学祭 二
スマホを取り出すと、慶一さんからだ。
「どうしたの? 昌ちゃん」
「慶一さん、今から来るって……」
「本気で?」
「おぉー。披露宴ですね」
紬ちゃんは目を輝かせる。
私は、休憩所兼食堂として解放された空き教室に行き、電話をかける。
「もしもし? 慶一さん。今、大丈夫?」
「あぁ。もう駐車場に入ったとこ。今、車を停めた」
「本当に来るんですか?」
「もう駐車場まで来てるから」
「絶対、晒し者ですよ」
「いずれ披露宴でもそうなるんだから、予行演習だよ」
「高校生から『ロリコン』とか『犯罪者』って言われますよ!
同年代から言われるならまだしも、高校生からそんなこと言われたら、絶対ヘコみますよ!」
「こ、これからも、そういうことはいくらでもあるだろう。
君の友達と会うこともあるだろうし、いつまでも尻込みってわけにもいかない。
受けて立たないと」
「にしても、いきなり高校生相手は……。
大人が相手の場面とは、意味合いが違います」
「何事も、経験だ。
今、門の付近だけど、どこから入ればいいのかな? 部外者受付とか?」
「部外者は立ち入り禁止です!」
「いや、明らかに部外者の姿もあるよ。それに、私と君は家族だ」
……ふぅ。どうしよう? って言うか、穏便に済ませられるうちにさっさと帰るべきか。
「じゃぁ、そこまで行きますから、待ってて下さい。間違っても職員室に挨拶なんて言わないで下さいよ!」
電話を切ってため息を一つ。絶対晒し者だ。
横で聞いていた紬ちゃんは「勇気と言うより蛮勇です」の一言。私の言葉だけで、どういうやり取りがあったか想像できているみたいだ。ちょっと心配そうだが、それ以上に面白がっている表情。
私たちは生徒玄関に向かった。せめて沙耶香さんが居れば……。
校門の方は既に騒がしい。既に慶一さんを見つけた生徒がいるようだ。慶一さんは物見高い女子生徒に囲まれていて近づけない。
面倒くさい。『格』で、と思ったところで慶一さんが私を呼んだ。
瞬間、周囲りの視線は私に集中する。
「ちょっと、通してくれるかな?」
慶一さんが言うと、ざざっと、道が開ける。モーゼの十戒のようにとはいかないけど、これはすごい。慶一さんがその間を縫うように歩いてきた。
「ただいま、昌」
「お、お帰りなさい。慶一さん」
思わず応えてしまったが、すごく恥ずかしい。顔が熱い。
慶一さんに右手を引かれ、玄関に向かう。後ろから野次馬もゾロゾロついてくる。
後ろから歓声。なんだろう?
「おぉー。昌クン、大胆」
言われて気づくと、私はいつの間にか、慶一さんに腕と指を絡めて寄り添っている。ナチュラルにと言うか、条件反射のように無意識に! 人前で何やってるの? 私!
慌てて手を放した。
「見せつけてくれるわねぇ。私も隆さん連れてくれば良かった。隆さんはこの高校の卒業生だし」
大隈さんは、別の高校で講師をしているそうだ。光紀さんは院に進んで専修免許を勧めたけど、常勤講師の口を優先したという。そして、今年の採用試験には手応えを感じているそうだ。
光紀さんも来年は教員採用試験も受けるが、県職員が本命。客観的には、教員の方が向いていそうに思うけど。
生徒玄関に入ろうとしたところで、後ろから呼び声。
「やっほー、昌ちゃーん。高速とばして遊びに来たよー」
聡子さんまで来た。
私たちは食券を買い、食堂として準備された教室に陣取った。ここで詩帆ちゃんとも合流。周囲りには、主に同じクラスだった女子生徒が群がる。更にその外側には別のクラスや学年の男女。目当ては光紀さんや聡子さんだろう。
でも、慶一さんに向けられる視線は、予想に反してかなり好意的だ。『カワイイは正義』というが、イケメンもそうなのか? いやいや、イケメンじゃないな。よく言って二枚目半だ。
光紀さん達が、定番のソースものやカレーライスを持ってきてくれる。本当は慶一さんが行くべきなんだろうけど、この状況では難しい。
食事には、同じクラスの女子達も混ざる。なれ初めとかを聞き出したいんだろう。他人の恋バナ大好きなお年頃だ。
でも、光紀さんも聡子さんも話を別の方向に持って行ってくれる。慶一さんだけじゃこうはいかなかった。
私たちの関係について、今は席を外している沙耶香さんも含めて柔術仲間であることを話した。その沙耶香さんは保健室の山科先生とも柔術をしていたことを言うと、皆驚く。
