顔色はあまり変わってないが、目が充血している。
ダイニングに戻ると、渚がスポーツ飲料のペットボトルを渡してくれた。
「ありがとう」
蓋を開けようとするが、あれ、力が入らない。シャツの裾で蓋を包んでようやく開く。それを三分の一ほど飲むと、幾分楽になった。
「これに懲りたら、お酒は飲まないこと。第一、その身体は未成年なのよ」
「はい。そうします」
「全く、周にオシッコさせてたら、こんな事になってるなんて」
「すみません。もう飲みません」
その日は気分が悪かったので先に寝た。うとうとしたところで
「そこダメ、お父さんの場所!」
周に起こされた。
うちの息子は風呂場でもここでも、容赦の無い言葉を浴びせて来る。




