周 中二
年を経て、少し逞しくなった周くんの話。
「ありがとうございましたー」
今日の練習は終わりだ。
もうこの道場で俺に勝てるヤツはいない。ぶっちゃけ、高校生どころか松田先生とも互角に近い組み手が出来る。
「おーい、周。ちょっと頼みがあるんだけど」
頼まれたのは、用心棒的なこと。同じクラスの飯田が恐喝されたらしい。しかも、スマホを人質に取られてる。これを取り返しに行くときに、俺も混ざるわけだ。
俺はケンカに空手を使ったことは一度も無い。まぁ、この俺にケンカを売ってくるヤツもいないけど。
これは姉ちゃんにキツく言われている。空手を始めたのも祖父ちゃんが腰のヘルニアで入院したとき、家では男手は俺だけだから、みんなを守れる優しくて強い男になってと、姉ちゃんから頼まれたからだ。
この道場も姉ちゃんに紹介された。師範代の松田先生が姉ちゃんの知り合いらしい。
小四から初めて四年近く。全国大会は体育の授業中の捻挫で棄権したけど、少なくとも県内の中学生で、俺の敵はいない。
背だって中二にして百七十四。親に似て手足も長く、スピードで俺に勝てる相手は、全国レベルでもそうそういないだろう。
取り返しに行くのは来週の土曜。ヤるとなったら俺もいるということで顔を貸すだけで、実際に拳を使うことは無いだろうが、その心構えはある。
家に帰ると、珍しく姉ちゃんがいた。料理が上手い美人だ。つーか、見た目は超絶美少女だ。知らなかったら女子高生って言っても通じる。
俺が夜食のうどんを啜る前で、姉ちゃんはイワシの干物を頭から囓りながら冷酒を飲んでいる。せっかく可愛いのに、台無しだ。
「空手、どう?」
「捻挫で全国は棄権した。来年は優勝狙う」
「怪我しないのも実力のウチ」
「先生にも言われた」
うどんの残りを啜る。この出汁は姉ちゃんだな。
「美味ぇなぁ」
「私を誰だと思ってる。周のお姉ちゃんだぞ。
男子向けに甘さ控えめ塩味強めの鶏出汁入り。道場で汗を流した後だから、余計しみるでしょ?」
「うん。美味ぇ」
姉ちゃんは微笑んで続きを飲む。
前にあるの小洒落たつまみとカクテルとかなら似合うのに。
「周も一口行く?」
「おう」
姉ちゃんは酒には寛容だ。中学校入学のときも、グラスに一杯だけ冷酒をくれた。あのときは飲み方を知らなくてむせたけど、今は分かる。
青いガラスに、三角刀で切ったような模様が入ったグラスを受け取って一口。
「美味ぇな」
「お? 生意気」
「マジ、美味ぇし」
「酒の味が分かると、それだけで人生が豊かになるけど、その一杯で終わりね」
姉ちゃんもグラスを空けた。
ちょっと飲んで気が大きくなったのか、口を滑らせたのが失敗だった。用心棒の話に姉ちゃんはカンカンだ。俺が殴られても自業自得だけど、円にとばっちりが行ったらどうするということだ。
俺もそこまで考えていなかった。
「自分より弱い相手を、ちょっと小突いただけで、天狗になってんじゃないよ。どのぐらいやるか、明日見てあげるから」
姉ちゃんも酒が入っているせいか、結構強気なことを言う。
確か、合気道かなんかをしている。それなりに自信があるのかも知れないけど、所詮は女。背も俺より十センチ近く低いし、体重だって十キロ以上差があるだろう。まず勝負にならない。
と昨日は思っていたのに。姉ちゃんに連れられて道場だ。
「おーい、松田君、久しぶりっ。ちょっとここで組み手やらせて」
「お、小畑、さん、じゃなくて、高橋さん。急に、何事?」
俺が道着に替える間に事情は説明したらしい。姉ちゃんが着替える間に、先生からも用心棒については止められた。そして、それについては別の方法があるとも言われる。
「周、ちゃんと手加減しろよ。
お姉さんもそれなりにはやるんだろうけど、お前の実力は全中でも上位は堅い。
中学生男子でも全国レベルなら、女子じゃぁまず相手にならんだろう」
「分かってます。その辺は陸上でも球技でも同じっすから」
姉ちゃんが着替えて出てきた。長い銀髪は団子に結ってある。そういう髪型にすると、めっちゃ美少女な感じだ。あ、大学生が変な目で姉ちゃんを見てる。後でどうしてやろうか。
一応、審判には松田先生が入る。
「始め!」
姉ちゃんが構えた。俺もそれと鏡写しのように構えた瞬間だった。姉ちゃんからものすごい重圧を感じた。それに怯んだ一瞬に踏み込まれる。
ギリギリ体を躱したが、脇腹を下段突きが掠める。
躱したところにそのままショルダータックルを食らう。
マジか? 女のパワーじゃない。
そのまま後ろに跳んで間合いを外したところに中段蹴り。
左腕でブロックするが、芯に来る。重い!