「柔術には美容効果があるに違いない」とか「そのサークル入会には書類選考があるに違いない」とか。それも、女子高生にとっては大きな関心事の一つだ。
そして、二人が通っている大学名で驚く。どっちもそれなりに名前が通っているし、一人は医学部生だ。
「ちょっと見てくるね」と、展示企画を見に行った聡子さんは、文芸部で薄い本を買ってきていた。あとで見せてもらったら、二次創作が主だけど、古文の教科書にも載らないような古典が題材になったものもある。ただし、内容は思いっきり『腐』っていたけど。
昼の時間になり食堂が混み始める。私たちだけならまだしも、その周囲りには野次馬が集まるので、食堂を出ることにした。近隣の人たちのために、場所を空けないとね。
そのタイミングで沙耶香さんが戻ってくると「あら、旦那さんまで来ちゃったの?」と少し呆れ顔。
昼過ぎになって、私たちは学校を出る。私の家――もうすぐ出るけど――で、お茶の時間となった。
早速、聡子さんからお土産と渡されたほうじ茶を煎れる。お湯を注ぐ前から香ばしい匂いが拡がる。宮家に献上されたこともあるという触れ込みだが、確かに薫り高く美味しい。
「意外だったけど、慶一さんが晒し者にされなくて良かったです。
でも、多分三年生だと思うけど、私に対する視線が厳しかった」
「そりゃ、嫉妬もされるわね」
「嫉妬?」
沙耶香さんの応えに、慶一さんも怪訝な顔。聡子さんも、薄い本から顔を上げると「そうかもね」と返す。
「昌ちゃんのおかれた状況よ。
昌ちゃんは、改めて大学受験するつもりかも知れないけど、客観的にはイケメンの社長令息に嫁いだ専業主婦。
これから受験勉強に向かう子達から見れば、それをすっ飛ばしてゴールしているように見えるのよ。
まして、お友達はそれなりに名前が通った、それこそ高校で上位の生徒が志望するような大学の学生ばかりで、あんな会話を交わしてれば、そういう視線にもなるわね」
私から見れば、高校生活を満喫できることの方が羨ましいけど、隣の芝生は青いってことか。
聡子さんは沙耶香さんの手配した宿で泊まって、明日帰るそうだ。今夜は沙耶香さん、光紀さんと三人で食事。「私も」と言ったが、「未成年で、しかも妊娠中の女性はダメ」だった。
その夜、久々に詩帆ちゃんと長電話。
沙耶香さんに聞かされた話をしたところ、詩帆ちゃんから更に補足説明があった。
「昌ちゃんのお友達は美人ばっかりだから見落としてるんだろうけど、昌ちゃんが女として勝ち組だからだよ」
「勝ち組?」
「会社の跡取りに嫁いで専業主婦。
恋愛に夢見がちな昌ちゃんが、あっさりそういう処に収まれば、そういう視線も仕方ないってこと。正直、私も少し羨ましいし」
後で思い返せば、間が悪かった。お父さんと進路のことで一揉めした直後だったらしい。
「私は、将来は研究者になりたいのよね。でも、人文系はお金にならないし、大学に残れればいいけど、そうじゃないならパトロンとかがいないと将来が無いわけ」
かなり重たい話。
詩帆ちゃんのお父さんは、院ぐらいなら出してあげられるけど、人文系では、女子が院に行っても就職は厳しいし、研究者として残るのはもっと厳しいので、あまりいい顔をしなかった。
詩帆ちゃんは、『結婚』というカードを使ってでもと考えているみたいだけど、口に出さなくてもそういうことは伝わる。お父さんとしては止めに入るだろう。
と言うより、お父さんと揉めた原因はこの辺にあるんだろう。
「昌ちゃんは、結婚しなかったら普通に理系に進んだんだろうけど、その気になれば文系にも進めたよね。
でも私は文系にしか行けないの。
本当は文系だって理系の素養が要るし、そういう意味では、文系の方が難しい。でも、私は理系にさえなれない。
それでも、研究はしたいの。理系にもなれないのに人文系で研究したいなんて……、舐めてるって思われるかも知れないけど、研究はしたいの。
だから、そういう素養があって、でも結婚して。そんな昌ちゃんがちょっと羨ましい。
きっと、そんな風に思う人は、けっこういると思う」
それに対して、私は何も言えなかった。詩帆ちゃんは真面目すぎるし、今から将来をそんな風に考えるなんて、と思うけど……、そんなことを言えば、余計に詩帆ちゃんを傷つけそうだ。
私は、詩帆ちゃんに対してはどう接したらいいんだろう?
翌朝、詩帆ちゃんから、『八つ当たりしたこと』について謝りの電話があった。でも、それは私にとっても戒めとなる話。
こういうことも心しておかないと。