家族
家族は離れの仏間に待っているそうだ。加えて姉、渚の両親。どんな顔で会えば良いのだろう。私の両親や姉は仕方がないにしても、渚の両親には公式発表通り、亡くなったと知らせてくれれば良かったのに。なんだかお腹が痛くなってきた。
歩こうとしても、足の裏が床から離れない。膝が震える。
「大丈夫。誰もあなたを責めないわ。それに、私がついてるから」
私は渚に右手を引かれてのろのろと進んだ。床に足が付いている感覚が怪しい。自分は真っ直ぐ立っているのだろうか?
今度は周が左手を引く。子どもにまで心配される訳にはいかない。
目を閉じて深呼吸を一回、私はさっきより確かな足取りで渡り廊下を通り抜ける。
襖の前に立ったが、繫がれた手を放す勇気が出ない。
何秒そうしていただろうか? 渚が襖に手をかけて私を見た。
私は右手を放し、手ずから襖を開いた。
座敷から全員の視線が集中する。皆黙ったままだ。
私はその場に正座し、渚の両親に頭を下げた。
「こんなことになって、申し訳ありません」
「あら、あら、あら、あら、可愛くなっちゃって、もー。
渚から聞いてはいたけど、こんな別嬪さんになってるなんて思わなかったわ。見とれて、息をするのを忘れちゃったぐらいよ。昌幸君は元からきれいな顔立ちしてたけど、あぁ、今は昌ちゃんね。
ほら、お顔を上げて」
お義母さんは、いつもと変わらぬ調子で私の前に座った。
私が顔を上げると「あら、お化粧してもらったの? でも涙で少し崩れてるわ」と、目尻を拭ってくれた。
「なっちゃったものはしょうがないし、何より一番困ってるのは昌ちゃんでしょ。命があったんだから、それでよしとしなさい」
私をぎゅっと抱きしめてくれる。
暖かい。
そうだ。渚のお母さんなんだ。渚はこのお母さんから生まれて育ったから……。
私の目に再び涙が溢れる。この身体になってからというもの涙腺が緩い。
「すいません、顔を洗ってきます」
私は一旦洗面所に行くことにした。泣くたびに拭いてもらうのも心苦しいけど、インターバルをおきたいのが本音だ。
沙耶香さんに習ったとおり、化粧を落として洗顔する。座敷では襖の向こうから話し声が聞こえる。私は今一度座敷に入った。
「すっぴんでもきれいねぇ。若いって羨ましいわぁ」
お義母さんも努めて明るく振る舞っているのかも知れない。でも、正直リアクションに困る。
空気を察したのか、姉が口を挟んできた。
「私の友達ね、昌幸のこと、妹だと思ってた子もいたんだよね。でも、本当に妹になるとは思ってなかったわ。
今度、妹ですって見せびらかそうかしら」
「姉さん、それじゃ親が幾つのときの子だよ。とりあえず姪ってことになるからそのつもりで。
ところで篤志は?」
「今夜帰ってくるって。でも、その変わり果てた姿見たらどんな顔するか、見ものね」
姉はニヤニヤと黒い笑みを浮かべた。
「変わり果てたって、屍体みたいな言い方はちょっと……」
「でも、明後日はお通夜でしょ」
「まぁ、公式にはそうだけど」
男性陣はどう言葉をかけたものか思案しているようだ。普通はこうだよな。
「これじゃ、ビールに付き合ってもらうわけには行かないなぁ」
お義父さん、かなり考えた挙げ句の一言がこれだ。
「でもお酌ぐらいはして上げられますよ」
私が応じるとぎこちなく笑って、
「こんな美人に注いでもらえば、ビールも美味しくなるかな」
案の定、お義母さんが睨むが、目は半笑いだ。
とりあえず、表面上は受け容れてくれてるようだ。その中で、父さんは黙ったままだ。
「父さん、ただいま」
「ん、あぁ、お帰り」
どう言ったものか、迷っているようだ。
「まぁ、もう一度青春をやり直せると思えば、悪くないだろう。今度は若すぎて傷つくことも無いだろうし」
「青春、ねぇ……」
「しかも、今までとは別の視点で世界を見ることが出来る。そんな経験は誰もが出来るものじゃないから、幸運かも知れないぞ」
「まぁ、生き残れただけで幸運だし、やるだけやってみるよ」
一応、父さんなりに元気づけようとはしてくれているらしい。無理してまともなことを言おうとしているあたり、ピントがずれてる。
『青春をもう一度』か。そもそも、ここまで外見と中身が乖離した私に、友達なんてできるんだろうか。
せめて、候補の神子たちが仲良くしてくれれば良いんだけど。あ、こっちから仲良くしなくちゃいけないな。
一時間ほどしてようやく普通にしゃべれるようになってきたら、沙耶香さんに言葉遣いを注意された。知らない間に言葉遣いが昌幸に戻っていたようだ。
姉さんからも「その外見でその言葉遣いは違和感ありすぎ」と言われ、病院での訓練の成果を披露しなくてはならなくなった。正直、恥ずかしい。
それに、渚を『お母さん』と呼ぶことに抵抗がある。
いや、今までもそう呼んでいた。子どもが生まれたとき、互いに子どもから見た続柄で呼ぶことにしたからだ。
親としてその呼び方を使うことに抵抗はなかったが、自分が使うとなると抵抗感、と言うより違和感がある。一人称の『私』もそうだが、人称代名詞に難がある。
これにも慣れていかなくてはならない。
沙耶香さんが、今後の予定と私の『設定』についてもう一度確認した。
結局、あの昼ドラより酷い『設定』から変更無しだ。考えると言いながら、もっとマシなストーリーが出てこなかったから仕方がない。明後日の通夜が、最初の勝負だ。自分の設定、特に生育歴や人間関係を憶えきれるだろうか……。病気と治療のせいで、幼少期の記憶が損なわれたとか、そんな設定を追加してもらおうかな。
「ところで、私は葬儀では何を着れば良いんでしょう」
家族全員が固まった。
「ちゃーんと、用意してありますよ!」
沙耶香さんが満面の笑みで箱を出す。「はい、礼服」
今度から『沙耶えもん』と呼ぼうかな。
「あとで、合わせましょうね」
やっぱりそう来たか。