周 共通テスト
更に大きくなった周くんの話。
俺は試験会場の教室を出た。それなりに手応えを感じている。
「小畑クーン」
「工藤さん」
隣の教室の前で、後ろからの呼び声に振り向いた。
工藤 奏さん、俺にとって友達以上恋人未満な人。まだ、名前で呼ぶ関係じゃない。
俺たちは並んで構内を歩いた。
「どんな感じ?」
「失敗はしてないつもりだし、大丈夫だと思う。明日、自己採点してだけどな」
「一緒に行けるといいね」
「俺が二次で失敗しなきゃ大丈夫だろう」
本当にそうだ。理系科目は、共通テストのレベルなら失敗しない限り満点を狙えるが、記述となると厳しい。
『一緒に』かぁ。学部が違うからいつも一緒とはならないだろうけど、同じ街で暮らせたらいいな。
俺たちは大学の正門に向かって歩く。見上げた曇り空は既に暗い。
駅に向かうのだが、受験生が殺到するから込んでいるに違いない。学校からシャトルバスでもあれば良かったのにな……。
昼過ぎから降り出した雪で、街路樹は既に白い花が五分咲き。地面も舗装されていないところは白くなりつつある。駅までは寒いだろう。
「おーい、周ぇ!」
後ろから呼ぶ声に二人とも振り向く。
「やっぱり、周だぁ。私を差し置いて、彼女と逢い引き?」
声の主は姉さんだ。もっとも、俺を名前で呼ぶ女性は、母さんと姉さんだけだ。工藤さんは姉さんに目を奪われている。ま、初めて会った人は大抵そうだ。
昌姉さん。不思議な人だ。
まず、見た目が不思議だ。銀色の髪に青い目の美少女。俺は慣れているが、たいていの人はこの姿に圧倒される。
妹の円も美人だ――紹介してくれと言ってきた連中は十人じゃきかない――けど、姉さんも負けない美人だ。円が正統派の美人なら、姉さんはカワイイ寄りの美人だ。
それだけならすごいと言うだけで不思議じゃないのだが、姉さんは俺と一回りは離れている。もう三十路だというのに、その外見は未だ十代にしか見えない。
俺が小学校に上がる頃に結婚して、既に子どもが二人。それでこの外見は、天然の年齢詐称としか言えない。
夫婦で夜の街を歩いていて、職務質問されたこともあるそうだ。そのとき姉さんは調子に乗って、旦那さんのことを『ねぇパパ』と呼んだせいで、余計ややこしい話しになったらしい。
確かに夫婦だと言っても、外見は三十代も後半の会社員と十代の少女。しかも姉さんは純粋日本人に見えない上、酔っぱらっていた。免許証の偽造を疑われたのも当然だろう。
「おーい」
姉さんが固まったままの工藤さんに声をかける。それに我に返ったのか目をぱちくりさせる。その横顔に俺は一瞬見とれてしまった。
潤んだ、黒曜石の色をたたえた大きな瞳と、朱の入った頬。そういう表情は、姉さんじゃなく俺に見せて欲しい。
「初めまして。私は周の姉の昌だよ」
「は、初めまして。私は工藤 奏といいます。小畑君と同じクラスです」
「奏ちゃんね。よろしく。周もスミにおけないなぁ。カワイイ彼女じゃない」
「ね、姉さん。
ところで、どうして姉さんがここに?」
「私も共通テスト、受けてきたんだ。生活が落ち着いてきたから、今度こそ大学卒業しようと思ってさ」
「マジで? 大体姉さん、何浪になるんだよ」
「あ! 歳のことを言うなんていい度胸だ。せっかくしゃべり方も外見に合わせてるのに」
「あ、あの、本当に小畑君のお姉さんですか? 大学を受けられるんですか?」
工藤さんがようやく口を開いた
「今年受験するかどうかは決めてない。まだ子どもも小さいしね。
でも落ち着いてきたら大学は行くつもり。共通テストは、ここ何回かは毎年受けてるよ。受験勉強は、ある程度本番のつもりでやらないと、カンが鈍っちゃうから。
あ、一応私は結婚していて、子どももいるんだ。歳はヒ・ミ・ツ。見た目で想像してね」
姉さんは悪戯っぽく笑う。こういう姿や仕草は年上には見えない。工藤さんもちょっと困りどころだろう。
「よし! 周と彼女さんを家まで送ってあげよう!」
そう言うや、俺の左腕と工藤さんの右腕を取って歩き始めた。
「ね、姉さん!」
「お、このポジションはまずかった? じゃ」
そう言うと、俺と工藤さんを引き寄せて腕を絡ませた。左肘に柔らかい感触、って……!
「わ、わぁ!」
慌てて腕を引き抜く。そんな、手を繋いだことも無かったのに、いきなり!
