円 姉さんの里帰り 一
「じゃぁ円、明後日からしばらくやっかいになるね」
姉さんが久々に実家に帰ってくる。
上の子の合宿と下の子キャンプ、旦那さんの海外出張が重なったのだ。初めは下の子のキャンプについて行くつもりみたいだったけど、母親が一緒だと甘えが出るからと、直前にストップがかかったらしい。
そしてお母さんは勤続二十五年のご褒美で海外旅行だ。そこで防犯も兼ねて姉さんが里帰りと相成った。
防犯というなら兄さんが帰ってくるべきだと思うけど……。
あれでも空手の有段者だし。兄さんに電話で言ったら「素手の格闘で姉ちゃんに勝てる人はそうそういない」らしい。
確かに、兄さんが中二のとき、姉さんにボコボコにされたことはあったけど、さすがに今なら兄さんの方が強いと思う。そう訊いたら「今でも勝てる気がしない。あれは人間じゃなくて、妖怪とかそういうレベル」とのこと。相打ち上等で当たった者勝ちの勝負をすれば、体格差で勝ち目もあるかな、と。
国内で最も疾く華麗な技で魅せる男の一人、と空手雑誌で紹介されてたはずだけど……。
目を潤ませながら映画を見る一回り以上離れた姉を、不覚にもかわいいと思ってしまった。
産気づいて先に船を下りた妻と、死地に向かう夫のやりとり。夫婦には、もういくらも時間が残されていない中、子どもの名前を決める。そして、閃光とともに夫が乗った船と命が消える……。
カタルシス溢れる冒頭に涙ぐむ美少女、客観的にはそう見えるよね。手に持ってる冷酒のグラスやテーブルのサバ缶が無ければ。
家に来た姉さんは、昼間っから冷酒を片手にSF映画を観ている。しかも二十年程前の……。どういう趣味してるんだろ? そろそろ夕食の下ごしらえを、ってときなのに。
夏休みの初めは演習中心の補習がある。今日は最終日。二コマ目の数学でおしまいだ。本当は午後にもう一コマの予定だったけど、先生の都合で盆明けに延期。
時刻は十二時十五分まであと七分。きっと、クラス全員が残り時間をカウントしているに違いない。
ようやく終了のチャイムがなり、亜希ちゃんが私のノートを持って戻ってきた。
「助かったぁ。私まで回ると思わなかったもん。しかも一人休んだから一問ずれたし。ノートありがとう」
「どういたしまして」
でも、その模範解答、姉さんに作ってもらったんだよね。姉さんは大学どころか高校も出てないはずなのに。
いや、大学も一度は合格したらしい。けど、二人目の妊娠で休学、そのまま除籍してしまったらしい。
それでも学力は、兄さんの受験勉強を見るレベルだ。どうやって勉強してたんだろ? ホントによく分からない人だ。
亜希ちゃん、優衣ちゃん、凛香ちゃんと、弓道場の横でお弁当タイム。今日のお弁当は姉さんと私の合作。
卵巻きを口に含む。冷めているのにしっとりふんわり。卵をとくときに入れていたマヨネーズが効いているのかな? でも、朝のオムレツを作るときには牛乳を入れていたような。
「おー、円んのお弁当、おいしそー」
「いいよ、食べる?」
今日のお弁当はいつもより多い。姉さんが間違えて、兄さんが小学生のときに使ってた弁当箱に詰めたのだ。
「食べ盛りでしょ?」って、もう食べ盛りは終わってます。姉さんは終わってないみたいだけど。
あれだけ食べて、体型の違いに格差を感じる。
昨日キッチンに並んで立ったことを思い出す。
私の顔立ちは姉さんとよく似ている。スタイルも、日本人としては手脚が長いし、多分、この容姿で劣等感を持つこと自体、贅沢なんだろう。
でも、隣に立った姉さんと見比べると……、膝の高さが違う。腰の高さも同じぐらい違う。顎先の高さも少し違う。
一応、背は私の方が二センチ近く高い。私は百六十五あるけと、姉さんは無い。ココ重要。あと勝っているのは、胸ぐらいだろうか。