俺も右の回し蹴りを放つが、姉ちゃんはそれを上に逸らしつつ軸足を払う。俺は無様に床に転がるが、そこを姉ちゃんが踏み抜く。
ギリギリ躱した背後の風圧と、蹴られた床の振動がすごい。
「止め!」
松田先生のストップで仕切り直し。姉ちゃんやってるのは合気道じゃなくて八極拳とかじゃないのか?
一撃一撃が、重い。
そして、速い。
どうする? 距離を保って、スピード勝負か? いや、スピードでも分が悪い。
「始め」
考えをまとめる暇も無い
「ここまでは、周でも出来るレベル。でもね、こういう技もある」
姉ちゃんが構え、いきなり拳を、えっ? なんでこんな近くに!
交差させた腕が間に合ったのはギリギリだった。
届かない距離だったはず。瞬間移動でもしたのか?
そのまま密着される。
そこから先は攻防じゃなかった。
一方的に動きを封じられ、姉ちゃんは軽く身体を押すだけ。
そのどれか一つでも力が乗っていたら、俺は倒されてた。
あちこちをいいように小突かれた挙げ句、最後に両頬をビンタされて、一方的に負けた。
「と、まぁ、こんなもんね。
周、自分より弱いヤツとしかしたこと無いから、私程度に遊ばれるのよ」
『程度』って、こんなに一方的にやられたのは小学生以来だ。
「体格は周が上、パワーは言うまでも無いしスピードも上。技だって、そうそう差は無い。格闘ゲームで言えば、アンタは私の上位互換よ。
にもかかわらずここまで一方的にやられるのは、アンタがヘタクソだってこと。
その程度で天狗になってるんじゃないよ!」
俺は何も言い返せない。
「松田君、無理言ってゴメンね。でも、周の鼻っ柱を折っとかないと、しでかすとこだったから。
また、こんなことがあったら、今度は遠慮無くぶちのめしてやって」
「お、おぅ」
そう言うと、姉ちゃんは着替えに行った。松田先生もタジタジだ。
「先生、姉ちゃんって、明らかに強いっすよね」
「強いな」
「先生勝てます?」
「厳しいな。
お姉さんを怪我させることになる」
「姉ちゃんが言うには、女で姉ちゃんより強い人、少なくとも県内だけでも二人いるってさ。一人は何となく分かるけど」
「ま、世の中は広い」
その後、ビンタで腫れた頬を先輩方に手当てしてもらった。
「小畑の姉ちゃん、強ぇな。
組み手の前は、声かけようと思ってたんだけど、ありゃダメだ」
「先輩、断っときますけど、姉ちゃん既婚で子持ちっすよ」
「マジか?」
「娘が二人もいるのに、ベタベタのラブラブっすから」
道場からの帰り道、姉ちゃんより強い二人について聞く。
「両方とも会ったことあるって、一人は多分、ハーフみたいな看護師の姐さんだろ。もう一人は?」
「光紀さん。こないだ結婚の挨拶に来てたじゃない」
「あー、大隈さん。旦那さんが合気道の指導をしているっていう」
「そう。光紀さんも県職員しながら指導していて、ああ見えて、旦那さんよりも強いのよ」
「マジで?」
「何でもアリならともかく、柔術じゃ未だに勝てないわね。
あ、そうだ。円も護身術に習わせても良いかも」
「俺も空手やめて、合気道にしようかな」
「やるんだったら、空手も続けなさい。技をコレクションしたって、総合的なレベルは上がらないよ。きちんと一つのテーマに向き合って、その中で他のことを勉強するならいいけど。
私程度に押し込まれるレベルじゃ、まだまだ」
本当は、こういうことは父親の役目なんだろうな。
「姉ちゃん。父さんって、どんな人だった?」
「何? 急に」
「いや、何となく」
「円と私はお父さん似。これで顔は想像つくわよね。
体つきは細マッチョ、というほど細くはないけど、ゴリマッチョまでは行かない。
私ほど優しくないから、今日みたいなことがあったら、ほっぺた腫らすぐらいじゃ済まないわね」
どの口が『優しい』だ。
結局、用心棒の話はうやむやになった。
が、飯田君のスマホは『偶然』通りかかった大学生の集団によって回収された。
そして、大学生に拉致された飯田君も道場に通うことになった。