「おぉー、青春だねぇ。いきなりこれは早かったかい? でも、せめて手ぐらい繋ごうよ。彼女さんの手、冷たかったよ。ここは暖めてあげなきゃ」
そう言うと、工藤さんの手を俺に握らせるや、コートのポケットに突っ込んだ。
「ほら、あったかい!」
姉さんは俺と工藤さんの肩をポンと叩く。工藤さんは完全に圧倒されているけど、俺もどうしていいか分からない。手、汗で湿らなきゃいいけど。
大学前の通りには受験生がいっぱいだ。かなりの割合が俺を視る。美少女の工藤さんと、見た目だけは美少女の姉さんに両側を挟まれているから当然だろうか。
姉さんに連れられて、金物屋の駐車場へ。ボルトやベアリングなど一般人にはあまり関係の無い商品の店とあって、今日は定休日だ。そこにあるのは、配達用らしいバンと姉さんのステーションワゴン。
「姉さん、こんなところに停めてたのかよ」
「ちゃーんと、お店の人には了解得てるよ。この店、結構使うから、顔が利くんだ」
「それ、利いてるのは旦那の顔の方だろ?」
「まぁ、そうとも言う。
周! 窓と屋根の雪、落として」
姉さんにT字型のワイパーを渡された。姉さんだと、両側から作業する必要があるが、俺の体格なら片側から一気にいける。
「本当は背の低いクーペがよかったんだけどね。旦那が許してくれなくて、四駆のワゴンだよ。
まぁ、今日は後部座席があってよかったけど」
俺たちを乗せた自動車はスムーズに走り出した。
隣を見るのも照れくさいので、見るともなく外に目を移すと、受験生の行列がゆっくりとしたペースで駅に向かう。
ゆったりと座っていることに、少し後ろめたさを感じる。あの人数だと、電車、何本待ちになるだろう?
「どうするー? 夕食でも一緒に食べる? 奏ちゃんはどう?」
姉さんの声で我に返った。
「いえ、悪いですから駅まででいいです。寄るところもあるし、自転車もそこにあるので。ありがとうございます」
工藤さんが返した。「小畑君もそうでしょ?」に頷いた。
「そっかー。じゃぁ、周、ちゃーんと送り届けるんだぞ!
一応、腕っ節だけはそこそこなんだから」
程なく車は駅前に停まる。
「お姉さん、ありがとうございます」
「姉さん、サンキュ」
自転車置き場に向かって歩き出すと、姉さんの呼び声。振り返ると、開いた助手席の窓の奥から手招きをしている。
「なんだよ、姉さん」
「手」
掴まれた手に万札を数枚握らされた。俺が目を白黒させていると、いたずらっぽく笑っている。
「軍資金。うまいこと食事に誘え。お母さんには内緒な。
あと、避妊はちゃんとしろよ。男の思いやりだからな」
最後の一言は、かなり悪そうな笑顔だ。
「ま、まだ、そんな関係じゃねぇよ」
「『まだ』だよね。解ってるって。そういうことは合格してからだからねっ。んじゃぁ、気をつけて」
「お姉さんは、何て?」
正直に言えるはずがない。俺は「何でもない」としか答えられなかった。
「送ってもらって助かったね」
「うん、そうだな。
電車だったら座れなかったし、そもそもあの混み具合じゃ、何本か見送ったかも知れない」
俺は、どう食事に誘ったものかと思案する。夕食というわけにも行かないから、軽食に誘おう。うん。軽食の方が誘いやすい。
「く、工藤さん。飲み物でもどうかなっ?」
結局、入ったのはチェーン店だ。せめて小洒落た喫茶店とか知っていれば……。姉さんに店をきいておけばよかったか?
工藤さんはカモミールティーを少しずつ飲んでいる。猫舌なのか、両手でカップを持って少しずつ口に含む仕草が愛らしい。
「そんなに、じっと見ないでよ」
「なんか、可愛らしい飲み方をするなって……」
そう言った瞬間、俺は赤面した。
考え事をしていたばかりに、思ってたことが口から出てしまった。
工藤さんの頬も赤い。……すごく、気まずい。俺は誤魔化すようにコーヒーを一口。
「お姉さんって、美人だね」
「ん、あぁ。小さい頃は当たり前で気づかなかったけど」
「ところで、お姉さんって幾つ? とても私達より上には見えないんだけど……。お子さんもいるって言ってたわよね」
「うん。姪が二人いる。もうすぐ中学生になるかな?」
「え? 本当に?」
「マジっす」
「あの外見で子持ちなんて……、ありえないでしょ!」
「俺もそう思う。今まで当たり前すぎて疑問に思わなかったけどさ。俺が知ってる姉さんって、齢取ってないって感じだよ。
本人は永遠の十七歳って言ってるけどね、マジ、冗談に聞こえない」
「むしろ、十五歳ぐらいに見えちゃった。とても結婚できる年齢には見えないよぉ」
円が姉さんと一緒に買い物に行ったときに、姉だと思われてぶつぶつ言ってたことを思い出す。知らない人には、確かそう見えるだろう。
工藤さんがじっと考えてからおもむろに訊いた。
「お姉さんって、エルフの血が入ってるんじゃない?」
「はぁ? エルフって、妖精の?」
「だって、周君より十歳以上は年上なんでしょ? それで、あの外見ってあり得ないもん。実はお姉さん、異世界からやってきたエルフさんじゃないの?」
「いやいやいや。明らかに死んだ親父の血が入ってる。姉さん、親父の若い頃にそっくりだし」
「うーん、じゃぁ、お父さんとエルフさんとの間にできた、ハーフエルフとか。
実は周君のお父さん、若い頃に勇者として異世界に召喚されて、そこでエルフの姫君と恋に落ちたのよ。で、そのときにできた娘が父親に会うために魔法で世界を超えてきたとか」
工藤さんは真剣な顔で言う。いやいやいや、そんな表情で話す内容じゃないと思うんだが……。
後日、姉さんにこの話をしたら、大笑いされた。「でも、その話はおもしろいからネタにもらおう」となったが、姉さんは真剣な顔で一言。
「問題は、どうやって魔法を使うかだ。私は魔法、使えないんだよなぁ」
でも、姉さんはあの日、一つ魔法を使ってくれていた。
あの日から俺と奏さんとの距離は縮まり、互いを名前で呼ぶようになったから。