前に諦めたワンピースを思い出した。
丈は悪くなかったけど、切り替えの高さが合わなかった。私が着ると、胸がやや高い位置で持ち上げられてしまう。絞ったところが引っ張り上げられるせいで、脇の方の生地が縒れるのだ。
そうならないところまで服のサイズを上げると、今度は胸から下がストンとしてマタニティのようになってしまう。
結局、私にワンピースは似合わないのだ。
横目に見た姉さんの細くて長い手足、華奢な躯。肩幅自体はそこそこあるのに、ほっそりとしたシルエット。特にウエストから下の細さは出産経験どころか、妊娠できたことさえ疑わしくなる。
こういう体型なら、きっとあのカワイイ服も似合うんだろうな。うぅん、似合わない服を探す方が難しいに違いない。
「おいしーい! この肉団子、すごくおいしい!」
凛香ちゃんの声が私を現実に引き戻した。うん。そのつみれは美味しかった。姉さん特製だもん。
「ほんとに?」
亜希ちゃんと優衣ちゃんも覗き込む。
「よかったら二人もどう? 私にはちょっと多いし、つみれは昨日も食べたし」
二人は遠慮したのか、一粒を半分ずつに分けて口に含んだ。
「あ、本当に美味しい。これ、店に売ってるのじゃないよね?」
亜希ちゃんは、家が割烹やってるだけあって、舌が確かだ。
「うん。私と姉さんの合作。と言っても、ほとんど姉さんだけど」
「え? 円んって、お姉さん居たっけ?」
「あれ? 知らなかった? 私が小学校に行く前に結婚して、二児の母だよ。
お母さんの旅行中は不用心だからって一昨日から家に来てる。食事の支度は姉さんにお任せ状態だよ」
「二児の母かぁ。料理上手なんだね」
「うん。すごく上手。お母さんより上手だよ」
「いつまで居るの?」
「今週の末までは居る予定」
「ねぇねぇ、円んのお姉さんに、料理習えないか聞いてよ。たまごもきんぴらも全部美味しいもん」
「うん。聞いてみるよ」
姉さんにメールを送ると、すぐに電話が返ってきてOK。
「姉さん、いいって。
むしろ今日の夕食の買い物から、お泊まりでもOKだってさ」
結局、亜希ちゃんと優衣ちゃんはお泊まり会、凛香ちゃんも料理と食事までは確定で、お泊まりはお母さんの許可待ちだ。
「ところでさ、このつみれって……」
亜希ちゃんが相当に気に入ったみたいだ。
「私がしたのは、炒めた鶏肉をすり鉢で潰したぐらいだよ」
「すり鉢?」
「うん。鶏肉の半量を炒めて、そぼろになったのをね」
「手間かけてるぅ。もしかして出汁も?」
「うん。
姉さん、来た日に乾物屋に行って、いろいろ買ってた」
つみれの煮汁は濃縮されて、煮こごりのようになっている。きっと肌にも良いに違いない。
「お姉さんって、週末までだっけ?」
「日曜の朝まで。昼には子どもを迎えに行くんだって。あれ? 電話だ」
見ると姉さん。慌てて出た。
「お姉さん、何て?」
「今から迎えに来るって」
「「「えー」」」
当たり前だ。みんな制服だし、泊まる用意なんてしてない。それに、優衣ちゃんは自転車だ。
「私と凛香はいいとしても、優衣っちはどうする?」
亜希ちゃんが聞く。便乗する気満々だ……。別にいいんだけど。
「お姉さん、どれぐらいで着きそう?」
「うーん、今からだったら、車で十分か十五分ぐらいかな?」
「だったら、ギリ間に合いそうね。急いで用意してくるよ」
「慌てなくていいよ。家まで迎えに行くから」
いくら近いといっても、自転車で往復なんてしてたら、汗だくになっちゃうからね。
優衣ちゃんの後ろ姿を見送ると、ちょっと手持ち無沙汰だ。あと十五分ぐらいというのはどうにも中途半端だ。二人もスマホで何か連絡している。お、どうやら、凛香ちゃんはお泊まりの許可が出たみたいだ。