あとわずか
式も終わったけど、引っ越ししていないから、表面上は代わり映えしない、いつも通りの朝。
だけどやっぱり違う。私の気持ちの問題だ
周を小学校へ送り出し、お母さんを見送って、私が円を園に連れて行く。『お父さん』の車にジュニアシートを載せ、円を座らせる。そして私は運転席に。
園で円をあずけると、保育士さんは怪訝な顔。代表してなのだろうか? 徳田さんが「昌さん、学校は? それに、その車」と訊く。
私は、結婚指輪を見せて「寿退学です」と応えた。
「円ちゃんがそんな感じのことを言ってたけど、本当だったのね」
どうやら、円から断片的な情報を得ていたようだけど、内容が内容なので確認できなかったらしい。
確かに、園児から「赤ちゃんがうまれる」とか「けっこんする」という言葉を聞いても、確認はしづらいだろう。……主語も判らないし。
そのまま事務室で徳田さんとお話しすることに。
「改めて、結婚おめでとう」
「ありがとうございます」
そして、なれ初めから妊娠していること、私の年齢が十九であることを順に話す。こうして改めて話していくと、私って属性盛り盛りだ。
話していると、露骨に『玉の輿』というキーワードが。確かに客観的に見ても良縁ではあると思う。そして案の定、結婚を決めたことについて、詩帆ちゃんと同じことを訊かれる。もちろん、返事もそのときと同様だ。
「今は、お腹の子が無事に産まれてくれれば、それだけです」
「失礼かも知れないけど、昌さんも随分大人になったわ。
初めて来たときには、女であることを半ば捨てにかかってるようにさえ見えたのに、今は立派なお母さんね」
私は「あはは」と笑ってごまかした。そういう風にも見えてたわけだ。
話していたのは小一時間ほどだろうか。私はそこを辞して次の目的地へ。先ずは役所だ。
既に仕上がっている『高橋』の判子を持って窓口へ。住民票の写しを受け取ることに始まり、銀行口座や運転免許証の名義変更手続き。
書類に『高橋』の文字を書く度に、得も言われぬ幸福感が湧き上がってくる。これが結婚するということなのだろう。男性の大半はこういうことを実感することは無いのだろうけど。
警察署では私の外見から別の目的で来たと思われたようだったけど……。これは無かったことにしておく。手続き自体は住民票でスムーズに完了だ。
免許証については郵送も出来たが、改めて取りに行くことにする。
多分、免許証の名前を見て、また幸せになるんだろうな。
いずれ、こういう気持ちも薄らいでしまうのだろうけど、出来るだけ大切にしたい。そして、これを忘れずに、出来るだけ長く感じられるよう努めよう。
昼食を軽めに済ませたあとは、フォーマルな靴のオーダーだ。
昨日、披露宴の衣装について話していて、完全に忘れていたことに気づいた。私の足形はフォーマルに向いていないから、オーダーする必要がある。
靴屋さんでは特急でお願いする。
妊娠しているから、ヒールが低い靴だ。でも、フォーマルな靴はどうして無駄に爪先を尖らせるんだろう?
納期は披露宴にギリギリだ。間に合わなかったら、大きめの靴の爪先に詰め物をするという手もある。どうせドレスの裾で隠れてほとんど見えないのだ。
最後は、夕食の買い物へ行く。周からはマカロニグラタンのリクエストもある。
店に入ると昼過ぎだからか空いている。野菜と乳製品をカートに入れ、魚屋さんへ。
「おう、姉ちゃん。学校は?」
威勢良くおっちゃんが声をかけてくる。
「寿退学です」
私は結婚指輪を見せる。
「あー、噂は本当だったのか。俺も三十年若けりゃぁ、って思ってたんだけどなぁ」
「あれ? 四十年じゃなかったですか?」
「姉ちゃんみたいな別嬪さんなら、見てるだけで十年は若返るってこったよ。ダンナになるヤツが羨ましい」
おっちゃんはしみじみと言うけど、どこまで本気だろう?
「そんなに褒めても、何も出ませんよ」
陳列棚を見ると生の秋刀魚がある。旬に早いせいかまだまだ高い。一尾五八〇円って、買う人いるのかな? と思いながら三尾買ってしまった。ご祝儀だ。
あ、これだったらスダチと大根も買わなきゃ。
大根は先の方をおろしに使うけど、残りは煮物とサラダだ。というわけで、鶏のササミも買う。ササミはサラダのアクセントにもなるし、大根などと一緒に煮ても美味しい。円は鶏と昆布の出汁が大好きだ。
家に帰り着くと、慌ただしく夕食の支度。昆布で出汁を取りつつ、大根の下ごしらえ。ササミを軽く塩茹でしたら、余熱で中まで火を通す。茹で汁は煮物の出汁にもなる。
根菜は味が濁らないよう別々に下処理をして、昆布と鶏の出汁でササミと共に煮込む。平行してグラタンのソースを生クリームたっぷりで作る。これは直前にマカロニと合わせてオーブンだ。
細切りにした大根とキュウリ、ほぐしたササミと湯通ししたモヤシをサラダにして、ボウルごと冷蔵庫で冷やす。
今日のお吸い物用に、カマボコと渦巻き麩にミツバも、軽く湯通しして下ごしらえ。
そこまでしたら、保育所まで円を迎えに行く。専業主婦も、案外慌ただしい。
皆でそろって「いただきます」だ。周も円も美味しそうに食べる。グラタンだけはメニューから浮いてるけど、リクエストだからね。
「こういう食事も、あとちょっとかぁ」
お母さんがため息交じりに言う。
「主菜はともかく、副菜や常備菜的なものは、これからも作って届けるよ。そこまで、遠いわけじゃないから」
「悪いわね。
ほら、子どもたち、お姉ちゃんにお願いしますは?」
「「おねがいします」」
「美味しいの、作るからね」
そう言うと、二人は嬉しそうにグラタンに向かう。あ、円のほっぺにホワイトソース。私はそれを拭った。
こういう姿を見られるのも、あと十日程か。




